【内容の目次】

さて、今回は、私たちの内で働いている心のシステムの高次の学習階層について考えてみたいと思います。これらは、変性意識状態(ASC)の中などではしばしば出遭うことになる、心の(心的)システムの「隠された側面」ともいえるものかもしれません。ここでは、そんな心的システムのホリスティック(全体的)な機能について見ていきたいと思います。
別のところで、ゾーン ZONE として知られるフロー体験 flow experience について取り上げました。フロー体験 flow experience において、私たちは高度な集中状態の中で、特殊な意識(心身)状態、変性意識状態(ASC)に入り込むこととなります。
→フロー体験とは何か フロー状態 ゾーン ZONEとは
フロー体験においては、私たちはその或る特定の行動(行為)を、没我的な集中状態で行なっているわけですが、そこにおいては「自分で行動を完全にコントロールしている」という主体的感覚と、同時に二重写しのように「自分ではないものの力によって動かされている」「何かの流れに運ばれている」ような非主体的な感覚とが、融合して並存しているような不思議な感覚を持ちます。
フロー状態においては、まるで何かの自動化によって動いているように、(電光石火の速さで)最適な判断と選択、迅速で的確なアクションが瞬時にとられていくのです。
「自分が行なっている」のですが、どこかで「自分を超えた領域の力」を感じたりするのです。
この二重性が、フロー状態においては現れてきます。
ところで、この状態においては、ベイトソンのいう二次学習(コツ/メタ操作)の成果が、並外れた領域で働いているのかもしれません。
そのため、通常の意識的なコントロールを超えて、行動と心身の超越的な統御と自動化が達成されているのだと思われます。
(また、閃光のよう瞬時に働く、この状態におけるフリキシブルな創造性からすると、(場合により)三次学習のさらにメタ的要素もいくらか含まれているのかもしれません)
いずれにせよ、非常にひろい幅(レンジ)の階層で、心身の創造性が速やかに発揮されている状態であると推察されるわけです。
ところで、ベイトソンの友人でイルカの研究者やアイソレーション・タンクの発明者としても著名なジョン・C・リリー博士は、60年代にLSDを使って心理(意識)機能について実験的探求を行なった研究者でありました。
LSD服用時に、私たちの心の機能やシステムが透視するかのように理解され、その階層性が心の構造を作っていることに感銘を受けたからでした。
人間心理の作動原理を、プログラムやそのメタプログラミングとして記述する『バイオコンピュータとLSD』(リブロポート)は、自らをLSDセッションの被験者として、(精神分析的な知見も含めて)人間の心理機能をシステムの制御体系として表現した興味深い本となっています。
そして、その後の『意識(サイクロン)の中心』(平河出版社)においては、前著の考え方を引き継ぎつつ、自伝的な体裁をとって、心身(意識)制御システムにおけるプログラムとメタプログラミングの階層機能を、さまざまな実践的方法(LSD、アイソレーション・タンク、心理療法、秘教的訓練等)を使って、実際に操作実験していくという姿が描かれています。
そこにおいては、私たちの日常意識(プログラム)を制御する、高次階層のシステム(メタ・プログラマー/高次構成者)についてさまざまな考察がめぐらされています。
そして、フロー体験やさらなる超越的体験として、潜在能力が極度に解放された意識状態においては、「メタ・プログラマー自身が、私たち(日常意識)の存在を制御し、操縦していくかのような事態」が、興味深い実体験(事例)とともに数多く紹介されているのです。
そのような各種の事例は、例えばフロー体験の中で、どのような超越的なシステムが私たちの内で作動しているのかを考える際のヒントになるものと思われるのです。
また、その際の仮説として提示される「意識機能の階層モデル(意識の振動数レベル)」などは、世界の宗教的諸伝統などとも共通したモデルでもあり、そのさまざまな比較検討が可能なものともなっているのです。
(そこで示されている階層構造は、後にトランスパーソナル心理学のケン・ウィルバが記す「意識のスペクトル」モデルとほぼ同じものです)
それは、私たちの心的システムの上位にある「高次的な機能」「ホリスティック(全体的)な機能」について、さまざまなヒントを与えてくれるものとなっているのです。
ところで、以前、映画『攻殻機動隊』とそのゴースト Ghost の変性意識状態(ASC)について考えてみた際、ストーリーにそって、初期のキリスト教徒に見られた「聖霊体験」について、それらを一種の変性意識状態の事例として取り上げてみました。
→映画『攻殻機動隊』 ゴースト Ghost の変性意識
つまり、新約聖書にある「聖霊にみたされる」という神秘的体験を、不思議な宗教的体験というよりも、システム的に意識(心身)が未知なる「上部(メタ)構造」とつながる体験としてとらえる可能性について考えてみたわけです。
そして、これは、映画のラストシーンで主人公が聞く「さらなる上部構造にシフトする時だ」という(人形使いの)言葉を、そのまま受け取って解釈したものでもあります。この映画が、そのような思想を含意しているからです。
そして、この視点は、歴史上に見られる神秘体験のもつ「癒し」の性格を解明するポイントにもなるということです。
つまり、それらは、上部(メタ)構造とつながるシステムな体験であるがゆえに、上位構造からのベクトルで下位情報が整列させられることにより、私たちの日常意識(下位構造のプログラム)を整理・改変する力、つまりは統合(治癒)する力が生まれるのではないかと考えられるというわけです。
ところで、そのように考えてみると、この心の階層システム論の構造が、さきに見たリリー博士のいう「私たちというプログラム(日常意識)を制御するメタ・プログラマー」説の構造と近しい姿をとっていることに気づかされるわけです。
実のところ、筆者自身も拙著『砂絵Ⅰ 』に記したように、奇妙な変性意識状態(ASC)を経験として持ったわけですが、(判然とはしないものの)それらの事象の背後に何らかのホリスティック(全体的)なシステムがあることは類推(予感)できたのでした。
→『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
そのようなことからも、これら心的システムの高次プログラムにまつわる事柄は、(歴史上の事例の多さから考えてみても)検討すべき内容が多くあると感じられるのです。
私たちの人生には、何らかのきっかけで日常意識を超える要素が、変性意識状態の侵入としてやってくることがあります。そんなことで人生が一変してしまうこともあります。
上記の仮説から考えると、それらの現象はひょっとすると、日常意識の背後で働き、私たちを動かしている「メタ・プログラマーの何らかの調整作用」の影響であるとも考えることができるのかもしれないのです。
(俗世間ではその人の文化的背景によって、それらを神や仏、天使や精霊と見なしたりしているのかもしれないのです)
日常生活の中でふと舞い込む霊感や覚醒感、感覚や意識の拡張、偶然や運として、それらのプログラムは姿を現わしているのかもしれないのです。
そのため、当スペースではX意識状態などと呼んで、それらに感覚的・定常的につながることを方法論的に考えているわけです。
それらに意図的に気づき、意識化していくことにより、それらと整列・同調する高次の学習機能も少しずつ高まっていくからです。そして、おそらくは、メタ・プログラマーのより創造的な影響を呼び込むこと(聖霊に満たされるようなこと)も可能になると考えられるからなのです。
※気づきや統合、変性意識状態(ASC)へのより総合的な方法論は拙著↓
入門ガイド
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。