サイケデリック psychedelic (意識拡張)体験とは何か 知覚の扉の彼方

 さて、「サイケデリック psychedelic (意識拡張)という言葉は、音楽やデザインのイメージとして、その言葉がよく知られています。しかし、ボンヤリとした印象だけで、その体験が、実際に「どのような体験内容を指しているのか」という点(実相/質感/クオリア)については、日本ではあまりちゃんと理解されてはいません。
 サイケデリック(意識拡張)とは、幻覚でもなければ、ドラッグでハイになることでもないのです。
 ところで、変性意識状態(ASC)の研究も、晩年のA.マズローが立ち上げたトランスパーソナル心理学も、1960年代の時代的な背景として、(当時は合法であった、治療用の向精神性薬物による)サイケデリック・セラピーの研究実験があったからこそ、リアルで実践的なものになったのです。

◆時代の先駆け

 ところで、「サイケデリック」の研究がはじまったそもそものキッカケは、精神疾患を抱えた人に対する、薬理学的アプローチの研究からでした。
 精神疾患者が見る幻覚と、幻覚剤 hallucinogen などが引き起こす幻覚とは、脳内システムとしては同じものなのではないかという考えに由来しています。
 病気である幻覚について「脳内の化学的な仕組み」が解明できれば、化学的な投薬によって、精神疾患者の幻覚、ひいては精神疾患を治せるのではないかという素朴なアイディアからでした。
 精神疾患は、脳の化学システムに由来するという、今も流布されている、素朴で間違ったアイディアからでした。

 それは、当時(1940~50年代)すでに、「LSD(リゼルグ酸ジメチルアミド)」などの幻覚作用が発見され、精神医療の中で、精神疾患の治療に何らかの利用ができないかと期待されていたからです。

 ところが、精神科医のハンフリー・オズモンド博士は、そのような研究している中で、それら物質(幻覚剤 hallucinogen )の、精神疾患との関係以上に、その創造的・精神的(スピリチュアル)な効果/価値に注目するようになっていったのです。
 そして、そのような側面について、新たな概念=言葉が必要だと考え、「サイケデリック psychedelic 」という造語を作ったのでした。そして、そのような事柄を、論文として発表するようになったのです。

 その結果、それらの論文に注目した著名なイギリスの作家オルダス・ハクスリーが、オズモンド博士と親交を結び、博士のもとで、実際に幻覚剤メスカリンを服用することとなったのです。
 その体験を記した名著『知覚の扉 The Doors of Perception 』が書かれることになりました。
 そして、この本は、そのような興味深い、具体的なサイケデリック体験を、時代に先駆けて世間一般に知らしめた、決定的な作品となったのでした。
 ちなみに、この書名『知覚の扉 The Doors of Perception 』は、これまたイギリス最重要の幻視家である、W.ブレイクの詩句より来ています。

If the doors of perception were cleansed every thing would appear to man as it is, Infinite. 
For man has closed himself up, til he sees all things thro’ narrow chinks of his cavern.
もし知覚の扉が浄められたなら、すべてのものがありのままに、無限のものとして現われるだろう。
というのも、人はすべてものを、彼の洞窟の狭い隙間を通して見るまでに、自らを閉ざしてしまっているからである。
(William Blake “The Marriage of Heaven and Hell” より)

 ハクスリー自身がこのような事態(人間の閉ざされた事態)を、そのサイケデリック体験を通して痛感したからでしょう。彼自身は、もともと「非常に知的な」作家でした。そのような面での限界を、彼自身が強く感じたことが、彼をこのような探求に向かわせたと考えられるのです。
 ちなみに、詩人ブレイク自身は、この詩句の前節で、心身二元論をまずは消し去るべき考え方であると指摘しています。そして、見かけ上の表面を溶かし、隠れた無限をあらわにする(健康かつメディカルでもある)地獄的な方法についても言及しているのです。
 また、この書名『知覚の扉』は、アメリカの(サイケデリック・)ロック・バンドのドアーズ The Doors の名前の元となりました。シンガーのジム・モリソンが「自分たちは、既知と未知の間にある扉(ドア)になりたい」と考えたからでした。

 さて、ところで、『知覚の扉』の中で描写されている物質「メスカリン」は、元々は、中南米のネイティブ・アメリカンの部族が儀式でつかうサボテン(ペヨーテ)に含まれている成分でした。部族の人々にとっては、それらは宗教的儀礼に使う聖なる植物(メディスン)だったのです。
 ある種の伝統的な社会の中では、元来、そのようなサイケデリック(意識拡張)体験が、その世界観の中では前提(普通)とされていたということです。聖なる植物(メディスン)に、啓示をもらうということです。人類は、そのようなサイケデリック状態について、古代からよく知っていたのです。現在でも、中南米のシャーマニズムの中では、セレモニー(儀式)の中で、そのようなメディスン(薬草)が使われています。これらは、決して遊びや娯楽ではないのです。
サイケデリック・シャーマニズムとメディスン(薬草)の効果―概論
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 さて、そのような経緯で、ハクスリーは、メスカリンを体験することになったのですが、『知覚の扉』で記されている数々の洞察は、「サイケデリック体験」について、後の時代への決定的な指針となったものです
 今でも、
変性意識状態(ASC)や、トランスパーソナル心理学がそもそも何を目指しているのかを考えるのに際しても、とてもヒントとなっています。
 そのようなわけで、ハクスリーは、まだ手探りの状態にあった初期から、エサレン研究所(後の新しいセラピー体験的心理療法」の総本山)の後見人にもなったりしたわけでした。

『知覚の扉』の中で、ハクスリーは、そのメスカリン体験を以下のように記しています。

「…私が眼にしていたもの、それはアダムが自分の創造の朝に見たもの―裸の実在が一瞬一瞬目の前に開示していく奇蹟であった。イスティヒカイト。存在そのもの―エクハルト(※ドイツの神秘家)が好んで使ったのは、この言葉ではなかったか?イズネス、存在そのもの。プラトン哲学の実在―ただし、プラトンは、実在と生成を区別し、その実在を数学的抽象観念イデアと同一視するという、途方もなく大きな、奇怪な誤りを犯したように思われる。だから、可哀想な男プラトンには、花々がそれ自身の内部から放つ自らの光で輝き、その身に背負った意味深さの重みにほとんど震えるばかりになっているこの花束のような存在は、絶対に眼にすることができなかったに相違ない。また彼は、これほど強く意味深さを付与されたバラ、アイリス、カーネーションが、彼らがそこに存在するもの、彼らが彼らであるもの以上のものでも、以下のものでもないということを知ることも、絶対にできなかったに相違ない。彼らが彼らであるもの、花々の存在そのものとは―はかなさ、だがそれがまた永遠の生命であり、間断なき衰凋、だがそれは同時に純粋実在の姿であり、小さな個々の特殊の束、だがその中にこそある表現を超えた、しかし、自明のパラドックスとして全ての存在の聖なる源泉が見られる…というものであった。」ハックスレー『知覚の扉』今村光一訳、河出書房新社

また、

「…私は花々を見つめ続けた。そして花々の生命を持った光の中に、呼吸と同じ性質のものが存在しているのを看たように思った―だが、その呼吸は、満ち干を繰返して、もとのところにもどることのある呼吸ではなかった。その呼吸は、美からより高められた美へ、意味深さからより深い意味深さへと向かってだけ間断なく流れ続けていた。グレイス(神の恩寵)、トランスフィギュレーション(変貌、とくに事物が神々しく変貌すること)といったような言葉が、私の心に浮かんできた。むろん、これらの言葉は、私が眼にする外界の事物に顕わされて顕われていたのである。バラからカーネーションへ、羽毛のような灼熱の輝きから生命をもった紫水晶の装飾模様―それがアイリスであった―へと私の眼は少しずつ渉っていった。神の示現、至福の自覚―私は生まれて初めて、これらの言葉の意味するものを理解した。…仏陀の悟りが奥庭の生垣であることは、いうまでもないことなのであった。そして同時にまた、私が眼にしていた花々も、私―いや『私』という名のノドを締め付けるような束縛から解放されていたこの時の『私でない私』―が見つめようとするものは、どれもこれも仏陀の悟りなのであった。」(前掲書)

 存在の神秘が剥き出しにされるような啓示的な体験であったというわけです。
 そして、「私」を超えた世界が開かれていたというわけです。
 また、そのような体験について考察をめぐらせていきます。

…宗教上の言葉で“この世”と呼ばれている世界が、すなわちこの世界であり、その世界では濾過されて残った意識内容だけが言葉によって表現される世界、そしてさらにいえば、言葉によって生命を失って石化されてしまっている世界である。(中略)ほとんどの人々は、その人生のほとんどの時において、減量バルブを通して減量された意識内容で、方言にすぎない人間の言語が本当に真実のものだというお墨付けを付けたものだけしか知ることがない。減量バルブの表街道に対して、これを出し抜く一種のバイパスというべき裏街道が存在する。そしてある種の人々は、このバイパスを生まれつき持っているように思われる」(前掲書) ※太字強調引用者

 引用文の中で、ハクスリーの「減量バルブ」という言葉が出てきますが、これはフランスの哲学者ベルクソンが考えているような観点、つまり、私たちの「脳」の主要な機能というは「制限すること」であり、宇宙の膨大な情報を濾過し、減量する性質を持つものであるという観点に拠っているものです。
 私たちのこの地上での生存の都合上、余計な情報は濾過して、認知しないような機能を、脳は担っているという視点です。脳は「抑制するための装置/減量バルブ」ということです。
 その結果もあり、「方言にすぎない人間の言語」の「お墨付け」されたニセ世界を、「現実」だと思ってしまっているというわけです。
「バイパス」とは、そのような「脳の濾過機能」をかいくぐって、本来ある「原初の豊饒な情報=真の現実」にアクセスする抜け道という意味合いです。


◆サイケデリック(意識拡張)の本格的研究

 では参考に、他の人物による、サイケデリック体験、治療用幻覚剤LSDの体験の報告も見てみましょう。
 LSD※といえば、現代では、まるで「ドラッグ」のように勘違いされていますが、いわゆる「ドラッグ」ではありません。元々は、精神医療の中で使用されていた治療用薬剤(幻覚剤)でした。当然、当時は合法です。日本では理解されていない、こういう区別も重要です。
「LSD(リゼルグ酸ジエチルアミド lysergic acid diethylamide )」
 しかし、そもそも、この「幻覚剤」という日本語自体が、事実を歪曲した、間違った表現でもあります。通常、「幻覚」とは「現実でない」ことを意味しているからです。
 しかし、実情は、より「真の現実」に近いものがあるのです。
 サイケデリック・セラピーの権威スタニスラフ・グロフ博士は、LSDについて、「幻覚」とはむしろ逆のことを指摘しています。

「それら(LSD)は、他の薬物のように、薬物特有の状態を誘発するのではなく、むしろ、無意識的プロセスの特定しえない触媒もしくは増幅器として働き、人間精神エネルギー・レベルをあげることにより、その深層の内容と生得的なダイナミクスを顕在化させるのである」(グロフ『自己発見の冒険』吉福伸逸他訳 春秋社)

 LSDは、深層意識そのもののリアリティ(真の現実性)を開示してくるということです。
 そのため、心理療法のツールとして、他に類例のない大きな効果を上げたのでした。幻覚であれば、それは逃避(回避/妄想)となり、治療効果とならなかったでしょう。
 現在でも、ネットで話題になることの多い、南米のシャーマニック植物「アヤワスカ」
などが、なぜ難治の病気や症状に対して、大きな治癒と変容の力を持つのかというと、それは、同じ理由からなのです。
アヤワスカ―煉獄と浄化のメディスン(薬草)
 例えば、通常、私たちが過去のことを思い出すといっても、(記憶力を振り絞っても)本当に幼い乳幼児の頃のことなど思い出せないものです。しかし、LSDでは、簡単にほんの幼少期の記憶までもが鮮明に甦ってきます。また、乳幼児や胎児の頃の記憶まで出てくるということが普通にあるのです。その「意識拡張/透視力」には、計り知れない力があるのです。
 そのため、当時、ハーバード大学の教授であったティモシー・リアリー博士らも、LSDを精神解放のツールとして、「サイケデリック体験」用のツールとして、これを大いに喧伝したのです。

 さて、そのようなサイケデリック体験、LSDですが、ここでは、少し極端な事例(体験報告)を見ていってみましょう。
 その方が、それがもたらす「意識拡張/透視力」の力というものがよくわかるからです。
 例えば、次の例は、或る精神科医が、LSD体験の中で、自分が「精子」にまで戻り、「胎児」として生長する体験(信じがたい体験)をしたことを報告している例です。

「しばらくして、大変驚いたことに、自分が一個の精子であり、規則正しい爆発的な律動が、震動するように動いている私の長い鞭毛に伝えられた生物的なペースメーカーのビートであることを、認識することができた。私は、誘惑的で抵抗しがたい性質を持った、何らかの化学的メッセージの源泉をめざす熱狂的なスーパーレースに巻き込まれていたのだ。その頃には(教育を受けた大人の知識を使って)、卵子を到達しその中に突入し受精することがゴールだということがわかった。この場面全体が私の科学的な精神にはばかばかしくこっけいに見えたが、ものすごいエネルギーを要するこの大真面目で不思議なレースに夢中にならずにはいられなかった。
 卵子を求めて張り合う精子の体験をしながら、関与するすべてのプロセスを私は意識した。起こっていることは、医学校で教わった通りの生理学的な出来事の基本的特性を備えていた。とはいえ、それら加えて、日常の意識状態ではとても思い描けない次元もたくさんあった。この精子の細胞意識はひとつのまとまりをもった自律的な小宇宙で、独自の世界だった。私は核原形質の生化学的なプロセスの複雑さを明確に意識し、染色体、遺伝子、DNA分子を漠然と意識していた」
「(卵子と)融合した後も、体験はまだ速いペースで続いた。受胎後、圧縮され加速された形で胎児の成長を体験した。それには、組織の成長、細胞分裂、さらにはさまざまな生化学的プロセスについての完全に意識的な自覚が伴っていた。立ち向かわなければならない数多くの課題、その時おりの挑戦、克服すべき決定的な時期がいくつかあった。私は、組織の分化と新しい器官の形成を目撃していた。そして、脈打つ胎児の心臓、円柱状の肝臓の細胞、腸の粘膜の皮膜組織になった。胎児の発達にはエネルギーと光の莫大な放出が伴っていた。このまばゆい金色の輝きは、細胞と組織の急速な成長にまつわる生化学的なエネルギーと関係しているように感じた」(グロフ『深層からの回帰』菅靖彦他訳 青土社 ※太字強調引用者)

 次の事例では、被験者は、その体験セッションの中で、「自分を、鉱物の意識状態と感じる(同一化していく)」という非常に奇妙な体験をしていきます。

「次の例は、琥珀、水晶、ダイヤモンドと次々に同一化した人物の報告だが、無機的な世界を巻きこむ体験の性質と複雑さをよく示している。(中略)

 それから体験は変化しはじめ、私の視覚環境がどんどん透明になっていった。自分自身を琥珀として体験するかわりに、水晶に関連した意識状態につながっているという感じがした。それは大変力強い状態で、なぜか自然のいくつかの根源的な力を凝縮したような状態に思われた。一瞬にして私は、水晶がなぜシャーマニズムのパワー・オブジェクトとして土着的な文化で重要な役割を果たすのか、そしてシャーマンがなぜ水晶を凝固した光と考えるのか、理解した。(中略)
 私の意識状態は別の浄化のプロセスを経、完全に汚れのない光輝となった。それがダイヤモンドの意識であることを私は認識した。ダイヤモンドは化学的に純粋な炭素であり、われわれが知るすべての生命がそれに基づいている元素であることに気づいた。ダイヤモンドがものすごい高温、高圧で作られることは、意味深長で注目に値することだと思われた。ダイヤモンドがどういうわけか最高の宇宙コンピュータのように、完全に純粋で、凝縮された、抽象的な形で、自然と生命に関する全情報を含み込んでいるという非常に抗しがたい感覚を覚えた。
 ダイヤモンドの他のすべての物質的特性、たとえば、美しさ、透明性、光沢、永遠性、不変性、白光を驚くべき色彩のスペクトルに変える力などは、その形而上的な意味を指示しているように思われた。チベット仏教がヴァジュラヤーナ(金剛乗)と呼ばれる理由が分かったような気がした(ヴァジュラは「金剛」ないし「雷光」を意味し、ヤーナは「乗物」を意味する)。この究極的な宇宙的エクスタシーの状態は、「金剛の意識」としか表現しようがなかった。時間と空間を超越した純粋意識としての宇宙の創造的な知性とエネルギーのすべてがここに存在しているように思われた。それは完全に抽象的であったが、あらゆる創造の形態を包含していた」 ※太字強調引用者 グロフ『深層からの回帰』菅靖彦他訳(青土社)

 上記のセッションを指導した、精神科医のスタニスラフ・グロフ博士は、(「自己実現」で有名な)A.マズローとともに、「トランスパーソナル心理学」立ち上げた重要な人物であり、「サイケデリック研究/サイケデリック・セラピー」の権威でもあります。かつて、LSDの発見者A.ホフマン博士は、「私はLSDの父(ファーザー)と呼ばれるが、グロフ博士はゴッドファーザーだ」と語りました。
 グロフ博士は、元々チェコで、合法だった時代のLSDを使って、サイケデリック・セラピー(LSDセラピー)を行なっていた人でした。数千回(直接に三千回、間接に二千回)にわたるサイケデリック・セッションにたずさわり、人間の深い治癒プロセスと、意識 consciousness の不可思議な限りない能力を目の当たりにしていったのです。
 そして、このような観察結果/臨床データが、最晩年のマズローを突き動かして、トランスパーソナル心理学設立へと駆り立てたのでした。
 しかし、グロフ博士がたどり着いた結論は(本人自身が受け入れがたく、長年、精神的に葛藤したと語るように)、今現在、一般に流通しているメインストリームの科学的世界観とそぐわないものとなったのです。
 彼は、それらに至った経緯を語っています。

「LSD研究のなかでわたしはとうの昔に、ただ単に現代科学の基本的諸仮定と相容れないという理由で、絶えまなく押し寄せる驚異的なデータ群に目をつぶりつづけることが不可能なことを思い知った。また、自分ではどんなに想像たくましくしても思い描けないが、きっと何か合理的な説明が成り立つはずだと独り合点することもやめなければならなかった。そうして今日の科学的世界観が、その多くの歴史的前例同様、皮相的で、不正確かつ不適当なものであるかもしれないという可能性を受け容れたのである。その時点でわたしは、不可解で議論の的となるようなあらゆる知見を、判断や説明をさしはさまず注意深く記録しはじめた。ひとたび旧来のモデルに対する依存心を捨て、ひたすらプロセスの参加者兼観察者に徹すると、古代あるいは東洋の諸哲学と現代の西洋科学双方のなかに、大きな可能性を秘めた新しいエキサイティングな概念的転換をもたらす重要なモデルがあることを少しずつ認識できるようになった」(グロフ『脳を超えて』吉福伸逸他訳、春秋社) ※太字強調引用者

 新しい見方をとっていくことで、上に引用した「鉱物との同一化」やその他の無数に起こる奇妙な体験の数々を受け容れることができるようになっていったのです。「判断や説明をさしはさまず注意深く記録」していくことによってです。しかし、それらは、現在一般に信じられている科学的世界観とはそぐわないものでもあったのです。しかし、これはまた、変性意識状態(ASC)全般について言えることでもあるのです。
 彼は、サイケデリック(意識拡張)・セッションでの結論を次のように語ります。

「サイケデリック体験の重要な特徴は、それは時間と空間を超越することである。それは、日常的意識状態では絶対不可欠なものと映る、微視的世界と大宇宙との間の直線的連続を無視してしまう。現れる対象は、原子や分子、単一の細胞から巨大な天体、恒星系、銀河といったものまであらゆる次元にわたる。われわれの五感で直接とらえられる「中間的次元帯」の現象も、ふつうなら顕微鏡や望遠鏡など複雑なテクノロジーを用いなければ人間の五感でとらえられない現象と、同じ経験連続体上にあるらしい。経験論的観点からいえば、小宇宙と大宇宙の区別は確実なものではない。どちらも同じ経験内に共存しうるし、たやすく入れ替わることもできる。あるLSD被験者が、自分を単一の細胞として、胎児として、銀河として経験することは可能であり、しかも、これら三つの状態は同時に、あるいはただ焦点を変えるだけで交互に起こりうるのである」

「サイケデリックな意識状態は、われわれの日常的存在を特徴づけるニュートン的な線形的時間および三次元空間に代わりうる多くの異種体験をもたらす。非日常的意識状態では、時間的遠近を問わず過去や未来の出来事が、日常的意識なら現瞬間でしか味わえないような鮮明さと複雑さともなって経験できる。サイケデリック体験の数ある様式(モード)のなかには、時間が遅くなったり、途方もなく加速したり、逆流したり、完全に超越されて存在しなくなったりする例もある。時間が循環的になったり、循環的であると同時に線型的になったり、螺旋軌道を描いて進んだり、特定の偏りや歪みのパターンを見せたりしうるのである。またしばしば、一つの次元としての時間が超越されて空間的特性を帯びることがある。過去・現在・未来が本質的に並置され、現瞬間のなかに共存するのだ。ときおり、LSDの被験者たちはさまざまなかたちの時間旅行(タイム・トラベル)も経験する。歴史的時間を遡ったり、ぐるぐる回転したり、完全に時間次元から抜け出て、歴史上のちがった時点に再突入したりといった具合だ」

「非日常意識状態についてふれておきたい最後の驚くべき特徴は、自我(エゴ)と外部の諸要素との差異、もしくはもっと一般的にいって、部分と全体との差異の超越である。LSDセッションにおいては、自己本来のアイデンティティを維持したまま、あるいはそれを喪失した状態で、自分をほかの人やほかのものとして経験することがありうる。自分を限りなく小さい独立した宇宙の一部分として経験することと、同時にその別の部分、もしくは存在全体になる経験とは相容れないものではないらしい。LSD被験者は同時にあるいは交互に、たくさんのちがったかたちのアイデンティティを経験することができる。その一方の極は、一つの物理的身体に住まう、分離し、限定され、疎外された生物に完全に同一化すること、つまりいまのこのからだをもつということだろう。こういうかたちでは、個人はほかのどんな人やものともちがうし、全体のなかの無限に小さな、究極的には無視してかまわない一部分にすぎない。もう一方の極は、〈宇宙心(ユニヴァーサル・マインド)〉ないし〈空無(ボイド)〉という未分化の意識、つまり全宇宙的ネットワークおよび存在の全体性との完全な経験的同一化である。」(グロフ前掲書) ※太字強調引用者

 このような結論は、その体験の中で現れてくる意識状態そのものの不可思議さもあり、「『意識』そのものがどのようなものであるのか」という大問題にも関わるので、簡単に判断しがたいものですが、精神と心を探求する者にとって、とても示唆の多いものとなっているのです。
 そして、トランスパーソナル心理学のケン・ウィルバーの語る「意識の本質論」=「意識のスペクトル」論などに対しても、臨床的・現象的な観察の裏付けという意味合いで、とても重要な光をもたらすものとなっているのです。


◆まとめ

 さて、このセクションでは、「サイケデリック」について、ハクスリーやスタニスラフ・グロフ博士の研究について見てきました。
 とても興味深く、不可思議な世界ではないでしょうか?

 しかし、このような世界は、必ずしもサイケデリック物質を摂らなくとも得ることができるものなのです。「意識」の本性が、元々そのような可能性を持っているものだからです。サイケデリック物質は、単なる媒体(媒介)のひとつでしかないからです。
 実際、上のグロフ博士は、LSDの使用に法的規制がかかった後は、体験的心理療法/(呼吸法を使った)「ブリージング・セラピー」を使って、近似した効果を上げていくことになりました。
 なぜなら、サイケデリック物質は、きっかけでしかなく、意識の変容した状態である変性意識状態(ASC)さえちゃんと生み出せれば、方法論(媒介)はなんでも良いからです。
 さらに言うと、変性意識状態(ASC)さえ、きっかけ(通路)であり、私たちの本源にある
〈意識 consciousness〉の本性」そのものに深くコンタクト(接触)できれば、深い次元の体験をできるからです。
 次の女性の事例は、そのブリージング・セッションの中で、「自分を鯨としてまざまざと体験する(同一化する)」という、奇妙な(サイケデリック体験と同様の)体験をしていきます。

「意識がはっきりと大洋的な性質を帯びてきたという感覚が高まり、ついに、大洋の意識と表現するのが一番ふさわしいものに、自分が実際になるという感覚を覚えた。いくつかの大きな体が近くにいることに気づき、それが鯨の群れであることを悟った。
気がつくと、頭部を冷たい空気が流れるのを感じ、口の中に塩辛い海水の味がした。明らかに人間のものではない異質な感覚や気持ちが微妙に私の意識をのっとった。周囲にいる他の大型の身体との原初的なつながりから新しい巨大な身体イメージが形成されはじめ、自分が彼らの仲間のひとりになったことを悟った。腹の内部にもうひとつの生命形態を感じ、それが自分の赤ん坊であることを知った。自分が妊娠している雌鯨であることに何の疑いも持たなかった」(グロフ前掲書)


 体験的心理療法は、私たちの閉ざされた知覚や心身を、心身一元論的に溶解し、知覚を流動化させていくことで、変性意識状態(ASC)や、超越的なトランスパーソナル(超個的)な次元が体験されてくることになるからです。それは、いみじくも、前述の幻視家W.ブレイクの語った通りです。このことについては、別に、映画『マトリックス』を素材にそのことを解説してみました。
「映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) 残像としての世界」

 さて、ところで、さきのハクスリーの言葉の中で、「バイパス」の話が出てきました。バイパスとは、「脳の濾過機能」をかいくぐって、本来ある「豊饒な情報」にアクセスする「抜け道」という意味合いです。
 しかし、歴史的に考えると、それらは伝統的には、シャーマニズム的な世界の中で、昔から存在していたものでもありました。シャーマニズムは、「豊饒な情報/異界」にアクセスする「聖なる秘密の道」を教えるものでもあったのです。
 また、「抜け道」的な意味合いとしては、文化的にはある種、トリックスター的なふるまい(回路/通路)としても存在していたのです。それは、「通常のノーマルな世界観」を壊乱し、その裏側を通り、超えていく方法です。それは、部族(人類)そのものが、必要なものとして、社会装置の中に、常につくっていたものでした。
 そして、実際のところ、そのような「バイパス(変性意識)」は、現実には、多様に存在しているのです。そして、それは、向精神性物質に限定されているわけでもないです。
 実際のところ、古今東西、この世の中には(表向きには隠されているにしても)さまざまな方法論が、宗教や魔術、現代では体験的セラピーとして存在していて、実践されていて、バイパス(抜け道)としての成果を上げてきたからです。

 そして、その中でも、「心身一元論的な心を変容させる技法(体験的心理療法)」は、比較的安全かつ的確に、私たちの中に、そのような「バイパス(変性意識)」を作り出していくためのものなのです。
 筆者自身、十代の頃に、ハクスリーを読み、強い感銘を受けて、その後、意識の拡張を目指し、さまざまな体験的心理療法(ゲシュタルト療法等)に取り組み、多様な興味深い変性意識を体験していくことになりました。そして、その結果として、実際に「知覚の扉の彼方」にある、まばゆい光明の世界にたどり着くことにもなったのです。
 ですので、ハクスリーの書いているような事柄は、決して特別な事でも、絵空事でもないのです。
 私たちが、通常の地道な探求の果てに、必ず得られる〈光明〉でもあるのです。

 実際、その後のハクスリーは、アメリカのエサレン研究所 Esalen Institute という、二人の若者がつくる能力開発センターの後見人になりました。
 ここから、ゲシュタルト療法をはじめ、前衛的な体験的心理療法が、世界中に広まっていったのです。
『エスリンとアメリカの覚醒―人間の可能性への挑戦』
 エサレン研究所は、ワークショップ・センターであり、医療機関でも、アカデミックな学術機関ではありません。しかし、そのためにかえって、当時のさまざまな先端的な人々同士が、フラットに交流する場となり、新しい思想と実践的なメソッドが醸成される空間となったのでした。
 有名な人々では、思想家のグレゴリー・ベイトソンゲシュタルト療法のフリッツ・パールズトランスパーソナル心理学スタニスラフ・グロフらが長期居住者となり、さまざまなワークショップやレクチャーを行ないました。
 下記に紹介しているスタニスラフ・グロフのインタビュー動画の中でも、博士はこのエサレン研究所について、「人間ラボラトリー」「潜在能力センター」「どの研究機関や大学よりも、心理学と精神医学に貢献してきた」と語っています。

 ハクスリー他の記述に「何か響くもの」を感じた方は、ぜひ、意識拡張の可能性を信じて(薬物という方法でなくとも)、色々な探求の旅に出られてみることをおすすめいたします。
実際の変性意識状態(ASC)の体験事例
「サイケデリック・シャーマニズムとメディスン(薬草)の効果―概論」
「アヤワスカ―煉獄と浄化のメディスン(薬草)」
さまざまなメディスン(薬草)の効果―マジック・マッシュルーム、ブフォ・アルヴァリウス(5-MeO-DMT)

 また、サイケデリック体験には、上記のような肯定的な面ばかりでなく、薬物中毒の問題以外にも、多くの否定面や問題もありますので、そのあたりは下記をご覧ください。この点の方が、世間的な印象かもしれません。しかし、ある意味では、その「直観」は正しいのです。
変性意識状態(ASC)とは何か advanced 編「統合すれば超越する」 6.なぜ、幼稚なものが多いのか 超個(トランスパーソナル)と前個(プレパーソナル)の違い
→ラム・ダス(リチャード・アルパート)『ビー・ヒア・ナウ』

 さきにも触れた、トランスパーソナル心理学を、A.マズローとともに立ち上げた、スタニスラフ・グロフ博士は、元々チェコで、合法だった治療用幻覚剤LSDを使って、数千回にわたるサイケデリック・セラピーを行なっていた最重要人物です。
 下の彼のインタビュー動画は、サイケデリック(LSD)の登場、効果、普及の理由などを、彼自身の個人的体験として、歴史的に回顧する大変興味深いものとなっています。↓
https://www.ntticc.or.jp/ja/hive/interview-series/icc-stanislav-grof/
※インタビュー中の、「イサレム」はエサレン、「バルド界」と訳されているものは、「チベットの死者の書」でいう「バルドゥ(中有)」のことです。


付記 「サイケデリック psychedelic 」という言葉の由来
 
参考までに、(日本では今でも)意味が伝わりづらい「サイケデリック psychedelic 」という言葉(用語、名称)が採用され、公式に世に出された経緯(由来、語源)を下記に引用しておきます。その言葉をつくったハンフリー・オズモンド博士は、まだ医療用の向精神性薬物が開発される前の時代に、精神科医として、統合失調症(精神分裂症)の脳内で起こっている生化学的プロセスに興味をもった人物でした。その生化学的プロセスがわかれば、治療法になると考えて、精神に作用する物質を研究しはじめたのでした。しかし、そのような物質の薬効を体験し、調べているうちに、そのような物質は、もっと能動的で、積極的、創造的な作用を心にもたらすことに気づいていったのです。

LSD体験を説明した科学論文の用語は、オズモンドにはぴんとこなかった。幻覚とか精神障害という用語は、悪い精神状態しか意味していない。ほんとうに客観性を重んじる科学であれば、たとえ異常な、あるいは正気でないような精神状態を生みだす化学薬品に対しても、価値判断はくださないのが筋なのに、精神分析の用語は病理的意味あいを反映していた。オルダス・ハックスリーも、病理学的用語は、不適切だと感じていた。このドラッグの総体的な効能を完全に包含するには、新しい名称をつくるしかない、オズモンドもハックスリーもこの点では意見が同じだった。
オズモンドはハックスリーがはじめてメスカリン体験をしたときの縁で、親友づきあいをしており、頻繁に手紙をやりとりしていた。最初ハックスリーは「ファネロシーム」ではどうかと提案した。語源は「精神」とか「魂」という意味である。オズモンドあての手紙には、つぎのような対句が書かれていた。

 このつまらない世界に荘厳さが欲しければ、
 ファネロシーム半グラムをのみたまえ。

これに対してオズモンドは、こう返歌を書いた。

 地獄のどん底、天使の高みを極めたければ、
 サイケデリックをひとつまみだけやりたまえ

 こうして「サイケデリック」ということばが、つくられたのである。オズモンドは、一九五七年、このことばを精神分析学会に紹介した。ニューヨーク科学学会の会合で研究報告したとき、彼はLSDなどの幻覚剤は単なる精神障害誘発剤を「はるかにこえる」機能を持っており、したがってこれにふさわしい名称には、「精神をゆたかにし、ヴィジョンを拡大する側面をふくめる」必要があると主張した。そして、「精神障害誘発剤」のかわりに、あたりさわりのない用語を披露したが、これは意味がはっきりしなかった。文字どおりにはサイケデリックは「精神を開示する」という意味で、いわんとするところは、この種のドラッグは予測のつくできごとを開示するのではなく、意識下にかくされていたものを表面にひきだす機能を持つということである。
マーティン・A・リー他 越智道雄訳『アシッド・ドリームズ』(第三書館)

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