サイケデリック体験とチベットの死者の書

さて、以前、心理学的に見た「チベットの死者の書」ということで、チベットの死者の書から類推される、私たちの心の構造的モデルについて考えてみました。
心理学的に見た「チベットの死者の書」

そして、その際、ティモシー・リアリー博士らが記した『サイケデリック体験 The Psychedelic Experience』(『チベット死者の書 サイケデリック・バージョン』菅靖彦訳、八幡書店)を参照としました。

ところで、そもそもリアリー博士らは、向精神性物質を用いることで現れて来るサイケデリック(意識拡張)体験、つまり、変性意識状態を理解する有効な心の構造モデルとして、またはサイケデリック体験をうまく導いてくれるガイドブック(指南書)として、「チベット死者の書」を持って来たわけでした。

さて、前回は、そのような心の「構造的側面」をテーマにして、諸々を検討してみましたが、今回は、リアリー博士らが把握したサイケデリック体験の「体験的側面」「具体的な体験内容」、変性意識状態そのものに焦点化して、諸々を見ていきたいと思います。

ところで、前回の振り返りですが、チベットの死者の書の中では、死者は3つの中有、つまりバルドゥ(バルド)と呼ばれる死後世界(時空)を経由して、人は再生(心理的再生)してしまうとされています。

①チカエ・バルドゥ(チカイ・バルド)
②チョエニ・バルドゥ(チョエニ・バルド)
③シパ・バルドゥ(シドパ・バルド)
の3つが、それらです。

①のチカエ・バルドゥは、もっとも空なる超越的な体験領域であり、私たちは、そこですべてから解放された時空、空なる意識状態を達成することが可能とされています。

②のチョエニ・バルドゥは、非常に深い深層次元の心が現れる時期であり、そこで私たちは、私たちを構成する心自体である、深部の「元型」的素材に直面するとされています。

③のシパ・バルドゥでは、これは再生の時期にあたりますが、私たちの自我に近いレベルが回帰して来るとされています。

では、実際に、リアリー博士らの言葉を見てみましょう。

「チベット・モデルにしたがい、われわれはサイケデリック体験を三つの局面にわけている。第一期(チカイ・バルド)は、言葉、〔空間-時間〕、自己を超えた完全な超越の時期である。そこには、いかなるヴィジョンも、自己感覚も、思考も存在しない。あるのは、ただ、純粋意識とあらゆるゲームや生物学的なかかわりからの法悦的な自由だけである。第二の長い時期は、自己、あるいは外部のゲーム的現実(チョエニ・バルド)を非常に鮮明な形か、幻覚(カルマ的幻影)の形で包含する。最後の時期は(シドパ・バルド)は、日常的なゲーム的現実や自己への回帰にかかわっている。たいていの人の場合、第二(審美的ないし幻覚的)段階がもっとも長く続く。新参者の場合には、最初の光明の段階が長くつづく」(『チベット死者の書 サイケデリック・バージョン』菅靖彦訳、八幡書店)

ところで、博士らは、私たちが囚われ落ち込む、自我の「ゲーム」から離れることを勧めます。

サイケデリック体験が弱まり、バルドゥを進むに従い、私たちは、自我の「ゲーム」によりとらわれていってしまうというわけです。

「『ゲーム』とは、役割、規則、儀式、目標、戦略、価値、言語、特徴的な空間-時間の位置づけ、特徴的な動きのパターンによって規定されている一連の行動である。これら九つの特徴を持たない一切の行動はゲームではない。それには、生理学的な反射、自発的な遊び、超越意識などが含まれる。」(前掲書)

このようなゲームにとらわれることなく、ゲームを回避し、空なる体験-意識領域に同一化できた時、私たちは、いわば解脱(真の解放)できるというわけなのです。

第一のチカエ・バルドゥでは、(サイケデリック体験が一番強烈な時間では)そのチャンスが一番あるとされているのです。

「もし参加者が、空(くう)の心をガイドが明らかにしたとたん、その観念を見、把握することができれば、つまり、意識的に死ぬ力をもち、自我を離れる至高の瞬間に、近づいてくるエクスタシーを認識し、それとひとつになることができれば、幻想のあらゆるゲームの絆は即こなごなに砕け散る。夢見る人はすばらしい認識を獲得すると同時に、リアリティに目覚めるのだ。」(前掲書)

「解放とは、〔心的-概念的〕な活動を欠いた神経系である。条件づけられた状態、つまり、言葉と自我のゲームに限定された心はたえず思考の形成活動をおこなっている。静かで注意が行き届き、覚醒してはいるが活動はしていない状態にある神経系は、仏教徒がもっとも高い「禅定」の状態(深い瞑想状態)とよぶものに比較することができる。そのとき、身体とのつながりは依然として保たれている。光明(クリアーライト)の意識的な自覚は、西洋の聖者や神秘家が啓示とよんできた法悦的な意識状態を誘発する。最初の徴候は、『リアリティの光明』の一瞥であり、『純粋な神秘的状態としての絶対に誤らない心』である。これはいかなる心の範疇のおしつけもないエネルギー変容の自覚である。」(前掲書) 

そして、サイケデリック体験が一番強烈な時に、解放や覚醒が得られない場合でも、その次の時間帯で、チョエニ・バルドゥ的な解放や覚醒が可能だともいうのです。

「最初の光明(クリアーライト)が認識されない場合、第二の光明を維持する可能性が残されている。それが失われると、カルマ的な幻想あるいはゲーム的リアリティの強烈な幻覚の混合期であるチョエニ・バルドが訪れる。ここで教訓を思い出すことがきわめて重要である。多大な影響や効果をおよぼしうるからである。この時期、微細にわたって鮮明な意識の流れは、断続的に合理化や解釈を試みる努力によって妨げられる。だが、通常のゲームを演じる自我は効果的に機能していない。したがって、流れに身をまかせていれば、まったく新しい歓喜をともなう官能的、知的、感情的な体験をする可能性が無限にある。だが、その一方で、体験に自らの意志をおしつけようとすると、混乱や恐怖の恐ろしい待ち伏せに遭遇することになる。」(前掲書)

「経験を積んだ人は、すべての知覚が内部からやってくるという自覚を保ち、静かに坐って、幻影をつぎつぎに映しだす多次元的なテレビ受像機のように拡大した意識を制御することができるだろう。非常に敏感な幻覚―視覚的、聴覚的、触覚的、臭覚的、物理的、身体的―と絶妙な反応、そして自己や世界への思いやりのある洞察。鍵はなにもしないこと、すなわち、周囲で起こっているすべてとの受動的な合体である。もし意志をおしつけたり、心を働かせたり、合理化したり、解釈を求めたりしたら、幻覚の渦にまきこまれるだろう」(前掲書)


ところで、リアリー博士らは、このチョエニ・バルドゥ的なサイケデリック体験が、とりがちな体験の諸相を、死者の書に合わせつつ、いくつかに分類しています。

自己の内的体験に沈潜する場合や、外部の知覚的世界に没入する場合など、類型的なパターンに分けて、解説を加えています。このようなタイプわけは、原典の「チベット死者の書」自体が行なっているタイプわけでもあります。「チベット死者の書」はそういう意味でも、ヨガ由来の神経現象学的アプローチを持っているものなのです。

①源泉あるいは創造者のヴィジョン(目を閉じ外部の刺激は無視)、
②元型的プロセスの内的な流れ(目を閉じ、外部の刺激を無視。知的側面)
③内的な統一性の火の流れ(目を閉じ、外部の刺激を無視。感情的側面)
④外的形態の波動構造(目を開くあるいは外部の刺激に没頭する。知的側面)
⑤外部の一体性の振動波(目を開くあるいは外部の刺激に没頭する。感情的側面)
⑥「網膜のサーカス」
⑦「魔法劇場」
(前掲書)

これなども、私たちの心や神経・知覚を考える上で、大変に示唆に富む指摘となっているのです。

以下に、いくつかその興味深い描写を見てみましょう。

②の元型的プロセスの内的な流れ(目を閉じ、外部の刺激を無視。知的側面)については…

「第一のバルド あるいは源のエネルギーの、分化していない光が失われると、明るい分化した形態の波が意識の中にあふれだす。人の心はこれらの形に同一化しはじめる。つまり、それらにラベルを貼り、生命プロセスについての啓示を体験しはじめるのである。特に被験者は、色のついた形態、微生物的な形、細胞の曲芸、渦巻く細い管の際限のない流れにとらわれる。大脳皮質はまったく新しくて不思議な分子のプロセスに、チューン・インするのだ。抽象的デザインのナイアガラや生命の流れを体験するのである。」(前掲書)

③の内的な統一性の火の流れ(目を閉じ、外部の刺激を無視。感情的側面)については…

「純粋なエネルギーがその白い空の性質を失い、強烈な感情として感じられる。感情のゲームがおしつけられる。信じられないほど真新しい身体感覚が身体を貫いて脈打つ。生命の白熱光が動脈にそってあふれるのが感じられる。人はオルガスム的な流体電気の大海、共有された生命と愛の無限の流れに溶け込む。」(前掲書)

「進化の河を流れ下っていくあいだ、際限のない無自己の力の感覚が生まれる。流れる宇宙的な帰属感の喜び。意識は無限の有機的レベルにチューニングできるのだという驚くべき発見。身体には何十億という細胞のプロセスがあり、そのそれぞれが独自の体験的宇宙―無限のエクスタシー―をもっているのだ。あなたの自我の単純な喜び、苦痛、荷物は一つの体験の組み合わせ、反復的でほこりにまみれた組み合わせを表している。生物学的なエネルギーの火の流れのなかにすべりこむと、一連の体験的組み合わせがつぎつぎと通りすぎていく。あなたはもはや自我と種族の構造に包み込まれてはいない。」(前掲書)

というような具合です。

さて、以上、リアリー博士らの言葉によって、サイケデリック体験が見出すリアリティの変貌について見てみました。いかがだったでしょうか。

ところで、当然、このようなリアリティの諸相は、サイケデリック体験に限らず、その他の変性意識状態においても現れて来るものであります。

そのような意味においても、このチベット・モデルや、リアリティの質性の特性は、私たちにとって、変性意識状態の探索や意識拡大のための示唆に富んだ手引きとなっているのです。

 

※気づきや統合、変性意識状態(ASC)へのより総合的な方法論は拙著↓
入門ガイド
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

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