野生の気づきとは その2

拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』より引用します。

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第四部 第二章 野生の気づき

ここでは、「野生の気づき」のあり方について考えてみたい。
さて、通常、私たちが、或るA地点から或るB地点へ行くという場合、B地点に何らかの目的があって移動するのが普通である。そして、そのあいだの移動距離(時間)というものは、目的地に較べて、不要な行程(過程/プロセス)とされており、価値のないものと見なされている。そのため、この行程を省略するための交通手段が、高い価値を有している。それが、速度のはやい飛行機や特急車両などが高額な理由である。そこでは、行程にかかる距離と時間が金で買われている。これが、私たちの普段の価値基準における目的地(目的)志向であり、過程(プロセス)や時間に対する考え方である。
ところで一方、野生の自然の世界とは、忍びあいの世界である。動物たちは、いつ自分が天敵や捕食者に襲われるかわからない世界で生きている。一瞬たりとも、気(アウェアネス)の抜けない世界である。また逆に、いつ食べ物や獲物が、目の前に現れる(チャンス)かわからない世界である。その意味でも、一瞬たりとも気の抜けない世界である。自分が捕食者として獲物を狩った瞬間に、今度は自分が獲物として捕食者に狩られてしまう、そんな容赦ない世界である。生き延びていくためには、無際限な瞬間瞬間の気づき(アウェアネス)が必要な世界である。アウェアネスの欠如は、すなわち、自らの死につながるからである。
つまり、野生の世界では、気づきの持続が、イコール生きることなのである。たとえ、A地点からB地点に移動するにしても、省略してよい無駄な時間などは一瞬たりとも存在しないのである。すべての瞬間が、可能性であり、危険であり、魅惑であり、在ることのかけがえのない目的なのである。すべての瞬間が、生命の充満した時間なのである。

さて、現代の私たちの(人間)世界と野生の世界との、過程(プロセス)のとらえ方、気づき(アウェアネス)の働かせ方を記したが、いったいどちらが、生きることの豊かさの近くにいるだろうか。生命の深さと濃密さに通じているだろうか。過酷ではあるが、野生の世界だろう。
私たちの現代社会においても、危機的なサバイバル状況では、動物のような野生のアウェアネスが必要となる。現に今でも、世界では、厳しい政治状況などで、野生のアウェアネスをもって生きざるをえない人々もいるのである。
さて、本書では、このような野生のアウェアネスのあり方に、ありうべき気づきの働かせ方、過程(プロセス)と時間のとらえ方を、生を透徹させる可能性を見ている。瞬間瞬間、サバイバル的に、野生のアウェアネスをもって、未知の経験に開かれてあること。瞬間瞬間、能動的に、創造的体験に開かれてあること。できあいの言葉や観念で世界に膜をかけて、直接的にものを見るのを避けるのではなく、そのような人間的ゲームの外に出て、俊敏なアウェアネスの力で、野生の創造プロセスを垣間見ること。そこに、私たちが、自然本来の創造性を生きる鍵があるのである。

 

【ブックガイド】
ゲシュタルト療法については基礎から実践までをまとめた拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧ください。
気づきや変容、変性意識状態(ASC)を含むより総合的な方法論については拙著
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

動画解説 野生の気づき awareness