アウトサイダー・アートと永遠なる回帰

Adolf Wölfli
Adolf Wölfli
Adolf Wölfli

「アウトサイダー・アート」とは、正規の芸術的訓練を受けていない、障害を持った方や犯罪による受刑者などさまざまな人々によって作られた風変わりな芸術ですが、その「アウトサイダー・アート」には、独特な魅力があります。

その魅力を語る決定的なロジックがないにも関わらず、
多くの人がそこに強い魅力を感じるのは、アウトサイダー・アートが、私たちの心や精神に働きかける「独自の要素」があるからだと思われます。
それは、アウトサイダー・アートがひき起す眩暈のような性質であり、私たちに変性意識状態(ASC)意識拡大(サイケデリック)についてのさまざまな触感を味わわせてくれる要素にあると思われるのです。

筆者にとって、アウトサイダー・アートの魅力とは、まず第一に、その植物や昆虫のような原初の自然を予感させるようなその無尽蔵さにあります。
植物や昆虫のような尽きることのない多産さ、豊穣さです。
とりわけ、その夢魔のように終わらない「反復性」です。
同じ作品内における形態の反復もそうですし、同じ(ような)作品を、何千枚何万枚も作り続ける無尽蔵の反復エネルギーです。
一種、非人間的なエネルギー、自然と野生の抑制のない徹底的なエネルギーを感じさせます。

実は、それこそ私たちを駆り立てる変性意識状態(ASC)夢見の力のある種の性格・特性と考えられるからです。
そのため、アウトサイダー・アートの終わりのない反復性・回帰性に触れていると、私たちは一種、変性意識状態的な別種の意識をまざまざと感じさせられるような気になるのです。
夢魔のような変性意識状態(ASC)巻き込まれていくのです。

ところで、かつて哲学者のハイデガーは、ニーチェの永劫回帰(永遠回帰)の思想について、それを「等しきものの永遠なる回帰」と呼びました。
ニーチェの永劫回帰の思想とは、「今ここの出来事が、この瞬間の体験が、まったく変わらぬ姿で永遠に回帰する」という夢魔のように容赦ない存在肯定の思想です。
というのも、もし、すべての体験が回帰してしまうとするなら
(それを拒絶や否定をしても甲斐がないことであるので)、私たちはそれを受け入れ、かつ肯定するしかなくなるからです。

そのため、ニーチェは作品の主役ツァラトゥストラに、「救済」とは、過去の「そうあった」を「私がそう欲した」に変えることだ、と語らせたのでした。
私たちが、永劫回帰を生き抜くには、耐え難く変わらない今ここを力で追い抜いてしまうくらいの肯定性の強度が必要となるからです。
そして、アウトサイダー・アートのある部分には、たしかに「等しきものの永遠なる回帰」と似た、生の容赦なく厳粛な肯定性、生命の容赦ない無尽蔵さがあるのです。
それは、人間的な限界を超えた野生の無尽蔵さ・反復性なのです。

さて、魅力の第二の点としては、その「徹底的な直接性」という要素があります。
これは、植物的・昆虫的な無尽蔵さ、そのナマの絶対的な肯定性とも一部重なりますが、文化に飼いならされていない剥き出しの直接性と無尽蔵さを感じさせられる点です。
生(なま)の沸騰の感覚です。
創造性の根底にある容赦ない〈自然〉の直接性を感じさせられる点です。

そして、上記の二つの眩暈を通して、私たちは不思議な〈郷愁〉に導かれるのです。
それは、幼児の物心つくかつかない頃に感じていた世界のようです。
その原郷の風景は、私たちが成長する中で、現代の文化的コードに編みこまれる中で見失われてし
まいました。
しかし、現在でも、このような生の基底部の感覚を、生の原型の姿(原風景)として、私たちは遠い深層意識に持っているのです。
さまざまな変性意識状態(ASC)意識拡大(サイケデリック)体験、夢の世界を通して、私たちはそれらの世界に触れられているのです。
アウトサイダ・アートの世界は、そのようなことを私たちに思い出させてくれるものなのです。

 

【ブックガイド】
ゲシュタルト療法については基礎から実践までをまとめた解説、拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧ください。
気づきや変容、変性意識状態(ASC)を含むより総合的な方法論については、
拙著
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。