才能における相補性 NLP(神経言語プログラミング)とビートルズ

さて、ここでは、異質な才能の間における相補性や相乗性ということについて、
考えてみたいと思います。

以前、別のところで、NLP(神経言語プログラミング)の創始者、パンドラー氏とグリンダー氏における、類推される役割分担について触れました。
NLP 神経言語プログラミングとは 天才のモデリング技法 ―効果と課題

ところで、NLPは、優れた人の持つ「天才性(才能)」をモデリングすることや、その再現可能性について多くを語ります。しかしながら、バンドラー氏とグリンダー氏が決別した後の個々の(ソロの)仕事を見ると、2人が共同で仕事をしていた時代ほどは、創造的なことを行なっていないというのはとても暗示的です。事態は、そんなに簡単な事柄ではないわけです。

これらの事例について分析することで、私たちは、創造性の秘密について、一段深いレベルで把握できる事柄があります。そして、それは、私たちの内なる性向への意識化を生み、自己の創造性(行為)を一段階進化させることにもつながるのです。


◆NLP(神経言語プログラミング)の場合

さて、卓越した能力を持つ対象者を、モデリングすることを標榜するNLPですが、そのアイディアの出どころは、おそらくは、バンドラー氏の、優れたモノマネ的な才覚に由来するものと推察されます。

真似ることが、学ぶことの始まりだとは、私たちが子どもの頃によく聞かされた言葉です。

さて、類推ですが、バンドラー氏は、身体的、無意識的なレベルで、対象者の内的世界に入り込み、それを把握し、再現する能力に長けていたのだと思われます。(初期の場合は、パールズやエリクソンが対象でした)

「サブモダリティ」のアイディアが、バンドラー氏からもたらされたというのは、大変示唆的です。

おそらく、彼自身が、対象者を、内側から把握する際に、そのような内的な表象世界(像)を感じ取り、調整しながら、対象者の「見て・聞いて・感じている世界」を再構成していったのでしょう。
そして、そのベスト・パフォーマンスを盗んで(再現して)いったのでしょう。

一方、グリンダー氏は、そのような微細な情報群を、対象化し、構造化し、記述する能力に長けていたのでしょう。

そして、この2人の才覚の組み合わせにより、ブラック・ボックスのように見なされていた「天才(卓越した能力)」を盗み取り、再現可能なものにするという初期のNLPのアイディアが生まれたのだと思われます。

いわば、アソシエート(同一化)とディソシエート(脱同一化)を組み合わせた技法です。
そして、これは、原理の組み合わせであると同時に、2人の優れた才能の組み合わせだったわけです。

そして、この「同一化する力」と「対象化する力」の対極的(両極的)な力を結合させ、振幅させ、ともに優れて発揮させたところに、初期のNLPの創造性があったわけです。
そして、2人の決別により、片翼飛行となり、当初の創造的な沸騰性を失ってしまったわけです。

ところで、このような、創造的要素における役割分担は、共同創作の現場では、つねに起こっているものです。
おおむね、無意識的になされているため、自覚されてはいませんが。


◆ビートルズの場合

たとえば、ビートルズのような並外れたアーティストの場合でも、そのような事態は起こっています。ここでは、そのことを事例に取り上げて、このことを少し見ていきたいと思います。

NLP(神経言語プログラミング)同様に、ビートルズにおいても、グループ解散後のソロの仕事と、グループ時代の作品に優劣の差があることは、明瞭にわかります。ビートルズという集団性が、その天才性の要件だったわけです。

そして、ここでも、メインのソングライター・チーム、ジョン・レノンと、ポール・マッカートニーの間に、おおよその役割分担が類推されるのです。

さて、彼らはともに、美的な創造能力において非凡なものを持っていたわけですが(また共通する似た点を持つが故に、先鋭に共振したわけですが)、その性向として違いがありました。

2人の中では、ジョン・レノンの方が、より精神的で、発明的、作家的な要素を強く持っていたといえるでしょう。

一方、ポール・マッカートニーの方が、芸術家的で、音楽家的な要素を強く持っていたといえるでしょう。

そして、ジョン・レノンの持つ、剥き出しの直接性や、トリックスター性(新奇性、悪戯性)が、その場に留まることや、同じことを繰り返すことを、拒否する方向を推進しました。

一方、ポール・マッカートニーの方は、より美的で、完璧な音楽的造形の才能を持っており、一種、非人間的(天上的)な均整や、作品のより完全な結晶度を駆動することになったわけです。

「ビートルズのレコーディングとは、ポールの曲の録音。余った時間で、他の人の曲を録る」とは、ジョンのボヤキですが、観念したイメージ通りのものを完全に仕上げたい(そのために何回も録り直す)、ポールの非妥協的な情熱をうかがわせます。

そして、そのような性向の二人、ジョンの絶えず問いかけ、突破する先鋭性、超出性と、ポールの並外れた強度で、完璧なものを造形する才能が、激突し、補い合い、相乗効果を生むことで、ビートルズの斬新で発明的なアウトプット、時代の音楽を変える、新奇で美的な造形が創り出されていったわけです。

このことは、二人が分かれた後の個々のソロの作品を見ることで、より明瞭に見て取れます。

ジョンのソロ作品は、作家的には、どれも興味深く、卓越した表現と内容を持っていますが、作品の結晶度としては、内容に較べて、どこか詰め切っていない感じ、惜しい感じが残っています。もっと完璧な結晶度を実現したら、もう一段輝きを増したろう、もっと並外れたものになったろうと思うものばかりです。

一方、ポールのソロ作品は、どれも均整の取れた美的な結晶体としては、申し分ないのですが、どこか手馴れた職人芸と見える面があり、物足りなさが残ります。芸術が必要とする、一閃のような先鋭性や、過剰性がなく、人格的な面では、どこか凡庸な面さえ感じさせます。ポールが、音楽的な天才に比べて、どこか侮られがちなのは、そのような性質にも由来するのでしょう。

一方、ジョンの方は、その早世のせいもありますが(実態から少しずれた)、カリスマ(セイント)的なイメージを残したわけです。

そして、つくづく思われるのは、ビートルズにおいては、その二人の持ち味が、絶妙なバランスで、融合し、激突し、共振することで、飛躍的で、超出的なアウトプットが生み出されたのだということです。

さて、ところで、私たちの中には、ここで見たような対極(両極)的な能力が、多く存在しています。私たちの中には、ジョンやポールがおり、バンドラー氏やグリンダー氏がいるということです。また、その他、多くの才能の対極的なセットが存在しています。

そして、私たちが、一次元高いアウトプットを出そうと思う場合には、このような、自己の、内なる両極性(能力)を意識することが重要となるのです。

「天才性」のモデリングという意味でも、自己の強い部分を促進・増幅し、一方、自分の弱い部分を育成し、鍛錬することが必要なわけです。これは、日々、意識して、自分の性向に取り組むことで、確実に変化を起こせる事柄です。

そのことで、私たちは、自己の創造性を、最終的には、より心の全体性を含んだ、精神の根源的な発現に変えることができるのです。

そして、その結果としてのアウトプットも、当然、より高い次元の内実を、持つことになるのです。

 

【ブックガイド】
ゲシュタルト療法については基礎から実践までをまとめた解説、拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧ください。

気づきや変容、変性意識状態(ASC)を含むより総合的な方法論については、
拙著
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』

および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。


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