【図解】心の構造モデルと心理変容のポイント 見取り図

自己変容を促進する、潜在意識と心理療法の活用について



【内容の目次】

  1. 心の構造モデル
  2. 氷山モデル
  3. 変性意識状態(ASC)の存在
  4. A.マズローと「トランスパーソナル心理学」 
  5. ケン・ウィルバーの「意識のスぺクトル」論
  6. さまざまなアプローチ手法と心の対象領域
  7. 当スペースのアプローチ 流れる虹のマインドフルネス

さて、ここでは、基本的な、深層心理学的な見方(心のモデル)をご説明することで、人間に可能な進化の姿や、当スペースの方法論が位置している文脈(コンテクスト)のご説明をしたいと思います。

①心の構造モデル

「心が、どのようなものであるか」についての究極的な理解(解答)は、今現在、人類は持っていません。
例えば、さまざまな心の病(精神疾患)と呼ばれるものがありますが、その適切な治療法を見出すことさえ人類はできていないからです。厚生労働省の統計において、日本では毎年約九~十万人の精神疾患をもった方が純増、つまり増え続けています。その病を治癒する方法論が分からないからです。それは、とりもなおさず、心の構造とその働きがよくわかっていないということを意味しています。

そのため、ここで取り上げるモデルも、当然究極的な答えではありませんが、心理学全体の傾向と、筆者自身のさまざまな現場での実践、多くの多様な人々の「心(魂)とその変容体験」を共有させていただいた経験を通じて、一定の実効性があると考えている構造モデルとなります。

➁氷山モデル

心が「氷山」のようである、というような話を聞いたことがあるかもしれません。これは、S.フロイトが創始した「精神分析 psychoanalysis」などが広めた「心の構造モデル」のイメージです。
人間の心に、私たちがよく知る、この「意識/顕在意識/日常意識」以外に、広大な「潜在意識」「無意識」が存在しているという考えによるものです。この「潜在意識」「無意識」の内容(中身)が何であるのかについては、心理学各流派によって考え方はバラバラです。

さて、このモデルによると、私たちのこの自意識、論理的で理性的な合理的意識は、「潜在意識」の上に少し出た「顕在意識(日常意識)」であるということです。
氷山というものは、その巨大な大きさのほとんどを海面の下にひそめていて、ほんの一部分を海面の上に出しています。私たちの心も同じだというわけです。そして、私たちの本当に深い欲求、願望、欲望は、「顕在意識」の深い領域に存在していて、私たちの「顕在意識(日常意識)」はそれらに衝き動かされながら、生きているというわけです。
その深い欲求の原因は、抑圧され忘れ去られた過去の出来事に由来したり、私たちの知らない先天的な要素に由来を持っているものだったりしているわけです。

いずれにせよ、私たちのよく知る「これが自分だ」と思っているこの顕在意識(日常意識)は、心の全体の中では、氷山の一角でしかないというわけなのです。そして、私たちは、自分自身の本当の心については、自分でもあまりよくわかっていないということなのです。

そのため、精神分析などの無意識(潜在意識)を重視する流派は、人間の主体性などはあてにならないものであると考えているわけです。また、そのように考える深層心理学の流れでは、睡眠中の「夢」というものは、私たちの潜在意識の表現であると考えて、重視していま。各流派によって、夢の解釈方法や位置づけは変わりますが、大勢としてそう考えています。つまり、私たちは「夢」を通して、自分の「潜在意識」と出会っているというわけです。

そして、そのような深層心理学の諸派は、人々が潜在意識(無意識)の中に抱えている、わかりづらい葛藤や分裂を分析して深く理解することで、人格的統合が実現されるだと考えているのです。
しかし、そのような古典的・教科書的・メインストリームの心理療法が、実際には、あまり人を治癒(治療)できていないというのは、前段で触れた、世間の精神疾患者の実情を見てもわかる通りです。
筆者が企業勤務していた時分、同僚や上司が鬱病で休職するということが度々ありましたが、或る同僚が会社復帰した後に「お医者さんって、ホント何もしてくれないんだね」と漏らしていたのは印象深い光景でした。しかし、現代の心理学(精神医療)の理論と実践とは、そのレベルのものであるということなのです。
そのため、私たちは、よくよく心の構造やその本質、その未知の可能性について、古今東西やそれを超える大きな視点から、真剣に考察・探求
しなければならないのです。
そして、それはとても甲斐のあることなのです。

③変性意識状態(ASC)の存在

さて、他にも、「そもそも『意識』それ自体とは何か」という大問題があるのですが、これはとても大きな問題であり(ハード・プロブレムとも呼ばれる)、また文化によって、そのとらえ方がさまざま多様なものですので、ここでは一旦定義を保留しておきます。ただし、この場合に問うている「意識」とは、この顕在意識(日常意識)だけを指すのではなく、潜在意識も含めた意識全体の本質的要素とイメージしておいていただければと思います。これは、後述のトランスパーソナル心理学などで重要なポイントとなるところです。

さて、ここで取り上げる変性意識状態(ASC)とは、この意識の本質について、私たちに不可思議なヒントを与えてくれる興味深い意識状態です。
変性意識状態については、別に詳しく書きましたが、
この「日常意識」状態以外のさまざまな意識状態を指した言葉です。具体的には、瞑想状態、催眠状態、酩酊状態、シャーマニズムなどにおけるトランス状態、夢、ドラッグによるサイケデリック(意識拡張)状態、宗教的な神秘体験などで現れる少し変わった意識状態のことです。
変性意識状態(ASC)とは何か はじめに
変性意識状態(ASC)とは何か advanced 編「統合すれば超越する」

上の図にあるように、私たちに、一番なじみのある変性意識状態といえば、それは日常意識と潜在意識の間にある領域です。眠りに入る直前に、私たちはその領域をいつも体験しています。夢見心地な状態です。
変性意識状態は、そのように間にある状態なので、潜在意識の内容がよりとらえやすくなります。日常意識的な明晰さをある程度保ちながら、その中身が分かっていくということが起こるのです。また、そこに秘められた能力が発揮されやすくなっていくのです。
そのため、この変性意識状態という状態を、適切に操作できると、私たちは潜在意識や潜在能力の膨大な富をより生かしていけるようになるのです。
実は、これは、心を扱うオーソドックスな方法論が分かっていないこと、できていないことなのです。

変性意識状態は、一般的な概念ですので、多様なタイプが含まれています。そして、それらの中には、私たちの未知の潜在能力を発現させて、深い治癒や創造力を発揮させる興味深いものがあります。それらの状態の中には、私たちが閉じ込められている、この近代主義的な合意的現実を、超出させる働きがあるものもあるのです。

この領域で、私たちに、比較的親しみがあるものといえば、例えば、スポーツ選手(アスリート)などがその最高のプレイの最中に入っていくといわれる「ゾーン ZONE」と呼ばれる状態があります。プレイ中に「ボールや他の選手の動きが止まって見える」というような、高度に覚醒した意識状態のことです。少年漫画などでは、昔から描かれていた世界です。これは心理学では、フロー体験(flow experience)呼ばれている現象であり、変性意識状態(ASC)の一種と考えてよいものです。
→フロー体験とは何か フロー状態 ZONEとは何か

上の図で、「拡張された非日常的意識」としたものは、フロー体験のように、統合された超意識的な変性意識状態(ASC)を指しています。そのため、日常意識の上に割りつけました。次に見る「至高体験 peak-experience 」などもそのような位置づけになります。しかし、一般には、変性意識状態(ASC)そのものは、定義にもあるように、もっと漠然とした多様な形態を持つものです。
いずれにせよ、この変性意識状態を含めて、心の構造を考えていくことは、実践的・現実的にとても有効なことなのです。

 

④A.マズローと「トランスパーソナル心理学」

ところで、ビジネスの世界でも「自己実現」のコンセプトで有名な心理学者A.マズローが、晩年重視した「至高体験 peak-experience 」などは、日常意識を包み、拡大するような変性意識状態の一種となっています。
マズロー「至高体験 peak-experience 」の効能と自己実現
「自己実現」で有名なマズローですが、実は、晩年のマズローは、有名な「自己実現」のさきにある人間の達成形態というものを、「自己超越」として構想するようになっていたのでした。
というのも、マズローは、自己実現した人々を観察する中で、彼・彼女らが、非常に頻繁に体験する「ある心理状態」に気づいたからです。彼はそれを「至高体験 peak-experience 」と呼びました。
そして、そのような「至高体験 peak-experience 」の事例などが、彼を自己超越のビジョンに導いていったのです。そこに彼が、人間が本来的に持っている「超越的な能力」を感じたからだと思われます。

「わたしが見出したところでは、自己実現する人間の正常な知覚や、平均人の時折の至高経験 peak-experience にあっては、認知はどちらかといえば、自我超越的、自己忘却的で、無我であり得るということである。それは、不動、非人格的、無欲、無私で、求めずして超然たるものである。自我中心ではなく、むしろ対象中心である。つまり認知的な経験は、自我にもとづいているのではなく、中心点を対象におきその周辺に形作っていくことができるのである。それはあたかも、みずからとかけ離れ、観察者に頼らないなんらかの実在を見ているかのようである。美的経験や愛情経験では、対象に極度にまで没入し、『集中する』ので、まったく実際のところ、自己は消えてしまうばかりである」(A.マスロー『完全なる人間』上田吉一訳、誠信書房)

「至高経験は自己合法性、自己正当性の瞬間として感じられ、それとともに固有の本質的価値を荷なうものである。つまり、至高経験はそれ自体目的であり、手段の経験よりもむしろ目的の経験と呼べるものである。それは、非常に価値の高い経験であり、啓発されることが大きいので、これを正当化しようとすることさえその品位と価値を傷つけると感じられるのである」(前掲書)

「わたくしの研究してきた普通の至高経験では、すべて時間や空間について非常に著しい混乱が見られる。これらの瞬間には、人は主観的に時間や空間の外におかれているというのが正しいであろう。(中略)かれらはある点で、時間が停止していると同時に非常な早さで経過していく別の世界に住んでいるかのようである」(前掲書)

「至高経験においては、現実そのものの性質をさらに明確に見ることができ、またその本質がより深く見透されるものだとの命題を認めたい」(前掲書)

「至高経験は、この観点から見ると、絶対性が強く、それほど相対的ではない。(中略)それらは比較的達観し、人の利害を超越しているというだけではない。それらはまた、みずからは『彼岸』にあるかのように、人間臭を脱し、自己の人生を超えて永続する現実を見つめているかのように、認知し反応するのである」(前掲書)

このように描写される「至高体験 peak-experience」の状態は、一般にイメージされる「自己実現」の領域を大きく超えてしまっているように感じられるのではないでしょうか? もはや個人的な人格感覚を超えてしまっているからです。
このような洞察の結果、マズローは自己実現から自己超越へと、人間モデルを深化させるために、1969年に「トランスパーソナル心理学会」を立ち上げたのでした。
通常の「パーソナル(人格)」を超えた(トランスした)人間像を描く必要があったからです。
そして、マズローがトランスパーソナル心理学会をともに立ち上げたのが、LSD研究変性意識状研究の大家であったS.グロフ博士とであったというのはとても示唆的です。マズローの理念に共鳴できる人もそんなに多くいなかったろうと類推されるからです。
「至高体験 peak-experience」という変性意識状態(ASC)の事例(リアリティ)が、マズローを必然的に導いた結果であると考えられるわけです。
※グロフ博士のLSD体験と時代背景 インタビュー動画↓
http://hive.ntticc.or.jp/contents/interview/grof

さて、そんな多様な変性意識状態(ASC)ですが、この変性意識状態(ASC)に自覚的に親しみ、あつかい方に慣れてくると、「顕在意識(日常意識)」以外の広大な潜在意識の世界に少しずつ知見と経験が深まり、人格変容も起こってくることになります。
そこに、実は人生の秘密を解き明かす(解放する)鍵も含まれているのです。
心理療法、特に、ゲシュタルト療法のような体験的心理療法は、実践の中で深い変性意識状態(ASC)入っていくことも多いため、その感覚と効果がだんだんと深まっていくことにもなるのです。
その果てに、当スペースがご案内する「流れる虹のマインドフルネス」の状態なども、ごく自然に現れてくることとなるのです。

⑤ケン・ウィルバーの「意識のスペクトル」論

さて、ここでひとつ、トランスパーソナル心理学の有名な理論について見てみたいと思います。たとえば、上の図の「ウィルバーのモデル」とは、トランスパーソナル心理学の理論家(現在はインテグラル心理学を名乗る)ケン・ウィルバーが唱えた「意識のスペクトル」論という、心の構造モデルです

まず、ウィルバーは、「意識のスぺクトル」論によって、世界のさまざまな心理療法(そして東洋思想)を、体系的にタイプ分けする(グルーピングする)にあたって、さまざまな心理療法各派が「何を、自己の真の主体として見なしているか(主体として同一化しているか)」という「主体(意識)の範囲・内容」の違いによって各心理療法をマッピングしていきました。

※ちなみに、ケン・ウィルバーが、本のタイトルで使っている「意識」を、私たちが通常使っている意味での「意識」と解釈すると、少し意味が分からないでしょう。私たちが通常「意識」という時、この自分の自意識(西洋哲学でいえば現象学などが指すこの「意識」)だけを「意識」と呼んでいます。一方、ケン・ウィルバーが指す「意識」とは、インド思想などで、「ブラフマン(梵)は、サッチダーナンダ(存在・意識・至福)である」という時に使われている「意識」の概念で語っているのです。つまり、万物に遍在していて、鉱物から植物、動物から人間、神々までに共通している「意識」を含めて、大きく「意識」という言葉を使っているのです。

さて、この「〈意識〉が、何を、自分の真の主体として(同一化して)いるのか」という視点は、同時に(逆に/反対に)何を自己として見なしていないのか(認めなく/同一化していないのか)」ということを意味しています。「何を、自己以外のものとして排除・抑圧しているのか」「何と分裂しているか/解離しているのか」という事態を意味することとなります。「人間が行なっている、心の抑圧と分裂を、どのような境界(自己と他の境界線)に見るのか」、反対(逆)にいうと、「何と何を統合すると、自己の全体的な統合とするのか」という視点を意味します。そのような視点で、さまざまな心理療法流派を、マップ上に位置づけていったのです。
上の図がその図式です。下にいくほど、「自己や主体の範囲(意識の内容物)」がひろくなっていくという図表です。

その本人が「『意識や主体』として、何と同一化しており、反対に、何を『非自己/客体・他者』として抑圧・排除しているのか」、そして「人間が、統合(治癒)されるとは、何と何が統合されることなのか」「統合されたことによる、人間の全体性とは何なのか」。その答えが、各流派によって大きくタイプ分けできるというのがウィルバーのアイディアなのでした。そして、ウィルバーは、一番下の層がそうであるように、すべてが統合されると、東洋的な思想がしばしばそうであるように、「宇宙自体を自己と見なす」そのような境位(ワンネス)に到達すると考えていたわけでした。と言っても、その上の層がすべて消えてなくなってしまうというわけではありません。各層が統合されている状態が「統合」という意味なのでした。

ところで、上の図では、オレンジ線の左側が「意識や主体」、右側が「無意識や客体・他者」となっています。
例えば、現在の多くの心理療法が、(近代主義的世界観自体そのような立場ですが)健全な「自我」が確立されることをもって、心理的な統合/ゴールであると見なしています。

というのも、通常多くの場合、私たち現代人は、自分にとって都合のいい「セルフ・イメージ(仮面)」を、自己や自己の主体と見なしています。そして、自分の見たくない部分を抑圧して、それが自分にはないもの(影)のとして生きています。
「仮面」(偽りの自己像・セルフイメージ)を主体と見なして、「影」を抑圧して生きているという状態です。私たち現代人は、それが当たり前だと思って、大体そのようにして生きています。人生で、誰も「心の統合はこうあるべきだ」と教えてくれない場合、現代社会の自然状態では、そのような心の構えになってしまうからです。
しかし、この「仮面」と「影」の分裂が極端に大きくなっていくと、メンタル的な病気となってしまうのです。鬱や神経症もそのようなことで起こってきます。現在、日本の企業においても、このようなメンタル的な病気が多く生じてしまうのは、決して「脳」が原因なわけではなく、さらに大元に、このような心の態勢づくりが大きく関係しているのです。

そして、そのような場合に、通常の心理療法では、「仮面」(偽りの自己像・セルフイメージ)だけを主体として、見たくない「影」を抑圧している人々に対して、「影」の部分を意識化し、主体に受け入れさせて、統合させていくことを、治療的なアプローチとしていきます。

私たちの心の中では、偽りの自己像(仮面)を維持するために、自分のものだと認めたくない嫌な感情を抑圧することで、「影」が生まれてきます。本人が、この嫌な感情を自分のものとして受け入れていくことで、ニセの自己像(仮面)と「影」の境界(区分)が溶け出し、融合し、健全な「自我」主体が確立されてくるというのが、通常の心理療法でのアプローチの考え方となります。

しかし、別の流派(心身一元論派)の視点からすると、このような「自我」主体の確立だけでは、統合が不十分(部分的)であると見なされます。なぜなら、そこでは「身体(肉体)」の存在が抑圧され、排除されているからです。

心身一元論的な心理療法の中では、この身体(肉体)の中にこそ、重要な感情や表現、生の基盤があると考えられているのです。そこでは有機体全体を、全身全霊のひとまとまりの全体性として、主体として生きられることが必要な「統合」だと考えられているのです。

ところで、このような、心と身体を合わせた「有機体」の全体を主体と見なす心身一元論的な心理療法各派を、ウィルバーは「ケンタウロスの領域」の心理療法であると見なしたのでした。その他のケンタウロス的なセラピーとしては、実存主義的なセラピーの各派などがここに位置づけられています。
ところで、ボディワークを重視する心身一元論的な心理療法の多くは、フロイトの弟子のヴィルヘルム・ライヒの理論と実践から出発しています。ゲシュタルト療法は、ボディワークを主体としたローウェン(ライヒの弟子)のバイオエナジェティックスらとともに、この領域の心理療法に位置づけられているのです。
この位置づけは、有機体全体の生命力や、精神と野生との融合を溢れるように発現させるゲシュタルト療法の性格(位置)を、とてもうまく表現していると思われるものです。

そして、ウィルバーも指摘していることですが、心身一元論的セラピーというものは、その体験と統合を充分に深めていくと、隣接したトランスパーソナル(超個的)な領域が自然に開いてくることにもなっているのです。マズローが、自己実現のその先に、連続したものとして、自己超越を見出したようにです。
実際、ウィルバーは、その証左(事例)として、ゲシュタルト療法でのセッション風景を取り上げてもいるのです。

しかし、さらにより高次な統合的な視点からすると、心身一元論的心理療法においては、外部の環境世界(や他者)の存在が抑圧され、排除されていると見ることができます。
しかし、変性意識的で、トランスパーソナルな超越状態では、〈意識〉が心身一元論的な自己だけでなく、環境世界(や他者)を含んだものを「真の主体と見なす」という
体験の境位もあるのです。真の主体は、宇宙そのものであるという感覚です。東洋思想などでは、昔から語られていた境位と言えます。しかし、これは実際に起こってくることであるのです

このようにウィルバーのモデルでは、人格においては、下位の分裂した要素が統合されると、「主体」が上部の階層に上がるというシステムになっていることが分かると思います。
実際、〈意識〉が上部の階層に上がると、下位の人格要素は、より自在に操作的に扱えるようになります。それらに煩わされるということが無くなっていくのです。
そして、統合的なセラピーのプロセスにおいては、実際にそのようなことが起こってくるのです。
そのことは、体験者に、とても大きな自由と解放の感覚として体験されていきます。
筆者は、よくこれを「統合すれば、超越する(超脱する/透脱する)」と呼んでいます。

⑥さまざまなアプローチ手法と心の対象領域

さて、上の図をご覧ください。ここまで、顕在意識(日常意識)、潜在意識、変性意識と、私たちの「心の構造モデル」について見てきました。
ところで、普段、私たちが身近に体験したり学んだりしている、さまざまな心を扱う技法(セラピー、カウンセリング、コーチング等)は、このような心のモデルに即していうと、それぞれ心の或る特定領域にアプローチしている方法論と区分することができます。

つまり、コーチングや、カウンセリング(ロジャーズ系)は、主クライアントの方の顕在意識や日常意識に働きかけていく技法です。心理療法の中でも、行動主義的なアプローチは、顕在意識や日常意識に働きかけていく技法だといえます。

一方、深層心理学系の心理療法や催眠療法などは、クライアントの方の顕在意識に働きかけると同時に、潜在意識にも働きかけていく技法だといえます。むしろ、そこに重点を置いているともいえます

上の図で、「拡張された、非日常的(超)意識」とした、比較的統合された変性意識状態(ASC)は、伝統的には宗教的な領域受け持ってきました。少なくとも近代社会では、その存在について無知であったり、懐疑的であるため、それらを直接扱う方法論は存在していません。しかし、60年代のサイケデリック(意識拡張)研究や運動以来、その意識領域についての理解は少しずつ進んできました。前述のトランスパーソナル(超個的)心理学などは、近代心理学モデルと伝統的な宗教モデルを統合しようとした試みだったともいえます。
そして、この状態も、「統合すれば、超越する(超脱する/透脱する)」ことによって、手に入れられるものでもあるのです。

⑦当スペースの統合的アプローチ 変性意識状態(ASC)とゲシュタルト療法

さて、当スペースは、このようなモデルに従うと、精神分析由来のゲシュタルト療法(心身一元論的アプローチ)を使う面からも、クライアントの方の顕在意識と潜在意識とを合わせた幅広い領域に働きかけるアプローチとなっています。
また、セッションの中で現れる変性意識状態(ASC)を利用する視点からも、クライアントの方の潜在意識をより活性化させるアプローチとなっているのです。特に「拡張された非日常的意識」「トランスパーソナル(超個的)な意識」などの変性意識状態(ASC)を統合的に扱えるという点が、当スペースの他にない特徴といえます。他に、そのような場所はないからです。

というのも、ゲシュタルト療法や禅を実践していたケン・ウィルバーなども指摘するように、セラピー的実践の中で、心身一元論的な統合を充分に深く進めていくと、私たちはごく自然に、トランスパーソナルな領域に開かれていくことになるからです。ここは、実践的には地続きの形で存在しているものなのです。
それが、「統合すれば超脱(超越/透脱)する」です。
セッション(ワーク)の中では、それが実際に起こってくることになります。
そして、その変容は、私たちの人格の恒久的な変容となるのです。

そして、変容を通して、このようなトランスパーソナルな領域が充分に心の中で達成されてくると、その状態は、普段のこの「自我」「自意識」の背後に、それを透かして、トランスパーソナルな「青空のようなひろがり」をまばゆく感じとれているような状態でもあります。
あたかも心身の中に〈青空の通り道〉ができてくるような感覚です。
そのような状態に変容していくことで、私たちは、虹のように鮮やかなリアリティや創造性を手に入れることができるようになるのです。そのような状態を、当スペースでは、「流れる虹のマインドフルネス」と呼んでいるのです。

【ブックガイド】
ゲシュタルト療法については、基礎から実践までをまとめた総合的解説、
拙著『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』をご覧下さい。

気づきや変性意識状態(ASC)を含めたより総合的な方法論については、拙著↓
入門ガイド『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
および、深遠な変性意識状態(ASC)事例も含んだ
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

↓動画「【図解】心の構造モデルと心理変容のポイント」

↓動画解説 「変性意識状態(ASC)とは何か その可能性と効果の実際」


【参考】〈意識〉の多様な可能性

▼量子もつれ(エンタングルメント)