ロートレアモン伯爵と変性意識状態(ASC)

ここでは、その作品において、特殊な意識状態を実現しているロートレアモン伯爵(本名イジドール・デュカス)について取り上げてみてみたいと思います。

さて、別のところで、パンク・ロックのオリジネイター、
セックス・ピストルズを例にとって、私たちにとって可能な、ある種の「覚醒(感)の」方法論的な在り様について考えてみました。
なぜ、セックス・ピストルズは、頭抜けて覚醒的なのか

また別のところでは、ドイツの詩人リルケが「天使的な領域」について語ることを素材に、私たちの変性意識状態(ASC)やその意識拡張のあり様(階層構造)について見てみました。
リルケの怖るべき天使と如来の光明 〈美〉と変性意識

今回は、それらに関係するテーマで、フランスの詩人ロートレアモン伯爵を取り上げ、変性意識状態(ASC)や私たちの意識拡張の様態、自然発生的なシャーマニズム(夢見の技法)などについて考えてみたいと思います。

ところで、ロートレアモンの作品は、(『マルドロールの歌』『ポエジー』の二作品だけですが)19世紀後半のフランスに、忽然と現れ、文学の歴史の中においても、非常に孤絶した他に類例を見ない作品となっています。

南米の領事館で働く父のもとに育った子どもが、思春期を、フランスの寄宿舎で生活した後に、孤独な夢想のうちに記した作品でもあるので、社会的文脈を求めるのも無理な話なのかもしれません。その作品は、24歳という彼の早い死の後、数十年経ってから、のちの時代に発見されたものなのです。

『マルドロールの歌』は奇妙な作品です。孤独と無限を感じさせる宇宙性、奇怪で美的な暗喩(メタファー)、夢と渇望、悪と逃走、変身と旅などを主題に、普通の文学には見当たらない、不思議な透過性と屈曲を持つとともに、私たちの心の最も深い部分に触れて来る、天才的な作品となっているのです。

しかし、それでいながら、その作品が、どこか非常に遠いところからやって来た印象、通常の私たちの心(自意識)の次元を超えた拡がりを感じさせるような、神秘的な性格を有するものとなっているのです(※注)。

そして、そのようなロートレアモンの作品の謎に対して、文芸批評的なアプローチでは、およそ不満足な結果しか得られていないと感じるのは、おそらく筆者一人だけではないと思われるのです。

しかし、文芸作品などをあまり読まない、普通の感性豊かな人(特に若い人)が、『マルドロールの歌』を読んだ場合でさえ、強い衝撃を覚えるというのは、文学的なゲーム(文脈、制度)とは関係のないところで、この作品が持っている、ある種の「普遍的な性質」に人が触れるからであると考えられるのです。

そこには、当スペースがテーマとしているような、変性意識状態(ASC)や深層心理にある元型的領域、意識拡張(サイケデリック)の様態などに関係するさまざまな興味深い秘密があると考えられるのです。

(※注)世の中にはそのような神秘性(感覚の拡張性)を感じ取れない種類の人間もいて(たとえば、A.ブルトンと論争したA.カミュ)など、G.バタイユなどもその「不感症」について言及したりしていますが、字義通りにしか文章を読めなかったり、暗喩的な心理(意識)領域を理解できないという感覚の、心理構造の理由も、ここで取り上げているテーマと関係している事柄ではあるのです。


◆無意識/潜在意識世界との間近さ

彼の作品は、死後に発見される形で、歴史の中に姿を現しましたが、最初期に彼を見出した人々が、その作品を狂気の人の書であると感じたのは、ある意味では正しい直観でした。フロイトが、世に登場する以前の時代でした。

そして、彼の作品が、一種、精神病圏の要素を感じさせるというのは、アウトサイダー・アートとの類縁性や共通要素からいっても妥当であるともいえるのです。

加工されていないような、ナマな無意識との接触感、高電圧的で、剥き出しの直接性の感覚は、世のアウトサイダー・アートと大変近い性格を持っているのです。
アウトサイダー・アートと永遠なる回帰

ところで、哲学者のガストン・バシュラールは、ロートレアモンの作品に見られる動物的世界との親和性について書きました。しかし、その本質的な間近さという点だけをいうなら、実は、植物や鉱物の世界とも充分すぎるほど近い世界を持っているといえます。以前、LSDセッションにおいて、鉱物と同一化する人の事例を取り上げました。
諸星大二郎の『生物都市』と鉱物的な変性意識状態(ASC)

実際、そのようなLSDセッションにおいては、鉱物にかぎらず、さまざまな動物や植物と同一化し、その圧倒的で緻密な生態を、通常ではありえない形で、体験する事例が数多く存在しています。そして、それらの報告の多くは、『マルドロールの歌』における、アウトサイダー・アート的な手触りと類似した性格をどこかに感じさせるものでもあるです。

また、作家ル・クレジオは、ロートレアモンの言葉に、未開部族の言語との類縁性を感じ取りました。その言葉の持つ、原初的な性格を指摘したわけです。また、狂気の作家シャルル・ノディエの夢魔的な作品との類縁性を語りました。

これら、アウトサイダー・アートとの近似性や動物植物世界との水平的な間近さ、原初的な世界との類縁性という特性は、そのまま当スペースで考える
シャーマニズム的(サイケデリック的)な要素として、とらえることも可能な要素なのであります。

そして、そのように考えてみると、孤絶しているロートレアモン伯爵が表現している領域をそれとなく囲っていくこともできてくるわけなのです。

そうなってくると、私たちが、そもそもロートレアモンを読む時に真っ先に感じる奇妙な眩暈の感覚や、意識の変容状態が、何に由来するのかということも少し見えて来るわけなのです。

彼が、シャーマニズムと変性意識状態(ASC)の土地である南米で育ったというのも意味深い偶然となって来るわけです。

 

◆変異した時空の意識

さて、別の角度から少し考えてみたいと思います。

別のところで、私たちが高度に集中した際に起こる特異な意識状態であるフロー体験について取り上げました。
フロー体験とは何か

「…これらの条件が存在する時、つまり目標が明確で、迅速なフィートバックがあり、そしてスキル〔技能〕とチャレンジ〔挑戦〕のバランスが取れたぎりぎりのところで活動している時、われわれの意識は変わり始める。そこでは、集中が焦点を結び、散漫さは消滅し、時の経過と自我の感覚を失う。その代わり、われわれは行動をコントロールできているという感覚を得、世界に全面的に一体化していると感じる。われわれは、この体験の特別な状態を『フロー』と呼ぶことにした」

「目標が明確で、フィートバックが適切で、チャレンジとスキルのバランスがとれている時、注意力は統制されていて、十分に使われている。心理的エネルギーに対する全体的な要求によって、フローにある人は完全に集中している。意識には、考えや不適切な感情をあちこちに散らす余裕はない。自意識は消失するが、いつもより自分が強くなったように感じる。時間の感覚はゆがみ、何時間もがたった一分に感じられる。人の全存在が肉体と精神のすべての機能に伸ばし広げられる。することはなんでも、それ自体のためにする価値があるようになる。生きていることはそれ自体を正当化するものになる。肉体的、心理的エネルギーの調和した集中の中で、人生はついに非の打ち所のないものになる。」M.チクセントミハイ『フロー体験入門』大森弘監訳(世界思想社)


の状態においては、私たちの意識は、一種の拡張された状態に入っていきます。そこにおいては時空の感覚に変化が起こって来ます。

時空の感覚は流動化し、時間は速くなったり遅くなったり、空間は伸びたり縮んだりします。知覚は澄みきり、ミクロ的な微小な対象にさえ、完璧で透徹した注意力が行き届くように感じられます。

たとえば、山で遭難事故に陥った、或る作家はその危機の中で、フロー的な意識に移行した時の状態を、

「そのときの僕なら三〇歩離れたところから、松の葉で蚊の目を射抜くことさえ絶対できたはずであると、今も確信している」(シュルタイス『極限への旅』近藤純夫訳、日本教文社)

と表現しています。

ところで、モーリス・ブランショは、ロートレアモンの作品の持つその明晰さについて言及しました。

しかしながら、ロートレアモンの持つ明晰さというのは、単なる論理的に辻褄を合せる合理性だけではなく、その背後に、別種の首尾一貫性をつくる、過度に透徹した意識状態、フロー的な変性意識状態(ASC)が存在していると考えてよいのです。

それが、私たちがロートレアモンを読むときに、まずは引き込まれていく奇妙に歪んだ時空感覚、求心感と遠心感、夢と覚醒感がないまぜなった透視力的な時空の由来になっていると思われるのです。

実際のところ、フロー体験の研究においては、創作的活動の中で、芸術家が没入していくさまざまなフロー体験、意識状態についての事例が、各種集められています。

ところで、たとえばプラハの作家カフカなども、創作している最中に、神秘思想家シュタイナーのいう透視力的な状態に入るように思われると、彼本人に話したと日記に記しています。

そのように、創作におけるフロー体験自体は、多くの人に見られる事例であり、決して稀なことではないのです。

ただ、それが『マルドロールの歌』におけるように、作品の特異な性格として刻印されるということは、稀有な事例であるのです。

 

◆天使的狂熱、または拡張された意識

さて、このようにして見ると、ロートレアモンが、偶然的な要因(資質)であれ、多様な意識の帯域について可動性を持ち、さまざまな変性意識状態の諸相を渡っていった痕跡が見えて来るのです。

原初的な動植物世界から人間世界までの諸領域を、また、無意識的な深層から日常意識までの諸領域を、流動化した意識の可動域として、シャーマン的に旅している構造が見えて来るのです。

それが、彼の異様なまでの自由さ、融通無碍の要因のひとつであると考えることもできるのです。シャーマニズムの基本的な構造とは、シャーマンが、脱魂(エクスタシィ)して、魂を異界に飛ばして、そこから何か(情報、力)を得てこちらに戻って来るという往還の形式にあるからです。

ロートレアモンも、偶然的・変形的なタイプであれ、都会的(アーバン)シャーマニズムとして、その過度に想像力的な体験領域を通して、変性意識の諸相を渡り、その旅程を、作品に刻み込んだのだといえるでしょう。それが、不思議な奥行きを持つ、他の文学では見たこともない、宇宙的・天使的な空間を生んだともいえるのです。

また、一方で、ロートレアモン(デュカス)本人が、自分の作品の持つ天才的な性質を理解していなかったという点も重要な事柄です。

彼の旅程は、意図的に行なわれたわけではなく、想像力的な空間を経由することで、図らずも変性意識状態の中に入りこみ、前人未踏の世界(空間・状態)に行き、その痕跡を閉じ込めることになったという次第なのです。

その後、彼が『マルドロールの歌』への否定や反動として『ポエジー』を書いたことは、重要な事柄です。

これは、彼が、後の手紙で述べているような、善悪の扱い方だけの問題ではなく、強度な変性意識による異界的体験への反動(怖れ)と考える方が自然なことなことでもあるのです。

このような振る舞いは、精神のバランスをとるためにも(狂気への恐れから)、ある面、必要なことでもあり、事例(行動、症状)としてはとてもありがちな事柄でもあるのです。


◆夢見の技法

さて、以上、話を分かりやすくするために、いささか細部を誇張(増幅)しましたがロートレアモンの作品を素材に、創作における意識拡張の可能性や様態について考えてみました。

ここから私たちが学び取れることは、多々あると考えられるのです。

拙著『砂絵Ⅰ』では、「夢見の技法」と題して、私たちがある種の変性意識的な、意識の均衡状態を利用して、創造的なアウトプットや意識拡張を行なう方法論について、検討を行ないました。
→内容紹介『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

当スペースでは、ロートレアモンの作品は、確かに特別で例外的なものではありますが、そこに見られる体験領域や、探求方法は、私たちにって、決して閉ざされたものではないと考えているわけです。

私たちは、皆、彼のように覚悟を決めて、未知なる夢見の探求を行なうことができると考えているわけなのです。

そのような意味合いにおいて、彼から霊感を受け、自分たちの守護神の一人と見なした、超現実主義者(シュルレアリスト)たちの、万人に開かれた創造(創作)という考え方は、(その具体的な方法論には疑問があるにせよ)とても正しい直観であったと思われるのです。

ロートレアモンの作品には、そのようなことを人に促す(信じさせる)ような創造性の息吹があるのです。


※夢見や創作(創造性)、気づきや統合、変性意識状態(ASC)へのより総合的な方法論は拙著↓
入門ガイド
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

↓気づきと変性意識の入門ガイドはコチラ。動画解説「気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス」

※多様な変性意識状態についてはコチラ↓動画「ゲシュタルト療法 変性意識 『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』」