ここでは、よくご質問をいただく、コーチング、NLP(神経言語プログラミング)、スピリチュアル系等について、それぞれどのような効果や適性、特徴や由来を持っているのかについてまとめてみました。
ぜひ、ご参考にしていただき、ご自分にあった方法論を見つけていただければと思います。
【目次】
はじめに
①コーチング
②NLP(神経言語プログラミング)
③スピリチュアル系
はじめに
このガイドマップで取り上げた方法論は、心に関わる「自己啓発系」の方法論として、現在、日本である一定規模で広まっている方法論です。これらは、現代日本の文物の多くがそうであるように、アメリカ由来のものとなっています。
1980年代以降、輸入品として、日本に持ち込まれたものです。そして、オリジナルの方法論自体が、(昔の日本の神仏習合がそうであったように)出自もさまざまなものをツギハギしてできた、良くも悪くも玉石混合の方法論たちです。そのため、自分の目的に合わせて、その内容(内実)を見きわめることが活用のポイントとなっているのです。
これらは、方法論・技法の遠い起源としては、(その昔)吉福伸逸氏などが、トランスパーソナル心理学の輸入(導入)に際して、その前提とした紹介した1960年代の体験的心理療法(エンカウンター・グループ、ゲシュタルト療法、ボディワーク・セラピー)や、人間性回復運動 human potential movement のさまざまなメソッドが大元(起源)となります。
しかし、より直接的な起源としては、それら体験的心理療法の技法を、見よう見まねで模倣した「商業セミナー(動機付けセミナー、ブレイクスルー・セミナー等)」がその大元といえます。それらが1970年代以降、雨後の筍のように沢山あったわけです。NLP(神経言語プログラミング)もそんな風土の中に生まれたのです。
また、1970年代以降、日本の企業研修に一部輸入され、あまりうまく機能しなかった「感受性訓練 sensitivity training」「Tグループ」などのグループを使うアプローチも、系統は違いますが、アメリカでは同じ風景の中に存在していたのです。エンカウンター・グループ自体が、元来は、産業系由来のものです。
「感受性訓練」の失敗は、日本企業の研修史(組織開発史)の中の「黒歴史」といっていいでしょう。本来、深いスキルと技量の要る方法論を、見よう見まねで、安易にビジネスに転用した結果です。
そして、それらによって、日本企業の中に残されたトラウマ(外傷)が、日本企業の「組織開発 organization development」的なものに対するアレルギーとして残ってしまったというのは、とても残念なことと言えるでしょう。
上記、商業セミナーなどは、1980年代以降、日本でも「自己啓発セミナー」として輸入され、強引な勧誘方法やそのことで参加者の人間関係が崩壊するなどして、一部で社会問題化しました。
ところで、アメリカには元来、エマーソンの超越主義やニューソートなど、ある種の奇妙な精神主義(唯心論)の流れがありました。それは、アメリカの大地の中で、聖霊主義的な新興宗教が芽吹きやすい土壌があったのかもしれません。そこに、神智学(オカルティズム)などヨーロッパ由来のものが習合して、「引き寄せの法則」などの奇妙な思想なども生まれていたわけです。これが後世、チャネリングなどのニューエイジ系の思潮にもつながっていったわけです。
このようなさまざまな方法論が習合してできた自己啓発系の方法論が、1980年代以降、日本に輸入されてきたわけです。そのため、ある種特有の「胡散臭さ」や「怪しさ」が最初からあるわけです。
よくネットでは、これらについて、「胡散臭い」「怪しい」と書かれていますが、実際それは当たっているのです。ある意味、充分に「胡散臭さくて」「怪しい」ものなのです。
実際、これらは、主宰しているスクールの質によって、玉石混交となっているので、質の見きわめが重要となります。一部の商業セミナーのように、故意に人をだますところは大分減ってはいるとは思いますが、本人たちの知識・技量や、何よりも心理的な成熟度の低さが、結果的にクライアントの方に害をなしてしまうということも多いからです。本人たちに自覚がない分、事態は深刻(悲惨)ともいえます。
そのため、これらの方法論から真摯に何かを得たいと考えている方は、その団体やスクールの人物チェックと、それぞれの方法論自体が、どのような効果や限界を持っているのか、その由来や特徴を理解しておくことが望ましいといえます。
①コーチング
コーチングは、おそらく元々は、商業セミナー由来のものですが、クライアントの方の目標達成や、本当にやりたいことの実現をサポートする対人技法です。
達成したいゴールや向かう方向性へ、エネルギーをきちんと焦点化するために、クライアントが伴走役として付けるのがコーチです。
クライアントの意欲が高く、コーチとの対話が、相乗効果的に作用するとき、コーチングは大きな成果を生み出します。
クライアントの中に葛藤が多く、コーチに何かをあてにするようだと、コーチングは不完全燃焼に陥ります。
コーチングは、原理的にカウンセリングではないからです。
コーチングは、クライアントの「行動」にフォーカスしそれを変えるものであり、「心理構造(システム)」を変えるものではありません。
しかし、人間は行動習慣を変えていくと、心理習慣も変わっていきます。そこがコーチングが効果を出せる要件です。
深い意欲を引き出し、意欲と目標と結び付け、エネルギーを目標に方向づけていく。
その方向づけと行動を習慣化していくと、クライアントは心理習慣が変わり、成果を出していくことになります。
そのことをサポートしていくのがコーチングです。
コーチングは、適応範囲が決まった方法論であり、どういう場合にコーチングが大きな効果を発揮するのかを、その要点をよく知っておくことが、コーチングを創造的に活かすポイントとなります。
また、ビジネス的な数値目標を達成するのか、その人の人生の深い願いを達成するのか、クライアントのどのような面をサポートするのかは、コースを主催する各団体によってもフォーカスや考え方が変わってきます。
表面的には、ビジネス・コーチングと、ライフ・コーチングの区分けですが、本質的には、クライアントへの関わり方の違いになりますので、その性質の違いについても、ご自分の感覚で理解しておくことが望ましいといえます。
各団体が何を大切にしているのか、その傾向性をつかんで、自分のやりたいタイプのコーチングを選んでいくとよいのです。
また、私たち自身も、人生の時々で、焦点を当てたいテーマは変わってくるので、さまざまなコーチングを学んでおくことも悪くはありません。
コーチングは、クライアントの意欲や動機付けを高めるために、相手の感情的な側面に、関わる技法ではありますが、基本的には、通常の精神的健康度をもった人が、対象の方法論です。
軽度に調子の悪い人に、多少カウンセリング的に関わりますが、強い不調を持つ人は、対象としません。目標達成の効果を出すこともできないからです。
また、相手の日常意識を対象としており、心理療法のように、相手の深層心理や潜在意識に、直接的に介入していくようなこともしません。
あくまで、日常意識の水準で、現実的な結果に、着地することを狙った方法論です。
このあたりの範囲を確定しておかないと、クライアントも混乱するし、効果もうまく出せないので、注意が必要です。
この点において、扱いの範囲を明確にしておくことが、セッションを実りあるものにするのに、重要なこととなっています。
②NLP 神経言語プログラミング
NLP(神経言語プログラミング Neuro-Linguistic Programming )は、別に一章とっているので詳細はそちらに譲ります。
NLP(神経言語プログラミング Neuro-Linguistic Programming )は、リチャード・バンドラー博士とジョン・グリンダー博士によって創始された能力開発技法です。バンドラー博士は専攻は数学ですが、ゲシュタルト療法のパールズの、ワークショップ逐語録作成なども手伝っていたのでその界隈にいたのでしょう。NLPの最初の本は、ダブル・バインド理論で有名な思想家グレゴリー・ベイトソンに序文をもらっています。
NLPは、さまざまな体験的心理療法のある要素を抽出して作った簡易ツールといえるものです。よく、ネットなどでは、NLPは「効果ない」「効かない」と書かれていますが、実際、本物の体験的心理療法やゲシュタルト療法ほどには、(心理構造に)変化を起こす効果はありません。そういう意味ではあまり効かないのです。表層的な知覚作用に軽度な影響をもたらすのが、NLPの作用の基本だからです。使う場面(時/心理状態)を選ぶものであり、施術者の元々持っているスキル(技量)にもよるのです。
そのため、普通の人がパッとお手軽にNLPの資格をとって、そこで習った内容単体で、すぐに何かに使えるかというとそれは疑問です。
心理療法を詳しく知る人(心の構造変化の仕組みを知る人)が、セッションの中で部分的・応用的に使うならいろいろと使い道はあると思います。
そこでは、そのNLP技法の作用原理を見抜けていることがポイントとなります。
しかし、一般の人にはそれはナカナカ難しいことといえます。
応用的で補助的ツールというのが、NLPの基本です。
これがあたかも、単体で万能薬のように喧伝されて売り出されているところに(道義上の)問題があるともいえます。
一方、たとえばコーチングのセッションの中で、クライアントにちょっと気づきや視点転換を得てもらう補助的ツールとして使うというのであれば、それは効果的な使用法といえます。
総括すれば、すでに核になる何かを学んでいる方が、プラスアルファの参考にするというのであれば、NLPはさまざまな面で役に立つツール集になると思われます。
とりあえず、NLPの資格をとったものの、特に利用もできずに戸惑っているという人は、体験的心理療法やゲシュタルト療法、コーチングなど関連のものを学んでみて、別の角度からNLPを見ていくと、その使い方も見えてくるかもしれません。
③スピリチュアル系
「精神世界」というコーナーが、書店の棚にできて、メジャーになりはじめたのは1980年代終盤、チャネリングのバシャール関係の本が出はじめた頃からです。
宝島社の別冊シリーズに『精神世界マップ』(1980年)があり、このワードに広まりに貢献しましたが、この本は、前記の故吉福伸逸氏が編集したものです。本の内容的には、トランスパーソナル心理学の前史となるようなアメリカ西海岸の体験的心理療法やカウンター・カルチャー(反文化)の文物を多面的にとらえたものとなっています。一部、その反文化的文脈で再評価されていた神秘的思想家も含んでいますが、今現在、私たちが「精神世界」としてイメージするような、フワッとしてキラキラした空想的な世界とはほど遠いものです。むしろ、濃厚でサイケデリック(意識拡張的)、少し土臭い感じさえします。
日本における、この「精神世界」というワードが示す内容の変遷を知ることで、これらの方法論に対する批評的なアプローチ法も見えてきます。
後の時代の対談で、中沢新一氏に「なんで、精神世界なんて言葉にしたのか」と問われた吉福氏は「自分が選んだ言葉ではない」と答えていました。出版当時に、そのあたりのズレがすでに存在していたのかもしれません。そして、時代の流れの中で、そのズレと乖離はどんどん大きくなっていったように思われます。その末路(成れの果て)が、現在私たちが目撃する風景となっているわけです。
ところで、アメリカでは、上記のようなカウンター・カルチャーの文脈の中に、すでに有名な『奇蹟のコース』や『セス・ブック』といった初期のチャネリング作品が現れていて議論の対象となっていたものでした。そのとらえ方についてもさまざまな興味深い視点(立場)が出ていました。
ひとつの視点は当然(真正直に)、チャネリングしたソースについて問うものです。その内容が、本人たちが言うように、「宇宙の意識体」からやって来たのか、それとも「本人の心理的な無意識・潜在意識」からやって来たものなのかということです。しかし、これは当然、誰にもわかるわけがありません。議論するだけ無駄というものです。
しかし、別の視点(立場)はずっと実践的です。つまり、その由来を問うのではなく、内容そのもの、アウトプットの質(クオリティ)を見きわめようという立場です。
たとえ、本人の無意識・潜在意識から来たものだとしても、もし内容自体が高度であれば、普通の思想や本と同じように評価できるというスタンスです。
このようなスタンスは、怪しげな本を評価するのに、公正なスタンスといえます。どんな高次存在からのチャネリングを喧伝していても、内容的に貧しければ、それだけのものでしかないということだからです(その由来もたかが知れているということです)。一方、内容が高度でしっかりとしていれば、そこから学ぶことは色々あるということです。
実際のところ、現代のほとんどチャネリング書籍の内容が、先行した文献の劣化したコピーのような内容(同じことの繰り返し)でしかないというのは興味深いことです。これは、商業セミナーが、オリジナルの体験的心理療法の劣化したコピーであるのと似た現象といえます。ここから、実態(実相)はどういうことかも、推察できるわけです。
本人たちが、無意識的に行なっているのか、意識的・詐欺的に行なっているのかはわかりませんが、結果としては、そのような事態になっているわけです。
それは、現代のニューエイジの思想が、もともとのカウンター・カルチャーの持っていた実践的方法論の劣化コピーのような姿を呈しているのと同様の風景ともいえるのです。
◆スピリチュアルとサイキック
ところで、日本においては「スピリチュアル」という言葉に、非常に幅広い意味を持たせて、適当に流通させているので混乱を生んでいるようにも思われます。クライアントの方でも混乱している方がいるので、そのあたりについて少し整理してみたいと思います。
さて、現代日本で「スピリチュアル」とひとまとめに言われている雑多な内容について、筆者は便宜的に、次のような言葉と概念の区分けを提案しています(上の図のような座標軸を設けています)。
⑴スピリチュアル(精神性・霊性) ……例:「日本的霊性」(鈴木大拙)等
⑵サイキック(超能力)
本来的な意味でいえば、スピリチュアル、スピリチュリティーとは、「精神性、精神的な価値性」のことであり、現代日本で使われているような、何か特殊な超能力とは関係ありません。
一方、サイキックとは、単なる知覚的能力の拡張(延長)であり、その自体では精神性や精神的な価値性とは何の関係もありません。単なる「拡張された知覚能力」です。
スピリチュアルとサイキックは、本来は、直接的には何の関係もないのです。別の軸なのです。
日本では、この2つの軸が、スピリチュアルという一つの言葉の中にごった煮で放り込まれているので混乱が生じてしまっているのだといえます(通俗的なテレビでの取り上げ方によって、イギリスの「心霊主義」という意味でのスピリチュアルがひろまってしまったせいもあります)。
たとえば、おそらく、マハトマ・ガンディーやマザー・テレサなどは、とてもスピリチュアル(精神的・霊性的)な人といえますが、全然、サイキックではありません。
一方、サイキック能力を持っているけど、全然、スピリチュアル(精神的・霊性的)ではないという人は山ほどいます。おそらく、そういう人の方が多いでしょう。
この2つは、直接的には、何の関係もないからです。
後者の人たちが、「スピリチュアル」と称して、他人に確証のとれない内容を吹聴して、(無自覚にしろ)人をだましたり金儲けをしているので、問題となってしまうわけです。図式だけを見れば、新興宗教やカルトの構造と大して変わらないわけです。
昔、流行ったいわゆる「引き寄せの法則」なども、中身はスピリチュアル(精神的・霊性的)なものではなく、単なるサイキックなものです。それも19世紀来の伝統的(魔術的)なものとなっています。それ自体は悪いものではなく、「スピリチュアル」ではなく、「魔術」なのだということをわかっていることが重要なのです。
このような区分けをしていくことで、「スピリチュアル」という言葉についての、誤った価値づけを回避していくことができます。
(もし、自称スピリチュアルな人に、「あなたは○○です」と奇妙なことやネガティブなことを言われて、気になるようでしたら、上記チャネリング文献のところで触れたように、「その話の内容の質(クオリティ)が高いものであるかどうか」を直観に従って評価してみてください。それらの言葉やその人自体が「高い精神的な価値を有しているか」「高い精神性を感じさせるものか」などです)
ところで、サイキック能力とは、単なる「知覚能力の拡張」です。しかし、それがなぜ、スピリチュアルなものと混同されるかといえば、それは単に「情報量」の問題といえます。私たちの誰もがこの手の能力を潜在能力としては持っているのですが、ある種サイキック状態においては、情報量が圧倒的(爆発的/非時空的)に増えるので、総量の問題としてスピリチュアル(精神的)な情報や、そのヒントになる情報も混じり込むからです。それは古来より東洋圏では知られていたことでした。
しかし、そのため、むしろ、本来はそうなればこそ、膨大な情報を適切に濾過(フィルタリング)する必要も生ずるのです。その能力も必要となるのです。そのため、本当の意味で、スピリチュアル(精神的/霊性的)なものは砂金のようにわずかしかないのです。
この濾過をするフィルターが、本人の能力、心理的な統合(成熟)の力やその度合いです。
本人の心理的統合(成熟)が充分でないと、本人の未解決の感情が、そのままゆがんだ形で「投影」的に現れてしまうからです。
世間のいわゆるスピリチュアル系が、一般に幼稚なものが多いのは、前提となる心理的統合(成熟)がなされていないものがほとんどだからです。
(このことが本人の進歩を遅滞させるだけならまだよいのですが、大概まわりの人々に害を与えているのが問題といえます)
伝統的なシャーマニズムや禅では、このことの危険性を昔から熟知し、指摘していました。
→聖なるパイプの喩え(メタファー) エネルギーの流動と組織化
著名なサイキック・ヒーラーであるバーバラ・ブレナンの言葉を見てみましょう。
「ある女性の事例を挙げましょう。彼女は社会性に乏しく、自分のことも疎かになっており、スピリチュアルガイドと名乗る複数の存在を引き寄せていました。彼女は「ついにガイドが現れた!」と大喜びでセッションに来ましたが、私が見たところ、彼らはダークで形もしっかりしておらず、騙そうというネガティブな意図がありました。私は彼女の現実認識の乏しさが気がかりになり、このダークな存在たちを光に送った後で状況を説明しました。それから、心霊現象の話を抜きにした「普通の」セラピーのセッションをしました。これはとてもよい効果を生みました。彼女は心霊的な体験に没頭するよりも、実生活を充実させることが先決でした。空想に逃げず現実に意識を向けるように促すと、彼女は物質界での生活を見直すようになりました」 『コアライトヒーリング』シカ・マッケンジー訳 (河出書房新社)
つまり、サイキック能力を有益なもの(真にスピリチュアルなもの)にするには、前提となる最低限の心理的統合(成熟)が必須であるというわけなのです。
これは、トランスパーソナル心理学のケン・ウィルバーが指摘していた「前個(プレパーソナル)と超個(トランスパーソナル)の区別」というテーマでもあります。
充分な心理的統合(発達)=「個の確立」を経ていないものは、超個(トランスパーソナル)ではなく、単なる前個(プレパーソナル)でしかないということです。
ウィルバーがこのことを特に強調したのも、当時は「ニューエイジ」の黎明期であり、前述のように成長を止めて(幼稚な発達段階に固着して)、問題を起す人々も多かったからです。
そして、現代においても、事態はまったく変わっていないのです。つまり、問題は、とても典型的、かつ普遍的なものであるということです。
→変性意識状態(ASC)とは何か advanced 編「統合すれば超越する」6.なぜ、幼稚なものが多いのか 超個(トランスパーソナル)と前個(プレパーソナル)の違い
また、歴史的に見てみると、「神通力」という言葉があるように、またキリストなどの奇蹟の事例があるように、一般にサイキックに、スピリチュアルなイメージがついているということもあります。オウム真理教の最初の集客(動員)も、「空中浮遊」というサイキック現象によるものでした。しかし、冷静に考えてみればわかるように、たとえ、仮に「空中浮遊」が本当にできたとしても、それ自体はスピリチュアルな事柄(精神的な価値)とは何の関係もないのにです。
また、禅仏教などでは、昔から、そういうサイキックな事態を「魔境」と呼んで取り合わないこと、回避することを厳しく勧めています。そういうサイキック現象は修行の過程でごく普通に現れてくる付随現象であると見なしていて、そのような落とし穴を警戒するように促しているのです。
→小池龍之介氏の事例(本人談/懺悔)
ところで、サイキック能力自体は、体験的心理療法の現場では、わりと普通に現れる(比較的ありきたりな)事柄であり、取り立てて特別な事でもありません。実際、私たちの近辺、私たち自身も、さまざまなサイキック現象に触れているものです。ただ現代科学で説明できないために、無意識的にフィルタリングして、気づかないようにしているだけなのです。私たちの「信念体系」の問題であり、別の言い方を変えれば現代科学の水準(適用範囲)が狭いというだけのことでもあるのです。超長期的に見れば、必ず何らかの、超科学的な解明がなされるでしょう。それまでは、それはそれとして、余計な審判を含めずに眺めていればよいだけのことなのです。
それはそれで、そのまま体験できていくと、さまざまな豊かな次元に、私たちを導いてくれるのです。
まとめると、「スピリチュアル」を称して、特異な価値(売り文句)としている流派・団体があったなら、その流派・団体が、スピリチュアルやサイキックについて、どのような理解や区別、自覚や価値観を持っているのか、本人たちが心理的成熟を持っているのかを、よくよく見極めていくことが、騙されないためのスタンス、価値を見出していくためのスタンスになるといえるのです。