さて、現代の生活において、個人の体験の中で「物事をインプットすること」と「物事をアウトプットすること」を較べた場合、「インプットすること」の方が圧倒に多いのではないでしょうか。
一般に、私たちの中では、何かを享受して時間を消費することの方が、大勢を占めているのではないかと思われます。現代は、何もせずとも、膨大な物事や情報を与えられてしまう環境になっているからです。
しかし、このことは、私たちから「生きる力・創造力」を奪ってしまうことでもあります。
個(個人)が生きる能力を拡充させるという点で考えた場合、アウトプットする(外に出す)ことを鍛えることこそが、私たちの生存力、生きるサバイバル能力を、高めていくといえるからです。
これは単に、打算的に、収入を増やすクチを多くするという浅はかな意味ではありません。
インプット、つまり、他からの享受ばかりをしていると、私たちは、自己の内にあるものを生成させていく能力や、自らを乗り越える力を退化させていくことになるという意味です。
反対に、アウトプットする(外に出す)ことは、自己の内部にあるリソース(資源)やスキルを育て、絞り出し、他者に価値として展開していくという意味合いで、つねに「自己の価値」や「自己の限界」に直面する作業となります。
そこにおいては、自己の人生経験の中身、スキルや能力が問われ、独立性や自立性の程度(価値)が問われることになるのです。
「お前は、何者であるのか?」と問われるわけなのです。
そのため、アウトプット(外に出す)の作業に取り組むことは、自己の限界を知り、自己を超えていこうとする局面に、つねに人を直面させることとなるのです。
(これは、実は、即興演奏などにおいても、同様の局面があることなのです。
→キース・ジャレットの覚醒と熱望 グルジェフィアンの面影)
ところで、人間が、元来、大自然 nature の中で、サバイバルして生きている時代には、そのような局面に、いつも直面していたわけです。
自然界は、人よりも巨大かつ複雑、過剰な存在であり、いつも予測不能な力で、人間に襲いかかって来たからです。
簡単に命を奪われたからです。
そこにおいては、人は、つねに、自己超出的、自己刷新的でないと生き残れなかったからです。
現代でも、山奥の自然などに入っていき、文明的な補助を失ってしまうと、人は、自分の脆弱さを痛感することとなります。
そのような意味合いで、アウトプットに軸足をおいて、日々の生活や人生に対して、自己の限界に接して生きることは、自己超出や創造性開発の錬磨として、とても重要な姿勢であるのです。
さらには、アウトプットには、元となる栄養素としての、インプット(経験や技能)も必要なのですが、上記のようなサバイバル的錬磨は、私たちに、必要なインプットを探し出す、狩猟的な逼迫性、的確な感度(判断力)、世の中で流布されているマヤカシの情報を回避する感度を、与えてくれることにもなるのです。
そのような意味合いで、真にアウトプットしていくということは、私たちに、より本来的な野生の力と創造力をもたらしてくれることになるのです。
【ブックガイド】
気づきや変容、変性意識状態(ASC)を含むより総合的な方法論については、
拙著
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。
ゲシュタルト療法については基礎から実践までをまとめた解説、拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧ください。