複数の自我 (私)について 心のグループ活動

さて、ゲシュタルト療法のセッション(ワーク)、実践経験を積んでいくと、奇妙な(不思議な)事柄を理解していくこととなります。

たとえば、ゲシュタルト療法の技法では、有名なエンプティ・チェア(空の椅子)の技法というものがあります。

さまざまな使用方法がありますが、セッション(ワーク)の中で、クライアントの方の中から出て来たさまざまな感情や思考(自我状態)を取り出して、エンプティ・チェア(空の椅子)に置いていくというものがあります。

そして、クライアントの方に、実際にそれぞれの椅子に座ってもらい、その感情そのものに成りきってもらい(同一化してもらい)、それを体験してもらったり、表現してもらったりするのです。

さて、筆者も最初、自分で体験してみるまでは、はたから見ていて、そんなことをやって「本当に何かが起こるのか」と懐疑的でしたが、実際にやってみると、驚いたことに、それぞれの空の椅子に座るごとに、それぞれの「生きた感情・感覚・意欲・記憶の有機的なセット」、つまり、自我状態 ego state そのものが、自分の内側から忽然と出現してくるのでした。

そのような、セッション体験を、数多く繰り返して理解できたのは、私たちの自我とは「複数の存在である」という事実でした。

つまり、私たちの自我の単一性とは、意識の表象機能の結果であり、「自我そのもの」は、その下方で、次々と入れ替わっている複数の存在であるということでした。フロイトの精神分析 psychoanalysis や交流分析 TA などでも、心の機能分化や、自我状態 ego stateといった、私たちの内部にある自我状態を区別していますが、それは単なる比喩(メタファー)ではなく、本当にそのような自我が「人格として」存在し、生きられているということなのでした。

そして、実際のところ、この複数の自我は、精神分析や交流分析の指摘する三機能(三区分)に留まるものではなく、さまざまな状況や原因により、数限りない多数の自我状態を創り出しているということでした。

つまり、心は「グループ活動」をしている存在であるのです。

ところで、私たちは、実は日常生活でも普段からこの事態に遭遇しています。

たとえば、ある時、何かを強く決断して「これからは、絶対○○をやるぞ!」「もう、こんな○○は絶対にしないぞ!」と強く決断したのに、翌日には、ケロッとそのことを忘れています。

しかし、それは、忘れたのではなく、違う自我状態になっているだけなのです。違う自我(自分=私)だから、自分の経験(決意)ではないのです。決断した事実の記憶はあっても、その自我にとっては、「自分=私の経験」ではないため、感情的なつながり(動機づけ)がないのです。

上に図にしましたが、「自我A」があることを強く決めても、翌日実行するときは、別の「自我C」になっており、まったく気持ちが入らないことになっているのです。そのように、自我は複数の存在です。意識が、都度都度、各自我に同一化することで、「私」の見せかけの同一性や連続性が保たれているのです。

そして、重要なことは、「自我」とは、通俗的な理解やイメージと違って、必ずしも堅固な「自意識」ではなく、大部分が「無意識(潜在意識)」の領域にあるということなのです。意識に同一化されて、各自我ははじめてその一部が「私」となりますが、大部分を無意識の存在として棲息しているということなのです。

さて、ゲシュタルト療法では、技法的な工夫を使い、このように無意識(潜在意識)にある各自我を、意識の下に取り出し、自我間の対話や情報の交流を促していきます。そのことにより、各自我間の葛藤や分裂を統合していくことを行なっていくのです。

その結果、よりまとまりをもった力強い自己、主体性というものを体感していくこととなるのです。そして、そのことを通して、私たちは、より大きな「自己の全体性」というものを感覚的につかんでいくことにもなるのです。

 

※ちなみに、「複数の自我状態」という用語は、当スペースが便宜的に使っている言葉で、ゲシュタルト療法の教科書的用語ではないので、その点、ご留意ください。

 

【ブックガイド】
ゲシュタルト療法については、基礎から実践までをまとめた拙者
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧下さい。

↓動画解説 葛藤の構造

↓動画解説 心理学的な人格統合 ゲシュタルト療法

↓動画「ゲシュタルト療法と生きる力の増大」

↓ゲシュタルト療法については、拙著『ゲシュタルト療法ガイドブック:自由と創造のための変容技法』をご参照ください。