サブモダリティの拡張 NLP(神経言語プログラミング)とビートルズ その2

◆サブモダリティの改変

さて、NLP(神経言語プログラミング)において、サブモダリティの改変という技法が、そのセッション(ワーク)で使われることがあります。

サブモダリティ(下位様相)とは、モダリティ―視覚、聴覚、触覚などの各表出(表象)体系を構成する下位の構成要素ともいえます。

例えば、視覚においては、その映像を構成する、明度、鮮明度、カラーor白黒、サイズ、コントラスト、距離、位置、などが、サブモダリティです。喩えですが、テレビのツマミによって、変化するかのような各属性、調節が可能な要素たちです。

実際のNLPのセッション(ワーク)における使い方でいえば、クライアントの方の或るネガティブな体験には、その体験内容と結びついた(フレーム化された)サブモダリティがあると考えます。

そのため、フレーム化によって、望ましくない体験と結びついた、サブモダリティを改変することで、望ましい状態に創り変えるのが、サブモダリティに焦点化した技法となります。
(フレーム自体を改変するのは、リフレーミングという技法になります)

そのように、サブモダリティは、私たちの経験内容を記憶し構成する、基本的な素材となっていると考えられるのです。

 

◆ビートルズ『イン・マイ・ライフ』とサブモダリティ

さて、以前、才能における相補性ということで、NLPとビートルズを例に出したので、今回も、ビートルズにまつわる個人的な事例を、エピソードとして使ってみたいと思います。

ビートルズのアルバム、『ラバー・ソウル Rubber Soul』の中に、『イン・マイ・ライフ In My Life』という名曲があります。
ジョン・レノンが、ヴォーカルがとっている曲で、本人のコメントもあり、ジョン・レノンの曲とされているものです。
筆者も、昔から、好きな曲ではあるのですが、どこか「微かに」感覚的に違和感を覚えてもいたのです。

というのも、筆者にとって、ジョン・レノンの曲は、曲の由来(根っこ)が、「すみずみまで(水晶が透徹するように)分かる」という感覚があるからです。しかし、『イン・マイ・ライフ』だけは、素晴らしい曲で、とても好きな曲ではあるものの、「どこか分からない感じ」というのがあったからでした。

しかし、後年、ポール・マッカートニーが、『イン・マイ・ライフ』は、自分がそもそも書いた曲だと発言していることを知って、長年の謎が氷解したのでした。ポールは、曲の構造からしても、自分の曲だと証明できる、ジョンが忘れただけだ、と言っているようですが、さもありなんという感じなのです。

さて、それでは、筆者の中で、何がジョンの曲で、何がポールの曲だと、感じ分けていたのでしょうか。

それこそが、曲を聞いた時に、筆者の中で、自然に組成される、サブモダリティの質性(感覚の質性・強度)だったのです。

筆者個人にとって、 ジョンとポールの曲は、サブモダリティとしては、決定的に違うものでした。

ジョンの曲の密度や屈曲と、ポールの曲ののびやかさと明るさとは、(外見だけではなく)中核の強度として、明確に違うサブモダリティを、筆者の中で形成したのでした。
無意識で感じ取られる微細な様相においてもそうなのでした。
そして、個人的には、ジョンの曲は、感覚の近さからか「根から分かる」感じがしたのでした。
一方、ポールの曲には、どこか、曲の由来(根っこ)が、「分からない」感じがあったのでした。そして、それがどこか神秘的な質性でもあったのでした。

『イン・マイ・ライフ』は、ジョンの曲だと信じ込んでいたため、実際に組成されるサブモダリティとの間に、齟齬や違和感が生じていたのでした。

ところで、音楽を聴くときには、曲の中に、心身を投影して、その内的体験として曲を感じ取るわけですが、その風景として、サブモダリティが組成されるわけです。

そして、その曲によって組成されるサブモダリティと、自分の元々の、内的な経験(趣味)を響き合わせて、合う合わないとか、好き嫌いとかを、判断している訳です。また、「分かる」などという幻想を、創り出しているわけなのです。

しかし、サブモダリティのこの内的一貫性を把握しておくことは、対象物を理解する上でのトラッキング(追跡)・システムとしても、重要な働きをしてくれるものなのです。『イン・マイ・ライフ』の事例は、そのような意味でも興味深い事例となったのでした。

(※ところで、最近、ハーバート大学の研究で、おそらく音楽的イディオム(コード、音階等)の統計解析から、ビートルズの各楽曲について、それがジョンの曲かポールの曲かを判定するという研究が行なわれました。そこでは『イン・マイ・ライフ』は、ジョンの曲と判定されました。これは、「わかる」人間からすれば、明らかに間違った判定ですが、そのことが意味しているのは、音楽的イディオム(の数量解析)などからは、芸術のサブモダリティをとらえられないということなのです。上記の曲についていえば、ポールの原曲を、ジョンが彫琢したので、表面的には、ジョンの音楽的イディオムによって覆い尽されたというのが真相でしょう。しかし「根(ルーツ)」は違うのです)

ところで、多くの人にとっても、好きな趣味の中での各種の感覚情報の差異は、大体、サブモダリティの一貫性として、把握されているものなのです。

 

◆投影された身体と、サブモダリティの拡張

さて、拙著『砂絵Ⅰ』の中では、自らの身体の投影を通して、私たちが世界をとらえ、構成していく様子を記しました。
拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

フランスの哲学者メルロ=ポンティのいう「画家は、その身体を世界に貸すことによって、世界を絵に変える」『眼と精神』木田元他訳(みすず書房)という言葉などを素材にそのことについて見ました。

そのような身体の投影の結果として、私たちは、自己の世界の表象を作っているのです。

ところで、このような身体投影の結果として、内的表象を作る際にも、強度の差異は各種あるもののサブモダリティも、同時に、生成・組成されているのです。

生活の中で、さまざまな事柄を、身体の投影を通し、物事を経験・学習する中で、体験内容のコンテクスト化やフレーム化も生まれれば、基礎素材としての、サブモダリティの生成と編成も、行なわれているわけです。

そのため、生活史の中で、何らかの問題的なフレームが発生した場合に、問題あるサブモダリティも生まれてしまうのです。それが、前段で見た、NLPのセッション(ワーク)によるサブモダリティ改変のアプローチにも、つながるわけです。

ところで、実際のところ、サブモダリティの質性自体は価値中立的であり、それ自体は、良いものでも悪いものでも、ありません。強烈なサブモダリティが、問題であるということではないのです。

問題なのは、サブモダリティと、否定的(悪しき)体験との、フレーム化・コンテクスト化なのです。この関係づけを改変するのが、リフレーミングといわれる技法です。

また逆に、芸術などでは、強烈なサブモダリティの方が効果としては、有効だったりもするのです。

さて、ところで、私たちの普段の生活における創造的な側面に目を向けてみると、例えば、何か貴重で冒険的な体験をした場合などには、私たちの身体感覚に深い刻印が刻まれ、身体感覚が拡張したかのような実感を、得ることになります。
また同時に、その経験内容(領域)を表象するサブモダリティも改変(拡張)された感じがします。これは、サブモダリティの「創造的な側面」です。

そのため、新しい未知の体験を得て、身体感覚が拡張したときには、そのサブモダリティをしっかりと感覚と脳に定着させていくと、その経験が、学習として深まり、自分の中でより、再コンテクスト化、再フレーム化がはかどります。高次階層の学習も進みます。

一方、積極的で能動的な身体の投影を通して、サブモダリティが、わずかに拡張されるような経験を持つこともあります。

芸術における体験などが、それです。

その際、私たちの内側では、実際に、身体やサブモダリティが拡張され、改変される体験とも、なっているのです。

実際、芸術におけるエネルギッシュで、積極的な取り組みの中では、(創作ばかりでなくとも)自分自身の既存の身体感覚や、固定化したサブモダリティを、流動化させ、解放させていく効果があります。

慣れていないジャンルの芸術に、積極的、意欲的に身体を投影して、内的に把握しようとする努力は、私たちの持っていた、既存のサブモダリティや内的な表象を、柔軟にして、解放・拡張していく訓練にもなるのです。
それは、多くの身体訓練と、同様の働き方をするのです。

そのように、私たちの身体感覚とサブモダリティは、深く同期しているというわけなのです。

それがために、スポーツ・トレーニングにおいても、コーチングにおいても、ヴィジュアライゼーションや、イメージ・トレーニングが、実際的・実利的な効果を、発揮するというわけなのです。ここには、興味深い心身の領域が、大きくひろがっているのです。

 

【ブックガイド】
ゲシュタルト療法については基礎から実践までをまとめた解説、拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧ください。
気づきや変容、変性意識状態(ASC)を含むより総合的な方法論については、
拙著
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。