【内容の目次】
「われわれをその一部に含む、われわれすべての集合、わずかな機能に隷属していたが、制約を捨て、さらなる上部構造にシフトする時だ」 (『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』の中で、人形使いが、草薙素子に語る最後の言葉)
さて、別のセクションでは、映画『マトリックス』を素材に、私たちの日常意識と変性意識状態(ASC)の関係について取り上げてみました。
→映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) 残像としての世界
ここでは、『マトリックス』の元ネタのひとつである有名なアニメSF映画『攻殻機動隊』(押井守監督)を取り上げて、私たちの心の秘められた構造や、変性意識状態(ASC)や考えてみたいと思います。
さて、『攻殻機動隊』の設定の中では、未来社会において、私たちの肉体が、(義肢義足のように)肉体のほとんどすべてを 「義体化」することが可能となっている社会が描かれています。
「心/意識」を入れる脳核だけは、オリジナルでないといけないのですが、それ以外の肉体部位は、すべてサイボーグ化が可能となっているのです。
そして、脳核に入っている「心/意識」が、作中では、「ゴースト Ghost(霊/幽霊/聖霊)」と呼ばれているのです。
原作漫画もそうですが、副題は Ghost in the Shell となっています。
このゴースト Ghost が今回のテーマです。(以下、ネタバレあり)
ところで、映画の中では、「Ghost 」という言葉は、私たちの「心」を意味するものとして、わざと漠然とした形で使われていますが、そこに幾重もの意味合いが重ねられて仕掛けになっています。
Ghost は、そもそも霊、幽霊を意味しています。ポリスのアルバム・タイトルにもなった、アーサー・ケストラーの『機械の中の幽霊 Ghost in the machine 』あたりがその含意かもしれません。
というのも、私たちの「心」というものは、この機械仕掛けの、科学的因果律の世界の中で、つかまえることのできない「幽霊」のように奇妙な形で存在しているからです。
実際、私たちの社会において、この「心」の存在はきわめて曖昧です。
誰もがその存在を自明のものとしていますが、科学的にも、それを見つけ出すことはできません。
脳の機能に還元したり、神経情報だと言ってみたり、誰もがわかったつもりになっていますが、実際問題としては、その実体がよくつかめていない「幽霊」のような存在です。
→D.チャーマーズ『意識する心』(白揚社)
また映画の中で、重要な意味をもって引用される新約聖書の流れでいえば、Ghost は、三位一体のひとつの位格である聖霊 Holy Ghost を連想させます。
しかし、聖書の中でも、聖霊 Holy Ghost はよくわからない存在であるのです。
そして、映画のストーリーに即していえば、近未来の社会において「ゴースト」とは、他者によって ゴースト・ハック(侵入・乗っ取られる)されることにより、「疑似体験の記憶(ニセの体験)」さえ、注入されて(ねつ造されて)しまう脆弱な存在になっているのです。
そのような未来社会にあっては、身体(義体)の中にある自分の「心=ゴースト」の「自分らしき質感(クオリア)」さえ、もはや自分自身の存在(同一性)の確証にならないという奇妙さ(不安)が、Ghost (幽霊)という言葉には込められているのです。
「自分が、幽霊のように感じられる」という事態です。
ところで、映画の中では、新約聖書のパウロ書簡、コリント人への手紙の一節が重要な意味をもって引用されています。
「今われらは鏡をもて見るごとく見るところ朧(おぼろ)なり」
草薙素子とバトーが非番の日に船の上で、謎のハッカー「人形使い」のメッセージを聞くのです。「今、私たちは、鏡で見るように、ボンヤリしている」と。
そして、この一節は映画のラストシーン、草薙素子がバトーとの別れ際に、さきの節の前にある言葉を引いて、現在の自分の心境(状態)を表すものともなっています。
「われ童子の時は語ることも童子のごとく、思ふことも童子の如く、論ずることも童子の如くなりしが、人と成りては童子のことを棄てたり」
「大人になると、子どもの頃の体験を忘れてしまう」ということです。
さて、映画の中では引かれていませんが、人形使いのメッセージは、実は文章の前半節であり、この節の後には次のような言葉が続いていました。
「然れど、かの時には顔を対せて相見ん。今わが知るところ全からず、然れど、かの時には我が知られたる如く全く知るべし」
「今は鏡を通して見るようにぼやけて見ているが、その時が来たら、顔を直接あわせて見ることになるだろう。
今は、不完全にしか知ることができないが、その時が来たら、すべてをあきらかに知るようになるであろう」ということです。
この言葉は、草薙素子の「自分らしき」Ghost をめぐる疑惑と焦燥感と、謎のハッカー「人形使い」との邂逅にまつわる背景的な雰囲気(けはい)として終始流れているものです。
そして物語は、終盤、草薙素子が、人形使いの Ghost の秘密を探るために、きわどい状況下で人形使いの義体にダイブして、図らずも人形使いの Ghost と相見えて、結果、インターネットに遍在している彼の Ghost との「融合」に導かれ「さらなる上部構造にシフトする」ところで、クライマックスを迎える形となっているのです。
「上部構造」とは、人形使いの意識(Ghost)が、草薙素子などの個人の意識(Ghost)を統べて、総合している、より上位の階層に位置していることを意味しているのです。
さて、この話にあるような Ghost (心)の「上部構造(上部階層)」などは、フィクション(虚構)の中でしかあり得ないように見えるかもしれません。
ところが、実はそうでもないのです。それが今回の話のテーマとなります。
拙著『砂絵Ⅰ』の中でも、さまざまなタイプの変性意識状態(ASC)の体験談を書きましたが、歴史的な文献などを調べていくと、強度な変性意識体験においては、私たちの「日常意識」が下位の意識として感じられるような。その上部(上位)意識の存在を体験する事例は多く存在しているのです。
別で解説している、トランスパーソナル心理学の理論なども、そのような意識の階層モデルとなっているのです。
また、さきほど触れた新約聖書に出てくる「聖霊に満たされた体験」なども、原始的なものではありますが、そのようなケースのひとつといえるでしょう。
変性意識状態(ASC)の中でも、シャーマンによる儀式(アヤワスカ)や強度なサイケデリック体験、臨死体験などの特異なタイプの体験においては、実際そのような事柄も体験されがちになっているのです。
そのような状態においては、私たちの意識や知覚は、別種のもののように澄みきり拡大し、あたかも「かの時」に「全く知る」かのようになって、日常意識の限定された状態を、「下部構造のように」透視していくことにもなるのです。
そして、私たちは「かの時」でしか知りえないかのような隠された情報にアクセスすることもできるようになるのです。
ところで、このような心(意識)の構造的な「上層と下層」を感じさせる構造は、心の活動(アクション)面で見れば、それなりの体験的心理療法(ゲシュタルト療法)のセッションの中でも起こってくるものなのです。
例えば心理的な葛藤状態を解決するために行なうゲシュタルト療法の(エンプティ・チェアの技法を使った)セッションを例に取り上げてみましょう。
これは、筆者の行なうものであるという注釈付きですが(誰のものでも起こるわけではありません)、タイプのセッション(ワーク)においては、セッションが進んでいく中で、クライアントの方は軽度な変性意識状態に入っていきます。
そして、その状態の中では、葛藤する欲求(感情)をもった自分の中の分裂した「複数の自我状態」を、下部状態のものとして、見ていくという一種透視的な自体が起こってきます。
そして、セッション(ワーク)の中で、各自我状態)を交流させていくことにより、各欲求状態(自我状態)の間に、だんだんと融合が生じていくという事態が起こってのくるのです。
また、その融合に従い、2つの要素を融合させた、より「統合的・拡大的な状態」が生成してくることになるのです。
クライアントの方の主観的な感覚としては(また機能としても)、より「上位の意識状態」へ変容していくという実感があります。自分が、より幅広い人格/器を持ったことがわかるのです。
実際のところ、「心理的な統合」というものは、最初の欲求(自我)状態を、その部分(下部)として、その内に含む状態になることなのです。
そして、統合的な拡大した状態の内にあって、各欲求(自我)は葛藤状態ではなく、下位の個性や能力としてそこに正しく働いているという感覚を持つようになることなのです。
心の機構(メカニズム)が整列されて、正しく稼働するようになるのです。
ここには、葛藤する個々の感情(欲求)や自我状態と、統合的な状態との間には、ある種の上下階層的な構造が存在しているのです。
まさに、「上部構造にシフトした」という実感を持つことになるのです。
また、実際、このようなセッション(ワーク)を数多く繰り返していくと、クライアントの方の中に、心の「拡張」「余裕」が生まれてきて、以前より「泰然としている自分」「統合し拡張された自分」というものを自分の中に発見することになるのです。
昔は葛藤したり、悩んでいた同じ事柄を、今では、以前ほどは気にしていない自分(の要素)を発見するわけです。
これなども、より上位的なレベルの「統合的・拡張的な自我状態」が、自分の中に育ったためと言えます。
これは後述しますが、階層の高い心の機能(次元)が学習されたということもできるのです。
このように身近な心理的な事例からも、心の階層構造というものを類推することができるのです。
そして、この階層は、より高次の拡張された次元にまで、延長して考えることができるのです。
また、そのような事例が、歴史的には、さまざまに残っているのです。
さて、映画の中では、新約聖書の言葉が、重要な意味合いを持って引用されます。
ところで、宗教的・教義的な文脈とは関係ないところで、初期のキリスト教徒たちに起こった神秘的な体験群が、つまり変性意識状態がいかなるものであったかと考えるのは興味深いテーマです。
特に、聖霊 Ghost 関する記述は、キリスト教や宗教に限定されない心の普遍的な働きを感じさせるものであるからです。私たちも、聖霊体験のようなものや異言などを持つことがあるからです。
ところで、ロシアの思想家ベルジャーエフは、精神の自由に関する興味深い論考の中で、聖霊 Ghostにまつわるさまざまな指摘を行なっています。
「四福音書、ならびに使徒の書簡を読むと、パン・プノイマティズムの印象を受ける。いたるところ、霊である、という感銘を強く受けるのである。そこでは、いわゆる聖霊という教義は、まだ出来上がっていないといっていい。そういう教義は、使徒にもまた護教者にも見出すことはできない。(中略)聖霊とは人間にとくに近いものである。それは、人間に内在している。その働きはひろく万人に及ぶものの、それ自体は不可解な深秘に充ちている。いったい、聖霊について教義を立てることができるであろうか。私の考えによれば、それは不可能といっていい」ベルジャーエフ『精神と現実』南原實訳(白水社)
「S・ブルガーコフはいみじくも言った。聖霊がある特定の人間に受肉することはない。聖霊の受肉は、いつも全世界にあまねく及ぶ、と。精神―ひいては霊と聖霊との関係をくわしく規定するのが困難なのは、まさにこのためである。聖霊は霊のなか、心のなか、精神のなかに業を行なう」(同書)
「聖霊の働きは、どういう現実となってあらわれるだろうか。抑圧され卑しめられた人間の実存が終わりをつげて、心が生命にみちあふれ、高揚し、エクスタスにおちいることこそ、聖霊の業のしるしである。これは、聖書に記されている聖霊の特徴でもあれば、また文化・社会生活における精神の特徴でもある。新神学者聖シメオンの言葉がある。聖霊にみたされた人間は、文字に書き記された掟を必要とせず、と」(同書)
聖霊の働きというものは、人形使いの Ghost のように、世界や私たちの内外にあまねくいきわたっているかのようです。
さて、ここから、Ghost にまつわる階層構造について、ある学習理論を参考に考えてみたいと思います。
ところで、学習理論においてはグレゴリー・ベイトソンの学習理論が有名なものとして知られているところです。
何かを学習する取り組みの中で、一次学習、二次学習、三次学習と、直接的な学習(一次学習)に対して、そのコンテクスト(文脈)についての学習も、上位階層の学習として発達していくという理論です。
内容ではなく、「学習すること自体」が、(メタ的に)学習されるのです。
例えば、ひとつの外国語をマスターすると、通常、第二外国語をマスターすることは容易くなります。
「外国語を学習する」ということ自体(そのコンテクスト)がコツとして学習されたからです。
ある乗り物の運転を覚えると、他のジャンルの乗り物の操縦も容易くなるのです。整理すると、以下のような階層構造になります。
・一次(Ⅰ) 学習する
・二次(Ⅱ) 「学習する」ことを学習する
「学習すること」についてのコンテクストを学習する↓
「行為と経験の流れが区切られ、独立したコンテクストとして括りとられる、そのくくられ方の変化。そのさいに使われるコンテクスト・マーカーの変化を伴う」ベイトソン『精神の生態学』佐藤良明訳(新思索社)
・三次(Ⅲ) 「『学習する』ことを学習する」ことを学習する
→「学習すること」についてのコンテクスト化を再編集(再コンテクスト化)する。
二次、三次の学習は、その生体の任意の情報選択や組織化(コンテクスト化)といえます。
通常、私たちが、芸事や技芸に上達する際には、大体このようなプロセスで推移します。
二次学習のレベルが上がると、個々の具体的な技(アウトプット)は、グッと質を高めて良くなります。
上位の学習能力が育っていくと、下位の学習力自体も、的を得たものになり、下位の能力をハンドリングする能力自体も高まるのです。
さて、ところで、興味深いことにベイトソンは、精神医学的な研究から私たちの普段の「心/心理」も、習慣によるそのような二次学習の結果であると洞察している点です。
そして、それをさらに変化させるのがより上位レベルの三次学習(学習Ⅲ)であるという点です。
二次学習発生の由来が、おそらく問題解決に費やされる思考プロセスの経済性であると指摘したうえで、以下のように記します。
「『性格』と呼ばれる、その人にしみ込んださまざまの前提は、何の役に立つのかという問いに、『それによって生のシークェンスの多くを、いちいち抽象的・哲学的・美的・倫理的に分析する手間が省ける』という答えを用意したわけである。『これが優れた音楽がどうか知らないが、しかし私は好きだ』という対処のしかたが、性格の獲得によって可能になる、という考え方である。これらの『身にしみついた』前提を引き出して問い直し、変革を迫るのが学習Ⅲだといってよい」(ベイトソン、同書)
「習慣の束縛から解放されるということが、『自己』の根本的な組み変えを伴うのは確実である。『私』とは、『性格』と呼ばれる諸特性の集体である。『私』とは、コンテクストのなかでの行動のしかた、また自分がそのなかで行動するコンテクストの捉え方、形づけ方の『型』である。要するに、『私』とは、学習Ⅱの産物の寄せ集めである。とすれば、Ⅲのレベルに到達し、自分の行動のコンテクストが置かれたより大きなコンテクストに対応しながら行動する術を習得していくにつれて、『自己』そのものに一種の虚しさirrelevanceが漂い始めるのは必然だろう。経験が括られる型を当てがう存在としての『自己』が、そのようなものとしてはもはや『用』がなくなってくるのである」(ベイトソン、同書) ※太字強調引用者
さきほど、ゲシュタルト療法のセッションで、何が起こるのかについて記しましたが、そのような階層的な事態が、この引用した文章と響きあっていることが分かると思います。
二次学習である「自我状態」を、三次学習的に、再編集するということが、セラピーで起こっていたことなのでした。
その事態が、心の二次学習のコンテクストを、三次学習的に書き換える作業だということが、見てとれるかと思います。セッションの中では、そのような階層構造が現れているわけです。
また、芸事の学習などにおいても、よく「守破離」ということが言われます。
芸を深めるプロセスにおいて、だんだんと「型」を順守していた段階を踏み破り、その「型」を離れていく段階がおとずれるというわけです。
これなども「型」を十分に習熟した挙句に、その中で育った二次学習そのものが限界(臨界点)に達し、アウェアネス awareness のうちに乗り越えられていくプロセスであると考えることもできるわけです。
ところで、このような学習/心の階層的構造が、変性意識状態(ASC)下における変容体験の反復学習の中でも、育っていくことがわかるのです。
セッションの変容体験を繰り返し繰り返し経験していくと、「意識の三次学習的な次元」も育てていくということです。
その中で、高次のアウェアネス/awarenessの能力が育っていくのです。
そして、このような生成の延長上に、古今東西の瞑想や神秘主義の伝統の中で、「意識の階層」として語られている状態もあるのです。
気づき(アウェアネス/awareness)が、「目撃者 witness」につながっていく領域があるのです。
実際、数多くの変容体験をすることで、学習される「アウェアネスの力」は、非常に奥行きと高度(深度)のある力を持ちはじめるものです。
その結果として、私たちの心における自由の実感をより高めていくこととなるのです。
また、別の角度から、この階層性についてみると、「癒し」についても、新しい光が当てられるのです。
というのも、しばしば、強度な変性意識状態の中では、強烈な治癒(癒し)の効果が現れることがあります。
聖書に書かれている「聖霊 Ghostにみたされる」などの宗教的な神秘体験などもそうです。
これなども、階層的なシステムとして見ることができるのです。
何らかの全体的で上部(高次)階層からの働きが、下部(下位)階層の情報プログラムの混乱(感情や生理の混乱)に対して、それらの情報を整列させるように働いた結果であると見ることもできるのです。
なぜなら、何かの不調とは、部分的な要素(状態)同士が競合して、「全体の機能」がうまく働かなくなっている状態をいうからです。
それらに対して、「全体的で、上位的な力」が、「部分的、下位的な要素」を整えてやることで、調和が訪れるということが、「癒し」の働きであるということもできるのです。
ホリスティックとは、そのような意味でもあると、奇蹟的な治療の多くが、そのような構造を持っているように思えるのです。
そのような意味で、私たちの中で、「さらなる上部構造にシフトし」、それらに連なる能力を育てて(学習して/整列して)いき、拡大された意識状態を得ることにより、そのような治癒や能力の発揮を期待することもできるかもしれないのです。
◆「Ghost の囁き」
さて、以上、映画『攻殻機動隊』の設定を素材に、心理療法から変性意識状態(ASC)、聖霊の働きから学習階層理論と、Ghost (心)の持つ可能性についてさまざまに検討を加えてみました。
これらは、筆者の変さまざまな性意識体験等に裏付けられたものですが、また各種の伝統によって語られるものではあります。
もし、何か「ゴースト」に響く点がありましたなら、ぜひ、ご自分の「 Ghost の囁き」(草薙素子のセリフ)にしたがって、実際に、探索・体験・確認してみていただければと思います。
【ブックガイド】
変性意識状態(ASC)やサイケデリック体験、意識変容や超越的全体性を含めた、より総合的な方法論については、拙著
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容(改訂版)』
『ゲシュタルト療法ガイドブック 自由と創造のための変容技法』
をご覧下さい。