ゲシュタルト療法は、その名の通り「ゲシュタルト心理学」から多くのコンセプトを得ています。ここでは、その関連で、ゲシュタルト療法が「ゲシュタルト」という概念を重視する意味を解説したいと思います。
「ゲシュタルト」とはドイツ語で、「形/形態」を意味し、分割できない「固有の形」「ひとまとまりの形」を指しています。
たとえば、「友だちの顔」を思い出してみて下さい。
たしかに、人間の顔というものは、目・耳・口など部分の構成によってできています。
そのバランスによって、その顔のかたちができています。
しかし、私たちが「友だちの顔」を見る時、感じる時、目・耳・口の構成物(部品の積み上げ/集合体)として見ているのではありません。
ひとつのユニークな「友だちの顔」それ自体の形として見ています。
目・耳・口という概念さえ煩わしいような、もっと直接的な、その人の顔(姿形)を感じています。
これが「ゲシュタルト」という言葉で指している「かたち」というものです。
人間は、このゲシュタルトの単位で、欲求(感情)の志向性というものを持っています。ゲシュタルトの単位でその欲求(感情)を充たすことを目指すのです。
むしろ、欲求(感情)とゲシュタルトは同時に生成していると言ってもいいかもしれません。
(この点については「ゲシュタルトの形成と破壊(解消)のサイクル」をご参照ください)
さて、ゲシュタルト療法では、人間がもつ「ゲシュタルト」としての欲求の指向/単位に注目します。
「ゲシュタルトとしての欲求の充足(完了/完結)」を重視するのです。フリッツ・パールズが、英語には対応語のない、このゲシュタルトというドイツ語にこだわったのには、そういう理由があるのです。
ところで、ゲシュタルト心理学では、その「ゲシュタルト」には、それを構成する構造があると考えます。
ゲシュタルトというものは、「図と地 figure and ground」の1つのセット(一組み)によってできているとするのです。
「図 figure」は前景、「地 ground」は背景です。
このセットにより、ゲシュタルトが形成されます。
ゲシュタルトは、「対象=図」(前景)として知覚されますが、その背後に知覚されない「地」(背景)があるということです。
下に有名な「ルビンの杯」の図があります。
この図が意味しているのは、私たちが知覚する、選択する「図と地」の関係です。
私たちが真ん中の白い杯を「図」にすると、両脇の黒い人の横顔は背景(地)となり見えなくなります。
一方、両脇の黒い人の横顔を「図」にすると、真ん中の白い杯は背景(地)となり見えなくなります。
通常、生体(動物や人間)は、欲求の必要性(緊急性)に従って、知覚の自動的な選択によって、世界からこのゲシュタルトを知覚しているのです。
ゲシュタルト療法ではこのような知覚・認知のメカニズムを、セラピーの実践において利用していくことになるのです。
私たちの「感情(欲求)体験」というものも、このようなゲシュタルトの知覚とともに構造化されています。
そもそも、私たちの個々の体験というものは固有のゲシュタルトを持っています。その体験特有の性格を持っているいからです。
そして、ゲシュタルトのように輪郭(図)やその背景(地)を、私たちのうちに持っているのです。
ゲシュタルト療法では、このような特性をさまざまに利用して、セラピー的な実践を行なっていくことになるのです。