5層1核 感情表現(表出)の階層性

ゲシュタルト療法では、俗に「5層1核  5 layer 1 core」(五層一核)と呼ばれる、感情表現(表出)の階層性についての理論(モデル)があります。
理論といっても、これはセッションの実地経験から得られた知見(傾向性)であり、必ずしもメカニズムを解説したものではありません。そのため、パールズ自身によっても、生涯の時期により、その区分が違っていたりもします。
しかし、この階層性は、実際のワーク(セッション)の中では、決定的に重要な要素になっており、この理解が、(世間でたまに見られる)形だけの浅いゲシュタルト療法か、真に深いゲシュタルト療法(変容体験)かを、区別するものともなっているのです。

ところで、私たちは、普段、生活していて、これが「本物の自分だ」と感じるような深い深い感情表出をすることはあまりありません。
また、人生の中で数えてみても、「腹の底から、本当に深い深い感情を出した(表明した)」「そういう感情で人と交わった」などという経験はあまりないでしょう。
大人になると、そのような機会はさらになくなります。

しかし、ゲシュタルト療法のワークの中では、しばしばそのようなことが起きてきますし、大小強弱の違いはあれ、それが必須のことでもあるのです。
その際の、感情表現(表出)のグラデーションを表したものが、この「5層1核」のモデルとなっています。

①決まり文句の層 cliché layer
②役割演技の層 role-playing layer 
③行き詰まりの層 impasse layer
④内破(爆縮)の層 implosive layer
⑤外破(爆発)の層 explosive layer
そして、核としての、
「本物の自己 authentic」です。

「本物の自己 authentic」において、自然で、自発的な感情の存在(核)があるとするならば、その外延にさまざまな感情表現の層があるということです。
これらの階層(段階)は、ワーク(セッション)の中での感情の深まりや表出として体験されるものです。

図の①の「決まり文句の層」が、一番浅い感情の層です。私たちの社会生活の多くが、日常生活の「決まり文句 cliché 」で埋め尽くされています。ワークにおいても、序盤は、日常的な会話からスタートします。

②の「役割演技の層」は、そこよりも少し深い層です。この「役 role 」は、社会的な役割というわかりやすい面もありますが、ここでいう「役 role 」は、もう一歩深いところにある、私たちが知らずにそれを演じている、私たちの分裂した「自我状態 ego state 」のことです。
パールズは、アンダードッグ(負け犬)とトップドッグ(ボス犬)も「役 role 」だと指摘しています。
トップドッグ(ボス犬)は、フロイトでいう超自我に似た自我状態、交流分析でいう強圧的な親(ペアレント)に類するものです。アンダードッグ(負け犬)は、下位自我、エスや交流分析でいう適応したチャイルド(子ども)に類する自我状態です。
そして、アンダードッグ(負け犬)とトップドッグ(ボス犬)は、二個一で、相互抑圧状態にある、被害と加害の自我状態のカップリングですが、それらも、「役 role 」であるということです。
ワークにおいては、その深まりにしたがって、葛藤状態にあるさまざまな分裂した「自我状態 ego state 」が浮上してきます。
エンプティ・チェアの技法において、トップドッグ(ボス犬)とアンダードッグ(負け犬)が言い合う姿、罵りあう姿は、ゲシュタルト療法のワークで一番よく目にする光景といえます。

③の行き詰まりの層」は、ワークが進展する中で、クライアントの方が、そんな「役 role 」を演ずることができなくなった時に現れてくる状態です。
私たちは日常で、俗に「頭が真っ白になる」ということを経験します。急に何かをむちゃぶりされて、対応できなくなった時にです。これは、私たちが無自覚に演じている「役 role 」の自我状態を演じられなくなり、オペレーションがフリーズした時に起こる現象です。
ワーク(セッション)においても、例えば、葛藤状態にあるアンダードッグ(負け犬)とトップドッグ(ボス犬)を、それぞれ
深い深い感情レベルでどんどん感情表出し尽くしていくと、相互抑圧状態が壊れだしてきて、だんだんとそれまでのアンダードッグ(負け犬)とトップドッグ(ボス犬)ではいられなくなってきます。各自我状態が変化してくるのです。各自我状態は相互抑圧によってその限定的な姿(状態)をとっているのに、奔放に感情(欲求)表出をしていると、その抑圧状態が崩れて(溶けて)くるからです。その感覚が変わってきます。それぞれの自我状態に変容が起こりはじめ、放出感や解放感はあるものの、よくわからない感覚になったり、混乱したり、ぼおっとしたり、行き詰まったりする場面に逢着してしまうことになるのです。
これは、これまでの既存の自我状態(アンダードッグ(負け犬)とトップドッグ(ボス犬))が、解放の果てに溶けはじめたために起こっている状態といえます。そして、これは少し混乱した状態でもありますが、分裂した自我状態が、解体から再統合へと向かう良いプロセスでもあるのです。
このプロセスは、エンプティ・チェアの技法の解説でも記したように、分裂した(本来は不自然な/相互抑圧にある)自我状態が、充分な自由な感情(欲求)表出を得たことで起こってくる「自然な変容(解体と統合)プロセス」でもあるのです。
しかし、私たちが同一化している個々の自我状態にとっては、自己の解体と混乱、行き詰まり impasse として体験されてくるものなので、パールズも、この層を「死の層」と呼んでいた時期もありました。
「古い自分」が死んでいく層です。と同時に変容していく層です。
そのため、この「死の層」「行き詰まりの層」こそが、或る意味、ワークで一番重要な場面ともいえるものです。
エンプティ・チェアの技法においても、世間でよく見られるような、知的な対話・整理された対話をいくら続けていても、それは視点や思考の整理にはなりますが、既存の自我状態の分裂を再現(再演)していることにしかなりません。心の変容には結びつかないのです。
既存の自我状態の溶解に進んで、はじめて分裂は、統合へと向かっていくことになるのです。
シャーマニズムの極意は、「その場にとどまり続けることだ」と言われますが、これはワークにおいても同様のことです。
感情(欲求)表現が尽き、この「行き詰まりの層」にとどまり、充分体験していると、そのうち、何らかの弛緩が訪れ、次の変容展開が自然に起こってくるのです。
ですので、この層は「行き詰まりの層」とは呼ばれるものの、実は、創造的硬化(混乱)の層でもあるのです。

④の「内破(爆縮)の層」は、「行き詰まりの層」を充分に深めると、その層を抜けることによって、自然に現れてくる層です。この奇妙な名称の通り、内側へ向かって強くエネルギーが向かっている層です。
ちなみに、「行き詰まりの層」を充分に深められないと、「役割演技の層」に戻ってしまいます。思考的な対話(おしゃべり)が延々と終わらないエンプティ・チェアというものは、「役割演技の層」から先に一歩も進めていないワークであるのです。
さて、ところで、「内破(爆縮)の層」は、さらにその先にある「外破(爆発)の層」への抵抗、拮抗、緊張、葛藤として作られた層ともいえます。パールズは、内部の爆発から自分を保護している、筋肉の持つ「内破(爆縮)」の働きについて指摘しています。ライヒは、それを「筋肉の鎧」という風に勘違いしたと。そのため、④と⑤の層は合わせて考えた方が、実感的にもわかりやすいでしょう。
この層では、内部の(原抑圧しているナマの)感情が出てくることへの深い怖れから、内側へ向かって急激に抑圧を強めようとする力によって生まれている層です。衝動の強さ、緊張が渾然一体となって、「硬直的、緊張症的、麻痺した感じ、緊急性」が強く感じられます。しかし、その内部からの圧迫(圧力)をどこかに予感しているということは、次の⑤の層の力がすでにあるということなのです。この層の複雑な状態を感じ受け入れていくと、溢れるように、また弛緩するように、自然に次の⑤「外破(爆発)の層」に移行していくのです。その移行の感じは「爆発から軽い弛緩まで」幅があります。
「内破(爆縮)の層」は、腹部(下腹部)に、身体的には現れがちです。(子ども時代の)原抑圧として深い領域にあるからでしょう。
「内破(爆縮)の層」には、自己の深い感情、剥き出しの感情が出てしまうことへの強い怖れが含まれています。そして、この怖れ(禁忌)を強く抑圧した結果として(習慣的な硬化により)「行き詰まりの層」がバッファーとしてつくられ、その上に、私たちの「②役割」の仮面(自我状態)が乗っかって、普段の私たちの人格ができたというのが、おそらく、私たちの人格の来歴なのです。
ですので、逆にいうと、通常の私たちが、「行き詰まりの層」の向こうに行けない、またはとどまりたがらないというのは、その底にある感情の地帯への防衛(深い感情/爆発への怖れ)を考えると
当然といえば当然であると言えるのです。
そのため、ゲシュタルト療法でも、表面を舐めるだけのワークが多くなってしまうのは、仕方がない面もあるのです。
また一方、真の変容を目指すワークを行ないたいのなら、この深い領域の逆説を理解しておかないといけないのです。

⑤の「外破(爆発)の層」は、「内破(爆縮)の層」にとどまっていると自然現れてくる深い感情表出です。
パールズは、ここでは、深い悲しみ、怒り、歓び、オーガスムが現れてくると言います。
原抑圧にあった深い感情の爆発なので、その感情の質は、私たちが大人になってから経験する、自我を通した感情というよりも、腹の底からの、子どもの頃の剥き出しの感情そのものといった感じになります。
嗚咽するような号泣だったり、深い悲しみの慟哭だったり、噴火するような激怒だったりといったものが体験されることになるのです。特に、最初に行きついた際の起爆力はとても大きなものになります。
「小さな子どもの時以来、久しくこんな泣き方をしたことがなかった」という言葉は、クライアントの方から聞くフレーズです。
ただ、いつも、そのような強い爆発が起こるわけではありません。最初の時以降は、もっと穏やかな形で、放出や弛緩が起こるというのが、実際の姿です。
ただ、通常の対話的な「役割演技の層」より深いレベルでの放出という点が重要なのです。
また、④⑤は、「爆発」という大げさな呼称になっていますが、これは主観的にそういうニュアンスがあるという意味で(パールズ流の半分シャレ)で、名づけられたもので、単に、エネルギー・レベルが少し高い、という意味だと思っていただければと思います。

そして、そのような感情解放と統合感の後に、自然で、自発的で、囚われのない自由な「本物の自己 authentic」が体験されていくことになるのです。

以上が、「5層1核」と呼ばれている感情表出の階層性になります。
毎回、ワークの度ごとに、ここで描いた最終的な層(感情爆発)までの深い表出が行なわれたり、深い次元に入り込むというわけではありませんが、通常の感情表出よりかは深い次元に触れられたという実感が、ワークの達成のひとつの指標ではあります。
プロセス事態は、強度の差はあれ、だいたい同じ成り行きをもっているのです。
特に、③の行き詰まりの層」の重要さは、あまり理解されていない面もあるのですが、ワークを行なう上での、とても大切なポイントとなっているのです。

 

「爆縮(内破) implosion 」と「爆発(外破) explosion

※ゲシュタルト療法については基礎から実践までをまとめた拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧下さい。

↓動画「ゲシュタルト療法と、生きる力の増大」

↓ゲシュタルト療法については、拙著『ゲシュタルト療法ガイドブック:自由と創造のための変容技法』をご参照ください。