映画『攻殻機動隊』ゴースト Ghostの変性意識

【目次】

新約聖書と聖霊の暗示
変性意識状態(ASC)と心理療法
聖霊 Ghostの働きについて
◆学習理論と心の階層

◆Ghostの変性意識状態(ASC)

さて、以前、映画『マトリックス』を素材に、私たちの日常意識と、変性意識状態(ASC)に関して書きました。
映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) 残像としての世界

今回は、『マトリックス』の元ネタのひとつであるアニメ映画、『攻殻機動隊』を取り上げ、変性意識状態(ASC)や心の構造について考えてみたいと思います。


◆新約聖書と聖霊の暗示

さて、原作漫画でもそうですが、副題は Ghost in the Shellとなっています。
このゴースト Ghostが、今回のテーマです。

映画の中では、Ghostは、私たちの「心」を意味するものとして使われていますが、そこに幾重もの意味合いが重ねられているようです。

Ghostは、そもそも霊、幽霊を意味しています。含意としては、ポリスのアルバム・タイトルにもなったケストラーの『機械の中の幽霊 Ghost in the machine』あたりが、その由来かもしれません。

私たちの社会の中において、「心」というものの位置づけはきわめて曖昧なものです。誰もがその存在を自明のものとしていますが、科学的にそれを取り出してみせた人も誰もいません。いわば、幽霊のような存在なのです。

また、映画の中で、重要な意味をもって引用される新約聖書の流れでいえば、三位一体のひとつの位格である、聖霊 Holy Ghostとの関連も推察されます。

そして、映画のストーリーに即していえば、他者によって、Ghost(心)をハッキングされる(侵入・乗っ取られる)ことにより、疑似体験の記憶(ニセの体験)さえ、ねつ造・注入されてしまうのが未来の社会なのです。

そのような社会にあっては、身体(義体)の中にある、自分の「心」の「自分らしき」クオリアさえ、もはや自分自身の確証にならないということが、Ghost(幽霊)という言葉には込められているのかもしれません。

ところで、映画の中では、新約聖書のパウロ書簡、コリント人への手紙の一節が重要な意味をもって使われています。

「今われらは鏡をもて見るごとく見るところ朧(おぼろ)なり」

草薙素子とバトーが、非番の日に船の上で、謎のハッカー「人形使い」のメッセージを聞くのです。

そして、この一節は、映画のラストシーン、草薙素子がバトーとの別れ際に、さきの節の前にある言葉を引いて、現在の自分の心境(状態)を表すものともなっています。

「われ童子の時は語ることも童子のごとく、思ふことも童子の如く、論ずることも童子の如くなりしが、人と成りては童子のことを棄てたり」

さて、映画の中では引かれていませんが、人形使いのメッセージは、実は文章の前半節であり、この節の後には次のような言葉が続いていました。

「然れど、かの時には顔を対せて相見ん。今わが知るところ全からず、然れど、かの時には我が知られたる如く全く知るべし」

今は、鏡を通して見るようにぼやけて見ているが、その時が来たら、直接、顔をあわせて見ることになるだろう。今は、不完全にしか知ることができないが、その時が来たら、神が知るように、すべてをあきらかに知るようになるであろうということです。

この言葉は、草薙素子の「自分らしき」Ghostをめぐる焦燥感と、謎のハッカー「人形使い」との邂逅にまつわる、追跡的なテーマ(けはい)として流れているものです。

そして、物語は、終盤、草薙素子が、人形使いのGhostを探るために、きわどい状況下で、人形使いの義体にダイブして、図らずも人形使いの Ghostと相見え、ネットに遍在するかのような彼の Ghostとの「融合」に導かれ、「さらなる上部構造にシフトする」ところで、クライマックスを迎える形となるのです。


◆変性意識状態(ASC)と心理療法

さて、この話にあるような、Ghost (心)の「上部構造」などは、一般にはフィクションの中でしかあり得ないように見えるかもしれません。ところが、実は、そうでもないのです。それが、今回の話の眼目となります。

拙著『砂絵Ⅰ』の中では、さまざまな変性意識状態(ASC)の事例を取り上げました。実際のところ、強度なタイプの変性意識状態においては、私たちの「日常意識」が、下位(下部)意識として稼働しているかのように感じられる「上部(上位)意識らしきものの存在」を予感する報告が多数存在しているのです。
→拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

変性意識状態(ASC)の中でも、シャーマンの儀式やLSDの使用等による強度なサイケデリック体験臨死体験などの特異なタイプの体験においては、実際そのような事柄も体験されがちになっているのです。

そのような強度な状態においては、私たちの意識や知覚の一部は、別種のもののように澄みきり拡張し、あたかも「かの時」に「全く知る」かのようになって、 日常意識の限定された情報を下部構造のように透視していくこととなります。そして、私たちは、「かの時」でしか知りえないかのような隠された情報にアクセスすることもできるようになるのです。

ところで、このような心の構造的な上下部分を感じさせる階層構造は、心の構造的側面だけで見れば、(強度な変性意識ほど劇的な形ではなくとも)心理療法のセッションの中では、つねに起こっているものともいえるのです。

例えば心の葛藤状態を扱うゲシュタルト療法のエンプティ・チェアの技法を使ったセッションを例に取り上げてみましょう。

このタイプのセッション(ワーク)においては、軽度な変性意識状態の中、葛藤し相反する欲求(感情)をもった、自分の中の「複数の自我状態」が、それぞれの椅子に取り出されていくということが起こります(各自我状態と椅子がアンカリングされることによってです)

そして、セッションで、各欲求(自我)の中身を丁寧に表現したり、対話させていくことにより、各欲求(自我)状態の間に、感情的・情報的な交流が発生し、だんだんと二つの欲求(感情)が融合していくということが起こって来ます。

また、その融合に従い、2つを合わせたような、より「統合的な自我状態」が自然に生成してくることにもなるのです。

クライアントの方の主観的な感覚としては、最初の個々の欲求(自我)に対して、統合的な自我は、より「上位的な自我」として、立ち現われてくる実感があります。感情の受け皿として、より幅広い器の大きさを持っているのです。

実際のところ、統合的な自我状態というものは、最初の欲求(自我)状態を、その部分(下部)として、その内に持っているものなのです。そして、統合的な自我の内にあって、各欲求(自我)は、葛藤状態ではなく、個性や能力としてそこに正しく働いているという感覚(変化」を持つようになるのです。心の機構(メカニズム)が整列されて、正しく稼働するようになるのです。

ここには、葛藤する自我と統合的な自我との間に、ある種の上下階層的な構造が存在しているのです。

また、実際、このようなセッションを数多く繰り返していくと、クライアントの方の中に、心の「余裕」が生まれて来て、以前より「泰然としている自分」というものを、自分の中に発見することになります。

昔は葛藤したり、悩んでいた同じ事柄を、今では、以前ほどは気にしていない自分(の要素)を発見するわけです。これなども、より上位的なレベルの「統合的な自我」が、自分の中に育ったためと言えます。これは後述しますが、階層の高い心の機能が、学習された結果ともいえるのです。

このように身近な事例からも、心の階層構造というものを想定することができるのです。


◆聖霊 Ghostの働きについて

さて、映画の中では、新約聖書の言葉が、重要な意味合いを持って引用されます。

ところで、宗教的・教義的な文脈とは関係ないところで、初期のキリスト教徒たちに起こった神秘的な体験群が、つまり変性意識状態がいかなるものであったかと考えるのは興味深いテーマです。

特に、聖霊 Ghost関する記述は、キリスト教や宗教に限定されない心の普遍的な働きを感じさせるものであるからです。私たちも、聖霊体験を持つことがあるからです。

ところで、ロシアの思想家ベルジャーエフは、精神の自由に関する興味深い論考の中で、聖霊 Ghostにまつわるさまざまな指摘を行なっています。

「四福音書、ならびに使徒の書簡を読むと、パン・プノイマティズムの印象を受ける。いたるところ、霊である、という感銘を強く受けるのである。そこでは、いわゆる聖霊という教義は、まだ出来上がっていないといっていい。そういう教義は、使徒にもまた護教者にも見出すことはできない。(中略)聖霊とは人間にとくに近いものである。それは、人間に内在している。その働きはひろく万人に及ぶものの、それ自体は不可解な深秘に充ちている。いったい、聖霊について教義を立てることができるであろうか。私の考えによれば、それは不可能といっていい」ベルジャーエフ『精神と現実』南原實訳(白水社)

「S・ブルガーコフはいみじくも言った。聖霊がある特定の人間に受肉することはない。聖霊の受肉は、いつも全世界にあまねく及ぶ、と。精神―ひいては霊と聖霊との関係をくわしく規定するのが困難なのは、まさにこのためである。聖霊は霊のなか、心のなか、精神のなかに業を行なう」(前掲書)

「聖霊の働きは、どういう現実となってあらわれるだろうか。抑圧され卑しめられた人間の実存が終わりをつげて、心が生命にみちあふれ、高揚し、エクスタスにおちいることこそ、聖霊の業のしるしである。これは、聖書に記されている聖霊の特徴でもあれば、また文化・社会生活における精神の特徴でもある。新神学者聖シメオンの言葉がある。聖霊にみたされた人間は、文字に書き記された掟を必要とせず、と」(前掲書)

聖霊の働きというものは、人形使いのGhostのように、世界や私たちの内外に、あまねくいきわたっているかのようです。


◆学習理論と心の階層

さて、ここから、Ghostにまつわる階層構造について、学習理論を参考に考えてみたいと思います。

ところで、学習理論においては、グレゴリー・ベイトソンの学習理論が有名なものとして知られているところです。

一次学習、二次学習、三次学習と、何かを学習する取り組みの中で、直接的な学習(一次学習)に対して、そのコンテクスト(文脈)についての学習も、上位階層の学習として発達していくという理論です。
学習すること自体が、学習されるのです。

例えば、ひとつの外国語をマスターすると、通常、第二外国語をマスターすることは容易くなります。「外国語を学習する」ということ自体(そのコンテクスト)がコツとして学習されたからです。ある乗り物の運転を覚えると、他のジャンルの乗り物の操縦も容易くなるのです。整理すると、以下のような階層構造になります。

・0次(0) 学習がない
・一次(Ⅰ) 学習する
・二次(Ⅱ) 「学習する」ことを学習する
     「学習すること」についてのコンテクストを学習する

「行為と経験の流れが区切られ、独立したコンテクストとして括りとられる、そのくくられ方の変化。そのさいに使われるコンテクスト・マーカーの変化を伴う」ベイトソン『精神の生態学』佐藤良明訳(新思索社)

・三次(Ⅲ) 「『学習する』ことを学習する」ことを学習する
 →「学習すること」についてのコンテクスト化を再編集(再コンテクスト化)する。

二次、三次の学習は、その生体の任意の情報の組織化(コンテクスト化)といえます。

通常、芸事や技芸に上達することは、大体このように推移します。二次学習のレベルが上がると、個々の技というものはグッと次元を超えてよくなります。上位の学習能力が育っていくと、下位の学習力自体も、的を得たものになり、下位の能力をハンドリングする能力自体も高まるようです。

さて、ところで、興味深いことに、ベイトソンは、精神医学的な研究から、私たちの普段の「心」も、習慣によるそのような二次学習の結果であると洞察している点です。そして、それを変化させるのが、より上位レベルの三次学習(学習Ⅲ)であるという点です。

二次学習発生の由来が、おそらく問題解決に費やされる思考プロセスの経済性であると指摘したうえで、以下のように記します。

「『性格』と呼ばれる、その人にしみ込んださまざまの前提は、何の役に立つのかという問いに、『それによって生のシークェンスの多くを、いちいち抽象的・哲学的・美的・倫理的に分析する手間が省ける』という答えを用意したわけである。『これが優れた音楽がどうか知らないが、しかし私は好きだ』という対処のしかたが、性格の獲得によって可能になる、という考え方である。これらの『身にしみついた』前提を引き出して問い直し、変革を迫るのが学習Ⅲだといってよい」(前掲書)

「習慣の束縛から解放されるということが、『自己』の根本的な組み変えを伴うのは確実である。『私』とは、『性格』と呼ばれる諸特性の集体である。『私』とは、コンテクストのなかでの行動のしかた、また自分がそのなかで行動するコンテクストの捉え方、形づけ方の『型』である。要するに、『私』とは、学習Ⅱの産物の寄せ集めである。とすれば、Ⅲのレベルに到達し、自分の行動のコンテクストが置かれたより大きなコンテクストに対応しながら行動する術を習得していくにつれて、『自己』そのものに一種の虚しさirrelevanceが漂い始めるのは必然だろう。経験が括られる型を当てがう存在としての『自己』が、そのようなものとしてはもはや『用』がなくなってくるのである」(前掲書)


さきほど、
エンプティ・チェアの技法のセッションで、何が起こるのかについて記しましたが、そのような事態が、この引用した文章と響きあっていることが分かると思います。

その事態が、心の二次学習のコンテクストを、三次学習的に書き換える作業だということが、見て取れるかと思います。セッションの中では、そのような階層構造が現れているわけです。


◆Ghostの変性意識状態(ASC)

このような学習の階層的構造が、変性意識状態(ASC)下における、Ghost(心)の気づくawarenessことを学習する中でも、どうやら育っていく可能性があるということが、各種の観察からもうかがえるのです。

特殊な状態下での、気づくawarenessことが、その二次学習的な能力も育てていくという可能性です。

実際のところ、心理療法のセッションや、瞑想における気づきの訓練、明晰夢  lucid dreamの中での気づきの取り組みは、私たちの気づく能力を、間違いなく高めていくものです。その背後では、おそらく、なんらかの「高次元の学習」も育っていると思われるのです。

実際、日常意識と変性意識状態を数多く行き来(往還)することで、学習された「気づきの力」は、非常に奥行きのある力を持ちはじめるものです。その結果として、私たちの心における自由の実感をより高めていくこととなるのです。

また、関連でいうと、しばしば、強度な変性意識状態の中では、心理的に強烈な治癒(癒し)の効果が現れることがあります。聖書に書かれている「聖霊 Ghostにみたされる」などの宗教的な神秘体験などもそうです。

これなども、階層的なシステムとして考えてみることができます。

潜在的な因子としてあった何らかの上部階層の働きが、下部階層の情報プログラムの混乱状態(感情や思考の混乱)に対して、それらの情報を整理・整列させるように働いた結果であると考えることもできるわけです。

私たちの中で、「さらなる上部構造にシフトし」、それらに連なる能力を育てて(学習して)いくことにより、そのような治癒や能力の拡張を期待することもできるわけなのです。


◆「Ghostの囁き」

さて、以上、映画『攻殻機動隊』の設定を素材に、心理療法から変性意識状態(ASC)、聖霊の働きから学習理論と、Ghost(心)の持つ可能性についてさまざまに検討を加えてみました。

これらは、筆者の変性意識状態(ASC)の体験に裏付けられたものですが、可能性としての仮説に過ぎません。もし、何か「心」に響くも点がありましたなら、ぜひ、ご自分の「Ghostの囁き」にしたがって、その道の行方を、実際に、探索・体験・確認してみていただければと思います。


【ブックガイド】
気づきや統合、変性意識状態(ASC)へのより総合的な方法論は拙著↓
入門ガイド
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

↓動画解説「映画『攻殻機動隊』ゴーストGhostの変性意識」

↓動画解説『サイケデリック(意識拡張)体験とメタ・プログラミング』

↓「『映画マトリックス』『攻殻機動隊』 現代的(心理学的)シャーマニズム」

↓動画「映画『マトリックス』のメタファー 残像としての世界」