ゲシュタルト療法 背景/歴史的文脈

実存的・ケンタウロス的な心身一元論的心理療法

さて、ゲシュタルト療法は、通常、心理学の歴史の中では「人間性心理学」の中に分類されているものです。「自己実現」や「至高体験」のコンセプトで有名なマズローらが「人間性心理学」に分類されています。

「人間性心理学」は、第二次大戦前のフロイトらの「精神分析」や、スキナーらの「行動主義」に継ぐ、第三の勢力と位置づけられています。実存主義的な心理学や心身一元論的な傾向などに特色があります。

ところで、その後の世代のやや非正統的な心理学流派、トランスパーソナル(超個的)心理学の理論家ケン・ウィルバーは、その「意識のスぺクトル」理論の中で、ゲシュタルト療法を「ケンタウロス(半人半馬)」の領域にある心理療法であると位置づけました。

この位置づけとイメージ(メタファー)は、なかなか言い得て妙でもあるので、このことが指している意味合いをはじめに見て、ゲシュタルト療法の特色と可能性をイメージしてみたいと思います。

まず、ウィルバーは、世界のさまざまな心理療法を、体系的にタイプ分けするにあたって、さまざまな心理療法が「何を、自己の主体として見なしているか(同一化しているか)」という「主体の範囲・内容」の違いによって、各心理療法をマッピングしていきました。

この「何を、自己の真の主体として、見なし(同一化し)ているか」という視点は、同時に(反対に)何を自己として、見なして(認めて/同一化して)いないか」「何を、自己以外のものとして排除・抑圧しているか」「何と分裂しているか、解離させているか」ということを意味することになります。

「人間が行なう、心の抑圧と分裂を、どのような境界(自己と他の境界線)に見るのか」、反対に「何と何を統合すると、自己の全体的な統合と見なすのか」という視点です。そのようにさまざまな心理療法流派を、マップ上に位置づけていったのです。

下図が、その図式です。下にいくほど、自己や主体の範囲(内容)が、広くなっているという図表です。

その本人が、「『意識や主体』として、何に同一化しており、反対に、何を『無意識や客体・他者』として抑圧・排除しているのか」、そして「人間が、統合(治癒)されるとは、何と何が統合されることなのか」「人間の全体性とは何か」。その答えが、各流派によって、大きくタイプ分けできるというのがウィルバーのアイディアでした。

上の図では、オレンジ線の左側が「意識や主体」、右側が「無意識や客体・他者」となっています。

例えば、現在の多くの心理療法が、(近代的文化自体そのような立場ですが)健全な「自我」が確立されることが、心理的な統合であると見なしています。

多くの場合、私たち現代人は、自分にとって都合のいい「セルフ・イメージ(仮面)」を、自己や自己の主体と見なしています。そして、見たくない部分を抑圧して、それが自分にはないもののとして生きています。

「仮面」(偽りの自己像・セルフイメージ)を主体と見なして、「影」を抑圧して生きている形です。私たち現代人は、大体そのようにして生きています。しかし、この「仮面」と「影」の分裂が極端に大きくなった場合に、病気となります。

そのような場合は、「仮面」(偽りの自己像・セルフイメージ)を主体として、見たくない「影」を抑圧している人々に対して、「影」の部分を意識化し、主体に受け入れさせて、統合させていくことが、治療的なアプローチとなっていきます。

人間の中で、偽りの自己像(仮面)を維持するために、都合の悪い感情を抑圧することで、「影」が生まれるのです。当人が、この都合の悪い感情を受け入れていくことで、ニセの自己像(仮面)と「影」の境界(区分)が溶け出し、融合し、健全な「自我」主体が確立されてくるというのが、その心理療法の実践アプローチとなります。

しかし、別の流派(心身一元論派)の視点からすると、このような「自我」主体の確立だけでは、統合が、不十分(部分的)であると見なされます。そこでは、「身体」の存在が、抑圧され、排除されているからです。

心身一元論的な心理療法の中では、身体の中にこそ、重要な感情や表現、生の基盤があると、考えられているのです。そこでは、「有機体」全体を、「全身全霊」のひとまとまりの全体性として、主体として生きられることが、必要な「統合」だと考えられているのです。

ところで、このような、心と身体を合わせた「有機体」全体を主体と見なす、心身一元論的な心理療法各派を、ウィルバーはケンタウロスの領域の心理療法であると見なしたのでした。

心身一元論的な心理療法各派は多く、フロイトの弟子のヴィルヘルム・ライヒの理論と実践から出発しています。ゲシュタルト療法は、ボディワークを主体とした、ローウェン(ライヒの弟子)の、バイオエナジェティックスらとともに、この領域の心理療法に位置づけられているのです。

その他のケンタウロス的なセラピーは、実存主義的なセラピー流派などがあります。この位置づけは、有機体全体の生命力や、精神と野生との融合を溢れるように発現させるゲシュタルト療法の性格(位置)を正確に示しているとも思われるのです。

そして、また、その生命力の拡張された流動性と、セッションで現れる変性意識状態(ASC)ゆえに、その体験を充分に深めていくと、隣接したトランスパーソナル(超個的)な領域も、自然に開いてくるゲシュタルト療法の性格をよく表現しているように思われるのです。この点については、別のところでまたくわしく見ていきたいと思います。
(ウィルバーも指摘していることですが、ケンタウロスの領域のセラピーは、充分に統合を進めると、個人性を超えたトランスパーソナルな領域を自然に開いてくるのです)

ところで、ケンタウロスとは、ギリシャ神話に出てくる半人半馬の存在です。腰から上が人間、腰から下が馬の姿となっています。人間の精神性と、動物の野生性とを結合させたシンボルとなっています。馬のような力強い速さで走る存在なのでしょう。このイメージは、私たちが、通常、想定するものよりも、大きなパワーを持っている生命有機体の自然の潜在力をよく表しているようにも思われます。

ウィルバーが、このイメージを採用したのも、その力のポテンシャルゆえでしょう(彼はほかでもさまざまな神話的・元型的イメージを使っているので)。そして、この神話上の存在の姿は、ゲシュタルト療法の持っている、野生的で、遊戯的な、十全な生命を発露するその姿勢や方法論をなかなか上手く表現しているとも思われるのです。

↓動画解説「ゲシュタルト療法 概論/背景/文脈」

↓ゲシュタルト療法については、拙著『ゲシュタルト療法ガイドブック:自由と創造のための変容技法』をご参照ください。

↓動画「ゲシュタルト療法と、生きる力の増大」