アウトプットとゲシュタルト療法Ⅰ

さて、ゲシュタルト療法実際に経験していくと、おそらく、それまでの人生で、あまり経験してこなかったような類いの大きな行動特性に気づかれると思います。

それは「表現すること」または「アウトプットすること」です。

これは心理療法の技法としても特徴的でありますし、また日本人の生活水準という見方においても、そのように言えるかと思います。

そのためある意味この点で、ゲシュタルト療法は、日本人にとって敷居が高くなる面があるのと同時に、逆に、爆発的に効果を持つという面があります。
この点が、ゲシュタルト療法が日本人に対して、大きな可能性を持つ部分ともいえます。

さて普通、日本社内というものは「個人として表現する」「個としての表現」というものをあまりしない(歓迎しない?)社会です。まわりに合わせて、自分の個としての表現を抑圧しがちです。集団の中に、個人を埋没させることを推奨する社会です。

一方、ゲシュタルト療法は、真実の感情に根ざした個としての際立ちを重視します。
自分が外部から取り込み、鵜呑みにして自分を抑圧している作用を否定します。
「ノーと言える能力」を重視し育てます。

そういう面でも、ゲシュタルト療法では、個としての能力や尊厳を重視します。ゲシュタルトの祈り」そのような面のあらわれでもあります。

私は私のことをやり、
あなたはあなたのことをやる。
私は、あなたの期待に応えるために、
この世界にいるのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えるために、
この世界にいるのではない。
あなたはあなた、私は私。
もし私たちが出会えるとするならば、
それは素晴らしいことだ。
もしそうでないならば、
それは、いたしかたないことだ。

フリッツ・パールズ

ゲシュタルト療法では、その場が安全・安心であるという枠組みがあるからですが、セッション(ワーク)の中で、自分の「なまの感情」を出したり、「なまの表現」をすることを大いに奨励します。
「実験として」「少しリスクをとって」という枠組みで、さまざまな自己表現することを試してもらいます。

最初はおっかなびっくりで抵抗があったたどたどしい表現も、手ごたえを感じて慣れてくるとだんだんと自分の中心から感情表現できるようになっていきます。
表現することに対する自信がついてきます。
より自発的に表現できるようになってきます。
個としてその人らしい表現が行なえるようになっていきます。
それは前記したように安全な空間で、実験として色々とロールプレイできるからです。

そして、身内に育った自信は、実生活の中や人生の選択の中でもさまざまに役立っていきます。
「言うべきか、言わないべきか」のどちらかを選ぶ段で「あえて言う(表現する)」の方を選ぶこと。
それが人生の可能性を開きがちであるということを、経験として実体験として、勘としてつかんでいくことになります。
そのようなアウトプットが、自分の内奥を活かす道であるとともに、他人の魂も覚醒させがちであるということに、気づいていきます。

の点だけにおいても、現代日本人に対して、ゲシュタルト療法は、真に必要なミッションを持っているとも言えるのです。
フリー・ゲシュタルト・ワークスが重視し、拠って立つ観点でもあるのです。

 

【ブックガイド】
ゲシュタルト療法については、基礎から実践までをまとめた拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧下さい。

↓動画解説 気づき・アウトプット・越境 ゲシュタルト

↓ゲシュタルト療法については、拙著『ゲシュタルト療法ガイドブック:自由と創造のための変容技法』をご参照ください。

↓動画「ゲシュタルト療法と生きる力の増大」