詳細紹介『ゲシュタルト療法ガイドブック 自由と創造のための変容技法』

(第二版)
 本書は、「ゲシュタルト療法」について、基本的な理論・原理からその具体的実践までをあつかったものとなっています。ゲシュタルト療法の実践につながる「核になる原理」が記されていますので、実際にゲシュタルト療法そのものを体験されていなくとも、心理学についての基本的な理解や知識があれば、また他の体験的心理療法を実感している人は、その効力(作用)のイメージがつかめるものと思われます(実感として心理療法を感覚的に全然イメージできない人は、実際に何かしらの体験をもってから読んだ方がよいかもしれません)。また、本書では、カウンセリング的なゲシュタルト療法を習った場合にきちんと理解されない、ゲシュタルト療法の深い内的原理(仕組み)が解説されていますので、その面でも参考にしていただける形になっております。
 また、本書の背後に、より本質的なものを直観された方は、ぜひ、より本格的な変容プロセスをあつかっている拙著『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』をご覧いただければと思います。

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『ゲシュタルト療法ガイドブック 自由と創造のための変容技法』
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【本文目次】

はじめに (第二版)

第一部 ゲシュタルト療法 基礎編

第一章 ゲシュタルト療法とは
 ◆ゲシュタルト療法の特徴 ―構成要素
 ◆ゲシュタルト療法の可能性 ―心理療法を超えて
第二章 気づき/アウェアネスの力と「3つの領域」
 ◆3つの領域とマインドフルネス
 ◆気づき/アウェアネスの彼方
第三章 ゲシュタルトの形成と破壊のサイクル
 ◆ゲシュタルトとは何か
 ◆ゲシュタルトの形成と破壊のサイクル
 ◆神経症のメカニズム ―4つのパターン
第四章 「やり残した仕事」―未完了のゲシュタルト
 ◆「やり残した仕事」Unfinished Business
 ◆「やり残した仕事」「未完了」を完了させるセッション
第五章 複数の自我状態
第六章 葛藤状態
 ◆「やる気が出ない」は正しい
第七章 心身一元論的・全体論的アプローチ
 ◆ライヒとボディワーク系心理療法

第二部 ゲシュタルト療法 実践編

第一章 セッションの原理・過程・効果
 ◆治癒と心理的統合の原理
 ◆ワークの目的と効果
 ◆ワークの体験過程(プロセス)
 ◆ワークの枠組みと文脈
第二章 エンプティ・チェア(空の椅子)の技法
 ◆エンプティ・チェアの技法Ⅱ 葛藤解決
第三章 5層1核 感情表現(表出)の階層性
第四章 心身一元論的アプローチ
第五章 夢をあつかうワーク
第六章 心理的統合の姿
(コラム1)
 ◆アウトプットとゲシュタルト療法
 ◆存在力について

第三部 生の地平を拡大するゲシュタルト

第一章 ワーク(セッション)の実際
第二章 エンプティ・チェアの技法 自習エクササイズ
第三章 葛藤解決の方法
 ◆実際の技法的アプローチ
 ◆葛藤解決の方法(ポイント)―ネガティブな感情の扱い方
第四章 自由と創造のためのゲシュタルト・アプローチ
 ◆日々のゲシュタルト 気づきと生の力の深まり
 ◆対人関係の中のゲシュタルト
 ◆集団生活と組織活動の中のゲシュタルト
 ◆創造的アウトプットの技法 アートと創造的活動
第五章 変容技法としてのゲシュタルト
おわりに
 (補遺1)気づき/アウェアネスと人生回顧(ライフレビュー)体験
 (補遺2)変性意識状態(ASC)について
 (補遺3)セッションにおける通過儀礼の構造
参考文献

~~~~~~本文より~~~~~~~~

はじめに 

本書は、「ゲシュタルト療法 Gestalt therapy」の基本的原理と実践技法についてまとめたガイドブックです。ゲシュタルト療法は、体験的心理療法の一流派であり、日本でも、そのテクニックの一部だけは、セラピーやカウンセリング、コーチングの場面などで使われたりしています。しかし、ゲシュタルト療法が持っている本質的な可能性や効果(効果)のひろがりは、日本で一般的にカウンセリングやセラピーの効果としてイメージされているような部分的な症状緩和とは全然違っているものです。特に日本では、ゲシュタルト療法と親類関係にあるような「体験的心理療法」自体が、諸外国のようには、まったく根づきも熟成もしなかったので、その点のイメージがつきにくくなっています。本書では、そのような点を含めて、凡百のセラピーとは違う、本来的なゲシュタルト療法の原理や本質について解説を行なっていきたいと思います。

ところで、2010年に、「日本ゲシュタルト療法学会」が立ち上げられて、十年以上が経ち、少しずつ「ゲシュタルト療法」も日本で広まりはじめました。世界においては、古典的で標準的(スタンダード)な心理療法であり、かつ、やや古い心理療法という見られ方がなされる一方で、体験的心理療法がほとんど根づかず、かつ、(精神医療自体が後進国の)日本の世間一般では、むしろ。新しい心理療法として見られているという奇妙なネジレ現象もあります。そして、早く普及が広まると、当然、行なわれているゲシュタルト療法の内容や質も玉石混交のものとなります。ファシリテーターのレベルもありますし、流派的・系譜的な問題(限定性)から、内容もまちまちとなり、効果の質自体も違ったものになっていきます。そもそも、セラピー(心理療法)というものは、セラピスト(ファシリテーター)自身が、クライアントとして経験/達成した内容(レベル)に規定されてしまうものだからです。セラピストが、クライアントとして自身が経験していない質や達成していない変容を、クライアントに提供することはできないからです。また、セラピスト自身が歪んた経験やお粗末な達成しかしていなければ、当然それがクライアントにそのまま影響してしまうものだからです。体験的心理療法に必要な本質的経験や能力は、座学のお勉強で手に入れられるものではないのです。そのため、ゲシュタルト療法云々言う人間が、まず、どの程度の経験や人格的な変容達成をしているのか(それは本人の姿Beingを見れば一目瞭然ですが)、その本質的なレベルを見抜いていく必要があるのです。ただ、これは、ゲシュタルト療法に限らず、すべてのセラピーにおいても同様のことでもあるのです。

また、特に日本においては、文化的に、感情を抑圧し、感情を回避する傾向が強いことが特徴に挙げられます。現今の日本社会の行き詰まりや展望のなさは、そのようなツケが歴史的にめぐってきただけとも言えるのです。生育の中で、他者(両親等)から取り込んだ抑圧が、社会システムとなり、限界状況に近づいているということです。そのような側面で、ゲシュタルト療法が効果を発揮する側面は大変大きいのです。

さて、そのようなゲシュタルト療法は、私たちの心身のあり方を深く変容させ、内奥の感情をダイナミックに解放していく真正な心身一元論的方法論です。それは、私たちの生のエネルギーを増大させ、生きる意欲を高め、意識を拡大していきます。行動力や実際的能力を上げていきます。私たちの感情生活を豊かにし、幸福の感受性を強めていきます。その結果、生きている人生の風景を、色彩豊かなものに一変させていくものなのです。そして、それらが充分に深められていった場合には、恒久的な変容として残っていくものなのです。
また、ゲシュタルト療法は、特に治療目的というわけでなく、健康な人が体験をしていく中で、心理的葛藤や心理的制限を取り除いていくものでもあります。そのようなセラピーの訓練的な使用法が、日本ではイメージがつきにくくなっていますが、ゲシュタルト療法が、米国のエサレン研究所から初期に広まる背景は、そのような面でもあったのです。感情の解放と自信、心の活力と積極性をつくり出すのに、とても有効な方法論だったのです。NLP(神経言語プログラミング)も、そのような背景の中で生まれ、広がっていったのです(NLPの共同創始者バンドラーは、元々ゲシュタルト療法のサークルにいました)。

また、日本では、「自分は病気ではない」「自分は患者ではない」ということで、カウンセリングやセラピーを受けることに抵抗を持つ方が多くいます。また、そのような社会風潮もあります。これは、日本社会の特徴とも言えますが、情報の少なさや社会的な固定観念なので、残念なことではありますが、(ゲシュタルト療法を含む)体験的心理療法に関しては大変もったいないことであるのです。これらの体験的方法論は、潜在能力を解放する作用(原理)においては、人を選ばないし、そのような人にも大きな効果を発揮するものであるからです。むしろ、ゲシュタルト療法は、そのような健康な自覚を持つくらいの人に、爆発的な効果を発揮するものでもあるのです。

ゲシュタルト療法は、技法的には、きわめて自由で創造的、遊戯的で即興的なものです。
癒しと遊びと実験の中で、いろいろ試していく中で、自分の制限を超えて、体験する世界を拡大していくということが起こってくるのです。
自分のインスピレーション(霊感)と好奇心にしたがって、感覚と感情の流れにしたがって、自分の世界がひろげられていきます。
それは、従来の自分が、まったく想像していなかったような新しい世界です。
人生にこのような世界が存在しているとは、思いもしなかったような、みずみずしい世界なのです。
あたかも初めてカラーフィルムを見る人のように、世界をカラフルなまばゆいものとして、経験するようになるのです。
そのような世界が、実際に存在しているのです。

◆過去の体験と自我状態の改変

ところで、私たちの人格(性格)というものは、「過去の体験」の集積から成り立っています。ある意味、私たちは「過去の体験」の集積物、堆積物です。
それは、私たちの日々の行動がどのような動機や欲望によって動かされているのかを感じみればよくわかると思います。
 多くの思いや行動が、過去の出来事の好悪によって、今も影響されてしまっています。つまり、「目の前にあること」に似ている過去の体験が心地良かったか苦痛だったか、良かったか悪かったか、好きか嫌いか、そのような体験の結果(質感)が、感覚情報(感情価値)となり、無意識的に、現在の行動選択の基準になっています。そして、毎分毎秒、苦痛そうなことを避け、心地良いことを選んでいるわけです。そのため、頭では、しない方が良いと考えていることでも、「心地良いから」「楽だから」という理由でそちらの方に流されたり、選択してしまっているわけです。一方、やった方が絶対いいとわかっていることでも、「面倒くさいから」「しんどいから」と理由で、なかなか着手できなくなっているのです。
 ところで、私たちの人格は、それら過去体験の、さらに「偶然的な寄せ集め」と言えます。
 なぜなら、もし「あの時の」、過去のその体験の結果が少しだけ違っていたら、今現在、全然違った行動をとっていただろうことが、沢山あるからです。
 子どもの頃の、ほんのわずかなつまずきの体験が、その後の人生の流れ(選択肢の傾向)を変えてしまったということが沢山あります。
 ほんの小さなミス、ほんの小さな恥かき、ほんの小さな叱責、ほんの小さなまわりからの嘲笑、それらが、今も心のどっかに引っかかっていて、疼きや行動を避けることへの原因になっているからです。
 そして、重要なことは、過去の体験というものは、それを体験した「自分自身=自我状態ego state」そのものとして、今も、私たちの潜在意識の中に、そのままの状態で、タイムカプセルのように残っているということなのです(本文で見る「未完了の体験」)。
私たちの中には、過去に体験をした、無数の当時の自分自身(自我状態)が、そのまま生きているのです。
それらが「今も生きている」からこそ、過去の自分が、現在の自分に影響を与えることができるのです。それらは、過去に消えたり、過去のものになったわけではなく、無時間的なもの(感情)として、今もここに生き生きと生きているのです。

ゲシュタルト療法では、そのような過去の、閉じ込められた自分自身=自我状態ego stateを探り、解放することを行なっていきます。
 通常、私たちの過去の自我状態とその感情は、過去に偶然起こったままに放置されています。そのため、さきに見たように、私たちは、その自我状態(過去の体験)に影響されるがままになっているのです。
 ゲシュタルト療法では、その野ざらしの自我状態(過去の体験)を解放し、陽光を与えて、それを望む形に変化させていきます。感情を癒し、命の泉を甦らします。その体験からの悪しき影響を取り除いていきます。
 その結果、私たちは、過去の偶然的な出来事に影響されることなく(そこから離れて)、主体的・統合的・より自由に、生きていくことができるようになるのです。
 
 また一方、ゲシュタルト療法では、ネガティブな体験の改変(排除)だけでなく、快や喜びの感情を増幅したり、人生で経験されなかったために、生きられることもなかった欠落体験について、自我(欲求)状態を創り出すことも行なっていきます。
新たな表現領域・体験領域を創り出すことによって、新しい自我(欲求)状態も生まれてくることになるのです。
そのようにゲシュタルト療法では、人生の体験そのものを生成的に変えていく(蘇生させていく)ということも可能になっているわけです。
その結果、私たちは過去の体験の、無力な結果でしかない、従来の人生を超え、可能性の彼方にある豊かな人生を生きられるようになるのです。

◆ゲシュタルト療法が開くトランスパーソナル(超個的)な領域

ところで、次世代(1970年代)のトランスパーソナル(超個的)心理学の重要な理論家ケン・ウィルバーは、最近では、(ティール組織論の元ネタの)インテグラル理論の提唱者として知られています。
そんな彼は、初期の「意識のスペクトル論」の中で、ゲシュタルト療法を、ケンタウロスの領域にある心理療法と位置づけました。その詳細は、本文や補遺1に譲りますが、ここでは一点だけ重要な点について、さきに触れておきたいと思います。
ウィルバーの図式の中では、「ケンタウロスの領域」とは、心身一元論的なセラピーの体験領域という意味合いです。その領域は、通常の自我主体の心理療法の領域と、トランスパーソナル(超越的/超個的)な領域との間に位置しています。ボディワーク系のライヒアン・セラピーなどがこの領域に含まれています。「ケンタウロス」とは、半人半馬の神話的存在ですが、精神と肉体をひとつのものとしてとらえる心身一元論的セラピーの特徴をよく表現したイメージです。日本では、このライヒアン・セラピーがまったく広まらなかったため、イメージがつきにくくなっていますが、ゲシュタルト療法も、これらの流派の特徴をよく備えています。
実際、ゲシュタルト療法を充分にこなしていくと、心身一元論的なアプローチによって、私たちの心身の深い次元のエネルギーが解放されていくことになってくるのです。意識や心身が豊かに流動化をはじめるのです。その結果、心身をまるごとのひとつの新たな存在として、感じとれるようになっていくのです。自らを、ケンタウロス(半人半馬)のように、精神と野生の精妙な結合体として感じられるようになるのです。しかし、ケン・ウィルバーも指摘するように、それに付随して、もう一段階加えた効果も出てくることになるのです。つまり、ケンタウロスの条件が満たされると、隣接していたトランスパーソナル(超個的)な体験領域も自然に開いていくということが起こってくることになるのです。このことは、(そういう世界観がないので)ゲシュタルト療法の理論にはありませんが、実践上は、よく見受けられる現象でもあるのです。それは、ウィルバーも指摘する通りなのです(補遺1参照)。
このような点への注目は、ゲシュタルト療法を停滞・マンネリ化させずに、次なる形態へと進化させるためにも欠かせない視点であるのです。そして、ゲシュタルト療法の姿勢と、トランスパーソナル(超個的)な体験領域をも統合することで、私たちの意識や創造力は、より豊かな可能性の次元に開いていくことになるのです。本書では、このような観点についてもフォローを行なっていきます。


第三章 気づきの力と3つの領域

さて、ゲシュタルト療法では、「気づき/アウェアネスawareness」の力というものを重視するものです。アウェアネスは、私たちの心理的解放や統合に決定的な働きをするものだからです。
ここ十年、日本でも、「マインドフルネス」という言葉のひろまりによって、気づき/アウェアネスのもつ意味合いが、少しずつ注目されてきたようです。
ただ、「気づく」という日本語の日常性と曖昧さゆえに、アウェアネスやマインドフルネスについても根本的な勘違いも多く散見されるので、ここではそこの部分を深く見ていきたいと思います。アウェアネスが、どういう構造や機能になっているのかを知ることで、その実践の妙や難しさ、真の効果の意義深さが理解されることになります。
「気づき」という言葉を使うと、普通、人は、「私は気づいているよ」と言います。しかし、一方、気づき/アウェアネスを重視する人たちの間では、普通の人は、「まったく気づいていない/アウェアネスしていない」ということが問題の核心となっているからです。

◆3つの領域とマインドフルネス

まず、その理解の「準備」「下ごしらえ」として、ゲシュタルト療法でいう、「気づき/アウェアネスの『3つの領域』」という概念をとりあげてみたいと思います。
ゲシュタルト療法では、通常、私たちが(無自覚のうちに)物事を体験している体験領域を、「3つの領域」として語ります。
これは、厳密に科学的にというよりも、実践的な視点で役に立つという見地から提案されているものです。私たちが、日常生活の中で、何かを体験している体験領域を、3つに分けたものです。
3つの領域は、それぞれ「外部領域」「内部領域」「中間領域」と呼ばれています。それぞれの領域は、以下のようなものです。

・外部領域
 →自分の皮膚の外側の領域。
目の前や周りの環境、外部の物質世界を知覚する五感の領域です。
・内部領域
 →自分の皮膚の内側の領域。
心臓の鼓動、動悸、胃の痛み、血流、内臓の感じ等々、体内的な感覚。
感情や情動の働きもここに含まれます。感情や情動というと何か抽象的なイメージを持つ人もいるかもしれませんが、感情や情動は、まず「神経の興奮」だからです。
・中間領域
 →外部でも内部でもない中間の領域。空想(ファンタジー)の領域。
諸々の思考、言葉、観念、信念、想念の世界です。

この3つの領域で、大体、私たちは何かを体験しているわけです。
街の風景を「見たり、聞いたり、触れたり」(外部領域)、出来事に「怒ったり、悲しんだり、ざわざわしたり、モヤモヤしたり、胃が痛くなったり」(内部領域)、さき読んだ本の内容や明日の仕事の段取りを「考えたり」(中間領域)しているわけです。
気づき/アウェアネスとは、このような領域での体験に、「気づく」ということです。
「見ていること」に気づく、「怒っていること」に気づく、「考えていること」に気づく、ということです。
例えば、通常、私たちは、何か考え事に没頭している時、ハッとある瞬間、考えに没頭していたことに気づきます。海面から顔を出すような体験です。気づきとは、そのように体験そのものの中に消えてしまっている事態ではなく、体験と少しズレた、メタ的な体験なのです。
「風景を見ている」体験と、「風景を見ていることに気づいている」体験とには微妙かつ決定的な差異があります。
「怒っている」体験と、「怒っていることに気づいている」体験とには微妙かつ決定的な差異があります。「悲しんでいる」体験と、「悲しんでいることに気づいている」体験とには微妙かつ決定的な差異があります。
3つの領域に起こっていることに「気づいている」ということは、「無自覚に体験に没頭している」のとは違う、決定的な差異があるのです。しかし、それは、「中間領域」の思考ではありません。それを外から「気づいている」状態です。
ここに、セラピーにおいて効果を発揮する「気づき/アウェアネス」の核心があるのです。
フリッツ・パールズは語ります。

「『気づく』ことは、クライエントに自分は感じることができるのだ、動くことができるのだ、考えることができるのだということを自覚させることになる。『気づく』ということは、知的で意識的なことではない。言葉や記憶による『~であった』という状態から、まさに今しつつある経験へのシフトである。『気づく』ことは意識に何かを投じてくれる」
「『気づき』は常に、現在に起こるものであり、行動への可能性をひらくものである。決まりきったことや習慣は学習された機能であり、それを変えるには常に新しい気づきが与えられることが必要である。何かを変えるには別の方法や考え、ふるまいの可能性がなければ変えようということすら考えられない。『気づき』がなければ新しい選択の可能性すら思い付かない」(パールズ『ゲシュタルト療法』倉戸ヨシヤ訳、ナカニシヤ出版)

気づき/アウェアネスとは、通常の認知や認識ではないのです。通常の認識や認知とは、対象を限定して(対象化して)、思考や言葉なりで解釈する状態です。つまり、それらはすべて、「中間領域」の出来事なのです。
一方、気づき/アウェアネスとは、認識している状態や体験「それ自体」に気づくのが、気づき/アウェアネスという状態/機能です。「中間領域」を外側から、メタ(上位)・レベルから感得する直観能力です。
通常の意識や注意力よりも、ひとつ高いメタ(上位)・レベルを含むのが、気づき/アウェアネスの状態なのです。そして、その働きを通して、目覚めるような意識の拡張をもたらす、心身の全体的な体験過程なのです。

「自分が何かを体験している」という、「体験それ自体に気づくこと」ができるのが、気づき/アウェアネスの能力(機能)です。何を体験しているのか。何を感じているのか。どのように体験しているのか、どのように感じているのか、その「状態(様相)」それ自身に、気づけるのが、アウェアネスなのです。喩えていうと(実感的なニュアンスとしてですが)、アウェアネスは、行為doingというよりも、存在beingしているのに近い感覚です。
アウェアネスのこのメタ的特性、するdoing と在るbeingをつなぐ蝶番的・横断的・越境的要素が、さまざまな変容を起こす、気づきの超越的な力を生み出すのです。
それは、あたかも、瞑想における呼吸が、意識と無意識の間に、蝶番的にあるのと少し似ているあり様ともいえます。さて、この気づきの力の重視が、「本来的な」ゲシュタルト療法を、心理療法を超えて、禅や各種の瞑想技法に近づける要素であるのです。

そのため、ゲシュタルト療法においては、この「3つの領域」を素材に、気づき/アウェアネスの力を高める訓練を行なうのです。常日頃から、自分の体験がどの領域で行なわれているのかに刻々に「気づいていく」というエクササイズを行なうのです。「私は今、自分が○○なのに気づいています」と、街中や職場や電車の中で、自分が何を体験しているのかに気づいていくのです。「見たり」「モヤモヤしたり」「何を考えているか」に刻々気づいていくのです。この気づき/アウェアネスによって、体験が、体験としての濃度を増していきます。存在論的に密度が増すのです。体験が体験されていくことになります。存在beingに近いとはそういうことです。

 マインドフルネス瞑想を一般に広めたカバットジン博士は、端的に「マインドフルネスとは、気づき/アウェアネスである」と語っていますが、そんな博士の言葉を少し見てみましょう。

「さて、瞑想をする時のように自分の心の動きに注意をしていくと、自分の心が、現在よりも過去や未来に思いを馳せている時間のほうがずっと長いことに気がつかれると思います。つまり、実際、〝今〟起きていることについては、ほんのすこししか自覚していない、ということなのです。そして、私たちは、〝今〟というこの瞬間を十分に意識していないために、多くの瞬間を失ってしまっているのです。この無自覚さがあなたの心を支配し、やることすべてに影響を与えるのです。私たちは、自分のしていることや経験していることを十分に自覚しないまま、多くの時を〝自動操縦状態〟で習慣的にすごしているのです。いわば半眠半醒の状態にあるようなものなのです。」(『マインドフルネスストレス低減法』春木豊訳、北大路書房)

 この「自覚」が、気づき/アウェアネスということです。気づきとは、「今起きていることについて刻々気づく」「今という瞬間を充分に意識する」ということなのです。そして、彼は、マインドフルネス瞑想の実践について語ります。

「彼らが行っているのは、〝何もしない〟ということです。そして、一つの瞬間から次の瞬間へと連なっていく、一つひとつの瞬間を自覚し、意識するために、一つひとつの瞬間に意欲的に集中しようとしているのです。つまり、彼らは、〝注意を集中する〟トレーニングをしているのです。別の言い方をすれば、彼らは自分が〝存在すること〟を学んでいるともいえます。彼らは、何かをすることによって時をすごすのではなく、意図的に何かをするのをやめ、〝今〟という瞬間の中で、自分を解放しようとしているのです。心に気がかりなことがあったとしても、体が何か不快感を感じていたとしても、その瞬間の中で、意図的に、心と体に安息を与えようとしているのです。〝生きている〟ということ、〝存在している〟ということの本質に踏み込もうとしているのです。彼らは、何かを変えようとするのではなく、ただ自分の置かれているありのままの状況と共にその瞬間を過ごそうとしているのです。」(同書)

 これが、マインドフルネスの状態です。そして、少し厳密に言うと、ここで言われる「注意」の上にあって、「見ている」のが、気づき/アウェアネスなのです。

また、体験の「3つの領域」について付言しますと、ゲシュタルト療法では、心身の全体性・統合性の重視から、3つの各領域にバランスよく気づき/アウェアネスをいき渡らせられる能力を重視します。そこで、十全な欲求(感情)を開放的に生きられることを重んじるのです。
気づき/アウェアネスは、この3つの領域を「横断的に」行なえることによって、各領域を連結してくれる力となるのです。今「見たり」「嫌悪したり」「考えている」ことが横断的に気づかれることで、体験がバラバラにならずに、統合されていくのです。
また、後の章でも見ますが、ゲシュタルト療法においては、人間が、環境に生きる生物として、引きこもりwithdrawal状態から他者への接触contactまで、欲求を充たすための行動を、とらわれなく自由に行なえることを、人間の健全さと見ます。同様に、人間がこの内部領域から外部領域までの広い領域の中で、物事に遺漏なく気づけたり、注意を向けたり、欲求(感情)を充分に表現したり、行使できる能力を重視するのです。
或る領域に関して、心や欲求にわだかまりがあると、その領域の中で、自由な行動をとれなくなるからです。例えば、外部領域(外の世界)で、強い傷つき体験を持った人間が、中間領域(空想や思考の領域)に引きこもりがちになってしまうというのは、常識的な感覚からいっても理解されやすい事柄と思われます。そのような人々は、普段の気づきや注意力を向ける領域に関しても、無意識的な偏向や歪みを持ってしまうのです。そのことが、さらに本人の、人生の選択肢を狭めてしまい、生きる体験の制限を生み出してしまうのです。

この問題に対処するアウェアネスの力を高めるには、練習(エクササイズ)として、まずは、自分が何を体験しているのかや、無自覚にどの領域に注意を向けているのか、について刻々気づいていくことです。また、自分がどの体験領域に囚われがちであるかについて、刻々気づいていくことです。
「私は今、自分が○○なのに気づいています」と、自分の感覚が、3つの領域の何(どこ)に向いているかに気づく/アウェアネスする練習は、ゲシュタルト療法の基本訓練のひとつです。○○の体験は、3つの領域の何か、物音(外部)だったり、胃もたれ(内部)だったり、空想(中間)だったりしているわけです。自分が囚われている体験刻々気づいていくのです。

その訓練によって、瞬間瞬間、その状態(空想、感情、五感)の姿に気づいていけるようになると、それだけでも、気づき/アウェアネスの介入によって、私たちの心理的な歪みや偏向は少しずつ改善されていくのです。自己の内的状態に、刻々気づいていけると、統覚作用が強まり、各領域を横断するエネルギーの流れが起こり、統合力自体が少しずつ増していくのです。
このことは、ゲシュタルト療法のセッションの最中においてもそうですし、また日常生活の中での訓練においても同様なのです。日々においても、気づき/アウェアネスをいき渡らせる訓練は、私たちをより統合的で、自由な存在にしていくのです。
特に、現代人の場合は、中間領域(空想領域)への惑溺が、大きな心理的な歪みの傾向として、特徴づけられるものです。考えすぎ、思考過多(中毒、嗜癖)、頭でっかちの状態なのです。ゲシュタルト療法のアプローチは、この中間領域への固着に対しても、効果的な解毒作用を発揮するものであるのです。

 さて、このような気づき/アウェアネス」の重要な力について、ゲシュタルト療法では、当初からそのことを強調していました。
気づきと統合への意欲こそが、私たちの生を治癒し、生きる能力を高める重要な要素だと考えていたからです。ゲシュタルト療法の実践は、そのことを教えてくれるのです。
ゲシュタルト療法においては、体験や感情(欲求)に対する、刻々の気づき/アウェアネスを高めることで、内的体験を深め、人格の統合過程を進めていきます。体験に対する刻々の気づきは、その作用によって、それだけでも分裂を統合していく力を持っていると、ゲシュタルト療法では初期から考えていたのです。

(以下略)


第五章 「やり残した仕事」

ゲシュタルト療法には、「Unfinished Business やり残した仕事」という有名な言葉があります。私たちが人生の中で、やり残した事柄のことです。同様の概念で「未完了の体験」「未完了のゲシュタルト」というものがあります。フリッツ・パールズという人は、フザケた表現が好きな人なので、そのような言い方をしているのです。

さきの「ゲシュタルトの形成と破壊のサイクル」のところで見たように、ゲシュタルト療法では、欲求の単位としてのゲシュタルト(かたち)の充足を重視しています。欲しい欲求の単位(ゲシュタルト)ごとに、私たちの欲求は充たされ、満足し、完了していくのです。欲求が充たされるとゲシュタルトは消滅します。

例えば、振り返って思い出してみてください。生活の中で、理由はわからないけど、「なんか気持ちがモヤモヤしてるなぁ」というような状況があると思います。それをそのままにしておくと、長時間、モヤモヤは残っています。しかし、「なんでモヤモヤしているのかな?」と、そのモヤモヤに注意を向けて、じっくり感じていると理由がわかるときがあります。
「少し前に、或る人に言われた一言が気になって、モヤモヤしていたんだ」と。
そして、そのことに気づくと、そのモヤモヤは無くなります。もしくは弱まります。
原因となった欲求不満のゲシュタルトがわかると(明確になると)、そのゲシュタルトに閉じ込められていた感情エネルギーが解放されるので、スッキリするのです。逆に、そのゲシュタルトがつかめないと、その中の感情エネルギーは残って、消えないのです。そのゲシュタルトとその欲求(感情)との結合が、問題の核心なのです。
満足していない欲求(感情)、欲求不満というものは、そのゲシュタルトとともに、潜在意識の中に残っているということです。そして、ゲシュタルト療法では、「完了していない incomplete」「充足していない」ゲシュタルトは、とても重大な意味を持つと考えられるのです。

ところで、この関連で、フリッツ・パールズは、「通俗的な」トラウマ(心的外傷)の理解に疑問を持ちました。もし過去において、たとえ、強い苦しみの体験があったとしても、もし本人が、その体験を充分に受け入れて、消化して、ゲシュタルトとして完結・完了できているのであれば、それはトラウマ的にはならないと考えたのでした。

「セラピーで大切なことは、今までに何をしてきたかということではなく、何をしてこなかったかということである。何をしてきたかは完結してしまったことであり、充足と統合を通じて自己形成に取り入れられたものである。きちんと完了していない未完結状況というのは環境から自己への取り入れに失敗したものであり、現在まで残っている過去の遺産とも言えるものである」(パールズ『ゲシュタルト療法』倉戸ヨシヤ訳、ナカニシヤ出版) 

トラウマ的になるというのは、出来事の体験それ自体が原因なのではなく、その体験が消化できず、ゲシュタルトとして完結(完了)できなかった場合に、過度の欲求不満とともに、苦痛なゲシュタルトが残ってしまうことが、トラウマ的になると考えたのでした。つまり、未完了の体験、未完了のゲシュタルトこそがトラウマ的になると考えたのでした。
そして、未完了の体験や未完了のゲシュタルトというものは、極度な欲求不満の感情的な強さを、今も当時のままの強さで持ち続けているものなのです。フロイトが「無意識は時間を持たない」と言ったように、その時のままの感情(欲求)が、タイムカプセルのように、今もそのまま残っているのです。

(以下略)


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