マズロー「至高体験 peak-experience」の効能と自己実現

【内容の目次】

  1. 自己実現 self-actualization の再定義
  2. A.マズローの狙うところ
  3. 至高体験 peak-experience の諸相
  4. 至高体験 peak-experience の効能
  5. 当スペースでの利用

さて別のページでは、いささか使い古された感のあるA.マズローの自己実現 self-actualizationという概念を取り上げた。マズロー自身がいうように、それはピラミッドの頂上のように、必ずしも下位欲求の実現のあとにのみ現れるわけではないことについて見てみました。
「完全なる存在体験」の因子とA.マズロー

今回は、マズローの別の有名な概念である至高体験 peak-experience を取り上げて、その瞬間的な体験が、自己実現に作用(影響)するその構造的な関係を見ていきたいと思います。
そのような知見があると、変性意識状態(ASC)を実際に体験し、深めていくことの重要性も理解できることとなるのです。

1.自己実現 self-actualization の再定義

ところで、マズロー自身は、世間の通俗的なイメージにあるような「自己実現のモデル」、つまり、それが積み木のような積み上げ式の静的なモデルとしてとらえられてしまうことを危惧してもいました。

そして、さまざまな形で人生に現れる「至高体験(至高経験) peak-experience 」の体験が、人の自己実現を促進していく要素を持つことについて、自己実現の再定義として記しています。

「換言すると、だれでもなんらかの至高経験においては、一時的に、自己実現する個人に見られる特徴を多く示すのである。つまり、しばらくの間、かれらは自己実現者になるのである。望むなら、われわれは一過性の性格的変化と考えてよいのであって、情緒、認識、表現状態はまるで違う。これらはかれの最も幸福で感動的な瞬間であるばかりでなく、また最高の成熟、個性化、充実の瞬間――一言でいえば、かれの最も健康な瞬間――でもある。
 このことは、われわれがその静的、類型学的欠陥を一掃し、極くわずかの人びとが六十歳になって入ることのできる悉無律 all-or-none の神殿としないように、自己実現を再規定することを可能にする。われわれはこれを挿話として、あるいは人を奮起させる事柄として、規定することができるのである。そこでは、人の力はとくに有効に、また非常に快適なかたちでもって結集されるだろうし、かれは一層統合され、分裂が少なく、経験に開かれ、特異的で、まったくのところ表現豊かで、自発的で、完全に機能し、創造に富み、ユーモラスで自我超越的で、自己の低次欲求より独立する等々になるのである。かれはこれらの挿話において、真に自己自身になり、完全にかれの可能性を実現し、かれの生命の核心に接するようになり、より完全な人間になるのである
(A.マスロー『完全なる人間』上田吉一訳、誠信書房)

「われわれが自己実現する人びとと呼んで区別するものは、平均人よりもはるかに何度も、また強く、完全に、これらの挿話的事態が生ずるとみられることである。このことは、自己実現が悉無律的な事柄ではなく、むしろ程度や頻度の問題であり、したがって、適当な研究手段に乗せ得ることを示すのである。われわれはもはや、大部分の時間、自己を充実できる極くわずかの被験者を研究することに限られる必要はない。理論的にいって、少なくとも、自己実現の挿話としてどのような生活歴を研究してもよいのである」(前掲書)

ここでは、至高体験(至高経験)の姿、また至高体験が自己実現に作用するあり様が語られています。

2.A.マズローの狙うところ

ところで、マズローは今では「自己実現」や「至高体験」などの概念で知られていますが、彼の研究の元々の来歴は、精神分析のような欠乏 deficiency した欲求(動機)によってのみ構成される人間像というものに、彼が違和感を感じたからでした。そのような人間像からでは、あるべき創造的な人間像やヴィジョンがまったく描けないからでした。

人間の存在状態の多様な帯域を網羅するには、観察される「肯定的で創造的な要素」も加える必要があると考えたからでした。
そこで彼は、(従来的心理学のような)欠乏 deficiency を軸としたD動機 D-motivation だけで構成される人間像ではなく、生命 being や生成 becoming の成長欲求を核とした「B動機 B-motivation 」というものを考えていくようになったのでした。

また、誰の人生においても、エピソード的に現れる創造的で肯定的な体験―至高体験 peak-experience が存在しており、そのような事実(創造的機能)を含んでいるより全体的な体系、より包括的な心理学を構想するにいたったのでした。
病気(不足)を素材に組み上げられた人間像ではなく、健康(超健康)的要素の組み上げによって描かれる、新しい人間心理学の構想です。

彼は語ります。

「これは、『積極的心理学』あるいは未来の『予防心理学』に関する一章であって、完全に機能する健康な人間をとり扱い、ただ通常の病気である人のみをとり扱おうとするのではない。したがって、「平均人の精神病理学」としての心理学に対立するものではなく、それを超え、原理的にいって、病気も健康も、また、欠乏も生成も生命もともに含める総括的、包括的な体系のなかで、すべてその発見を具体化できるのである。わたくしはそれを生命心理学 Being-psychologyと呼んでいる。というのは、それが手段よりもむしろ目的に関係しているからである。すなわち、最終経験、最終価値、最終認識、達人 people as ends というものに関与しているためである。ところがこんにちの心理学の研究するところは、大抵、所有することよりも所有しないことに、成就よりも努力に、満足よりも欲求不満に、喜びに達したことよりも喜びを求めることに、そこにあることよりもそこに達しようと努めることにおかれているのである」(前掲書)

3.至高体験 peak-experience の諸相

さて次に、彼が注目し、その事例を収集した至高体験(至高経験) peak-experience について見てみましょう。

通常訳語に使われている「至高」という言葉は、何か大袈裟で特別な感じがありますが、実際は、もっと身近にあるカジュアルでハイな体験(その強度が強いもの)なども内に含んでおり、実際はとても多様なものとして考えられていのものです。

「B愛情 B-love の経験、親としての経験、神秘的、大洋的、自然的経験、美的認知、創造的瞬間、治療的あるいは知的洞察、オーガズム経験、特定の身体運動の成就などにおけるこれら基本的な認識事態を、単一の記述でもって概括しようとこころみるものである。これらの、あるいはこれ以外の最高の幸福と充実の瞬間について、わたくしは『至高経験  peak-experience 』と呼ぼうと思う」(前掲書)

彼が、至高体験のものとして挙げるさまざまな特徴を、(表現が少しわかりにくいですが)ひろってみましょう。

「B認識 B-cognition では、経験ないし対象は、関係からも、あるべき有用性からも、便宜からも、目的からも離れた全体として、完全な一体として見られやすい。あたかも宇宙におけるすべてであるかのように、宇宙と同じ意味での生命のすべてであるかのように見られるのである。これは、大部分の人間の認識経験であるD認識とは対照的である。D認識の経験は、(中略)部分的で不完全なものである」

「B認識のあるところ、認識の対象にはもっぱら、またすっかり傾倒される。これは「全体的注意」――シャハテルもまたそうみている――と呼んでもよいかもしれない。ここでわたくしが言おうとしていることは、魅惑されること、あるいはすっかり没頭することの意味に非常に近いのである。このような熱中においては、図は図ばかりになり、地は事実上消えてしまうか、少なくとも重視はされない。それはまるで、当分の間、図は他のものすべてから切り離されたようであり、世界が忘れ去られたようでもあり、暫くの間、認識の対象が生命のすべてになったかのようである」

「そのときには、かれは直ちに、自然がそのまま、それ自体のために存在するように見ることができ、決して人間の目的の遊戯場としては見ないのである」

「わたしが見出したところでは、自己実現する人間の正常な知覚や、平均人の時折の至高経験にあっては、認知はどちらかといえば、自我超越的、自己忘却的で、無我であり得るということである。それは、不動、非人格的、無欲、無私で、求めずして超然たるものである。自我中心ではなく、むしろ対象中心である。つまり認知的な経験は、自我にもとづいているのではなく、中心点を対象におきその周辺に形作っていくことができるのである。それはあたかも、みずからとかけ離れ、観察者に頼らないなんらかの実在を見ているかのようである。美的経験や愛情経験では、対象に極度にまで没入し、『集中する』ので、まったく実際のところ、自己は消えてしまうばかりである」

「至高経験は自己合法性、自己正当性の瞬間として感じられ、それとともに固有の本質的価値を荷なうものである。つまり、至高経験はそれ自体目的であり、手段の経験よりもむしろ目的の経験と呼べるものである。それは、非常に価値の高い経験であり、啓発されることが大きいので、これを正当化しようとすることさえその品位と価値を傷つけると感じられるのである」

「わたくしの研究してきた普通の至高経験では、すべて時間や空間について非常に著しい混乱が見られる。これらの瞬間には、人は主観的に時間や空間の外におかれているというのが正しいであろう。(中略)かれらはある点で、時間が停止していると同時に非常な早さで経過していく別の世界に住んでいるかのようである」

「至高経験は、善であり、望ましいばかりで、決して悪だとか、望ましくないものとしては経験されないのである。経験は本質的に正当なものである。経験は完全で完成したものであり、それ以外のものをなんら必要としない。経験はそれ自体十分のものである。本質的に、必然的で不可避のものである。それはまさにあるべき姿である。それは畏怖と驚嘆と驚愕と卑下、それに敬服と高揚と敬虔でもってさえ反応せられるのである。この経験に対する人の反応を述べるのに、神聖ということばも時折使われている。それは生命の意味からして喜ばしく、『痛快なもの amusing 』である」

「至高経験においては、現実そのものの性質をさらに明確に見ることができ、またその本質がより深く見透されるものだとの命題を認めたい」

「至高経験は、この観点から見ると、絶対性が強く、それほど相対的ではない。(中略)それらは比較的達観し、人の利害を超越しているというだけではない。それらはまた、みずからは『彼岸』にあるかのように、人間臭を脱し、自己の人生を超えて永続する現実を見つめているかのように、認知し反応するのである」

「人間の成熟の高い水準にあっては、多くの二分法、両極性、葛藤は融合し、超越し、解決される。自己実現する人間は、利己的であると同時に、利己的ではない。ディオニュソス的人間であると同時に、アポロ的人間である。個人的であると同時に、社会的である。合理的であると同時に、非合理的である。人と融けあおうとすると同時に、人と離れようとする、など。わたくしが直線的連続と考えていたものは、その両端がたがいに極となり、最大限に離れているが、ここではむしろ、両極端は融合した単一体に集まって、円環あるいはラセン状のものとなるのである。(中略)われわれは、生命の全体を理解すればするほど、ますます矛盾、対立、まともな背反の同時的存在や認知に耐えることができる。つまり、これらは部分的認識の産物で、全体の認識とともに消え失せるように思われるのである

「至高経験は、純粋の満足、純粋の表現、純粋の高揚あるいは喜びと考えてよい。だがやはりそれは『世上における』ことであるから、フロイトの『快楽原理』と『現実原理』の一種の融合を示すのである。したがって、それはさらに、心的機能の高い水準において、普通の二分法的考え方を解決した一例ともいえるものである。
 したがって、われわれは、このような経験をもつ人びとには無意識に対する親近性と開放性、無意識を比較的おそれないことといったある種の『浸透性』が共通に見出される、と考えてよい」
(前掲書)

至高体験は、限定された自我の体験ではなく、全体性(ホールネス)そのものとして自己(とその超過した世界)を体験している状態です。後の時代に、彼が学会を立ち上げることになる、「トランスパーソナル(超人格的・超個人的)」体験といってもよいでしょう。

4.至高体験 peak-experience の効能

さて、上記のような至高体験が、人の心理的側面に大きな影響を与えることは、容易に想像することができると思います。マズローは、その人格変容(転換)への影響を以下のように記します。

「1 至高経験は、厳密な意味で、症状をとり除くという治療効果を持つことができ、また事実もっている。わたくしは少なくとも、神秘的経験あるいは大洋的経験をもつ二つの報告――一つは心理学者から、いま一つは人類学者から――手にしているが、それらは非常に深いもので、ある種の神経症的徴候をその後永久にとり除くほどである。このような転換経験は、もちろん人間の歴史においては数多く記録されているが、わたくしの知るかぎりでは決して心理学者あるいは精神医学者の注目の的となってはいないのである。

2 人の自分についての見解を、健康な方向に変えることができる。

3 他人についての見解や、かれらとの関係を、さまざまに変えることができる。

4 多少永続的に、世界観なり、その一面なり、あるいはその部分なりを変えることができる。

5 人間を解放して、創造性、自発性、表現力、個性を高めることができる。

6 人は、その経験を非常に重要で望ましい出来事として記憶し、それを繰り返そうとする。

7 人は、たとえそれが冴えない平凡な苦痛の多いものであったり、不満にみちたものであったりしても、美、興奮、正直、遊興、善、真、有意義といったものの存在が示されている以上、人生は一般に価値あるものと感じられることが多いのである」(前掲書)

人間や世界に対して、非常に肯定的な見方が高まっていくというわけです。

5.当スペースでの利用

さて以上、マズローの言葉を通して、自己実現 self-actualization とそれに影響する至高体験 peak-experience の関係を見てみましたが、その構造的関連が少し理解されたかと思います。

ところで、実際、至高体験とは、誰においても起こって来るものです。ここで挙げているような極端な形ではなくとも、もっと穏やかな形でさまざまな姿で存在しています。

そして、その可能な因子(種、要素)としての心理特性は、頂上的な体験だけでなく、私たちの日々のさまざまな感覚体験の中にも混じりこんでいるものなのです。

私たちは、心理的投影を通して、ちょっと事件や生活の出来事の中に、芸術体験やスポーツ体験の中に、それらの萌芽を日々感じ取っているものでもあります。フロー体験などがその典型です。
フロー体験とは何か フロー状態 ZONEについて

そして、当スペースのように、心理療法(ゲシュタルト療法)やその他の直接的に心身(心とからだ)を取り扱う実践を重ねていくと、心身エネルギーの流動化が段々と増していき、自己の感覚が拡大していき、至高体験などもより経験しやすくなっていくのです。

拙著でも、心身の流動化や変性意識状態(ASC)が私たちを導く、さまざまな生の肯定的・創造的・超越的様相についてとり扱ってきました。
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

そして、実際のところ、このような創造性(超健康)が、自己のうちに潜在的に在るものとして知っておくことは、人生の取り組みの中で、私たちをより大きな可能性の中に置いていくことでもあるのです。
そのような意味においても、マズローの視点は、現在でも充分に示唆が多いものといえるのです。

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