気づき awareness と自己想起 self-remembering の関係

さて、ゲシュタルト療法においては、とても、「気づき awareness 」の力について特に重視しています。
気づきの3つの領域 マインドフルネス エクササイズ

ゲシュタルト療法の創始者フリッツ・パールズは語ります。

「『気づく』ことは、クライエントに自分は感じることができるのだ、動くことができるのだ、考えることができるのだということを自覚させることになる。『気づく』ということは、知的で意識的なことではない。言葉や記憶による『~であった』という状態から、まさに今しつつある経験へのシフトである。『気づく』ことは意識に何かを投じてくれる」

「『気づき』は常に、現在に起こるものであり、行動への可能性をひらくものである。決まりきったことや習慣は学習された機能であり、それを変えるには常に新しい気づきが与えられることが必要である。何かを変えるには別の方法や考え、ふるまいの可能性がなければ変えようということすら考えられない。『気づき』がなければ新しい選択の可能性すら思い付かない」(パールズ『ゲシュタルト療法』倉戸ヨシヤ訳、ナカニシヤ出版)


サイトの別のセクションでも解説したように、アウェアネス awareness とは、日本語の「気づき」という曖昧な表現では、少し伝わりにくいのですが、
通常の私たちの「思考」「認知」よりも、少し高いレベルの機能ともいえるものです。よく勘違いされ、混同されている「メタ認知」などの凡庸な機能よりも、ずっと高い位置にある機能なのです。そのため、アウェアネス awareness の正しい習熟は、私たちの心の統合機能を全般的に高めていくことになっているのです。
気づきの3つの領域 マインドフルネス エクササイズ
→拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

しかし、今も触れましたが、この「アウェアネス awareness 」ですが、「気づき」という言葉自体が日常的な言葉なだけに、その状態(含意=真意)が、きちんと伝わりにくい(特定できない)という難点があります。

最近、日本においてもマインドフルネス瞑想やヴィパサナー瞑想も大分メジャーになってきて、気づき awareness の重要性が知られるようになってきていますが、それでも、正しく理解されていない要素が多いのです。日本で「マインドフルネス」が広まる立役者でもある、「マインドフルネスストレス低減法」の提唱者カバットジン博士は、端的に「マインドフルネスとはアウェアネス awareness である」と語っています。アウェアネス awareness は、そのような状態・機能であるのです。

さて、ここでは「気づき awareness のさらに先にあるものが何なのか」と仮に補助線を引いてみることで、その途中段階にある「各種の『気づき』の状態」を特定し、それを訓練し、育てていく実践と勘所について見ていきたいと思います。

◆気づき・自己想起・客観意識

そのため、ここでは気づき awareness の状態の(ある要素において)より先にある状態として、ロジアの秘教的な思想家 G・I・グルジェフ Gurdjieff が唱えた「自己想起 self-remembering 」という実践について取り上げてみたいと思います。

グルジェフ自身は、スーフィー系の秘教的なスクール出身のため、その修行システムの体系には、なんとも判断しがたい奇妙な宇宙論が含まれているのですが、それを脇に置いて(象徴神話と考えて)その実践的な心理学を取り出すだけでも、彼の思想と実践は、心理療法的な見地からも充分示唆に富む深い内容となっているのです。

ところで、変性意識状態(ASC)という言葉を有名にしたアメリカの心理学者で、意識の諸状態の研究家チャールズ・タート博士は、そのようなグルジェフの実践システムについて、心理学的な知見から『覚醒のメカニズム』(吉田豊訳、コスモス・ライブラリー)という興味深い本をまとめています。

今回は、そこで描かれている自己想起 self-remembering の特性や原理・構造を見ていくことで、気づき awareness  に必要な状態(階層、強度)が、どのような状態であるのかについて見ていきたいと思います。

それというのも、気づき awareness は、訓練の果てに成熟していくとだんだんと、自己想起 self-remembering の状態に近似した様態も現れるからです。

逆にいうと、自己想起 self-remembering とまったくかけ離れている気づき awareness は、まだ非常に微弱な段階にある幼い(柔弱な)気づき awareness の状態であるということでもあるのです。

ところで、自己想起 self-remembering とは、その名の通り「自分のことを思い出している状態」のことです。
重要なポイントは、ただ思い出すだけではなく、普段の日常生活の中で、何かを別の事柄を(没頭的に)行なっている時に、それを行ないつつ「このことを行なっているのは私である」と、自分の存在自身に離脱的、恒常的に気づいているという状態のことなのです。

つまり、生活の中で、自分の存在に、つねに今ここでずっと気づいている awareness という状態なのです。
たとえば、この文章を読みつつ、読んでいる自分自身の存在にも気づいていることです。
「読んでいる意味内容」をくみ取りながら「読んでいる私(自分自身)の存在」にも気づいていることです。

ウスペンスキーは、「注意力を「対象」と「自分自身」に分割する」と表現しましたが、そのような状態です。
(本当は、正しく言うと、対象と自分自身を等しく透過する「目撃者 witness」に近づいていくということです)
これを実際に行なってみると分かるように、この状態を持続的に長時間維持していくことは、至難の業です(不可能です)。
そのような自己想起 self-remembering が、気づき awareness の状態の先にあることの意味が少し分かるかと思います。
実際、自己想起 self-remembering を意識すると、気づき awareness の状態も、ずっと練度と力を増したものになっていくのです。

ところで、この自己想起の体験内容(人生を一変させる、めざましい覚醒感)を表現するのも至難の業です。しかし、これは自己想起を説明しようとする、すべての人が逢着する地点なのです。

自己想起について、さまざまに解説した後、タート博士は述べています。

「私はこれらの言葉に満足していない。けれども私は、自己想起のなんらかの体験をした他の誰かには、かなりよくこれらの言葉の意が伝わることを知っている。」(前掲書)

「気づき awareness 」についても、そのような伝達の難しい側面を持っていることは分かるかと思われます。
自己想起は、それがより強まったものでもあるのです。
ここからも、気づきと自己想起の親近性が類推されると思います。

◆自己想起の困難

自己想起はまた、実践が難しいものです。
短時間、自己想起できても、私たちはすぐにその実践を忘れてしまいます。
しかし、その努力こそが重要なのです。アウェアネス awareness の力を高めるのに役立つのです。
そもそも、その難しさのひとつの要因は、力とエネルギーに属することにもあります。
タート博士は述べています。

「自己想起の初期の難しさを理解するのに役立つ類比がある。われわれの注意力は筋肉―われわれの心的機能があまりに自動化してしまっているので、自分の側のなんの努力もなしにわれわれの注意をその自動的な通路に沿っていともたやすく運んでくれるため、ほとんど使われることのない、そういう筋肉―のようなものである。今あなたはそのたるんだ筋肉を意図的な注意のために使い始めているのだが、しかし意図的な努力に慣れていないので、それはすぐに疲れてしまうのである。」(前掲書)


また、慣性によってすぐ自動化する私たちの心の普段のふるまいに合わないからだともいえます。グルジェフは、心の自動化を防ぐため(常に目覚めるため)、自己想起を重視したので、当然といえば当然なわけです。

「困難は、必要とされる注意力と努力の連続性を維持することにある。私の経験では、自己想起は自動的にはなりえない。あなたは常に、それを意志的に行うことに、意図的で意識的なわずかな努力と注意を当てなければならないのである。」(前掲書)

そして、このこと自体が、グルジェフの狙いでもあるのです。

◆自己想起の存在論的な強度

たとえばタート博士は、以下の文にあるように、自己想起の実践(感じること、見ること、聞くこと)で起こる感覚を、「透明さ」「より敏感で、より存在しているという感じ」と呼んでいますが、多くの人が自己想起の中で、そのような濃密化する存在感を感じとるのです。

「人々が『感じること、見ること、聞くこと』を初めて試みる時、彼らは、しばしば、ある種の微妙な透明さ―その瞬間の現実に、より敏感で、より存在しているという感じ―を体験する。それは、合意的意識では味わうことができず、また、事実、言葉では適切に述べることができない、そういう種類の透明さである。たとえば私は、それを『透明さ』と呼ぶことにさえ自分がいささかためらいを感じているのに気づく。と言うのは、その言葉は(あるいは、それに関するかぎりでは、いかなる特定の言葉も)それ(透明さ)が安定した、変わらない体験であることを含意しているからである。それはそうではない―バリエーションがある―のだが、しかしそのことは、あなたがこの種の自己想起を実践すれば、自分で発見するであろう。」(前掲書)

これは、ある種のマインドフルネスで、人がはじめのうち新鮮に体験する領域と近いものでもあります。
ちなみに、ここで「合意的意識」と呼ばれているのは、既成の社会の集合的合意によって、催眠をかけられている、普段の私たちの日常意識のことです。「合意的トランス」とも呼ばれたりしています。
催眠の専門家でもあるタート博士は、グルジェフと同じ意見で、私たちの日常意識とは、社会集団が、成員に押しつけたい合意的な信念(ビリーフ)によって、催眠をかけられている状態であると喝破しているのです。
そして、その催眠を解くには、自己が同一化している、さまざまな自動的な自我状態に、刻々気づく自己想起の状態が必要であるとしているわけです。

自己想起が育つことで、私たちは、自分の自動化に気づき、そのパターンを中断し、より意識的な統合をなしていくことができるわけなのです。

◆自己想起の構造・原理・効能

さて、そのような私たちの催眠にかけられた複数の自我状態(副人格)と、自己想起 self-remembering の構造的関係を次に見てみましょう。
ゲシュタルト療法における気づき awareness と、複数の自我状態を扱うワーク(セッション)のアプローチと大変近いことが分かると思います。

「基本的に、自己想起は、とりわけ、任意のいずれかの時のあなたの意識の特定の中身と同一化せず、あなたの全体性の跡をつけていくことができる、そういう意識の一側面を創り出すことを伴う。それは、合意的トランスからの部分的ないし完全な覚醒である。」(前掲書)

また、「自己観察」と対比しつつ、自己想起の特性を以下のように述べます。

「自己想起でも同じ内容の世界および体験を観察することができるが、しかし、観察のレベルまたは源泉が異なる。注意を分割し、それによって、両腕両脚中の感覚のような何か他のものに同時に注意を留めながら、通常よりもずっとよく観察いられるようにすべく行使される意図的な意志は、普通の心の外側のレベルで作用する機能を創り出す。あなたは起こりつつあることに心を奪われない。あなたが―『独立して』という用語が通常用いられているよりもはるかに大きな意味で―独立して存在する、そういう仕方があるのだ。」(前掲書)

ここでも、「普通の心の外側のレベルで作用する機能」「あなたは起こりつつあることに心を奪われない」「独立して存在する」と、自己想起のつくる心的機能の新しい支点(中心)が、私たちの自動化を超克する機能として指摘されています。

「自己想起とは、われわれの分離した諸機能をより統一された全体へとまとめ上げることをさす用語である。それは、あなたという存在の(理想的には)全体、あるいは、少なくともその全体のいくつかの側面が、意識の詳細と同時に心に留められるような仕方での、意識の意図的な拡大を伴う。それは、われわれの知的な知識はもちろん、われわれの身体、われわれの本能、われわれの感情を想起することであり、それによってわれわれの三つの脳の発達と機能の統合を促進するのである。このより広い範囲に及ぶ注意は、われわれが体験の詳細に熱中し、それらの詳細およびそのような熱中に伴う自動化した機能と同一化することを防いでくれる。通常の自動化した同一化と条件づけのパターンの外側に意図的な意識の中心を創り出すことによって、われわれは、より多く目覚め、より少なくトランス状態に陥っている自己―主人のための土台―を創り出すことができ、それによってわれわれはより良く自分自身を知り、より効果的に機能することができるのである。」(前掲書)

さて、ここでは、自己想起の狙いでもある「意識の意図的な拡大」が指摘されています。
私たちは、そのような意識の拡張を通して、分裂と自動化を超え、より統合した存在に近づいていくのです。
このような構造にも、ゲシュタルト療法当スペースが記している方法論との共通点がうかがえるかと思います。
実際、ゲシュタルト療法に、グルジェフの観点を持ち込むことは、大変、益の大きなことなのです。

また、このような構造的連関で見ていくと、気づき awareness と言われている状態に、自己想起 self-remembering と同じく、どのような強度が無ければならないのかという前段(冒頭)の論点もより見えやすくなってくるのです。
そのような意味でも、この自己想起 self-remembering の視点は、気づき awareness を考える上でも、大変参考になるものともなっているのです。

そしてまた、興味深いことは、グルジェフ自身はこの自己想起の成長の先に「客観意識」という次の状態があることも示唆しているという点です。
(彼にとって、自己想起とは中継点、初歩の地歩を得る手段でしかありません)
自己想起は、まだ不安定な状態ですが、それが確固として得られたその先の状態があるとしているのです。
インドの瞑想思想が教える「目撃者 witness 」(私ではない「誰か」が見ている)という段階に通ずる考えです。
そのような観点(考え方)も、本書で扱っている意識の階層構造の仮説と通ずるものがあり、意識の地図(航海図)を構成する上で、また実践を進める上での興味深いヒントとなるものなのです。
実際、アウェアネス awareness のさきには、そのような「目撃者 witness」の領域が存在しているのです。
そのため、気づき(アウェアネス) awareness を鍛えていくことは、それだけに終わらない未知の領域を、私たちに見せてくれることになるのです。

 

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※気づきや統合、変性意識状態(ASC)へのより総合的な方法論は拙著↓
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『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
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