アヤワスカ―煉獄と浄化のメディスン(薬草)


【内容の目次】

  1. 地獄の業火と浄化(リンピア)のプロセス
  2. 「地獄降り」の神話と自己再生―アヤワスカの特徴 
  3. 注意事項

 近年、ネットなどで話題にされることもある「アヤワスカ」とは、南米アマゾンのシャーマニズムの中で使われてきた植物飲料です。人間に強烈な変性意識状態(ASC)を引き起こす、サイケデリックな作用を持っています。アヤワスカは、地域により、さまざまな呼び名があり(アヤワスカ、ヤヘー等)、使われる植物の種類や配合にもさまざまな違いがあります。
 さて、そんなアヤワスカですが、アヤワスカは、ネタづくりに興味本位に試してみるようなものではないし、ましてや娯楽用のドラッグでもありません。
 しかし、その手の文脈の中でさえ、「アヤワスカで人生が変わった」とよく報告されているように、実際のところ、アヤワスカは、人の人生に最大の変容を起こすものでもあるのです。

 そして、自己の魂について、真摯に探求を続けている者にとっては、浄化と解放、深い癒しと魂の再生を与えてくれる真正のシャーマニック・メディスンであるのです。
 まずは、そのあたりの注意点について、下記の内容をご覧ください。
サイケデリック・シャーマニズムとメディスン(薬草)の効果「各種の注意事項」
※また、アヤワスカについては、下記の作用機序の関係で、心身のメディカル・ガイドラインがあるため、誰もが体験できるわけではないので、注意が必要です。

 さて、アヤワスカは、伝統や地域によって差異はありますが、基本的には、二種類の植物の混合によってつくられます。
 蔓植物であるバニステリオプシス・カーピ(アヤワスカ)と、別の植物チャクルナやチャリポンガなどを、一緒に長時間煮詰めるのです。
 チャクルナなどの中には、サイケデリックな幻覚効果を持つDMT(ジメチルトリプタミン)が含まれています。しかし、DMTは通常、経口で人の体内に取り込まれても、簡単に分解され、その効果を発揮することはありません。
 ところが、カーピとともに煮込むと、カーピの中のモノアミン酸化酵素(MAO)阻害成分が働きだし、DMTが人の体内で簡単に分解されなくなり、体内でDMTのサイケデリックな効果が働きだすのです。また、カーピの中にも、ハルマリン等向精神性のハルマラ・アルカロイドの成分が含まれています。
 先住民の人々は、このような調合の知識を、なぜか昔からもっており、そのシャーマニズムのセレモニーの中で利用してきたのです。

【1】地獄の業火と浄化(リンピア)のプロセス

 さて、別にも記しましたが、メディスン(薬草)によるサイケデリック体験においては、心の非常に多次元的な領域が現れ出てきます。
 それは、通常、私たち現代人が知っている「心」をはるかに超えた多様な領域です。
 そして、それらに、圧倒されるという体験が起こってきます。
 →サイケデリック・シャーマニズムとメディスン(薬草)の効果―概論「心の多元的構造とメディスン(薬草)の作用―チベット・モデル」

 サイケデリック体験においては、特に、非常に深い深層意識、ユングのいう集合的無意識/元型的な意識などが、さまざまな形で現れ出てきます。
 アヤワスカは、植物なので、そのような植物的な元型意識ともさまざまな形で遭遇していくこととなります。
 それらは、植物的なロジック(生命/意識)にしたがって、無限に反復されるかのように、終わることなく無尽蔵に現れてきます。
 あふれ出す驚異的な幻覚(ヴィジョン)の奔流や暴風雨のように荒れる眩暈(酩酊)、肉体や神経を蝕む苦痛(嘔吐、下痢、痺れ、麻痺)として現れ、人間の安易な「現実感覚」を粉々に粉砕し、溶解させる恐ろしい体験として現れてきたりします。
 人間が安住している「現実感覚」などが、いかに、宇宙や地球を占める大自然の、植物群の無尽蔵のエネルギーに較べて、力のない、表層的で人工的なつくりものであるか、とるに足らない、ちっぽけなものであることを思い知らされることになるのです。
 また、植物の果てしない無限の肯定性(反復性)は、人間がその時注意を向けたものをただ無尽蔵に増幅します。
 人が、自分の投影 projection している感情(恐怖等)に囚われると、その感情(恐怖等)は瞬く間に幻覚的に増大し、思考と視野と感覚を埋め尽くします。 
 そのような膨大な幻覚と酩酊の激流の中で、自分のわずかな自意識にしがみついて、もしくは溺れるように翻弄されながら、人は、嵐が過ぎるのを待つような体験をするのです。
 心の内部で起きていることなので、現実や物質にしがみつくことはできません。
 意識が意識にしがみついている状態、心が心を支えている状態となります。
 氾濫する高エネルギーの激流に圧倒され、幻覚や苦しさが押し寄せる中、ボロ切れのように、いつ吹き飛ばされてしまうかわからない状態となるわけです。
 まさに「地獄の業火に焼かれるような」体験となるのです。

 しかし、そんな中でも、同時に、人間の次元を超えた、より「宇宙的」「意識拡張的」「啓示的」な側面も現れてきます。
 メディスン(植物)のスピリット自体が、そのような多元的な性格・能力・意識を持っているからです。
 そこにおいて、超越的な知覚、啓示的な洞察、霊性的な光明なども体験できることとなっているのです。
 たとえば、そこにおいては、「未知の全体的現実(超越的全体性)」
が現れてきたりもします。
 その中においては、世界(宇宙)はまったく違ったように感じられてきます。
 見えている世界と見えてない世界の等価性(同一性)。
 現われている世界と現われてない世界の等価性(同一性)。
 存在している世界と存在していない世界の等価性(同一性)。
 在る世界と在ったかもしれない世界との等価性(同一性)
 生も死も同じようにその一部として含み込んでいる全体性。
 高次の全体性。無限の肯定性。超越的現実。
 量子的現実(すべての多世界/並行世界を重ね合わせた現実)。
 透視的に、そのように、隠されていた「現実の全体(超越的全体性)」が感じられてくるのです。
 また、逆に「いわゆる人間の勝手に仮定してる現実」が透けて、からっぽにされ、その向こうまで見えてしまうのです。
 これらの無限性、多義性、多面性が、アヤワスカ体験を特別なものにしているのです。

 また、そのような元型的、非人間的な次元以外にも、より心理的「自我」の領域、フロイト的な個人的無意識の領域についても強い作用が生じてきます。
 心理学的にいうと、通常、私たち人間というものは、さまざまな心理的抑圧によって、「自分」という偽りのセルフ・イメージをつくって、生活しています。
 「自分の嫌な面」「嫌な記憶」「シャドー(影)」を抑圧して、無いものにして、自分の「仮面(幻想)」を、自分だと思い込むことで、生きているのです。
 「そう思いたい自分」を「自分と思う」ことで、日々ごまかして、やり過ごしているのです。

 それが、アヤワスカ体験においては、自分の見たくない側面、「シャドー(影)」が容赦なく暴かれ、剥き出しに暴露され、自分に突きつけられてきます。
 例えば、思い出したくない過去の苦痛な出来事、嫌な体験、トラウマ的な出来事、記憶の底にフタして閉じ込めておいた恐ろしい光景(場面)が、容赦なく蘇ってきて、自分に向かって延々と反復されてきます。
 髪の毛をつかまれて、頭を動かないようにされて、目を瞑らないようにされて(もしくは瞑った瞼の裏側で)、それらの光景(場面)を無理やり見させられるような体験です。
 ところで、私たちの過去の記憶というのは、一秒たりとも、何ひとつ喪われていません。
 それらが、フラッシュバックしてくるのです。

 人生で隠し、ごまかしてきた事柄に対して、一切逃げたり、ごまかせなくなるのです。
 剥き出しの現実がそこにあり、それを突きつけられるのです。
 苦痛な、嫌な、ごまかしていたことほど、突きつけられます。
 あたかも、「地獄の釜がフタを開けた」ようだともいえるかもしれません。
 自分の内部の腸(はらわた)がさらされ、魑魅魍魎たちが、悪臭に満ちた怪物や悪魔たちが、あふれ出してくるのです。
 これは、通常の自我にとって、とても耐えがたい、恐ろしい体験となるのです。

 さて、以上のように、アヤワスカ体験では、さまざまな多様な領域で、私たちの人間的次元は吹き飛ばされ、暴露され、粉砕され、試練にかけられ、解放と啓示を受けることとなるのです。
 そういう意味では、アヤワスカ体験は、まさに「狂気的な体験」ともいえるものなのです。
 しかし、そのような多様で地獄的な、苛烈なプロセスであるからこそ、通常の人生では決してなしえない、シャーマンたちのいう「リンピア(浄化)」も達成されるのです。
 「リンピア(浄化)」され、植物のスピリットたちとつながり(コネクトし)、さまざまな恩恵(癒しと能力と啓示)を得ることもできるのです。
 この「リンピア(浄化)」なくして、アヤワスカの本質に触れることはできないのです。
 また、その激流のような体験の中では、シャーマンたちの歌うイカロは、決定的に重要な役目を果たします。
 イカロは、多元的な働きと意味合いを持つもので、(シャーマン個人の能力/才能によって、その性格も多様ですが)命綱のように私たちの現実を担保してくれたり、荒波の中の小船のように私たちを運んでくれたり、波動エネルギーとして私たちの中の滞りを流していってくれたりします。
 これらすべてが結ばれあって、アヤワスカ・セレモニーがパワフルな体験となるのです。

【2】「地獄降り」の神話と自己再生―アヤワスカの特徴

 あるシャーマンは、「アヤワスカは、本のようなものであり、飲むたびに1ページ1ページめくっていくようなものだ」と語りました。
 体験的心理療法であるゲシュタルト療法では、人はセッション(ワーク)のたびに、「玉ねぎの皮」を剥いていくようだと言います。そのようにして、心の囚われを一皮一皮と剥いて、自らを解放していくということです。
 アヤワスカも同様に、体験するたびに、その時に、その人に必要なプロセスが現れ、その人の浄化(リンピア)を進めていくものなのです。
 そのため、アヤワスカは体験するたびに、違った内容が体験されます。
 そのように、回数を数多く重ねていくことで、私たちは、一皮ずつ剥かれていき、囚われをなくし、より深い魂の層にたどり着くことができるのです。
 自己を刷新していくことができるのです。

 ところで、アヤワスカが強烈だとされる要素、他のメディスン(薬草)と較べて、どこに特徴があるのか記してみたいと思います。
 アヤワスカは、他のメディスンに較べて、より「ヘヴィー」で、「ハードコア」で、「劇的」であるという点にその大きな特徴があります。
 特に、「肉体」面の厳しさ、苦痛、辛さは、他のメディスンにない強さを持っています。
 嘔吐や下痢、神経的苦痛など、物理的なレベルでの苦しさがとても強いことになっているのです。
 そのため、セレモニー後にも、肉体の浄化や変容の効果が、物理的な形で明確に実感されやすいことになっているのです。
 そして、心身一元論的見地からいうと、このような「肉体」的側面は、同時に「心理的/精神的」側面でのテーマも意味しているのです。
 例えば、「嘔吐」という現象は、心理学(精神分析)でいう「取り入れ/鵜呑み introjection」というテーマと深いつながりがあります。
 肉体面での嘔吐は、無意識に取り入れて(体内化して)しまっている、悪い心理的要素やエネルギーの排出ということも実現していくのです。
 そのため、肉体面での解放(浄化/リンピア)が、そのまま「心理的/精神的」側面での解放(リリース、癒し)をもたらすものともなっているのです。
 アヤワスカにおいては、そのような両面での変容を深く体験、実感することができるようになっているのです。
 その心身一元論的効果が、とても大きいのです。
 また、微細エネルギー(気、プラーナなど)の流れがよくなる(浄化される)という普段わかりにくいことなども、体感されやすく、実感されやすいのです。
 自分の中のあらゆる不純物が焼き尽くされ、浄化され、多次元の精妙なエネルギーが速やかに通るようになり、輝くような光の力と解放が得られているという体感(実感)が、他のメディスンに較べて得られやすいのです。
 認知能力も、基底部から焼き尽くされ、浄化(cleansed)され、解放され、一種透視的な能力を得ていくようにもなるのです。人の認知を真に基礎づけているのは、微細領域のためです。

 また、アヤワスカでの体験は、とても普遍的な自己刷新(再生)のプロセスともいえるものです。
 たとえば、世界中の英雄神話などで語られる、「地獄降り」「冥府降り」「黄泉の国へ旅」と同様な性格が、アヤワスカ体験では体験されていくのです。
 世界中の「英雄神話(英雄の旅)」において、英雄は、地獄や黄泉の国に降りていき、恐ろしい怪物と戦い、怪物を倒し、そのことで魔法の力(霊薬)を獲得していくという体験をします。
 アヤワスカ体験も、意識拡張状態(神秘的空間)の中で行なわれる、同様に、苦しい困難な「地獄降り」のような様相を呈します。
 そのプロセスを、真摯に果敢に進めて、自分の地獄に「戦士的に」深く降りられた分だけ、魔霊(シャドー)と交流できた分だけ、「浄化(リンピア)」が進み、自己が刷新され、得られる「魔法」や「自己変容」も大きいことになるのです。

 自分の地獄に深く降りた分だけ、「魔法」や「変容」、自己の真の力や「戦士性」を獲得できるのです。
 そのような神話的体験と再生が、劇的なアヤワスカ体験では得られやすいのも、ひとつの特徴と言えるのです。
 そのため、その神秘的な体験が統合されていくと、私たちは、蝶のように軽やかに舞い上がる、魔法のような〈変容〉を遂げていくことになるのです。

【3】注意事項

 さて、以上記したように、アヤワスカは、人が想像できるレベルをはるかに超えたレベルで、強烈で、過酷な体験を人にもたらすものです。
 人は、あたかも落雷にあったかのような、稲妻に撃たれたかのような衝撃を覚えます。
 今までも(そして今後も)、人生でこんなに大変で、しんどい体験をすることはないでしょう。

 そのため、アヤワスカを体験しようとする場合は、自分の心の底の底を受け容れ、自分(人間)の限界を見ていこうという覚悟が必要となります。
 また、事前に、普段から、そのような心の探求と訓練をよく進めておく必要があります。
 呑気な興味本位でアヤワスカを体験した者が、一度で(または数回繰り返した後でも)退散してしまうというケースもよくあります。
 場合によっては、精神に変調をきたしてしまうこともあります。
 (たいがい、多くの人が、一回目のアヤワスカ体験の最中に―無限に終わらないその渦中から逃げられないと感じつつ―「もうこんなことは二度とやらない」と、一瞬は心に誓うものです)

 アヤワスカは、自分の心についての充分な洞察や経験、心や人生に十分に向き合う覚悟や訓練がなければ、それに見合ったものしか得ることはできないのです。
 一方、事前に(普段から)、体験的心理療法やその他で、自分の心をある程度、深く掘り、探求してきた人にとっては、アヤワスカ体験は、その無限の、計り知れない豊かさと啓示、力を与えてくれることにもなっているのです。
 これらが、シャーマンをして、アヤワスカを終わりない探求(恩恵)の同伴者とさせているのです。

【関連ページ】
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「サイケデリック psychedelic (意識拡張)体験とは何か 知覚の扉の彼方」
「変性意識状態(ASC)とは何か はじめに」
「英雄の旅 (ヒーローズ・ジャーニー) とは何か」
【図解】心の構造モデルと心理変容のポイント―見取り図

【ブックガイド】
変性意識状態(ASC)やサイケデリック体験、意識変容や超越的全体性を含めた、より総合的な方法論については、拙著
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』

↑「生きている状態と死んでいる状態に同時にまたがって存在している」猫について。
「ヘヴィー」で「ハードコア」で…

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