NLP 神経言語プログラミングとは  天才のモデリング技法 ―効果と課題

【目次】


はじめに

NLP(神経言語プログラミング Neuro-Linguistic Programming)とは、リチャード・バンドラー博士ジョン・グリンダー博士によって創始された能力開発技法です。

彼らが、天才的と言われる心理療法家―ゲシュタルト療法のフリッツ・パールズ、催眠療法家のミルトン・エリクソン、家族療法家のバージニア・サティアら―の治療技法をモデリング(モデル化)し、そのエッセンスを方法論化したものです。

NLPについては、日本に導入されてから20年近くが経ち、スクールも書籍も非常に多くなっており、だいぶ認知もひろがってきましたので、このセクションでは、その「本当のところ」を少し整理してみたいと思います。
というのも、NLPは、導入初期にあった不足(欠陥)が修正されずにそのまま普及してしまったため、現在では、NLPも多くの輸入品(メソッド)にありがちな浅知恵のまま、退潮?しようとするかにも見えるからです。しかし、実はそれは、とてももったいないことでもあるのです。

そのため、特に、NLP(神経言語プログラミング)をその由来までさかのぼって、オリジナルNLPの特徴を理解した上で、限界と可能性、適用範囲、その有効な使い方を理解していくことがとても重要だと思われるのです。

そのことで、「怪しい」「胡散臭い」「効かない」と言われている、NLPの内実(意味合い)や「効かす方法(側面)」をより理解できるようになるからです。
そして、その点を理解することで、NLPは、ずっと豊かな使い方や効果を得ることもできるからです。

創始者の役割分担について

さて、NLP(神経言語プログラミング)は、バンドラー博士グリンダー博士という、(今は決別した)二人のカップリングによって創られましたが、筆者はここに「或る役割分担」を見ています。
そして、実はここにすでに、NLP(神経言語プログラミング)の本質的な秘密(要素)が出揃っているのです。
このことを理解することで、NLPの本質的な要素も見えてくるのです。

さて、ところで、諸々の情報を総合すると、リチャード・バンドラーという人は、「モノマネの天才」なのではないかと思われます。
彼には、モノマネ者に特有のうら寂しさと道化性、矯激性があります。
「モデリング」というアイディアそのものがここに由来しているように思われます。
(「物真似屋は、憑かれた者である」サルトル『想像力の問題』平井啓之訳)

つまり、バンドラー博士が、パールズやエリクソンと接する中で、彼らが行なっている行動や形姿を、形態的に模写し、身体的に憑依的(シャーマニック」に「写しとったもの」を演じて見せて、それをグリンダー博士が構成的に記述に起こしていく(いわゆる「モデリング」)、これがそもそもの出発点です。

このような作業(取り組み)の中から、NLPのアイディアは膨らんでいったのではないかと思われるのです。
そして、二人の役割を交代して、今度は、グリンダー博士が実際にそれらを実践してみて、効果が出るかを検証していく。
そのようなことを繰り返す中で、初期のNLPができたのではないかと、推測されるのです。

いわば「霊媒と審神者(サニワ)」のカップリングです。
各人の優れた得意な才能が、そこに活かされていたわけです。

そのため、二人の関係が決裂したことで、NLPの方法論的な基盤づくりの創造的な面は終焉したのです(その後のNLPの展開は枝葉末節の応用です)。


NLP(神経言語プログラミング)の特性

さて、世の中には、「Lite」という言葉のついたアプリケーション、ソフト商品があります。
「○○Lite」、つまり「簡易版」です。
元々のオリジナル商品が装備していた、多様な機能をそぎ落して、シンプルで単純な機能だけに特化して、初心者にも簡単に使えるようにした商品です。

NLP(神経言語プログラミング)とは、ある意味、このLite商品といえるものです。
NLPは、ゲシュタルト療法Liteだったり、催眠療法Liteだったりしているわけです。
初心者にも大変使いやすいのです。
しかし、機能を落としている分だけ、残念ながら効き目も弱いものとなっているのです。

NLPは、ゲシュタルト療法やフルスペックの体験的心理療法のように、強度な変性意識状態(ASC)や、深い自発的な感情の湧出、深層レベルの心理プログラミングの書き換えは起こせません。
比較的軽度な知覚レベルの修正や、時間が経つとじきに消えてしまうような軽度な感覚修正が多くの作用です。
そこが、主催者たちが誇大に喧伝しているNLPの効果と全然違うので、人々は騙されたと感じてしまうのです。
(その理由は→効果的に作用するNLPのフレームとは)

しかし実は、あまり効かないという点が、逆にNLPのいいところ(利点、安全性)でもあるのです。

刺激の強い体験的心理療法や強度な変性意識状態(ASC)、また何らかの知覚変容などをまったく経験したこともない、日本の一般の人々にとって、NLPは、比較的、抵抗や障壁が低くかつ安全な範囲内で、「小さな内的変化」「小さな知覚変化」を体験することができるものだからです。
この手のジャンルの情報や実践が恐ろしく少ない、(後進国の)現代日本の中では、それはおそらく人生ではじめての経験となるでしょう。
しかし、そのことで、自分自身に、そのような変化が起こせる可能性があることに、少しでも気づいていくことができるからです。

別の方法論による、「もっと大きな変容」への予感も生まれてくるわけです。
(もっとも、「この程度の変化」しか起こせないと、逆に考えてしまう危険も実際にはあるのですが)。

いずれにせよ、それらの体験は、人生を変えるヒントやきっかけになるものです。
映画『マトリックス』に出てくるモーフィアスの赤いピルではないですが、自分や人生を変える方法論がこの世にあることを予感することができるからです。

もっと探求を進めたい人にとっては、意識拡張のためのさまざまな方法論が、世界には存在しているので、そちらのよりディープな探求を進めていけばよいことになるからです。


実際の使用方法

NLPには、興味深い技法や知見が多々あります。また、説明モデルや理論的比喩に長けているという特徴もあります。
その点は、彼らの師匠でもあったグレゴリー・ベイトソンまで戻ると、彼らの当初の意図も見えやすくなります。

実は、NLPは、NLPだけの「コンテクスト(文脈)」の中で使っても、なかなか本質が見えてこないし、活きてこないものなのです。
もう一つ高い学習階層で、オーソドックスな心理療法を含めたもう一つ広い文脈の中で再構成してみると、色々と面白い側面も見えてくるのです。

つまり、世の中の多くのNLPが効果のないものになってしまっているのは、この点についての経験や理解、センスが欠けてしまっているためといえるのです(やっている人の多くが、心理療法について深い体験を持っていない場合がほとんどですので)。

そのため、NLPを技法として、セッションなどで使用する場合は、すべてが使用する側の問題(使い方・技量)に帰着してくることになります。
NLPの技法を、イッパイイッパイで教科書どおりに使っているレベルでは、効果の面では、厳しいものがあります。
NLPのさまざまな手法の生まれて来た背景や、大元の原理や仕組みをよく理解していて、セッションの場面場面で構成的に、応用的にアレンジして使えてはじめて、NLPも道具として活きてくるのです。

そして、彼らのいう「天才のモデリング」「天才の心理学としてのNLP」の本来の狙いも分かってくるのです。
ひいては、ご自身の「天才性」を、引き出す観点も生まれてくることになるのです。

このパートではそのような視点から、NLPのいくつかの方法論を取り上げ、その内容を多角的に検討してみたいと思います。
そのことで、わかりづらい、NLPの可能性もまた見えてくるものであるからです。

【ブックガイド】
ゲシュタルト療法については基礎から実践までをまとめた解説、拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧ください。

変性意識状態(ASC)やサイケデリック体験、意識変容や超越的全体性を含めた、より総合的な方法論については、拙著
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。