「苦痛な気分」―その構造と解決法

ここでは、私たちが体験する「苦痛な気分」とその解決法について解説していきたいと思います。
心の苦しみは、正しい理解と正しいアプローチを使えば、必ず解決します。
ただ、現代社会そのものが、「苦痛な気分」に対して本質的な理解を持っていないので、医療システムにかかっても、本質的には良くならないということになっているのです。
これは、「現代社会(近代社会)」そのものの問題に起因しているのです。
ですので、学校で教わったような事柄を、そのまま鵜呑みにしている限り、苦しみはなくならないのです。

さて、ここで、苦痛な気分と呼んでいるのは、「不安」「抑うつ感」「憂鬱感」「罪悪感」「自責感」「自信がない」「自己肯定感が低い」「生きづらさがある」などさまざまな気分を指しています。私たちは、人生のさまざまな場面でそれら体験しています。

ところで、私たちがこのような「苦痛な気分」に襲われた時、どうするでしょうか?
通常は、
「気を紛らわす」
のではないでしょうか?

何か別の良いことやポジティブなことを考えて、そのネガティブな気分を振り払おうとします。追い払おうとします。
自分にパワーと肯定感を与えて、明るい気分にするように、元気を出すように仕向けるわけです。
プラス思考でなんとか気持ちを切り替えて、乗り切ろうとします。やりきろうとします。
それで一瞬、気分が良くなることもあります。
しかし、それは正直、しんどい気持ちを残します。
ドーンと落ちる気分を、無理やりパワーで上げる感じとなり、葛藤を感じるからです。
「意識の前面」はいっとき明るくなるのですが、やはり心の底や背後のところには、どんよりした気分を残した形となるのです。

さて、生活や仕事に支障ないレベルの「苦痛な気分」でしたら、上に書いたようにプラス思考で乗り越えて、さして気にする必要もありませんが、この苦痛の大きさが、生活や仕事に支障をきたすまでに大きいようでしたら、これはきちんと対処して、取り除いた方がよいということになります。

そんな時は、心の構造をきちんと理解して、自分の心に働きかけるのが最適なアプローチとなります。

では、心の構造とは、どのようになっているのでしょうか?
上の図をご覧ください。
私たちの心(意識)が、「顕在意識」「潜在意識」に分かれているというような話を、どこかで聞いたことがあると思います。
精神分析を創ったフロイト以降の深層心理学では、私たちの心を「意識」と「無意識」、「顕在意識」と「潜在意識」に分けて考えるものです。

「顕在意識」とは、一般的な言いまわしで、私たちが「意識」という言葉で呼んでいる心理領域のことです。
この思考と知覚の「自意識の領域」です。「この私」の領域です。「〇〇を意識している」「〇〇を意識しながら行なう」と言う場合、私たちはこの顕在意識のことを指しています。

「潜在意識」とは、私たちが、通常の意識では「意識していない(できない)領域」ですが、心の領域としては実在している「意識下の意識」のことです。「無意識」とも呼ばれます。私たちが「無意識のうちに〇〇をしていた」という時、この無意識(潜在意識)を指しています。

そして、深層心理学がよくよく指摘することは、私たちの心の中では、「潜在意識」の方が大きいし、力も強いということです。
私たちは、自分でも「意識できない」無意識の衝動に突き動かされて日々を生きているということです。

そして、ここで重要なことは、さまざまな苦痛な気分とは、この潜在意識の原因からやって来るということなのです。
私たちの「心の苦痛」「苦痛な気分」は、潜在意識によって生み出されているのです。
しかし、その原因が「無意識」の中にあるため、私たちはその原因に気づくことができないという仕組みになっているのです。
結果としての「嫌な気分」だけを体験しているという事態なのです。

上の図にもありますが、潜在意識の中にある複数の欲求(感情)葛藤により、苦痛な気分は生み出されているのです。
例えば、上の図では、私は欲求Aをもって何か(A)を行なおうとしているのですが、潜在意識の中にある他の欲求(感情)がそれを妨害する様子が描かれています。
「未完了の体験」とはゲシュタルト療法の用語ですが、私たちが過去に体験したトラウマにも似たこだわり(とらわれ)の感情を指しています。このこだわり(とらわれ)があると、或る物事を行なおうとした時に、行動や欲求(感情)に苦痛やブレーキが発生します。
また、違う例を挙げると、私は欲求Aをもって何か(A)を行なおうとしているのですが、潜在意識の中に欲求Aに反対する欲求Bがあって、欲求Aを行なおうとすると、欲求Bが作動してきて、私たちは苦痛を感じてそれを行なうことができないのです。そのような際も、私たちは、顕在意識で「苦痛な気分」を体験するだけで、潜在意識にどんな「欲求A」と「欲求B」の葛藤があるかは、よくわかっていないのです。

しかし、このような「心の構造」など、人生の中で、私たちは誰かから教わったことがあるでしょうか?
親や学校から教わったでしょうか?
普通は教わることはありません。(厳密にいうと、高校の時、保健体育の授業で或る理論として少しだけ触れられます)

私たちは、自分の心とは、「この私」「この意識」という主観的な印象、自意識の主体的感覚で生きているのです。
そして、実はむしろ、そのような設定にしたいのです。その虚構を信じたいのです。
ここには、現代社会のある種の文化的抑圧(近代主義の幻想)もあります。

「自意識の世界」だけを、私たちの心、「この世界を生きている自分」としたいのです。

というのも、一方で、世間には、
「心にフタをする」
「心の中を見ないようにする」
というような言い回しがあるように、私たちは心の底の部分では、直観的・野生的に、この潜在意識の存在やその底に黒く溜まっているもののことをよく知っているからです。

しかし、基本的には、心の中は見たくないのです。
そのため、ドヨーンした「苦痛な気分」が出ても、それを「この意識」から取り除くというアイディアしか持たないのです。
暗い気分を振り払おうとするだけなのです。

しかし、「潜在意識」に原因があるため、それはうまくいかないのです。

さて、次の段階は、「潜在意識」の中を見ようとする段階です。
「苦痛な気分」を顕在意識から追い払うだけでは解決にいたらないとわかった私たちは、次に「心の構造」を理解しようとします。
書物を読んで、情報を集め、自分の潜在意識の中に何があって「苦痛な気分」を生み出しているのか理解しようとします。
「なるほど、なるほど… そういうことかもしれないなぁ… そういうこともあるかもしれないなぁ…」と、知的に理解していきます。
そのうち、読んだ本の量や集めた情報は、膨大なものになるかもしれません。
しかし、「苦痛な気分」はなくならないし、軽くなった感じもあまりないのです。
むしろ、本を読んだことで、余計に気分の重さや悪さが増えたりしていることに気づくのです。

というのも、「考える」とか「思考する」とかいう知的機能自体が、潜在意識の欲求(感情)の葛藤を解消するのに役に立たないものだからなのです。
「考える」とか「思考する」は、欲求(感情)とは、別階層(別フロア)にあるからなのです。

というのも、「考える」や「思考する」の機能は、そもそも無意識(潜在意識)の欲求(感情)を抑圧したりするために成長したものだからです。
そのことによって、私たちは、「顕在意識」を達成する(つくり出す)ことができたのです(それはそれで素晴らしい事業でした)。
そのため、その顕在意識の「考える」や「思考する」ことをもって、潜在意識に介入しようという事態自体が、とても逆説的な事態といえるのです。
階層が違うので、土台、無理な話なのです。
(自分の過去の成功体験を、全然場違いな、真逆のところに適用しようとしているビジネスマンのようなものです)

だから、つい最近まで(フロイトの登場まで)、人類は「無意識」や「潜在意識」を発見することも、きちんと向き合うこともなかったのです。
これは、人類史的な「逆説的」事態でもあるのです。

ただ、このように、「考えて」「思考」で、感情(欲求)をなんとかしようとする態度は、現代社会において、普遍的な事柄です。
そのため、ゲシュタルト療法では、これを、「理屈付け」「about-ism(について主義)」と呼びます。
「about-ism(について主義)」とは、○○「について」おしゃべりする態度、間接的な態度です。
私たちは普段の生活の中で、常に、○○「について」おしゃべりをしています。すべて間接的な態度です。
しかし、心「について」いくら解釈や知的なおしゃべりをしていても、心は根本的には何も変わっていかないのです。

では、どうすればよいのでしょうか?

(普段の日常生活のままでは、それはできないことでもありますが)
そのまま「潜在意識」の空間に入っていくことです。
「潜在意識」を直接に体験していくことです。

深い潜在意識の領域に入って、その上で、さまざまな自我状態の欲求(感情)に「感じる/体験する」ことを通して、それらに同一化していくのです。
ひとつずつ順番に、すべての、さまざまな自我状態の欲求(感情)そのものに「なる」のです。
さまざまな葛藤状態そのものを体験し、表出していくのです。
そうすると、そこにはらまれた感情エネルギーが解放されていくことになるのです。
もつれた欲求(感情)がほぐれていくことになるのです。

(この背後の次元では、基底的な微細な気づき awareness による意図/情報の交流も起こっています)
そのように、さまざまな自我状態の欲求(感情)そのものになることで、そのエネルギーが解放され、その葛藤と苦痛が解消されていくことになるのです。

各自我(欲求)状態に同一化するのに重要なことは、「考える」ことではなく「感じる」ことです。
「考える」ことは抑圧と解離を起し、欲求(感情)のエネルギーを発散しなくなるからです。私たち現代人が普段からやっている抑圧的な振る舞いです。
ゲシュタルト療法フリッツ・パールズ「思考を離れ、感覚になれ」といったのはそのような意味からなのです。

ところで、「潜在意識」の空間には、普段の、通常の顕在意識のままでは入っていくことはできません。
そのため、「特別な空間」や「意識状態の変化」をつくり出す必要があるのです。
心理療法(ゲシュタルト療法)のセッション空間とは、そのために設けられているのです。
日常生活の顕在意識にある私たちが、一人で、自分をなんとかすることはできないからです。

このようにして、潜在意識の中の欲求(感情)が解放され、葛藤が解消し、統合が生まれると、顕在意識にある「苦痛な気分」もなくなることになるのです。

さて、このような潜在意識の統合が行なえると、気分も「肯定的な気分」に変わります。

「潜在意識」の方が原因で、「顕在意識」の方は結果でしかないからです。
「顕在意識」には、肯定的で積極的、さまざまな自信に溢れた能動的な気分が満ちてくるということになるのです。

ですので、「苦痛な気分」が大きくある時には、「潜在意識」にダイナミックな葛藤状態があると気づき、それらの原因に手を打っていくことを考えるべきなのです。
そして、潜在意識の欲求(感情)を解放し、葛藤をほどくことが、「苦痛な気分」をなくすのに必要なことなのです。

 

【ブックガイド】
ゲシュタルト療法については、基礎から実践までをまとめたこちら↓
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
気づきや、変性意識状態(ASC)を含むより総合的な方法論については、拙著
入門ガイド
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
および、よりディープな
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

動画解説「苦痛な気分とその解決法」