なぜ、セックス・ピストルズは頭抜けて覚醒的なのか

◆パンク・ロックという事態(現象)

さて、セックス・ピストルズ Sex Pistols といえば、70年代の後半、イギリスに現れたロック・バンドであり、パンク・ロックという音楽ムーブメントを創り出したバンドであるということになっています。

しかし、「パンク・ロック」とは、後づけ的に見出されたコンセプトであり、本人たちも意図して、それを行なったわけではなく、さまざまな偶然的な要素の結果、そのようなムーブメントになったということでしかないのです(ここでは、イギリスにおける、その現象に、焦点を当てていきます)。

しかしながら、確かにセックス・ピストルズというバンドの音楽(精神)的構造の中にパンク・ロックの本質的要素があったことは事実なのです。

そして、これらの歴史や現象を仔細に検討することは、私たちの表現や創造性を考える上で、とてもヒントになることが多いのです。

◆見出された「方法論としてのロック」

「パンク・ロック」とは、何であったのか?また、何であるのか?

教科書的にいえば、当時の音楽産業という制度(システム)の中で飼いならされてしまった(退屈になった)ロックの初期衝動を回復し、それをストレートに社会に表現した音楽という風になっています。

それでは、ロックの初期衝動とは何か、それは吐き出すような表現欲求であるとされています。

では、さらにその本質が何であるかともう一歩進めると、(筆者の考えでは)それは、自由を求めてNOという力であり、物事(社会であれ、何であれ)を否定する力であるということです。より大きな自由を求めて、隷属を切り捨てる力であるともいえます。

昔、ロックが、反抗的な不良の音楽であったというのは、そのような意味合いからです。

そして、パンク・ロックとは、初期衝動の回復を指向した意識的なロック、「方法論としてのロック」であるというわけなのです。

ロックが進化の果てに、再帰的に自己のアイデンティティを再び見出した方法論がパンク・ロックであり、特にその後に続いたニューウェーブなわけなのです。

ベイトソンの学習理論的に言えば、それまでのロックは、一次学習的にただ「ロックする」という形の音楽でした。

パンク・ロック/ニューウェーブは、二次学習が進んで「ロックする」ことをロックする。という音楽になったわけです。自意識に目覚めた方法論的なロックなわけです。

そして、これ以後のロック・ミュージックの風景の中で、このようなメタ的な批評性を、どこかに持っていないと鈍感さから逃れられないという事態にもなっていったのです。

どんな形であれ、普通に(素朴かつ無自覚に)「ロックすること」の中に、一抹の欺瞞が入り込むことになったわけです。しかし、このような再帰性は、人間社会の全般にいえることでもあるのです。それが、歴史の進展の中で、ロックにも起こったというだけのことなのです。

後の、90年代初頭にあったロック、ソニック・ユースやニルヴァーナ、そして、オアシスでさえ、そのような批評性の中で、新たにロック的な衝動を活かす方法を探っていく中で、あのようなスタイルを見出していったわけなのです。

◆セックス・ピストルズという集合体(システム)

さて、そのようなパンク・ロックの起爆点となったのが、セックス・ピストルズというある一つのバンドでした。

ところで、パンク・ロックを、ただの音圧の烈しい過激なロックだと思っている人が、ピストルズを一聴すると、比較的聴きやすい普通のロックなので意外な感じを受けるものです。

しかし、音楽の表面的な外形だけではなく、そこに感覚的に刻まれている強度な内容を理解する人は、そこにはらまれている壊乱的な要素(精神性)を見出していくことにもなるわけです。それも並外れた天才的な表現力でそれが含まれていることに気づいていくことにもなるのです。

その点が、彼らが当時の歴史を変え、その後の時代や現在でさえ、多くの人々を駆動し続けている力でもあるわけなのです。

ところで、セックス・ピストルズといっても、複数の人間から成る集合体であり、また重要なバンド外の関係者が多数おり、かなり偶然的な要素によって、ピストルズとして成立したものといえます。

そのことが、これらのシステムを考える上で、余計に興味深い事例となっているのです。

壊乱的なバンドというコンセプトは、マネージャーのマルコム・マクラーレンが、メンバー集めの段階からすでに企画していたものです。音楽的な面では、名曲を書いたグレン・マトロックがその役を引き受けたといえるでしょう。プロデュースには、ビートルズのレコーディングも手伝ったことのあるクリス・トーマスがいました。

そして、ヴォーカルのジョン・ライドン(ジョニー・ロットン)は、音楽的な素養が特にあるわけではなかったのですが、稀代のトリックスターであり、猿回しの猿のように、偶然フロントに立たされたわけですが、結果的に舞台を乗っ取った猿のように、自在な動きをはじめ、当初の予想を超えて、その劇空間を世間や歴史にひろげていくことにもなったのです。

さて、以前、ビートルズにおける才能の相補性について触れた際に、作品の内における音楽的な要素と、精神性な要素というその両極の属性に触れました。
才能における相補性 NLPとビートルズ

セックス・ピストルズにおいても、その後のソロ作品を見るとその役割分担とその性質の違いがよく分かります。

その後のグレン・マトロックは、確かに作曲のセンスをうかがわせるものがありますが、一線を超えるような過剰な要素がなく、どちらかというと凡庸な作品にとどまっています。そして、いつしか表舞台からは、姿を消したのです。

一方、ジョン・ライドンのパブリック・イメージ・リミテッド PIL は、音楽的には楽しめる面は少ないですが、その初期作品においては、ピストルがもっていた覚醒感が、確かに一部存在しているのです。そして、それが充分ではないという点が色々と考えさせる興味深い論点でもあるわけです。

さて、そのような極性の才能が、ひとつの作品の中で激突することで、作品は、その濃密な強度を高めていきます。

そして、特に、新しい未知の精神性が、作品の核となる場合には、直接的な音楽的な造形とは関係ないところで、あるメンバーの精神性(存在力)が、特に作品に浸透して、決定的な要素となります。たとえば、ドアーズにおけるジム・モリスンの存在はそのような(意識拡張的な)要素であったわけです。

ピストルズにおけるジョン・ライドンの存在も、そのようなものだったわけです。

◆否定する力と自己刷新 ピストルズの覚醒性

さて、前段に、ロックの本質的な力とは、より自由を求めて隷属を切り捨てる力であると書きました。それが並外れて実現できている音楽は、人を感電させ、覚醒させます。

ところで、真に徹底的な否定する力は、まわりの物事だけではなく、それらによって作られた既存の自己自身にも差し向けられていきます。否定の力は、周りを否定すると同時に、既存の自己をも否定し、たえず未知のものに向かって、自己を投げ出していくかのような局面を創り出すことにもなっていくのです。それは、自己超出的な側面を持つことにもなるのです。

それは、スリリングである同時に、危うい状態です。

そして、セックス・ピストルズの音楽には、確かに、そのようなギリギリの限界的要素があるのです。

疾駆する速度感で、ただ一人先陣を切って、(他のバンドは追従しただけです)未知に直面し、未知を切り拓いていくような、過熱するようなヒリヒリした心象風景がその作品には刻まれているのです。

それが、彼らの作品が、今でも頭抜けて覚醒的な感覚を伝えて来る点なわけなのです。

彼らが使ったアナーキーという言葉に、政治的な意味合いだけではない生の存在論的なニュアンスを私たちが感じ取るのは、そのような点にあると思われるのです。

そして、バンドというシステムとして、そのような自己否定的・自己刷新的な要素をはらんだ過剰性を、オートポイエーシス的に再生産しつづけることは、非常に困難なことでもあります。それを果てまで行ったのが、セックス・ピストルズだったといえるでしょう。それが短命であったというのは、ある意味、論理的必然であるともいえるのです。

◆怒りとのコンタクト(接触)

さて、ところで、ゲシュタルト療法においては、さまざまな感情表現を重視しますが、怒りの表現についても、これをとても重視します。

キレるのではなく、意識とコンタクト(接触)できていて、表現として成立している怒りは、健全な生のエネルギーです。
本能的な攻撃性であり、積極性です。

抑圧され、意識から解離した怒りが、暴力となるのです。このことについては、以前にも触れました。
ザ・ポップ・グループの教え 怒り・テロ・絶望

ところで、セックス・ピストルの音楽は、怒りの表現に満ち満ちていますが、それが抑圧的たったりジメジメと鬱屈するのではなく、スカッとした爽快な表現になっているという点は、特筆すべき点です。これほど、解放された明るい怒りの表現も、他の物事には見出せないでしょう。

方法論としての怒りになっているのです。これも、ジョン・ライドンのトリックスター的な性格の所以でしょう。

それは、「意識して」「怒りが怒られている」のです。
そのような、気づきを持った怒りが重要なことなのです。ここでも、ある種の感情の再帰性や、そこからの自由が実現されているわけなのです。

◆覚醒のための方法論

さて、以上、セックス・ピストルズをネタに、色々と考えてみました。

実際のところ、セックス・ピストルズの事例は、パンク・ロックやロックという狭い領域の問題だけで済ましてしまうには、大変惜しい素材となっているのです。

そこには、私たちが、たえず目覚め続けているためには、何が必要なのかについての興味深いヒントが、とても多く含まれているのです。

 

【ブックガイド】
ゲシュタルト療法については基礎から実践までをまとめた解説、拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧ください。

気づきや変容、変性意識状態(ASC)を含むより総合的な方法論については、
拙著
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』

および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。