大地性と待つこと

かつて、鈴木大拙は、

「生命はみな天をさして居る。が、根はどうしても大地に下ろさねばならぬ。
大地にかかわりのない生命は、本当の意味で生きて居ない」

記しました。

「霊性の奥の院は、実に大地の坐に在る」

と。『日本的霊性』(岩波文庫/角川文庫)の一章、「大地性」でのことです。

そして、

「人間は大地において、自然と人間との交錯を経験する。人間はその力を大地に加えて、農作物の収穫につとめる。大地は人間の力に応じてこれを助ける。人間の力に誠がなければ大地は協力せぬ。誠が深ければ深いだけ大地はこれを助ける。人間は大地の助けの如何によりて自分の誠を計ることができる。大地はいつわらぬ。欺かぬ。ごまかされぬ」(前掲書)

とします。また、

「大地はまた急がぬ、春の次でなければ夏の来ぬことを知って居る。蒔いた種は時節が来ないと芽を出さぬ、葉を出さぬ、枝を張らぬ、花を咲かぬ、従って実を結ばぬ。秩序を乱すことは大地のせぬところである。それで人間はそこから物に序あることを学ぶ。辛抱すべきことを教えられる。大地は人間に取りて大教育者である。大訓練師である。人間はこれによりて自らの感性をどれほど遂げたことであろうぞ」(前掲書)


そして、「大地と自分は一つのものである。大地の底は、自分の存在の底である。大地は自分である」としました。

さて、私たちは、自己の心に取り組んでいる際に、自己の心の変化や成長を熱望しながらも、自分の中のどうしようもならない自然〉というものにぶつかります。

頭で考えるほどにすっきりと簡単には、自分自身の心の底、存在の底は成長してくれないのです。それらは大地のように、そこにどっしりと存在しています。

心や存在 Being の成長は、自然の成長であり、物事が育成する時間がかかるからです。樹木が育っていくように、四季のめぐりのようにかかるからです。それは、動かせない自然の原理なのです。それと折り合いをつけるしかないのです。
頭で考えてすること Doing のようには、簡単に言うことを聞いてはくれないのです。
しかし、この点にこそ、存在 Being の成長の秘儀があるのです。

たとえば、ゲシュタルト療法など体験的心理療法においては、分裂した複数の自我状態の葛藤を解きほぐし、人格的な統合を高めることを、通常の方法論よりははるかに速やかに行なうことができます。
しかし、それでも、統合が充分に万全に育成するためには、自然や生命の力による育成(成長)の時間は、絶対に必要となるのです。統合の核は、存在 Being であり、すること Doing ではないからです。

そして、その自然のプロセスが、心の力を不思議なくらいに、育て高めてくれるのです。鈴木大拙が、田畑の耕作について語るように、探求と待機に「誠を尽くした」分だけ、強靭でリアルな深みができてくるのです。

かつて、哲学者ニーチェは、本の中でツァラトゥストラに「私は、本当に待つことを学んだ」と語らせました。

私たちは、なかなか成長しない自分の心に、地団太を踏みながら「待つしかない」のです。
しかし、そのことは、甲斐のあることなのです。

そのプロセスを通して、私たちの自意識に近い領域では、待つことという一種の「忍耐の力」「戦士的な技法/力」が育ってきます。能動的な耐性です。
一方、心の深い領域においては、「何かを育てる」という保育的な「女性的な感覚(力)」が育ってきます。自分の心の中身を、農作物のように、守り育てる能力を獲得していくことになるのです。
心と肉体の幅広い領域において、男性性と女性性、両極の力が響き合う中で、存在 Being の力強い果実育っていくのです。

見た目には分かりにくいですが、待ちながら誠を尽くした分だけ、掘り進んだ分だけ、結果的には、自己を超えた豊かでパワフルな収穫が得られていくことになるのです。

ここには、不思議な自然の力が働いています。
私たちは、そのことを、大地から教えてもらうことができるのです。
そのことで、大地の力を信頼してもよいのです。

 

※大地性、気づき、野生、変性意識状態(ASC)へのより総合的な方法論は拙著↓
入門ガイド
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
特に、大地性、日本的霊性については、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

※大地性と多様な変性意識状態についてはコチラ↓
動画「ゲシュタルト療法 変性意識 『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』」