魂の回復 ソウル・リトリーバル

伝統的なシャーマニズムの世界では、人への治癒活動として、「魂の回復/救済(ソウル・リトリーバル)」ということを行ないます。
これは、多くのシャーマニズムの世界観に、人が病や不調になることの原因のひとつに、その人が「魂を喪った」という考え方があるからです。
そのため、シャーマンは、患者の失われた魂を連れ戻すために、異界にその人の魂を探しに行くというようなことを行ないます。
自分の魂を飛ばして、異界に入っていき、その患者の魂を、肉体に入れなおすというようなことを行ないます。
さて、このような話を聞くと、「魂」というものは、ひとつのソリッドな固体としては考えられていないことが類推できると思います。
実際、折口信夫は、古代日本では、「たま(魂)」というものは、増えたり減ったりするものであると考えられていたと指摘しています。「たま(魂)」が増える季節が「冬(増ゆ)」の語源だともしているわけです。

さて、そのような、「魂の回復(ソウル・リトリーバル soul retrieval )」ですが、この言葉だけ聞くと、私たち現代人(つまり近代的世界観)を持つ人間は、少し違和感を覚えると思います。
しかし、シャーマニズムで言われていることや実践されていることの原理的・構造的な側面だけを考えてみると、現代の心理療法(ゲシュタルト療法など)が行なっている事柄とさほど変わりがないともいえるのです。

さて、別のセクションでは、人間の中の「複数の自我状態」について解説をしました。
深層心理学で考えられているように、私たちの中にある「複数の自我状態」が葛藤を起こすことにより、苦痛や能力の制限、生きづらさの原因になっているという事態です。
たとえば、心理療法であるゲシュタルト療法などでは、これらの「複数の自我状態」の間に、独特の技法(エンプティ・チェアの技法など)を使って交流と融合を起こし、その分裂を統合するというようなことを行なっていきます。その人の心理的な統合を実現するわけです。

ところで、普段、私たちが「これが自分である」「私はこれである」と感じている自分自身というものも、「複数の自我状態」の中の「ひとつの自我状態」にすぎません。
それが、ルーティンで使っている自我状態、「いつもの私」です。自分のセルフ・イメージともいえます。
私たちは、そのような心理構造を持っているのですが、「いつもの私」(セルフ・イメージ)というものは、一方で「これは自分ではない」と抑圧排除している「別の自我状態」というものを持っています。それが「シャドー(影)」のような存在です。
私たちの中で、「いつもの私」は「仮面」のようになっており、抑圧排除されている自我状態は、「シャドー(影)」のようになっているというわけです。

この「シャドー(影)」は、多くは私たちを苦しめてくる存在ですが、場合によって抑圧排除が強すぎて、その所在が分からなくなってしまうということも起こります。
そうなると、この「シャドー(影)」は、前段で触れたような「喪われた魂」となってしまいます。
抑圧や排除が強いと、私たちから切り離されて、どこかへ行ってしまうからです。

そのような場合に、たとえば、ゲシュタルト療法(心理療法)のセッションの中などでは、この「喪われた魂」「シャドー(影)」を捜し出し、見つけ出し、その人に統合していくというようなことを行なっていきます。
つまりは、これは、「喪われた魂の帰還」とも、「魂の回復」ともいえるプロセスなのです。

また、シャーマニズムでは、患者の魂を探しに異界に入っていくことを行なうのですが、深化したゲシュタルト療法のセッションでは、異界に入っていくように、心の異空間に入っていくということが起こります。

このように見て見ると、現代の心理療法(ゲシュタルト療法)においても、見かけは違うものの、魂の回復(ソウル・リトリーバル)が行なわれているということがよくわかると思います。

 

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