◆「やり残した仕事」 Unfinished Business
ゲシュタルト療法には、「Unfinished Business やり残した仕事」という言葉があります。私たちが人生の中で、やり残した事柄のことです。同様の概念で「未完了の体験」「未完了のゲシュタルト」というものがあります。フリッツ・パールズという人は、くだけたフザケた表現が好きな人なので、そのような言い方をしたのです。
「ゲシュタルトの形成と破壊のサイクル」のところで見たように、ゲシュタルト療法では、欲求の単位としてのゲシュタルト(かたち)の充足をとても重視します。
欲しい欲求の単位ごとに、私たちの欲求は充たされ、満足し、完了していくのです。
(或る大きな欲求の中に、小さな欲求の単位が沢山あるということもあります)
例えば、振り返って思い出してみてください。
生活の中で、ふと気がつくと、理由はわからないけど、「なんか気持ちがモヤモヤしてるなぁ」というような状況があると思います。
それをそのままにしておくと、長時間、モヤモヤは残っています。
しかし、「なんでモヤモヤしているのかな?」と、そのモヤモヤに注意を向けて、じっくり感じていると理由がわかってきます。
「少し前に、或る人に言われた一言が気になって、モヤモヤしてたんだ!」
「少し前に、見かけたネット記事が、不愉快でモヤモヤしてたんだ!」と。
そして、そのことに気づくと、モヤモヤは無くなります。もしくは弱まります。
原因となった欲求不満のゲシュタルト(かたち)に気づくと、そのゲシュタルト(かたち)に閉じ込められていた感情エネルギーが解放されるので、スッキリするのです。
そのゲシュタルト(かたち)と欲求不満との結合が、問題の核心なのです。
満足していない欲求(感情)、欲求不満というものは、そのゲシュタルト(かたち)とともに、身を隠して残っているということです。
そして、「完了していない incomplete」「充足していない」ゲシュタルトは、とても重大な意味を持つと考えられるのです。
ところで、この関連で、フリッツ・パールズは、「通俗的な」トラウマ(心的外傷)の理解に疑問を持ちました。
もし過去において、たとえ、強い苦しみの体験があったとしても、もし本人が、その体験を充分に受け入れて、ゲシュタルトとして消化(完結・完了)できているのであれば、それはトラウマ的にはならないと考えたのでした。
「セラピーで大切なことは、今までに何をしてきたかということではなく、何をしてこなかったかということである。何をしてきたかは完結してしまったことであり、充足と統合を通じて自己形成に取り入れられたものである。きちんと完了していない未完結状況というのは環境から自己への取り入れに失敗したものであり、現在まで残っている過去の遺産とも言えるものである。」
(パールズ『ゲシュタルト療法』倉戸ヨシヤ訳、ナカニシヤ出版) ※太字強調引用者
トラウマ的になるというのは、出来事の体験ではなく、その体験がゲシュタルトとして完結(完了)できなかった場合に、過度の欲求不満とともにゲシュタルト(かたち)が残ってしまい、トラウマ的になると考えたのでした。つまり、未完了の体験、未完了のゲシュタルトこそがトラウマ的になると考えたのでした。
そして、未完了の体験や未完了のゲシュタルトというものは、欲求不満の感情的な強さを、今も当時のままの強さで持ち続けているものなのです。
人生のその時に、
「伝えられなかった言葉」
「表現できなかった感情」
「とれなかった行動」が、
強い感情、欲求不満の塊として、今もここに存在しているのです。
「やり残した仕事」「未完了の体験」とは、喉に刺さった魚の骨のように、心の中にありつづけ、似たような人生の場面(ゲシュタルト)で、私たちの激しく苦しめ、刺激し、行動を妨げる煩わしいものであるのです。
また、私たちの生体(魂)にとって、「やり残した仕事」「未完了の体験」は、肉中に刺さった棘のようなものです。
そのため、私たちの潜在意識は、(棘を抜くために)人生のあらゆる機会や似たような場面をとらえて、この「未完了の体験」を完了しようと企んでいます。
似たような場面の中で、「あの時、満たされなかった欲求(感情)」を今回は満たしてやろうと、リベンジ(復讐)してやろうと目論んでいるのです。
また、むしろ、わざわざ似たような場面を再現して、そのリベンジ(復讐)を果たそうとしているのです。
例えば、父親に愛されなかった女性が、大人になって、わさわざ自分を愛してくれない(父に似た)男を探してきて、その男に愛してもらおうとしている(復讐を果たそうとしている/未完了の体験を完了しようとしている)ケースなどは、とてもよくあるケースといえます。残念ながら、そのリベンジ(復讐)は必ず失敗するのですが…。
このように、私たちの潜在意識は、自分の「やり残した仕事」をリベンジするためのさまざまな場面を創り出そうとしているのです。引き寄せようとしているのです。
そのため、私たちは、自分が「嫌だなぁ」と思うパターン(人間関係、出来事)にかぎって、繰り返し遭遇するという事態になっているのです。
これが、本当のところの「引き寄せの法則」なのです。
その結果として、私たちの人生の苦痛や生きづらさが、つくり出されているのです。
◆「やり残した仕事」「未完了」を完了させるセッション
パールズは、指摘します。
「神経症の人は、過去の未完結なことが邪魔をするので、現在に十分に関わることができない人たちである。問題は『今―ここ』にあるのに、気持ちが他のところに行っているので、目の前の問題に集中できないのである。セラピーを通じて、クライエントは現在に生きることを学ばねばならないわけで、セラピーでは、クライエントが今までやったことのないことの練習をすることとなる。」(パールズ、同書) ※太字強調引用者
さて、ゲシュタルト療法のセッション(ワーク)の中では、私たちを苦しめるこの「やり残した仕事」「未完了のゲシュタルト」「未完了の体験」を完結・完了させるということを行なっていきます。
「ゲシュタルト療法は、言葉や解釈のセラピーではなく、経験的なセラピーである。我々はクライアントに過去の記憶の中にある問題やトラウマを再体験するように勧める。もしもクライアントが過去の問題のノートを閉じたいのなら現時点において閉じなければならない」(パールズ、同書)
実際、セッションにおいては、さまざまなアプローチ方法を使って、そのような感情(欲求)のもつれを解放する作業を行なっていきます。
心身感覚を丁寧にたどり、問題の核にある感情(欲求)のもつれをほどいていきます。
その結果、未完了の体験/ゲシュタルトが消滅していくということが起こるのです。
その結果として、私たちは、苦痛や妨害を感じることのない、安心な自分の感情(欲求)というものを感じることができるようになるのです。
そのような体験した人たちは、皆「自分の人生が一変した」と言います。
セッション(ワーク)においては、そのようなことが起こってくるのです。
そして、実際のところ、多くの「未完了の体験/ゲシュタルト」の、元の出来事はほんの小さな出来事だったりします。
セッションが終わった後、あんな「些細なこと」が、自分の中に大きく残っていたことに驚くのです。
親のささやかな言葉、級友のささいなからかい、誰かに言われた一言、態度、表情、そんなものが、私たちの人生にとても大きな影響力を持っているのです。
そして、そんな「未完了の体験/ゲシュタルト」をなくしていくことで、私たちの人生は解放され、全然違ったものに変容していくのです。
【ブックガイド】
ゲシュタルト療法については、基礎から実践までをまとめた拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧下さい。
気づきや統合、変性意識状態(ASC)へのより総合的な方法論は拙著↓
入門ガイド
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。