【内容の目次】
- はじめに 変性意識の事例とその活用
- 「変性意識」が広く認知された時代背景―サイケデリック・カルチャー
- 「変性意識状態(ASC)」とA.マズロー(トランスパーソナル心理学)
- 「潜在意識」という胡散臭さ
- 変性意識状態(ASC)と心の変容(体験的心理療法)
- 変性意識状態(ASC)とはⅠ 入り方
- 変性意識状態(ASC)とはⅡ 意識のチューニング
- 変性意識状態(ASC)の治癒効果と超越的状態
- 変性意識のもたらす変容と、人生で活かす方法
- 参考文献
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1.はじめに 変性意識の事例とその活用
人間の潜在能力の開花や、秘められた才能の解放、また、心のセラピー(体験的心理療法)における癒しの効果、さらには超越的な能力/意識の発現まで、人間の潜在能力をあつかう切り口として、「変性意識状態(ASC)」という、とても有意義な「意識状態」があります。
変性意識状態(ASC)は、ほとんどの人がそのことを知らずに一生を過ごすものですが、それらを実際にあつかえるようになっていくと、私たちの創造力は大きく開発され、人生は一変していくこととなります。現在、世間一般で信じられている能力の限界とは、まったく違う、想像を超えたリアリティ(才能)が開いていくことになるのです。
しかし、実際問題として、浅いリラックス程度の変性意識状態をいくら体験していても、当然、それだけでは人生を変える方法論にはなりません。最近は、そのような誤った風説も多く見受けられますので、ここでは、「本当の」変性意識の構造と活用法について、以下でいろいろと解説していきたいと思います。
「変性意識状態 Altered states of consciousness 」とは、1969年にカリフォルニア大学の心理学者チャールズ・タート博士の編著により有名になった「意識状態の定義」です。
私たちのこの「合理的・論理的・理性的な日常意識」以外のさまざまな意識状態を指した言葉(総称)です。
「日常意識」以外のさまざまな意識状態―瞑想状態、催眠状態、飲酒による酩酊状態、宗教儀式などのトランス(入神)状態、夢、薬物によるサイケデリック(意識拡張)体験、宗教的な神秘体験など―を指した言葉です。広くとると、臨死体験(NDE)、体外離脱体験(OBE)、また俗に世間でいう「ゾーン ZONE」と呼ばれている「フロー体験 flow experience 」なども、これに含められると考えてよいでしょう。変性意識とは、それ自体では特に良いものでも悪いものでもない、価値中立的な、日常意識以外の意識状態という意味合いです。
しかし、概念的なお話をしていても、少しイメージがつかめないと思うので、実際にいくつか、変性意識状態の事例(体験報告)を紹介してみたいと思います。
変性意識には、非常に多岐にわたるタイプがあるので、ご紹介するものもほんの一例です。
ただ、イメージをつかみやすいように、少し極端なタイプのものを選んでいます。
しかし、すべての変性意識状態(ASC)が、このような極端な形を持つのではありません。お酒に酔っている状態や、睡眠中の「夢」なども、変性意識状態ですので。
最初の事例は、人が死にかけた時に体験する、「臨死体験(NDE)」の体験報告です。この若い女性は交通事故に遭ったのです。
「強いショックとともに車がトラックにぶつかったのは、ちょうどそんなときでした。車が止まったので、あたりを見廻すと、奇蹟的に自分がまだ生きていると気づきました。それから驚くべきことがおこりました。めちゃくちゃになった金属のなかに坐っていた私は、自分の身体が形を失って融けはじめるのを感じたのです。私のまわりにいる警官、破損した車体、鉄梃で私を救い出そうとしている人びと、救急車、近くの垣根に咲いている花、そしてテレビのカメラマンなど一切のものと、私は融合しはじめたのです。負傷したと感じ、傷を負ったところがみえてもいましたが、それは自分と何の関係もないと思われました。負傷した部分は、身体以外に多くのものをつつんで急速に拡がっている網状組織のほんの一部分にすぎなかったのです。太陽の光が異常に明るく黄金色に輝き、世界全体が微光を放って燦然たる美しさでした。私は自分をとり巻くドラマの中心にいて至福を感じ、豊かさに満たされ、数日間はそのような状態のまま病院で過ごしました。(中略)自分という存在が、一定の時間内に枠づけられた、限定的な肉体という概念を超えているように感じるのです。自分自身がより大きな、制約されない、創造的な、まさに神聖とも言うべき宇宙の網の目の一部分であるように思うのです」
スタニスラフ・グロフ 山折哲雄訳『魂の航海術』(平凡社) ※太字強調引用者
臨死体験においては、このような体験報告が非常に多くあります。私たちの「意識 consciousness」が、「いつもの自分」の範囲を超えて拡大していってしまうという出来事です。臨死体験の中においては、これは多く見られるパターンです。これも、変性意識状態(ASC)のひとつです。
次の事例は、幻覚剤を使ったサイケデリック(意識拡張)体験についての報告です。
「…私が眼にしていたもの、それはアダムが自分の創造の朝に見たもの―裸の実在が一瞬一瞬目の前に開示していく奇蹟であった。イスティヒカイト。存在そのもの―エクハルト(※ドイツの神秘家)が好んで使ったのは、この言葉ではなかったか?イズネス、存在そのもの。(中略) …私は花々を見つめ続けた。そして花々の生命を持った光の中に、呼吸と同じ性質のものが存在しているのを看たように思った―だが(中略)、その呼吸は、美からより高められた美へ、意味深さからより深い意味深さへと向かってだけ間断なく流れ続けていた。グレイス(神の恩寵)、トランスフィギュレーション(変貌、とくに事物が神々しく変貌すること)といったような言葉が、私の心に浮かんできた。(中略) 神の示現、至福の自覚―私は生まれて初めて、これらの言葉の意味するものを理解した」
ハックスレー『知覚の扉』今村光一訳、河出書房新社 ※太字強調、注釈引用者
ハクスリーは、この体験当時、すでに著名な作家であり、この本は、後代のサイケデリック・カルチャーに大きな影響を及ぼすことになりました。「サイケデリック体験」は、変性意識状態(ASC)を理解するのに、とても典型的な体験でもあるので、別のセクションもあわせて、ご参考いただければと思います。
→サイケデリック psychedelic (意識拡張)体験とは何か
次の事例は、ヨーガでの瞑想する中で起こった神秘的な体験の報告となります。
「クンダリニー覚醒」の体験です。今、世間、ネットに出回っている「クンダリニー覚醒」の話は、ニセモノの話がほとんどなので、興味ある方は、ゴーピ・クリシュナの古典的な本に実際にあたってみることをお勧めします。クンダリニーが存在している、本当の別次元の深さが垣間見えると思います。
このありさまをはっきり伝えるのは難しい。私は一点の意識となり、広々とした光の海の中にひたっていた。視界がますます拡がっていく一方、通常、意識の知覚対象である肉体が遠くにどんどんひきさがっていって、ついに全くそれが消え去ってしまった。私は今や意識だけの存在になった。身体の輪郭もなければ内臓もない。感官からくる感触もなくした。物的障害がまるでなくて、四方八方にどこまでも拡がる空間が同時に意識できるような光の海につかっていた。
私はもはや、私ではなくなっていた。もっと正確にいえば、私は肉体の中に閉じこめられた点のように小さな意識ではなかった。点にしかすぎない肉体を包みこむ大きな意識の輪が私であった。そして筆舌につくせない歓喜と至福の明るい海に没入していった。ゴーピ・クリシュナ『クンダリニー』中島巖訳(平河出版社) ※太字強調引用者
さて、次の事例は、俗にZONE(ゾーン)とも呼ばれる「フロー体験 flow experience 」を、偶然、自然発生的に体験した人物の報告です。
この人物は、登山中に滑落して、切り立った絶壁の中に取り残されてしまいました。そして、極限状況で、もはやその斜面を降りざるをえなくなった場所、普通では下降不可能な絶壁を降りていく中で、「不思議なフロー状態」に入っていきました。いわゆる「火事場の馬鹿力」というか、潜在能力/潜在意識が、爆発的に現れた事例となっています。少しわかりづらい表現です…
その下降中に“何か”が起こったのだ。それからずっと、そう、今日に至るまで、そのとき一体何が起きたのか、僕は考え続けている。しかし、これほど不可解で強力なインパクトはそれまでになかったものだった。
気がつくと僕は普通では到底不可能なことを、いとも簡単にやりのけていた。ネバの絶望的に垂直な壁を降りながら、いくつもの、いや何十もの不可能事をやってのけていたのである。それもひどい怪我と、ショック状態の中での話だ。僕は恰もヒョウやヤギのように、非のうちどころない、しっかりとした足どりで下降(クライム・ダウン)していた。崩れかかった岩の急斜面に手足をかけると、その都度、岩が崩れ落ちるほどの場所だ。それはダンスだった。ワン・テンポ遅れると命取りになるダンス……花崗岩についた薄氷に指をかけて体を支える。氷は音をたてて砕けるが、そのときにはもう、僕の体は先に進んでいる、という具合だった。(中略)
次は垂直に切り立った岩壁だ。手足の手がかり(スタンス)となるところはどこにもなかった。高度差は四~五メートル。僕はけし粒ほどの花崗岩にしがみついて――ありえないことのようだが、僕は本当にそうしたのだ――下降し、氷の消えた岩棚(レッジ)に立った。これは戸棚に入って、散弾銃の弾丸を避けるようなものだ。重力に抗い、アクロバチックな動作を繰り返しながら下降したのだった。
(中略)僕は自分の限界を知っていた。この下降は、僕の技量的限界を遥かに上まわっていたのだ。心のある部分は恐怖と疲労に震え、助けを求めて叫んでいた。この荒涼とした岩場から、どこでもいいから他所へ連れて行ってくれと叫んでいたのだ。だが別の部分は反対に、自信に溢れ、気狂いじみた喜びに充たされて、動物的な生存のためのダンスを大いに楽しんでいたのである。(中略)
そのときの僕なら三〇歩離れたところから、松の葉で蚊の目を射抜くことさえ絶対できたはずであると、今も確信している。ロブ・シュルタイス『極限への旅』近藤純夫訳(日本教文社) ※太字強調引用者
さて、変性意識状態(ASC)のさまざまな体験事例を見てみましたが、いかがでしょうか? みな奇妙で、不思議な意識状態ではないでしょうか?
しかし、歴史をいろいろと見ていくと、このように変性意識の事例は、山ほど存在しているのです。
ということは、普段の私たちになじみがないだけで、このような事柄は、それほど不思議なことでもないということなのです。
では、上記のような意識状態の時、私たちの中で、いったい何が起こっているのでしょうか?
どの事例においても、共通点として、「従来の『私』」という感覚が希薄になり、それが超越され、「別様な『誰か』」に変容(変性)していることがおわかりいただけるのではないかと思います。
なぜ、このようなことが可能なのでしょうか?
このようなことが起こるということは、それを可能にしている「意識の構造」が、ちゃんと存在しているということなのです。
そして、私たちの〈意識〉の構造が、実は、日常意識の背後に、そういう隠された構造を持っているということなのです。
実際に、さまざまな変性意識状態の体験を経ていくと、この構造も、少しずつ理解できてくるのです。
ただ、このような変性意識状態を、単に、偶然の出来事として体験するだけなら、あまり、私たちの能力になりません。
しかし、変性意識状態を、意図的に体験できるようになり、私たちの日常意識との間に、感覚的・知覚的な統合(つながり)を持てるようになると、それらは私たちの能力となります。人生は、想像を超えたものに変容していくことになるのです。
その時に、私たちの人生は、ずっと多次元性を持った、まばゆく光明にみちた、豊かなものに変容していくことになるのです。
その能力に習熟し、活用(制御)可能なものにしていくことは、私たちの人生に計り知れないものを与えてくれることになるのです。
さて、このような変性意識状態(ASC)について、胡散臭い人々だけではなく、まじめな哲学や宗教の中でも、考察されてきました。
アメリカの有名な哲学者ウィリアム・ジェイムズは、その古典的な名著『宗教的体験の諸相』の中のよく引用される文章の中で、以下のように書き記しています。
「…(それは)私たちが合理的意識と呼んでいる意識、つまり私たちの正常な、目ざめている時の意識というものは、意識の一特殊型にすぎないのであって、この意識のまわりをぐるっととりまき、きわめて薄い膜でそれと隔てられて、それとまったく違った潜在的ないろいろな形態の意識がある、という結論である。私たちはこのような形態の意識が存在することに気づかずに生涯を送ることもあろう。しかし必要な刺激を与えると、一瞬にしてそういう形態の意識がまったく完全な姿で現れてくる。それは恐らくはどこかに、その適用と適応の場をもつ明確な型の心的状態なのである。この普通とは別の形の意識を、まったく無視するような宇宙全体の説明は、終局的なものではありえない。問題は、そのような意識形態をどうして観察するかである。―というのは、それは正常意識とは全然つながりがないからである。(中略)いずれにしても、そのような意識形態は私たちの実在観が性急に結論を出すことを禁ずるのである」
ジェイムズ『宗教的体験の諸相』桝田啓三郎訳(岩波書店) ※太字強調引用者
さまざまな心の研究とともに、彼自身の変性意識体験より導かれた結論ですが、私たちの知る世界と変性意識状態について考える際にひとつの指標となる考え方です。私たちが、唯一の「正常」「普通」と考えているような「この意識」状態は、決して唯一のものでもなければ、正統なものでもないことを、むしろ、任意で「特殊」なものでしかないということを指摘しているわけです。
もっとも、ジェイムズは、一世紀ほど昔の、現代アメリカ人としてこのような書いているわけで、ここで前提されている「合理的意識」「私たちの正常な、目ざめている時の意識」とは、西洋近代社会における「意識」のことです。西洋哲学の、フッサールの「現象学」などで考えられている「意識」「自意識」です。
しかし一方、東洋思想(非西洋)の世界には、古来より、それ以外の「多様な意識の形態」が知られており、瞑想的実践とともにさまざまに探求されていました。
ただ、私たち日本人は、東洋人にも関わらず、西洋近代主義思想の中で学校教育され、生活していますので、ジェイムズの言葉をそのまま受け入れるようにもなっているわけです。
(ちなみに余談ですが、ジェイムズは、現代日本でのあまり人気はないようですが、深層心理学者ユングなどにも感銘を与え、重要な哲学者ホワイトヘッドによって「端倪すべからざる天才」と呼ばれたような、興味深い哲学者です)
2.「変性意識」が広く認知された時代背景―サイケデリック・カルチャー
まずはじめに、そもそも、なぜタート博士が「変性意識状態(ASC)」などという概念(意識状態)を取り上げたのか、またその考えが世間で注目され受け入れられたのかという、当時(1969年)の時代背景と歴史的な文脈を少し見ておきたいと思います。
日本では、このあたりの文脈的理解や実体験が薄いので、変性意識状態が、興味本位の娯楽か、もしくは安っぽい自己啓発的なネタで終わってしまっているのです。
しかし、実は、この変性意識状態の探求は、大きな歴史的文脈では、私たち人類の意識変容(進化)に関わる、とても重要な意味を持っているものといえるのです。
1969年、心理学者C.タート博士による編著が生まれた背景には、当時のアメリカ、特に西海岸で隆盛していた文化的思潮・流行と関係がありました。現在では、「ヒッピー・カルチャー」「サイケデリック・カルチャー」「カウンター・カルチャー」など呼ばれた文化的思潮です。「サイケデリック」自体については、別セクションで詳しく書いているのでそちらをご参照ください。
→「サイケデリック psychedelic (意識拡張)体験とは何か」
(ビートルズのジョン・レノン John Lennon は、1967年当時のことを思い出して、「当時は、ナニがナンでも「ヘイト・アシュベリー」に行かなければならないと思っていたことを回想しています。当時、ヘイト・アシュベリーはサイケデリック・カルチャーの中心地、聖地でした。ビートルズ・ファンの間では、ジョン・レノンが、ティモシー・リアリ―(ハーバード大学)の The Psychedelic Experience という本からインスピレーションを受けて、Tomorrow Never Knowsという曲を書いたのは有名な話です)
さて、そんな、サイケデリック・カルチャー、ヒッピー・カルチャー、カウンター・カルチャーなどの思潮をつくり出した最大の原動力は、当時、多くの一般の人々が、実際に「サイケデリック psychedelic 体験」を持ったということでした。
この時代に育った、典型的な人であった(アップル社の)スティーブ・ジョブズも、自伝の中で、自らの幻覚剤LSD体験を「人生でもっとも衝撃的な体験のひとつ」として回顧しています。そして、それが後に彼を、禅へと導くことにもなったのでした。彼の禅へのコミットメントは生涯にわたるものになりました。
(イーロン・マスクのケタミン使用なども、このような文脈のうちにあるのです)
さて、当時は、治療用幻覚剤のLSDなども合法でした。そのため、リアリーたちは、これを精神解放のためのツールとして喧伝したのでした。そして、多くの一般の人々が、強烈な変性意識状態(ASC)、意識の拡張した状態を実際に体験したことが、その文化的流行をつくり出したのでした。
頭で考えられた思想ではなく、個々人の直接的・個人的体験、意識変容体験によって、従来の世界と違う「極彩色の異次元的世界」に実際に触れたことが、この流行の駆動力となったのでした。
ちみなに、サイケデリックな薬物は、娯楽用のドラッグではなく、精神医療で使われていた薬材でした。また、さらにその起源を言うと、そもそもは、西洋社会で乱用される以前にも、世界中のシャーマニズムの中では、天然のプラント・メディスン(薬草)が宗教儀式で使用されており、癒しや霊性開発の重要なツールとして、長い歴史的な伝統をもっていたのでした。
→「サイケデリック・シャーマニズムとメディスン(薬草)の効果―概論」
→「アヤワスカ―煉獄と浄化のメディスン(薬草)」
→「さまざまなメディスン(薬草)の効果―マジック・マッシュルーム、ブフォ・アルヴァリウス(5-MeO-DMT)」
→海外より(その1)―サイケデリック・シャーマニズムと体験的心理療法
→海外より(その2)―プラント・メディスンと、サイケデリックな自己探求
さて、そのような流行の中で、当時多くの人が、サイケデリック体験をもったがために、素直な「問い」が生まれたのでした。
「この体験は、何を意味しているのだろう?」
「この体験した世界は、何なのだろう?」
と、問いが生まれることになったのです。
そのようなサイケデリックな体験は、それまでの西洋近代主義や合理主義的な世界観では理解できない世界だったからです。
そのような答えを求めて、多くの人々が東洋的瞑想や新しい体験的心理療法に興味をもったのでした。
ティモシー・リアリーは、チベット仏教の世界観を下敷きについて本を書き、仲間のリチャード・アルパートはインドに行き、グル(導師)に出会って、「ラム・ダス」として戻ってきたのでした。
そのため、これらさまざまな不思議な意識状態を定義して、きちんと理解したい、とらえたいという欲求が、当時の人々にあったのでした。
心理学者タート博士の仕事と「変性意識状態(ASC)」の概念の提示は、そのような時代の要望に応えるものだったのです。そして、その結果、「変性意識状態(ASC)」という概念もひろく受け入れられることになったのです。
そのため、変性意識状態(ASC)という言葉は、サイケデリック体験だけでなく、当時、西洋社会では目新しかった「東洋的瞑想」や「ヨガ」「シャーマニズム」等、さまざまな東洋思想や非西洋的文化を理解する概念ともなったのでした。
では、ここで、「実際のサイケデリック体験/変性意識状態(ASC)がどのようなものであるのか」、ひとつ具体的な事例を見てみたいと思います。さきにも一部を引用しましたが、イギリスの著名な作家オルダス・ハクスリーが、「サイケデリック psychedelic 」という造語を作った精神科医のハンフリー・オズモンド博士の元で、メスカリン(幻覚剤)を服用した時の体験談です。メスカリンは、もともと、メキシコの部族が、宗教儀式に使っていたサボテン(ペヨーテ payote)に含まれていた成分でした。
「私が眼にしていたもの、それはアダムが自分の創造の朝に見たもの―裸の実在が一瞬一瞬目の前に開示していく奇蹟であった。イスティヒカイト。存在そのもの―エクハルト(※ドイツの神秘家)が好んで使ったのは、この言葉ではなかったか?イズネス、存在そのもの。プラトン哲学の実在―ただし、プラトンは、実在と生成を区別し、その実在を数学的抽象観念イデアと同一視するという、途方もなく大きな、奇怪な誤りを犯したように思われる。だから、可哀想な男プラトンには、花々がそれ自身の内部から放つ自らの光で輝き、その身に背負った意味深さの重みにほとんど震えるばかりになっているこの花束のような存在は、絶対に眼にすることができなかったに相違ない。また彼は、これほど強く意味深さを付与されたバラ、アイリス、カーネーションが、彼らがそこに存在するもの、彼らが彼らであるもの以上のものでも、以下のものでもないということを知ることも、絶対にできなかったに相違ない。彼らが彼らであるもの、花々の存在そのものとは―はかなさ、だがそれがまた永遠の生命であり、間断なき衰凋、だがそれは同時に純粋実在の姿であり、小さな個々の特殊の束、だがその中にこそある表現を超えた、しかし、自明のパラドックスとして全ての存在の聖なる源泉が見られる…というものであった。」
「私は花々を見つめ続けた。そして花々の生命を持った光の中に、呼吸と同じ性質のものが存在しているのを看たように思った―だが、その呼吸は、満ち干を繰返して、もとのところにもどることのある呼吸ではなかった。その呼吸は、美からより高められた美へ、意味深さからより深い意味深さへと向かってだけ間断なく流れ続けていた。グレイス(神の恩寵)、トランスフィギュレーション(変貌、とくに事物が神々しく変貌すること)といったような言葉が、私の心に浮かんできた。むろん、これらの言葉は、私が眼にする外界の事物に顕わされて顕われていたのである。バラからカーネーションへ、羽毛のような灼熱の輝きから生命をもった紫水晶の装飾模様―それがアイリスであった―へと私の眼は少しずつ渉っていった。神の示現、至福の自覚―私は生まれて初めて、これらの言葉の意味するものを理解した。…仏陀の悟りが奥庭の生垣(※禅の言葉)であることは、いうまでもないことなのであった。そして同時にまた、私が眼にしていた花々も、私―いや『私』という名のノドを締め付けるような束縛から解放されていたこの時の『私でない私』―が見つめようとするものは、どれもこれも仏陀の悟りなのであった」(同書) ※太字強調引用者
この体験記『知覚の扉 The Doors of Perception 』は、アメリカのロック・バンドの The Doors の名前の由来にもなったように、当時はよく読まれ、サイケデリック体験の指標のひとつとなりました。変性意識状態(ASC)というものの一端がうかがえるかと思います。
このような深遠な世界が、いつもいつも得られるわけではありませんが、このような啓示につながる体験領域があるということです。
そのため、これらの啓示的体験は、ひとつの時代を特徴づける大きな思潮となり、世界史に爪痕を残すこととなったのです。
そして、日本の識者の一部が指摘するように、日本には、この思潮の影響がほとんどなかったということも、(ジョブズの言葉にも感じられるように)今現在の彼らと私たち日本人の差につながる、とても重要な事態となっているのです。
そして、このようなサイケデリック体験の普及が、東洋的瞑想の流行や、次に見る「新しい心理学(トランスパーソナル心理学)」の潮流を生み出すことにもなったのです。このあたりも、日本では、実践的なレベルでは、ほとんど理解・普及がなされなかったので、イメージがつきにくいものになってしまっているのです。
3.「 変性意識状態(ASC)」とA.マズロー(トランスパーソナル心理学)
▼トランスパーソナル心理学と変性意識状態(ASC)
タート博士が本を出した1969年という年は、「変性意識状態(ASC)」と関連で、別のとても重要な、かつ象徴的な出来事がありました。
それは、A.マズローが「トランスパーソナル心理学会」を立ち上げたのが、1969年だということです。
A.マズローといえば「欲求の五段階説」とか「自己実現 self-actualization 」などの理論で、日本のビジネス界でもひろく知られている人物ですが、アメリカ心理学会会長にもなったメインストリームの心理学者です。彼は、「人間性心理学」を唱えて、従来の「欠乏動機に満ちた」「機械仕掛け」の人間像を超えた、より創造的で成長的な人間像を提唱した人物でした。彼の名前を有名にした「自己実現」のコンセプトも、そのようなヴィジョンから生まれたものでした。
ところが、そんなマズロー自身は、晩年、「自己実現は、人間のゴールではない」と考えはじめていたのでした。「自己実現」の次にある、人間の存在のステージ(状態)について色々と考えはじめていたのでした。
それを、彼は「自己超越 transcendence 」と呼びました。
それは、彼が自己実現した人々を研究する中で、彼らが頻繁に持つ、或る「肯心的・超越的な心理状態/体験」に注目することから、見出されていったのです。その状態は、非常に充実した、超越した心理(存在)状態なのですが、自己実現した人々の中に頻繁に観察され、また普通の人々においてもしばしば見られる「特別に肯定的な状態/体験」と言えるものでした。
マズローは、その状態を「至高体験 peak-experience 」と名づけました。
一種の変性意識状態(ASC)と言えるものです。身近な例でいえば、いわゆるアスリートなどが体験する「ZONE ゾーン」のようなものを、さらに強烈にしたイメージをもっていただければと思います。これらについても、別に解説セクションを設けていますので、ご参考にしていただければと思います。
→「マズロー「至高体験 peak-experience」の効能と自己実現」
→「フロー体験とは何か フロー状態 ゾーン ZONE とは」
マズローが考えるに、それは、通常の自己実現の限界を超えるような、一種の超越的な心理状態と言えるものなのでした。しかし、マズローは、そこに、人間の心が本来持っている高次の成長欲求、状態を直観したのでした。
その事実(事例)に後押しされて、彼は、「自己実現」のさきにある「自己超越 transcendence 」の構想に向かったのでした。
彼は、次のように、「至高体験 peak-experience 」について語っています。
「至高経験は自己合法性、自己正当性の瞬間として感じられ、それとともに固有の本質的価値を荷なうものである。つまり、至高経験はそれ自体目的であり、手段の経験よりもむしろ目的の経験と呼べるものである。それは、非常に価値の高い経験であり、啓発されることが大きいので、これを正当化しようとすることさえその品位と価値を傷つけると感じられるのである」(A.マスロー『完全なる人間』上田吉一訳、誠信書房)
「わたくしの研究してきた普通の至高経験では、すべて時間や空間について非常に著しい混乱が見られる。これらの瞬間には、人は主観的に時間や空間の外におかれているというのが正しいであろう。(中略)かれらはある点で、時間が停止していると同時に非常な早さで経過していく別の世界に住んでいるかのようである」(同書)
「至高経験は、この観点から見ると、絶対性が強く、それほど相対的ではない。(中略)それらは比較的達観し、人の利害を超越しているというだけではない。それらはまた、みずからは『彼岸』にあるかのように、人間臭を脱し、自己の人生を超えて永続する現実を見つめているかのように、認知し反応するのである」(同書) ※太字強調引用者
「主観的に時間や空間の外」「別の世界」「絶対性」「彼岸」「自己の人生を超えて永続する現実」などという言葉づかいを見ても、この状態が、私たちの通常の心理状態、日常意識を超えている状態(変性意識状態)であるということが伝わってくるかと思います。
マズローが「自己実現」を超えた「自己超越の心理学」をつくる必要性を感じた理由もよくわかります。
そのような経緯で、1969年に、通常のパーソナル(人格、個人性)を超えた(トランスした)人間像を研究するために、「トランスパーソナル心理学会」が立ち上げられたのでした。
そして、ここで、とりわけ特徴的なことは、マズローがこの学会を一緒に立ち上げたのが、彼より世代が二つほど下の、精神科医のスタニスラフ・グロフ博士という人物であったことです。
というのも、グロフ博士は、LSD(リゼルグ酸ジエチルアミド)の研究、そして、サイケデリック・セラピーや変性意識研究の大家であったのです。治療用幻覚剤LSDによるサイケデリック体験では、まさに「時間や空間の外」「彼岸」「自己の人生を超えて永続する現実」などの至高体験的な現象が非常によく観察されるものだからです。そして、グロフ博士は、数千事例にわたる臨床データを持っており、そのような事柄を、誰よりも知悉していた人物だったのです。
スタニスラフ・グロフ博士は、元々、母国のチェコで、当時合法だったLSDを使い、サイケデリック・セラピー(LSDセラピー)を行なっていた人でした。数千回にわたるサイケデリック・セッションにたずさわり、それが持つ深い治癒効果と、意識 consciousness がもつ不可思議な能力を目の当たりにしていったのです。かつて、LSDの発見者A.ホフマン博士は、「私はLSDの父(ファーザー)と呼ばれるが、グロフ博士はゴッドファーザーだ」と語りました。「サイケデリック研究/サイケデリック・セラピー」の本当の意味での権威と言っていいでしょう。
しかし、グロフ博士がたどり着いた結論は(本人自身が受け入れがたく、長年、精神的に葛藤したと語るように)、今現在、世間で流通している「メインストリームの科学的世界観」とそぐわないものでもあったのです。
彼は、それらに至った経緯を語っています。
「LSD研究のなかでわたしはとうの昔に、ただ単に現代科学の基本的諸仮定と相容れないという理由で、絶えまなく押し寄せる驚異的なデータ群に目をつぶりつづけることが不可能なことを思い知った。また、自分ではどんなに想像たくましくしても思い描けないが、きっと何か合理的な説明が成り立つはずだと独り合点することもやめなければならなかった。そうして今日の科学的世界観が、その多くの歴史的前例同様、皮相的で、不正確かつ不適当なものであるかもしれないという可能性を受け容れたのである。その時点でわたしは、不可解で議論の的となるようなあらゆる知見を、判断や説明をさしはさまず注意深く記録しはじめた。ひとたび旧来のモデルに対する依存心を捨て、ひたすらプロセスの参加者兼観察者に徹すると、古代あるいは東洋の諸哲学と現代の西洋科学双方のなかに、大きな可能性を秘めた新しいエキサイティングな概念的転換をもたらす重要なモデルがあることを少しずつ認識できるようになった」(グロフ『脳を超えて』吉福伸逸他訳、春秋社) ※太字強調引用者
そして、そのようなグロフ博士の観察結果/臨床データが、晩年のマズローを突き動かして、トランスパーソナル心理学の設立へと駆り立てたのでした。晩年のマズローが構想した超越的な人間像と、変性意識状態とが、深い関連にあることを示すエピソードと思われます。
ちなみに、日本のユング心理学者、河合隼雄は、実際にグロフ博士に会ってみて、「この人は本物だ」と、すぐにわかったと、彼との出会いを回顧しています。そのように、彼は経験豊かで、人格的にも重厚な人物で、自分自身の経験を通して物事を語れる、数少ない人物でもあるのです。
下のグロフ博士のインタビュー動画は、サイケデリック(LSD)の登場、効果、普及の理由などを、彼自身の個人的体験として、歴史的に回顧する大変興味深いものとなっています。20世紀最大の出来事を、「アルバート・ホフマン博士によるLSDの発見と、そのことが、人類の意識や霊性にスポットを当てたことだ」とする博士の話は、興味が尽きないものとなっています。↓
https://www.ntticc.or.jp/ja/hive/interview-series/icc-stanislav-grof/
※インタビュー中の、「イサレム」はエサレン、「バルド界」と訳されているものは、「チベットの死者の書」でいう「バルドゥ(中有)」のことです。
4.「潜在意識」という胡散臭さ
さて、ここまで、日本ではなじみのない、やや特殊、突飛な事例を見てきました。
しかし、変性意識状態(ASC)とは、幅の広い定義ですので、もっと私たちの生活に身近な形でもさまざまに存在しています。
例えば、お酒に酔っ払うことや、「夢」を見ている状態でさえ、軽度な変性意識状態(ASC)です。しかし、これらの背後に、可能性にみちた「意識の構造」があるということが、変性意識状態(ASC)の教えてくれる核心テーマでもあるのです。
そこで、以下では、少し身近で、実際的な事柄についてとりあげたいと思います。
まず、変性意識状態(ASC)というものは、私たちが「潜在意識」と呼んでいるものを実際に探求していくに際して、とても有効な働きを持っているものなのです。
さて、ところでどうでしょうか? 世間では、「潜在意識がとても重要だ」などという言い方をよく聞きます。
たしかに、私たちは自分が意識していない事柄に、無自覚に影響されているような気がするので、そんな気もします。
しかし、「なんとなくそういう気もするけど…」と、そういうものの言い方に、どこか胡散臭さ、いかがわしさを感じないでしょうか?
冷静に考えると、確かに「論理的にはそういうこともあるかもしれない」けど、でも、「潜在意識など目に見えるものではないし」「潜在意識があるかどうかもわからないし」「潜在意識がどう働いているか」など、本当にわかっている人もいない(誰もわからないじゃないか)、という気もするからです。
さて、それは、実際のところ、とても正常な、正しい反応だといえます。
というのも、潜在意識の重要性を唱える人たち自身が、実際にはその意味(感覚)が本当にはわかっていない場合がほとんどだからです。
また、一般に「潜在意識」と呼ばれているものは、実際にはよくつかめない、中身がよくわからない事柄だからです。
そして、実際、潜在意識について、「知的に」「頭で」「理論的な」話をいくらわかっていても、なんの意味も無いことだからです。
というのも、「潜在意識」と呼ばれているものは、それを実際に「自分の感覚として」体験できて、あつかったりできて、はじめて、意味あるものになってくるものだからです。
それを実際に体感したり、その中身を多少「感覚的にわかる」ことによって、多少「あつかえる」ことによって、はじめて意味が出てくるものであるからです。
そして、そのようなことができる人は、世間にはほとんどいないのです。
なぜなら、潜在意識にアクセスできる方法など、ほとんどないからです。
さて、変性意識状態(ASC)というものは、このような「潜在意識」という未知の「深海」に対して、実効的なアクセスができるようになるという意味で、とても価値があるものなのです。
他の手段で、私たちはこれについて能力を高めることはできないからです。
つまりは、変性意識状態(ASC)は、「潜在意識」とこの日常意識をつなぐ領域(媒介領域/状態)として、私たちにとって重要性があるものなのです。
下の図に示しましたが、これは、いわゆる心の「氷山モデル」です。精神分析 Psychoanalysis のフロイトなどが唱える図式によると、心とは大部分が「無意識 unconsciousness/潜在意識」であり、私たちのこの「顕在意識/日常意識」とは、(海面で出た)氷山の一角みたいなものであるという図式です。
そして、私たちは、中身のよくわからない「潜在意識/無意識」の衝動に突き動かされながら、無知のままに苦しみながら生きているというのです。
だから、普通の人々は、自分自身の感情的な苦痛を簡単には解決できないし、動機づけ(モチベーション)も上げられないし、同じ失敗を繰り返しても、自分の意志でこれを変えることなどできないということなのです。
古典的な深層心理学では、基本的にこのような見方で人間を見ているわけです。
変性意識状態(ASC)は、通常の心理学の外にある前衛的な概念ですが、この「潜在意識/無意識 unconsciousness」へアクセスできる稀有な状態であるわけなのです。
変性意識状態は(非常に多様な形態がありますが)、まずは、この「潜在意識/無意識」と「顕在意識/日常意識」の中間にある状態が、一番、私たちにわかりやすい状態の変性意識状態です。
つまり、変性意識状態の価値(重要性)のひとつは、普段は分裂している、「潜在意識」と「日常意識」との間に意識的なつながりをもたらし、広大な潜在意識」への実感的・実践的な理解をもたらすという点なのです。
そのため、その変性意識状態に習熟することにより、潜在意識と深く交わり、そこから能力を引き出したり、操作する方法を得ていくことが可能になるということなのです。これが、変性意識状態(ASC)が、私たちにとって、とてつもなく重要な価値(人生のマスター・キー)を持つ面といえるのです。
5.変性意識状態(ASC)と心の変容(体験的心理療法)
では、次に、身近で「効果」を得られるところにある、セラピー(体験的心理療法)や心の変容における変性意識状態(ASC)の効果や有効性について見ていきたいと思います。
ところで、日本では、「セラピー/心理療法」などというと、いかにも「メンタルを病んだ人を治療する」みたいな後ろ向きなイメージがあるので、病気でない人は関係ない、と思われるかもしれませんが、ここでとりあげる心理療法は、日本では普及しなかった、「体験的心理療法」という1960年代以降に、サイケデリック・カルチャーと同時に広まった、新しいタイプの心理療法のことです。
当スペースであつかっている「ゲシュタルト療法」もそのような体験的心理療法のひとつです。体験的心理療法では、より十全な自己を実現するために、また精神をより解放するために取り組まれることが多いのです。「自己成長のセラピー」と呼ばれることもあります。これは、サイケデリックスを摂ることが、治療のためではなく、精神解放のためであったのと同じく、より肯定的な状態を得るために、そのようなセラピーに取り組むことが行なわれたのです。
米国西海岸では、上記の「サイケデリック・カルチャー」が広まるのと同時に、東洋的瞑想なども広まりましたが、同時に、新しい心理療法である「体験的心理療法」も広まることとなったのです。
日本では、ビートルズが、なぜインドの導師マハリシに会いに行ったのか等、あまり理解されていないのと同様、体験的心理療法が、なぜ、広まったのか、その内容についても、あまり理解がされていないのです。同様に、ビートルズのジョン・レノンが、ゲシュタルト療法と同じくライヒ派の「プライマル・セラピー」を受けたのかも、あまり理解がされていないのです。ジョン・レノンは、その結果、幼少期の傷つきや葛藤感情をストレートに吐き出す『ジョンの魂 Plastic Ono Band』を創ることになったのです。
→デヴィッド・リンチによるポールへのインタビュー「ポールマッカートニーと超越瞑想との出会い」
ところで、「体験的心理療法」とは、基本はセラピーであり、クライアント(来談者)の方の持っている心の悩みや苦しみを「取り除き」「癒す」ことを目的とした活動です。クライアントの方の「不調和/バグを起している心理プログラム」を修正(プログラミング修正/再プログラミング)することを目的としたものです。
しかし、マズローのような「自己実現/自己超越」の視点や、深い精神解放を行なう「体験的心理療法」の視点からすると、病気でない現代人などは一人もいないのです。「からだの治療師」から見ると、「からだが歪んでいない人など一人もいない」のと同様です。「心の歪みを持ってない人」など一人もいないからです。本人にあまり自覚症状がないので、強い抑圧や解離があっても、特に治そうとしていないだけなのです。しかし、本当に充実した、心の能力(創造力やパフォーマンス)を発揮して、素晴らしい人生を送りたいと願うなら、心自体を変容させていくことは必須であり、一番の早道なのです。小手先のテクニックで、深い創造力が目覚めることなどは一切ありません。サイケデリック・カルチャーの時代は、そのようなことが気づかれた「気づき awareness の時代」だったのです。
実際、心を深く掘っていくことで、私たちの心は、軽くしなやかになり、パフォーマンスや創造力も飛躍的に上がることになります。それは、「からだの治療」の場合とまったく同じなのです。
ちょっと考えればわかるように、心理療法(サイコセラピー)とは、「心の変容を起こす技術」であるので、実は、そのように創造性を開発・解放したりするのに最適な方法論であるのです。
アメリカなどでは、そのような体験的心理療法の普及と利用があったので、日本とは違い、セラピーも積極的な能力開発技法として認められているのです。NLP(神経言語プログラミング)が、三人のセラピストをモデリングしたと言っているのは、そのような背景があるのです。
上記したように、アメリカで、体験的心理療法が普及したのは、まさに、さきほど見た、サイケデリック・カルチャーの流行期、トランスパーソナル心理学の設立期でした。その結果、新しい「体験的心理療法」も、人間の心を解放するメソッドとして、世界中にひろく受け入れられることになったのです。
→「体験的心理療法とは その特徴と本質」
さて、方法論的なお話をしますと、そのような体験的心理療法においては、クライアントの方の「不調和/バグを起している心理プログラム」に対して、(プログラミング修正/再プログラミング)するに際して、「潜在意識(無意識)」にアクセスすることは、とても重要なこととなってきます。
というのも、私たちが、正常だと思っている「この主体意識(私)」=「日常意識/顕在意識/自意識」自体が、歪んだ深層プログラム(問題プログラム)によって作られ、それによって作り出されている結果物(客体)だからです。
「私」は、ほんとうの主体ではないのです。
そのような結果(客体)としての「日常意識(自意識)」からでは、当然ながら、自分自身を作り出している大元の「原因(基盤プログラム)」を書き換えることはできないのです。
喩えると、自分自身がその上に座っている椅子を、自分で持ち上げたり、変えようとしているようなものです。
もっと極端な喩えを使うと、プロジェクター(機器)によって壁に映し出された「映像のアニメ・キャラ」が、プロジェクター(機器)自体を操作しようとしているようなものです。
自分自身が、壁に映し出されている者(虚像)にすぎないのに、「本体(原因)」に影響することなどはできないということです。
(ちなみに、世の中の大部分の心理療法が効かないのは、実は、そのようなことをやっているからです)
しかし、これは、セラピーに限ったことではなく、自己啓発的な事柄も、皆そうなのです。
だから、多くの方法論は、かけ声ばかりで、その時はその気になっても、時間が経つと、すぐに元に戻ってしまうのです。
別の喩えで言うと、「潜在意識」は、海のようなものです。
私たちの「日常意識/顕在意識/自意識(私)」とは浮き輪をつけて、海に浮かんでいる状態です。
浮き輪をつけたままだと、海の中には、潜っていけません。
しかし、通常、人は恐くて、浮き輪だけは決して手放さないようにしているのです。
そのため、原因にたどり着くことはできないのです。
これが、私たちの、心の姿なのです。
実は、ここに、私たち人類(現代人)の、この「私=主体」にまつわる「逆説的な事態」、もしくは「進化の問題/行き詰まり」があるのです。
例えば、私たちは、感情的な問題(心のモヤモヤ、苦痛)について、頭(思考)でアレコレ考えていても、一時的に気を紛らわすことはできても、決して解決しないことになっているのです。
私たちのこの「私=自意識」は、「本当の主体」「真の主体」ではないからです。
→「苦痛な気分」―その構造と解決法
→【図解】心の構造モデルと心理変容のポイント―見取り図 ⑤ケン・ウィルバーの「意識のスペクトル」論
※現代人の心の構造、シャドー(影)とニセの主体(仮面)については以下をご覧ください。
→詳細紹介「流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス」
つまり、必要なことは、この日常意識(自意識=私)ではない、別の経路から(迂回路を通って)、自分を作り出している問題のシステム(基盤の潜在意識)に介入して、プログラム修正することなのです。
しかし、そのことを、アレコレ考えている主体(私)が、この「日常意識/顕在意識/自意識」であるので、その逆説的な事態がよくお分かりいただけるかと思います。
そして、このような「逆説的な事態」にアプローチするに際して、この「変性意識状態(ASC)」という状態がとても有効に作用するというわけなのです。
なぜなら、「変性意識状態(ASC)」は、この「日常意識/顕在意識/自意識」が変容した状態だからです。
また、変性意識状態(ASC)の中には、前述の「至高体験 peak-experience 」のように、非常に肯定的で超越的な要素(成分)が必ずいくらかは含まれています。
〈意識〉自体がその本性を持っているからです。
変性意識状態(ASC)に習熟すればするほど、その肯定的でトランスパーソナルな力を引き出せるようになるのです。
それをうまく利用できると(作用すると)、心理的治癒の効果は、段違いなものになっていくのです。
かつてマズローは指摘していました。
「至高経験は、厳密な意味で、症状をとり除くという治療効果を持つことができ、また事実もっている。わたくしは少なくとも、神秘的経験あるいは大洋的経験をもつ二つの報告――一つは心理学者から、いま一つは人類学者から――手にしているが、それらは非常に深いもので、ある種の神経症的徴候をその後永久にとり除くほどである。このような転換経験は、もちろん人間の歴史においては数多く記録されているが、わたくしの知るかぎりでは決して心理学者あるいは精神医学者の注目の的となってはいないのである」(A.マスロー『完全なる人間』上田吉一訳、誠信書房) ※太字強調引用者
これはすでに半世紀以上前の指摘ですが、現代でも、通常の精神医療/心理療法の世界では、まったく理解されていない点となっているのです。
変性意識状態(ASC)に習熟し、使いこなせるようになると、私たちの心は変容し、精神的な達成においても、創造力やパフォーマンスのレベルにおいても、決定的な進化を手に入れられるようになるのです。
変性意識状態(ASC)の可能性が、少しイメージいただけたかと思います。
6.変性意識状態(ASC)とはⅠ 入り方
さて、変性意識状態(ASC)といっても、上記で見てきたように、実にさまざまなタイプがあります。
変性意識は、「日常意識」状態からの距離の大小によって、軽いものから強いものまで、多様な形態やスペクトル(帯域)をもっているのです。
日常的で身近なものもあれば、非日常的で神秘体験のようにそれだけで人生を一変させてしまうものもあります。
そのため、変性意識状態のあつかいにおいて、重要なことは、変性意識への「入り方」ではなく、変性意識と日常意識を統合できるか、「使いこなせるようになるか」ということなのです。
「浅い変性意識状態」にいくら入ることができても、人生を変えることには、ほとんど役に立たないからです。
それに、実際のところ、私たちは、普段の生活の中でも、気が弛んだ瞬間に、軽度な変性意識状態には簡単に入っています。ちょっとボーとしている時、何かに没頭している時、何かに集中している時。さまざまな機会に、私たちはスルリと変性意識の状態に移行してしまっているのです。
また、人間関係(relationship)の中では、人は容易に感情の力に巻き(惹き)こまれて、軽度な変性意識に移行してしまいます。恋愛や性愛関係、家族関係、組織内における関係性relationshipなど、集団的(集合的)な感情が活性化しやすい場面では、人は憑依されるように簡単に変性意識状態に巻き込まれていきます。過度に閉ざされた人間関係の中で犯罪が起こりやすいのはそのためです。しかし、そのような変性意識状態は、大して創造力に貢献しないのです。
これらの変性意識の意識構造を、イメージで喩えると、カメラのフレーム(レンズ)とそこに映るものと言えます。鏡とそこに映る映像という言い方もあります。
「意識 consciousness」自体のフレーム(枠組み)は、カメラのレンズやフレームのように無色透明なものです。それ自体は、内容(コンテンツ)を持ちません。
そのフレームに、コンテンツ(情報)としての心理内容が、写る(同一化する)イメージです。
普段の心理内容が同一化されていると「日常意識」です。
別の心理内容が、同一化されていると、変性意識状態になります。
そのため、私たちは、気づかぬうちに、なめらかに、日常意識状態から変性意識状態に移行してしまうものなのです。
「意識 consciousness」が何に同一化しているかによって、その内容(意識内容)も変わってしまうのです。
そのため、自分が軽い変性意識状態に入っていても、(無自覚に没入していて)それと気づかない場合の方が多いものです。主観的には、ハッとして気づき awareness を得るまで、私たちはほとんどその違い(差異)に気づけないのです。
しかし、そのように変性意識状態に移行する中で、無意識のうちに、私たちはより冴えた直観と鋭敏性を働かせて、優れた創造力を発揮することなどもあるのです。また悪い場合には、犯罪などをおかしてしまったりもしているのです。
そのため、重要なことは、単なる偶然として変性意識状態に入ってしまうのではなく、操作的な感覚や気づき awareness をもって、意図的に「強い変性意識状態」に入ったり出たりして、その中で、統合的に、さまざまな事柄が行なえるようになることなのです。
また、それも、一人で入れるような浅い変性意識状態ではなく、深い変性意識状態の中で、それができるようになる、ということなのです。
変性意識の強さ(強度)と気づき awareness のコンビネーションが、ポイントとなってくるというわけです。
重要なことは、変性意識での体験は、私たちの日常意識との連携(対比/関連)の中で、はじめてその特異な意味が深く把握され、感覚的に操作可能なものになっていくということです。
たとえば、ドラッグ(薬物)をやって偶然的に深い変性意識状態に入っても、その体験自体が、恒常的な意識拡張や創造力拡大に結びつくわけではないということです。
(体験するだけなら、世界中にそのような体験をした人は、歴史的に山ほどいます。しかし、その人たちが、特別に創造的な事柄を行なってないのは言うまでもないことでしょう)
日常意識状態との連携の中で、操作的な感覚や気づき awareness をもって、それらが統合されることで、はじめて、変性意識は、効果的な意味をなしてくるということなのです。
さて、ところで、「意図的に」変性意識状態(ASC)に入る方法としては、歴史的・伝統的には、各種宗教のシャーマニズムの技法や儀式的なトランス状態、瞑想技法、向精神薬物の使用などが知られていました。
また、現代の体験的心理療法においては、心理セッションの深いリラックス状態や没入状態、内的な感覚(感情)集中状態を通して、ごくナチュラルな形で、変性意識状態に入っていくことができます。
その変性意識の中で、日常意識(自意識)ではコンタクト(接触)できなかった深層情報にアクセスして、心理プログラムを書き換えていくということも可能になっているのです。
それというのも、変性意識状態においては、日常意識の時とは違った形で、潜在意識にある隠された感情や欲求が溢れ出てきて、まじかに視ることも可能になってくるからです。
見えなかったものが、視えてくるからです。
そのような深層心理の現れの中で、より微細な感情・欲求に気づくこと awareness ができるようになるからです。このような繊細で拡張した意識状態の中で、深い心理プログラムにコンタクトして、変容させることが可能となってくるのです。
いずれにせよ、意図的に深い変性意識に入るとともに、その価値を実感できるためには、変性意識に入る数多くの反復練習や、変性意識の中における気づくこと awareness のトレーニングが必要となります。
それらは、普通に現代社会で生きている中では、決して鍛えられることのない能力です。
そのため、普通に生活しているだけでは、変性意識状態を充分にあつかえるほどの、心の能力(スキル)が育つことはないのです。その能力を伸長させることが、まずは、必要な事柄なのです。
そして、そのために一番重要なことは、上記の体験的心理療法などを使って、「心理面・感情面」での解放や流動化を実現していくということなのです。
「心理面・感情面」でのブロックがあると、深い変性意識状態には入れないからです。
感情的な怖れから、意識は、日常意識にロックオンされてしまっているからです。
通常の私たちは、皆、過去の成長過程(生育歴)の中で、「心理面・感情面」がプログラムされてしまっています。
そのため、「心理面・感情面」が防衛的に硬化し、固定化されて、「意識状態」を自由に動かせなくなっているのです。
ここを解放し、流動化していくことは、変性意識状態(ASC)を自在にあつかえるようになるためにも、必須のことであり、かつ一番手っ取り早い方法でもあるのです。
逆にいうと、「心理面・感情面」が解放(統合)されていないと、強度な変性意識状態(ASC)によって、かえって、心理的に混乱してしまうというケースもあるのです。
それが、ケン・ウィルバーなどが指摘した、幼稚な、「プレ・パーソナル(前個的)」という問題です。
ここが、アヤワスカなどのプラント・メディスンを興味本位に体験して、かえって心を病んでしまうという「落とし穴」にもなっているのです。
→海外より(その1)―サイケデリック・シャーマニズムと体験的心理療法
→海外より(その2)―プラント・メディスンと、サイケデリックな自己探求
また別の見方でいうと、深化/進化型のゲシュタルト療法等の体験的心理療法のスキルに習熟することは、これらの能力、つまり変性意識状態(ASC)に入ることと、それを感覚的に操作できる能力の開発にもつながっていくというわけなのです。
そして、この点こそが、体験的心理療法と伝統的なシャーマニズムとの、原理的な結びつきともなっている点であり、当スペースの方法論ともなっている点であるのです。
7.変性意識状態(ASC)とはⅡ 意識のチューニング
また、変性意識状態(ASC)の中には、さきのジェイムズの文章にもあるような、私たちの日常意識状態から大きく逸脱した未知の不思議な意識状態の帯域もあります。
これは、ラジオのチューニング(同調)の喩えを使うと、イメージしやすいかもしれません。
通常、私たちの日常意識状態というものは、喩えると、いつも或る放送局(例えばNHK放送)にチューニングが合っており、その番組放送をいつも聞いている状態です。
その放送しか聞いたことがなく、それしか知らないので、それだけがラジオの世界であり、その番組が唯一知るもの(現実)となっているのです。
この喩えでは、NHK放送が「日常意識」状態であり、その放送番組が「現実(世界)」です。
それ以外の現実は、存在しないということです。
しかし、そもそものところ、なぜ、私たちが「日常意識」状態にロックオンされているかと言えば、それが、生物的な機能によるものだからです。意識が始終フラフラしていては、生きるのに都合が悪いからです。
しかし、過度にガチガチに固定的で、アソビがないと、それはそれで、生きるのに都合が悪いので、前記したように、私たちは軽度な変性意識状態には入りやすくもなっているのです。
しかし、それでも、大体は、いつもの知っている放送番組を聞いているという状態です。
さて、そんな日常意識状態が、何かの拍子に、もしくは意図的に、ラジオのツマミが普段よりも大きく動かされて、別の放送局(変性意識状態)にチューニングが合うことになると、別の放送番組(別の現実/異界/異次元/超越的次元)が聞こえてきたりするというわけです。
変性意識状態において、私たちの意識がチューニングを合わせていくのは、普段同一化(同調)している日常的自我状態以外の、さまざまな自我状態や感覚情報の「帯域」です。
その中には、さまざまな「帯域」があります。
それらにチューニングを合わせる(同調する)ことよって、私たちは、「ゾーン ZONE」と呼ばれているフロー体験 flow experience や、マズローのいう「至高体験 peak-experience 」などという特異な状態も、実現させていくことができるのです。
そして、このような同調(同一化)を可能にしていくのが、喩えると、ラジオのチューニングを意図的に動かして、放送局を変えたりする、「意識」状態を自在に操作できる能力(スキル)ということになるのです。
このことが、心理的統合の内に十全な形でできるようになると、私たちは変性意識状態において、潜在能力を充分に取り出し、発揮できるようになるということなのです。
そして、このためには、さきほど触れたように、反復練習や訓練を行なうことが必要になってくるというわけなのです。
また、その際に、同時に、「心の統合」をある程度、達成していることが必要なのですが、これは別の大きなテーマとなっているので、下記を参照いただければと思います。
→変性意識状態(ASC)とは何か advanced 編「統合すれば超越する」 6.なぜ、幼稚なものが多いのか 超個(トランスパーソナル)と前個(プレパーソナル)の違い
そして、このような注意事項も含め、方法論的内容を精査してみると、これらを、世界史的な展望で俯瞰してみた場合、やはり、伝統的なシャーマニズムの中で実践された事柄と大変近似したものとなっているのです。
有名な人類学者カルロス・カスタネダのシャーマニズム的な著作(ドン・ファン・シリーズ)の中には「集合点」と呼ばれる、知覚情報を編成するポイント(結節点)が言及されています。集合点が動くと、私たちは、「日常的な自分自身」であることを失い、その現実も溶解して、まったく未知の不思議な世界に変化していくのです。カスタネダのいう集合点が、厳密に何を意味しているのかは分かりませんが、比喩的にも実践的にも、そのイメージは大変納得性の高いものです。それはやはり、ラジオのチューニングが、変わっていくような事態なのです。
実際、たとえば、宗教的な修行やサイケデリック体験、体験的心理療法を、過度に強力に推し進めると、やはりまれに、そのように「集合点」 が動いたかのような強烈な変性意識状態、別種のリアリティ体験をすることがあります。
それは、私たちを、未知の体験領域-空間に投げ込むことになります。
アメリカにおいては体験的心理療法や向精神性物質によるサイケデリック(意識拡張)研究も盛んなため、トランスパーソナル心理学会を立ち上げた精神科医のスタニスラフ・グロフ博士などは、そのようなさまざまな変性意識体験の事例、体験領域-空間をさまざまに研究報告しています。
また、それが混乱した状態を起こした場合に、人々をサポートするシステム(スピリチュアル・エマージェンシー)について記したり、支援活動を行なっていたりするのです。
ここにおいても、充分な心理的統合が、変性意識状態を有効に使うための条件であることが理解されると思います。
8.変性意識状態(ASC)の治癒効果と超越的状態
ところで、興味深いことのひとつは、深い変性意識状態自体(その潜在能力を活かすこと)が、心理的・身体的な深い治癒効果・統合効果を持っているという点です。
変性意識状態(ASC)が、人間の深層的なプロセスを活性化し、本来持っている深い潜在能力(治癒能力)を引き出し、人間の心身を不可逆的に解放・変容・刷新してしまうという点なのです。
これは、深い変性意識状態が、普段は抑圧されている、身心のホリスティック(全体的)な機能を目覚めさせるためであると考えられます。
それは、「意識の高次の階層」とも関連している事柄なのです。
さきに引いたマズローの言葉をもう一度見てみましょう。
「至高経験は、厳密な意味で、症状をとり除くという治療効果を持つことができ、また事実もっている。わたくしは少なくとも、神秘的経験あるいは大洋的経験をもつ二つの報告――一つは心理学者から、いま一つは人類学者から――を手にしているが、それらは非常に深いもので、ある種の神経症的徴候をその後永久にとり除くほどである。このような転換経験は、もちろん人間の歴史においては数多く記録されているが、わたくしの知るかぎりでは決して心理学者あるいは精神医学者の注目の的となってはいないのである」(A.マスロー『完全なる人間』上田吉一訳、誠信書房) ※太字強調引用者
それは、強い変性意識状態(ASC)というものが、私たちが普段、排他的に同一化(固着)している日常意識レベルの心理プログラムを解除すると同時に、私たちをより深い心身統合(調整/治癒)システムや、個人的自我を超えた領域に、私たちの「意識の帯域」を拡げるせいであると考えられるのです。
そして、これは歴史的には、前段で触れた晩年のA.マズローなどが「自己実現」を超えた領域として構想した「自己超越とトランスパーソナル(超個人的)な領域へとつながるテーマとなっているのです。
これはまた、変性意識状態を入り口にして、心身のより広大なシステム(全体性/ホールネス)に、私たちを導く興味深くかつ実践的なテーマでもあります。ホリスティック holistic なテーマがここにはあるわけです。
これらは広大な内容であると同時に、多様かつ多面的な要素を持ちますので、各要素については下記のそれぞれをご参考いただければと思います。
→【図解】心の構造モデルと変容のポイント 見取り図
→グレゴリー・ベイトソンの学習理論と心の変容進化
→実際の変性意識の「体験事例」
→フロー体験とは何か フロー状態 ゾーン ZONE とは
→サイケデリック(意識拡張)体験とは何か 知覚の扉の彼方
→サイケデリック・シャーマニズムとメディスン(薬草)の効果―概論
→アヤワスカ―煉獄と浄化のメディスン(薬草)
→変性意識の治癒効果
→マズロー「至高体験 peak-experience」の効能と自己実現
→ブリージング・セラピー(呼吸法)の事例
→「聖霊 Ghost 」の階層、あるいはメタ・プログラマー ジョン・C・リリーの探求から
→映画『攻殻機動隊』ゴースト Ghost の変性意識
現代日本社会では、正しく理解されていませんが、この変性意識状態(ASC)を、きちんとあつえるスキルを磨くことは、私たちの能力や創造力、人生にとって計り知れない益をもたらすものなのです。
9.変性意識のもたらす変容と、人生で活かす方法
さて、筆者自身、心の諸領域を探索する中でさまざまな強度な変性意識状態(ASC)を体験してきましたが、それらは拙著『砂絵Ⅰ』の中に、実際の体験事例を多数書きました。
→拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
→拙著『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』
それらのさまざまな経験を繰り返してわかったことは、さきのマズローの言葉にもあるように、変性意識状態(ASC)が私たちにもたらす変容作用や治癒作用、意識拡張作用は、場合によっては、たった一回の体験で、人生を一変させてしまうような強力な性質を持っているという点です。
心身の基底的なプログラムを刷新し、書き換わえてしまうわけです。それは、その変性意識のタイプにもよりますが、そのような本質性があるということです。
さきに触れた、グロフ博士は、強度な変性意識を体験した多くの人々の証言を集めた結果から、その世界の見え方の変容を「あたかも、白黒テレビからカラーテレビに変わるかのようだ」と表現しています。これは実際にそのようなことが起こるのです。
また、数々のセッションを実施した経験から言えることですが、軽度のものでも、変性意識状態(ASC)は、私たちの奥底に確実に変容をもたらしてしまうものです。これら多くの観察を踏まえると、変性意識状態(ASC)というものは、気まぐれなものということではなく、私たちの自然的本性(全体性/ホールネス)が備えている「自律的・治癒的・創造的」な素晴らしい潜在能力であるともいえるのです。
そして、これも経験上言えることですが(繰り返しになりますが)、変性意識の活用ポイントは、変性意識と普段の日常意識(日常生活)の間に、きちんとした「心理的な統合、往還(行き帰り)の通路をつくっていく(習熟していく)」という点なのです。
そうでないと、変性意識は、単なる偶然的で奇妙な(面白い)エピソードということだけで、私たちに心理的な変容や成長、または超越をもたらすことがないからです。
私たちの人生を豊かにする創造的パワーにはなってはいかないのです。
(逆に解離と分裂をもたらすこともあるのです)
そのため、拙著 『砂絵Ⅰ』の中では、日常意識と変性意識との行き帰り(往還)の方法を「行きて帰りし旅」という言葉で公式化しました。
そのような、行き帰りと連携の取り組み(スキル)によってこそ、変性意識の特異で強力な力を、日常生活と人生の中で価値ある創造的な能力に変えることができるのです。
そして、これは、映画や小説でなじみ深い神話モデル「英雄の旅(ヒーローズ・ジャーニー)」の中で、英雄が異界での冒険や試練から、「魔法の武器(霊薬・霊力)」をもって、この世界に戻ってくるという、普遍的な神話モデルと同じことなのです。
→英雄の旅 (ヒーローズ・ジャーニー) とは何か
また、異界に行って、善きものを持ち帰ってくるという伝統的な「シャーマニズム」のモデルと同じものなのです。
→伝統的なシャーマニズムと心理学的シャーマニズムについて
このようなわけで、当スペースでは、変性意識状態(ASC)をあつかうスキルを、潜在能力を引き出し、活用するためのスキルとして、実践面でも重視し、多くの方々に体験してもらったり、習熟してもらったりしているというわけなのです。
変性意識の秘められた力を、ご自分でうまくあつかえたり活かせるようになるだけで、想像もつかなかったような形でご自身の人生を解放し、刷新させることが可能になるからです。
そのことで、クライアントの方がご自身で、自己の潜在意識や創造力を無尽蔵に引き出す真の魔法、マスター・キーを手に入れることができると考えているからなのです。
それが、当スペースがご案内している「流れる虹のマインドフルネス」の世界なのです。
【続編/上級編】
→「変性意識状態(ASC)とは何か advanced 編「統合すれば超越する」」
10.参考文献
Charles T. Tart (ed.) ; Altered states of consciousness . John Wiley & Sons Inc
W.ジェイムズ『宗教的経験の諸相』桝田啓三郎訳 (岩波書店)
A.ハックスレー『知覚の扉・天国と地獄』今村光一訳 (河出書房新社)
A.ハクスレー『永遠の哲学』/中村保男訳 (平河出版社)
S.グロフ『自己発見の冒険Ⅰ』菅靖彦他訳 (春秋社)
S.グロフ『脳を超えて』菅靖彦他訳 (春秋社)
S.グロフ他『深層からの回帰』菅靖彦他訳 (青土社)
T.リアリー他『チベット死者の書 サイケデリック・バージョン』菅靖彦訳 (八幡書房)
T.リアリー『フラッシュバックス』 山形浩生他訳 (トレヴィル)
A.H.マスロー『完全なる人間』上田吉一訳 (誠信書房)
A.H.マスロー『人間性の最高価値』上田吉一訳 (誠信書房)
J.C.リリー『意識(サイクロン)の中心』菅靖彦訳(平河出版社)
J.C.リリー『バイオコンピュータとLSD』菅靖彦訳(リブロポート)
C.G.ユング他『黄金の華の秘密』湯浅泰雄訳 (人文書院)
R.D.レイン『経験の政治学』笠原嘉他訳 (みすず書房)
M.チクセントミハイ『フロー体験入門』大森弘監訳(世界思想社)
S.コトラー『超人の秘密:エクストリームスポーツとフロー体験』熊谷玲美訳(早川書房)
井筒俊彦『意識と本質』(岩波書店)
吉福伸逸『無意識の探険』(TBSブリタニカ)
吉福伸逸『トランスパーソナル・セラピー入門』(平河出版社)
菅靖彦『変性意識の舞台』(青土社)
津村喬『気功宇宙―遊泳マップ』(アニマ2001)
K.ウィルバー『意識のスペクトル』吉福伸逸他訳 (春秋社)
ロジャー・N・ウォルシュ『シャーマニズムの精神人類学』安藤治他訳(春秋社)
A.ミンデル『シャーマンズ・ボディ』藤見幸雄他訳 (コスモス・ライブラリー)
フレッド・アラン・ウルフ『聖なる量子力学9つの旅』小沢元彦訳 (徳間書店)
S.ラバージ『明晰夢』大林正博訳(春秋社)
ゲイリー・ドーア編『死を超えて生きるもの』井村宏治他訳(春秋社)
マーティン.A.リー他『アシッド・ドリームズ』越智道雄訳(第三書館)
11.関連記事
→「変性意識状態(ASC)とは何か advanced 編「統合すれば超越する」」
本セクションの続編、上級編となります。変性意識状態を充分に深めていくと何が起こるのか、
本当にはどのような変容が可能なのか?
そのような本当の変容を実現するためには何が必要なのか?
どのようなことが、問題となりがちであるのか?
そのような状態を常態化し、人生の創造力とするには、何が必要なのか?
注意点等々をまとめています。
→フロー体験とは何か フロー状態 ゾーン ZONEとは
スポーツ選手(アスリート)が、高いパフォーマンスを発揮するゾーン ZONE に入るといわれます。その状態が、心理学の定義でいう「フロー体験」です。フロー体験は変性意識体験の一種ですが、この記事ではフローを生む条件などについてまとめています。
→サイケデリック(意識拡張)体験とは何か 知覚の扉の彼方
→サイケデリック・シャーマニズムとメディスン(薬草)の効果―概論
→アヤワスカ―煉獄と浄化のメディスン(薬草)
→「さまざまなメディスン(薬草)の効果―マジック・マッシュルーム、ブフォ・アルヴァリウス」
→海外より(その1)―サイケデリック・シャーマニズムと体験的心理療法
→海外より(その2)―プラント・メディスンと、サイケデリックな自己探求
音楽ジャンルなどで知られる「サイケデリック」という言葉(オズモンド博士の造語)が、本来意味している変性意識状態はどのようなものか、ここでは事例をもとに、その内容を見ています。本来、サイケデリック体験とは、とても深遠な体験を指していたのです。
→心理学的に見た「チベットの死者の書」
ティモシー・リアリー博士は、治療用幻覚剤であるLSDの体験と「チベットの死者の書」で書かれていることが近似していることに気づきました。そして、「チベットの死者の書」をリライトして、LSDセッションの導きの書とすることを思いついたのです。
→実際の変性意識の「体験事例」
ここでは、各種の事例、筆者自身が体験した変性意識を、拙著『砂絵Ⅰ』や『砂絵Ⅱ』(未刊)より引用しています。
神秘的な光明体験、サイケデリック(5-MeO-DMT)体験、子宮回帰体験、人生回顧(ライフ・レビュー)体験、クンダリニー体験、聖地(パワースポット)体験などの事例が取り上げられています。
→マズロー「至高体験 peak-experience」の効能と自己実現
→A.マズロー アイデンティティの極致としての至高体験
→「完全なる体験」の因子とA.マズロー
「自己実現」理論で有名な心理学者マズローは、晩年、「自己実現」のさきにある「自己超越」という状態について考察をめぐらせていました。そして、自己実現した人が頻繁に、また普通の人々でもしばしば経験する「至高体験 peak-experience」という状態についても研究を深めていました。そして、「至高体験」は誰にでも起こるし、その体験が私たちを一時的に自己実現達成者にすることについて述べています。ここでは、それらについてまとめています。
→気づき awareness と自己想起 self-remembering
→グルジェフの自己想起 self-remembering の効能
気づき awareness とは、マインドフルネスの状態ですが、一般にはその状態がどのような心理状態・意識状態か、少しイメージがつきにくい点があります。ロシアの秘教的思想家グルジェフが、意識成長(進化)の訓練法として提唱した「自己想起 self-remembering」(これ自体も普通には難解ですが)を参照すると、気づきやマインドフルネスの状態が少し明確に焦点化されると思います。
→メスナー 登山体験 その意識拡張と変容 メスナーの言葉から
登山は、生と死が隣接する過酷な状況に遭遇することもあるため、特殊なタイプの変性意識状態に入りやすいものです。ここでは、著名な登山家ラインホルト・メスナーによる言葉を集めてみました。
→変性意識の治癒効果
変性意識状態は、それに深く入ることで、強い癒しの効果を持つ場合もあります。ここではその原理について考察しています。
関連記事2
→映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) 残像としての世界
→明晰夢の効力 2 映画『マトリックス』の世界へ
映画『マトリックス』は、変性意識状態が教えてくれる、私たちの現実世界をとてもうまく感覚的に表現した作品となっています。絵空事ではなく、『マトリックス』的世界を生きる方法について書いています。
→映画『攻殻機動隊』ゴースト Ghost の変性意識
→映画『攻殻機動隊』2 疑似体験の迷路と信念体系
『マトリックス』の元ネタになった映画『攻殻機動隊』も、変性意識状態の心を考える上でヒントを多く与えてくれる素晴らしい作品となっています。ここでは、作中に語られる(心の)「上部構造にシフトする」ことやその他示唆に富む内容について検討を行なっています。
→モビルスーツと拡張された未来的身体
有名なアニメ『機動戦士ガンダム』(1stガンダム)に登場した「ニュータイプ」のコンセプトも、変性意識状態と知覚拡張について、私たちにさまざまなヒントと方法論的な素材を与えてくれるものです。
▼変性意識状態(ASC)のさまざまな可能性について
→ 聖霊 Ghost 」の階層、あるいはメタ・プログラマー ジョン・C・リリーの冒険から
→『諸星大二郎の『生物都市』と鉱物的な変性意識状態(ASC)
→X意識状態(XSC)と、意識の海の航海について
→ロートレアモン伯爵と変性意識状態
→宇宙への隠された通路 アレフとボルヘス
note
https://note.com/freegestalt1/
youtubeチャンネル
https://www.youtube.com/c/freegestaltworks
【ブックガイド】
変性意識状態(ASC)やサイケデリック体験、意識変容や超越的全体性を含めた、より総合的な方法論については、拙著『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』
をご覧下さい。
また、変性意識状態のよりトランスパーソナル(超個)的で広大な世界を知りたい方は、実際の体験事例も含めた↓
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。
変性意識に入りやすくする心理療法(ゲシュタルト療法)については、基礎から実践までをまとめたこちら(内容紹介)↓
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
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コチラ
↓動画解説 「変性意識状態(ASC)とは何か その可能性と効果の実際」
↓動画解説 拙著「流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス」 サイケデリック体験 チベットの死者の書 トランスパーソナル心理学
→『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』
↓動画解説「映画『マトリックス』のメタファー 残像としての世界」
↓動画解説「フロー体験 flow experience」 ZONE 変性意識状態(ASC)」
↓多様で深遠な変性意識状態についてはコチラ 動画解説『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容(改訂版)』
→『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容(改訂版)』