エンプティ・チェア(空の椅子)の技法Ⅰ

 「エンプティ・チェアの技法」は、心理療法の世界において、ゲシュタルト療法といえば、すぐにエンプティ・チェアの技法が想起されるほどに、ゲシュタルト療法のイメージとなっているものです。
 また、現在では、その手法は、カウンセリングやコーチングなどでも、簡易な形でテクニック(チェアワーク)としてひろく取り入れられたりもしています。

◆はじめに

 しかし、エンプティ・チェアの技法の効果にはかなり広い幅があります。
 浅い効果(単なる視点/ポジションの転換)のレベルから、深い効果(分裂した自我状態 ego state の統合 integration)のレベルまで、さまざまなレベルで効果を発揮するものなのです。

 そのため、この技法は、その原理(構造)をよく理解しておくことで、的確に使っていくことができるようになるのです。
 「表面的な形」だけ真似ても、表面的な結果しか出せないのです。
 また、そのため、この技法は、ファシリテーター自身が、この技法による深い変容経験をもっていないと、その原理(構造)を理解できないようにも、また、使いこなせないようにもなっているのです。
 だから、古典的なゲシュタルト療法の教科書においてさえ、この技法に関する原理や構造の記述がほとんどないのです。

 また、その解説が難しい理由は、別にいくつかあります。
 まず、ひとつ目は、体験的心理療法全般について言えることではありますが、古典的なゲシュタルト療法の理論では、セッションで実際に起こっている現象(変容過程)に対して、その原理(メカニズム)を、理論的に充分に説明できていない部分が多いということです。
 これは、ゲシュタルト療法の創始者パールズ自身の理解においても同様です。彼においてさえ、初期のアイディアの敷衍と、経験的な検証で、「大体こんな感じ」と言っているにすぎないのです。
 こういうと、心理療法の世界に詳しくない人は意外に思うものですが、それは心理療法というものを、19世紀型のオーソドックスな、機械仕掛けの科学のようにイメージしているからです。たしかに、フロイトも、初期はそういうものを目指したのですが、現場の実態と合わないので、途中で放棄したのです。
 しかし、実践的な心理療法、特に体験的心理療法の現場では、それはよくあることで、普通のことでもあるのです。
 そのため、現場で起こっている現象と、その流派が理論的に解釈(解説)しているものとが、乖離しているという現象も多いのです。特に、心身の深い次元をあつかえるゲシュタルト療法においても、そのような面が多いのです。

 しかし、実践的にファシリテーションする上では、理論的に説明できなくとも、経験的・感覚的に「こんな風にアプローチすれば、大体こんな風に効果が出る」ということは、長くやっているとわかってくるので、無理やり理論化する気にもなれないという人びとも多かったのです。
 つまり、理論化することの難しさや、(精神分析からがそうですが)的確な科学的概念の不在から、精緻な理論ができなかったのです。

 二つ目の、エンプティ・チェアの技法の解説が難しい理由は、もっと厄介で、根源的なものです。
 それは、エンプティ・チェアの技法で起こっている現象を、精緻に表現する「意識 consciousness」の概念が、私たちの社会を覆っている、古典的な「西洋の概念」存在しないということなのです。
 そのため、この技法の本質的な機構(仕組み)を理解するには、私たち現代日本人が、学校教育で教えられている西洋近代主義にはない、「意識 consciousness」の側面(能力)が理解されないと、理解が難しい形になっているのです。

 これは、ゲシュタルト療法の後の時代に登場した(西洋的には非正統な)トランスパーソナル心理学の視点などから見ると、理解されることでもあるのです。
 そして、そのようなレベルで、「意識 consciousness」が理解ができるようになると、エンプティ・チェアの技法の理解も鮮明になりますし、この技法のポテンシャルが、単なる心理療法の一技法ではなく、人類の「意識 consciousness」の本当の能力を開示し解放する、非常に稀なる可能性をもった実践技法(方法論)であることを理解できるようになるのです。
 ユング心理学系のプロセスワークのA.ミンデルが気づいたように、「シャーマニズム」などとも、本質的に通じたものであることを理解できるようになるのです。

 そのため、ここでは、世間によくある、教科書的ゲシュタルト療法の引き写しではなく、セッション(ワーク)の本質的実態を踏まえて、かつ、古今東西の心理学/宗教/思想の知見も総合して、「実際に何が起こっているのか」について説明していきたいと思います。
 ただ、前段でも指摘したように、エンプティ・チェアの技法は、実際に深い体験を持っていないと、理解が難しいものです。 そのため、「誰の」エンプティ・チェアの技法でもよいというわけではありません。ファシリテーターのレベル(自身のスキル)もありますし、クライアントの方のレベル(習熟度/クライアント力)もあります。
 これは、体験的心理療法全般についても言えることですが、本質的体験抜きで、本だけ読んでわかる類のものではないのです。

 さて、ところで、エンプティ・チェアの技法は、セッションの中の、さまざまな場面において利用でき、効果を発揮するものとなっています。一番、多く使用される方法は、誰か実在の人物を、エンプティ・チェアに置いてみて、(そこに居ると仮定して)その人物に、語りかけ、伝いたいことを伝えるというものです。また、相手になってみて、その気持ちを探ってみるという、形のものです。では、この手法の、原理的な意味合いを少し見ていきましょう。

①原理

 さて、フロイトの精神分析において、「投影 projection」といえば、自分(自我 ego)が心理的に認めたくない欲求や感情を抑圧し、それらが、他人(外部世界の他者)に映し出される心理システムを意味しています。
 これは「防衛機制」と言われます。自我 ego は、自分にとって不愉快なものを認めないことで、自分を守っているからです。※ちなみに、精神分析でいう自我 egoとは、一般的なイメージでの「自我」「自意識」という意味ではありません。大部分が、無意識 unconsciousnessの存在です。そこが重要なポイントです。

 なぜ、「防衛機制」なのかというと、「この嫌な悪い感情(欲求)は、私のものではなく、あの人のものだ」と感じることによって、私たちは自分の「セルフ・イメージ」を守ることができるからです。これは、私たち人類誰もが、100%行なっていることです。
 興味深い点は、私たちの嫌な不快な感情(欲求)というものは、抑圧して、潜在意識(無意識)に押し込んでも、消えてしまうわけではなく、他者に映し出されてしまうという点です。「見せつけられてしまう」という点です。私たちは自分の感情(欲求)から逃げることはできないのです。

 さて、私たちが、嫌だと思って抑圧した感情(欲求)は、私たちにとって、いわば「影(シャドー)」です。意識(顕在意識)にはのぼらないけれど、背後(潜在意識/無意識)には常に潜んでいる存在です。「影(シャドー)」を背後に隠しつつも、私たちは、「これが私だ」と信じている「善きセルフ・イメージ」を、自分自身だと思って振舞っています。しかし、それらは、「仮面」にすぎないのです。
 なので、私たちは、皆、程度の違いはあるけれど、「仮面」「影(シャドー)」に分裂している存在なのです。ただ、これは、フロイトのいう自我 egoが生み出す自然なことでもあるのです。

 日常生活の中で、「あの人はすごく嫌な人」「あの人は生理的に受けつけない」と強く感じる時、そこに必ず「投影 projection」があります。
 私たちは、自分の内にある、受け入れたくない感情(欲求)・認めたくない欲求(感情)を、自分から切り離して、その人に「投影」している
のです。「私は、あんな邪悪な感情(欲求)は持っていない!」「あんな邪悪な感情(欲求)を持っているのは、夜いあの人だ!」という風に感じるのです。
 本当は、その邪悪に見える感情は、自分の隠された感情なのに、それを抑圧し、自分から切り離し、他者のものとしているのです。そして、
そのことで、その感情を「自分のもの」と受け入れる苦痛(恐れ)から守られているわけなのです。
 こんな風に、自分のセルフ・イメージが守られるわけです(「私はいい人、あの人は悪い人」)。
 しかし、そのような人工的なセルフ・イメージ(仮面/ニセの自己像)に同一化することで、私たちは、心の底では苦しい葛藤を抱えることになります。何よりも、そのような嫌いな大勢の他人たちに苦しめられますし、制限的になっている分、生きづらさを持つことにもなってしまうのです。

 しかし、何よりも、自分が「悪い嫌な感情(欲求)」として抑圧しているものは、実は悪いものでもなんでもないものなのです。
 生育環境や社会教育により、勝手に埋め込まれた価値感であり、それに縛られることで、自分を制限して、爆弾を抱えるように、自分を生きづらくしているだけのものなのです。
 そのため、この「仮面」「影(シャドー)」の分裂や、「投影 projection」を癒していくことは、私たちの大きな心理的統合と変容になっていくことになるのです。
 また、投影先の他人に対しても、感情的色づけの脱落した「ただのその人」として、フラットに接することができるようになるのです。他人に影響されなくなるのです。それは、私たちの対人関係を、豊かで実り多いものに変えていくのです。
 

 ところで、ゲシュタルト療法の創始者フリッツ・パールズは、「投影 projection」を、彼の用語としては、神経症メカニズムのひとつに位置づけています。
 自分の中の「分裂した人格」を自分から切り離しているからです。反統合的な状態だからです。
 しかし、ほとんどの人々は、この真実を知らない無明の中で一生を終えます。
 そしてまた、 「投影 projection」は、知識や理論でわかっても、なんの意味もないものです。その知識は、私たちになんの変化も起こさないからです。意識や思考では、何の心理統合も起こせないし、それを変えることはできないからです。深い無意識 unconsciousness の自動的・情動的反応だからです。
 しかし、この投影(転移)の感情を、目の当たりにとらえ、まざまざと感情的に体験し解放できると、それを変容させることができるようになります。 
 それが、エンプティ・チェアの技法においては可能となるのです。

 それは、あたかも、映画『マトリックス』において、目に見えている世界が、偽造された「幻想」であると、まざまざと体験的に知ってしまうのと似た事態です。
 それは、頭で理解している次元とは、まったく別の、真の体験となるのです。
 凡庸な学校教育の悪弊で、現代社会は、頭で考えるだけで何かがわかるという幻想(妄想)に憑りつかれていますが、そういうことではないのです。
 ゲシュタルト療法では、そういう知的な回避行動を、about-ism(について主義/理屈づけ)と呼びますが、エンプティ・チェアの技法は、そういう妄想を解毒する、ほとんど唯一の効果的な技法となっているのです。
映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) 残像としての世界

【投影の原・原理】 

 ところで、前提として、上に描いたような、不思議に見えるエンプティ・チェアの技法が、「なぜ可能になるか?」もう少し、心身の原理的な話をしておきます。
 上での解説が、「心理的な事柄」の解説だとすると、以下は、もっと「基盤的・機構的な事柄」の解説になります。
 ところで、上のような「抑圧した感情(欲求)」が外側に現れる心理現象について見ましたが、それが起こる原理がそもそも何なのかということです。
 それは、そもそも、
私たち人間は、外部の世界(他者、物事)を知覚で把握しようとする時は、「自分の身体感覚」を外部の世界に「投影」するということを行なっているからなのです。

 後に、「暗黙知 tacit knowledge 」というコンセプトで有名になる科学哲学者のマイケル・ポランニーは、私たちが対象世界をとらえる際の、身体知の投影(投射)についてさまざまな考察をめぐらしています。
 私たちの「知る」という行為は、頭で概念をこねくりまわすことだけではなく、その前提となっている膨大な(頭で理解できない)「暗黙知」に下支えされて成っているということです。
 それは、一見、理知のみによって、明晰に構築されているように見える「合理的科学」においてさえそうなのであるということです。
 そのアイディアは、フランスの重要な哲学者メルロ=ポンティの身体論などからインスパイアされたものです。
 メルロ=ポンティは書きます。

「画家は、その身体を世界に貸すことによって、世界を絵に変える。この化体を理解するためには、(中略)視覚と運動との撚糸であるような身体を取りもどさなくてはならない」
「私の身体は(中略)、自分のまわりに物を集めるのだが、それらの物はいわば身体そのものの付属品か延長であって、その肉のうちに象嵌され、言葉の全き意味での身体の一部をなしている。したがって、世界は、ほかならぬ身体という生地で仕立てられていることになるのだ」
「世界は、もはや画家の前に表象されてあるのではない。言わば〈見えるもの〉が焦点を得、自己に到来することによって、むしろ画家の方が物のあいだから生まれてくるのだ。そして最後に、画像が経験的事物のなかの何ものかにかかわるとすれば、それは画像そのものがまず「自己形象化的」(autofiguratif)だからにほかならない」

(メルロ=ポンティ『眼と精神』木田元他訳、みすず書房)

 ややわかりずらい表現ですが、画家が創作活動の中で、「身体感覚」を外界に投影して、風景(対象)をとらえ(体内化し)、それを別様にアウトプット(外在化)する姿を比喩的に描いた言葉です。
 このように、通常、私たちは、潜在意識も含めた「身体性の全体」を外部に投射し、世界や他人をとらえ、それを把握しようとしているわけです。
 そのため、フロイトの指摘した、(抑圧したものの)「投影 projection」なども、その生体システム(機構、レール)の上に乗っかって、そういう現象が起こっているわけです。私たちは、決して、客観的に、ニュートラル(中立的)に、外部世界を見ているわけではないのです。

 私たちが、他人や外界を、ニュートラル(中立的)に、いわゆる「客観的」にとらえられるようになるのは、ある程度、自分の心理的「投影」の歪みが解決された後での話です。
 精神分析でいう「投影の取り戻し」、ゲシュタルト療法のいう「統合」の後の話です。ゲシュタルト療法では、「未完了のゲシュタルト/体験」がなくなったら、私たちは「物事をありのままに」とらえられると言います。それまでは、自分の歪んだ欲求(感情)を「
投影」して、他者や外部世界を体験していると思ってよいのです。

 さて、エンプティ・チェアの技法は、この「投影 projection」の原理を応用したものになっています。そして、その「投影」の歪みを取り去るため(分裂を統合するため)の技法となっているのです。

②技法と手順

 エンプティ・チェア(空の椅子)の技法は、クライアントの方とセッションを進めるなかで、クライアントの方にとって、「或る人物との関係性」が重要なテーマであると感じられた時、また、強い感情的な価値(付加エネルギー)を有していると判断された場合に、まずは提案される技法のひとつです。
 特に、或る人物に強い嫌悪感や怒り、憂鬱や悪感情を持っている場合は、有効な技法となります。
 なぜなら、そういう場合、クライアントの方の中に、強い「抑圧」「仮面」「影(シャドー)」の強い分裂が生じており、「投影 projection」が起こっているからです。

(1)まず、クライアントの方に、空いている椅子や座布団の上に、その対象の人(人物)が居ると仮定してもらいます。
 そのイメージを充分につくってもらいます。

(2)次に、クライアントに、自分が感じていることをよくつかまえてもらいます。
 そして、その感じていることを中心に、
その人に、言いたい事を伝えてもらいます。

 さて、上のように簡単に書きましたが、「架空の劇」にもかかわらず、このようなことをすること自体が、クライアントにとって、心の負担となる場合もあるので、様子を見ながら、丁寧で慎重なやり取りをする必要があります。
 「抵抗」が強い場合、この技法は、うまく進まないからです。

 というのも、ここでの状態(機構)は、上の図のようになっているからです。

 つまり、椅子に置かれた「その人物の姿」とは、クライアントが抑圧・排除している心の感情/欲求/自我状態が、そのまま映し出されたものだからです。
 言い換えると、心の感情/欲求/自我状態
そのものが現れているからです。
 仮に「人物A」を置いた場合、そこに、クライアントが見ているのは、人物Aに投影している「自分の抑圧している感情(欲求)A/自我状態A」そのものの姿だからです。本人は、そのことに気づかずに、そこに人物A本人を、見ていると思っていますが。
 だから、強い抵抗や怖れ、拒否反応が出てしまうこともあるのです。
 (クライアントの病態水準や健康度を、よくよく注意深く見ていく必要があるのです。自分が抑圧しているものへの怖れがとても強い場合は、トラウマ傾向が強い場合などは、逆効果になってしまいますので、おすすめできません)

 ポイントは、ここです。

 普段、私たちは、その感情Aや欲求Aを見たくないために、抑圧して感じないようにしています。
 意識(自我)から排除して、見ないよう感じないようにしているのです。
 しかし、それが、この技法の中では、目の当たりにさせられてしまうのです。
 そこが、この技法のチャンスでもあり、リスクでもあるのです。

 ところで、普段私たちは、自分のことを「本当の自分」だと思ってますが、実は、嫌な感情や嫌な欲求的要素や嫌な自我状態を抑圧排除した、「半分の自分」でしかないのです。
 上の図でいうと、「自我状態B」だけを普段、自分だと思い込んでいるのです。
 「この私」とは、つねに背後に「影(シャドー)」を抑えつけている「仮面」にすぎないということなのです。
 (このように、部分的な自我状態に同一化してしまうことを、伝統的インドの瞑想哲学世界では「排他的同一化」と呼んでいました(シュリ・オーロビンド)。トランスパーソナル心理学(インテグラル心理学)のケン・ウィルバーが使うこの言葉は、このインド思想を借用したものです)

 エンプティ・チェアの技法では、このように抑圧した自我状態(感情、欲求)を明らかにしていって、探求し、解放していけるという点が、ポイントなのです。
 ただ、この抑圧・分裂は、感情的な理由によって生じている問題なので、頭で考えて「対話」を進めて、統合できるレベルのものではありません。
 抑圧された感情を充分に体験され、吐き出され、表出されて、はじめて統合への道が開けるのです。
 世間によくあるエンプティ・チェアなどにおいて、「対話」だけ「おしゃべり」だけしていても、全然腑に落ちない、肚落ちしないというのは、そのような理由なのです。

 もう少し「投影」について解説しましょう。
 例えば、普段の生活でも、私たちは、実際に目の前にいる他人(会社の上司等)に苦しめられているのではありません。
 別に、物理的に殴られているわけではないからです。
 上司との関係に苦しさがあるとすると、それは、「私たちの中の苦しめている存在」を上司に投影し、自分自身が、「私たちの中の苦しめられている存在」に同一化してしまっているからです。
 上の図でいうと、自我Aがもともと、私たち(自我B)を苦しめているとすると、その自我Aを上司に投影してしまい、上司に苦しめられていると感じてしまっているのです。
 本丸は、実在の上司ではなく、心の中の「上司」「自我A」なのです。
 このように、私たちは、心の中の「自我状態(感情/欲求)の対立構造(抑圧/葛藤/分裂/非対称性)」に囚われて、苦しんでいるのです。
 だから、同一のパワハラ上司の下で働いていても、病んでしまう部下もいれば、全然平気な部下もいるのです。
 第一の原因は、私たちの心の中の「抑圧/分裂」なのです。
 世間によく見られる、加害者と被害者のカップリング、攻撃者と被攻撃者とのカップリングも、心の非対称的な分裂葛藤構造(「影(シャドー)」「仮面」)として、私たちの心の中に、元々存在しているものです。
 ゲシュタルト療法でいう
トップドッグ(超自我)とアンダードッグ(下位自我)の葛藤」として、心の中に、元々存在しているものなのです。
 外部の他人に、「影(シャドー)」を「投影」しているだけなのです。

 そのため、この分裂を解消(統合)していくには、無意識の中にある抑圧や、自我状態の葛藤や、それぞれの自我状態の欲求(感情)を充分に感じとりその相互抑圧にある緊張(苦痛)を解放し、感情(欲求)解放させることが必要なのです。

 方法(手順)としては、まずは、どちらか今、強く同一化しているその自我状態の感情(欲求)を充分に体験し、表出・表現しきっていくということからはじめます。「前景」に感じられる感情(欲求)を放出しきるのです。
 ただ、ワークで必要となる、この「しきる/やりきる」ということが、一般にはイメージしにくいことです。
 なぜなら、私たちは、この人生の中で「何かをやりきる/やり尽くす」という体験をほとんど(まったく)してこなかったからです。
 だから、私たちは、普段、いつも、「中途半端に止める」ことばかりしています。
 非日常的な心理空間で行なうワークの中では、普段しない、この「表現しきる」「放出しきる」「感じきる」ということが必要なのです。

 たとえば、今、同一化している自我状態Bになった場合は、そこで体験している感情体験を、まずは自身として充分に体験していくことです。それができたら、次に、その感情(欲求)を、メッセージとして、十分に感じ尽くし・体験し、余すところなく、相手の人物(自我状態A)に向けて表出し、伝えきります。
 不安、恐れ、嫌悪、怒りなど普段抑圧して排除している「あらゆる感情」に細かく気づき、精査し、体験し、表現しきります。
 しかし、普段、私たちは、自分の「あらゆる感情(欲求)」を感じきることや受け入れることを、「つねに」抑圧しています。なるべく感じない感じないようにして生きています。
 これが、いわゆる「ジャッジする」ということです。
 「あらゆる感情(欲求)」という場合、その人が受け入れたくない感情(欲求)も沢山含まれているからです。
 そのため、初期のワークでは、そこがとても難しいポイントとなるのです。

 充分に「感じきる」「表現しきる」「放出しきる」ことを行なうことで、仮面/自我状態B/感情(欲求)Bの十全な体験、表現となり、プロセスが進むのです。
  そして、仮面としての自我が、ネガティブだと感じていたこと(不安や恐れ)が充分に体験されると、
そのことで、抑圧していたエネルギーが弱まり、抑圧が弛みだすのです。
 重要なのは、その時の状態を「充分に感じ、体験しきる」ということです。それが、抑圧する力弛めるのです
 それができた後、「相手に向かって」という関係性のベクトルもとても重要な点です。
 (これは上のことができた後に、必要になることであり、最初から狙う必要はありません。上のことができずに、下のことをやっても逆効果になります)
 この場合の「相手」とは、「相手」とはいうものの、相手方の自我状態(自分)のことです。
 各自我状態は、相手の自我状態への相互の愛憎(反発/抑圧)によって生み出されているものであり、相手方への反感(対立欲求/感情)によってこそ、分裂が成り立っているものだからです。
 二つの交流がないと、最終的には、統合にならないのです。
 そのため、この分裂を統合するためには、あくまでも「相手に対する欲求(感情)伝達/反発/愛憎/コンタクト(接触)」が体感され、吐き出されることが必要なのです。

 全体のプロセスでいうと、特に、序盤では、嫌悪や対立感情等の否定的な感情(欲求)は重要です。
 そこがまず充分に解放されないと、融和は起こらないのです。
 だから、世間でよく見かける「予定調和的なワーク」は、真の解放を起こせないのです。

 また、もし、ここで、 「自我状態B」の感情(欲求)が充分に体験・表現されない場合は、「自我状態B」は「B」ではなく、「自我状態B(-A)」のように、葛藤と抑圧を含んだままの中途半端な状態にとどまってしまいます。
 これでは、普段の日常生活での自我状態と変わることはありません。
 ワークのはじめの段階では、自我状態AとBは、癒着してたり、相互拘束していますが、充分に表現・表出しているうちに、だんだんと相互拘束状態が外れ、各椅子に自我状態AとBとが、鮮明に分かれていきます。
 ただ、それでも、「自我状態B(-A)」のような状態が続くとしたら、感度や表出が中途半端で、放出の強度が足りないのです。
そうなると、葛藤状態(相互抑圧)を脱出することはできないのです。
 ところが、世間で行なわれているエンプティ・チェアの技法では、この段階の中途半端な表現をしている人が、非常に多くいます。
 そのため、根っこから葛藤をほどくことにもならないのです。
 次のステップに見るように、物理的に椅子を移ってみても、葛藤状態を持ったまま席を移ることになり、自我状態をほどいて分けることにならないのです。椅子を移っても、自我状態が、別の自我状態にキッチリ入れ替わること(スイッチすること)が起きてこないのです。

 多くの場合、各自我状態は、深い葛藤/相互抑圧状態にあるので、一回のその役 roleの表現(ターン)で、100%表現できなくて当然なのですが、そのクライアントが普段の生活で表現できている以上のレベルで、「自我状態B」の不快やネガティブさを表現することが必要なのです。そうでないと、葛藤をほどく領域に入って行くことができないからです。

 さて、ステップの整理をしますと、通常、ワークでは、本人役から、(この例の場合だと)「自我状態B」に同一化している状態から、はじまることになります。
 その際は、クライアント(自我状態B)が、まずは、相手の人に感じているあらゆる感情(主観的体験)を充分に感じとることからスタートします。
 自分がどんなプレッシャー、圧迫感、不安、怒り、怖れ、願望、期待、要求、憎しみ、羨望、嫉妬等々を、感じていくことからスタートします。
 最初の段階では、葛藤的な混乱があるので、複数の感情(欲求)が錯綜していますが、その前景(手前)の感情(欲求)から丁寧に十分に表現していきます。
 表現しているうちに、その下の層から、別の感情(欲求)が湧き出してくるので、そのようにして、次から次へ湧いて変わっていくすべての感情(欲求)を感じていきます。
 普段の生活では十分感じていないような気持ち(感情)を充分に感じて、普段決して言わないような事柄を、「普段より多く表現すること」がポイントです。
 それが120%充分にできると(その感情エネルギーが抜けて)、葛藤の力学はバランスをとるのでに、「陰極まれば陽が生ずる」の原理で、今度は、葛藤の相手方(逆側)にあった「自我状態A」が、自然に、反転して、前景に浮上してくるということが起こってくるのです。

 初心者のファシリテーターが失敗しがちなのは、この点です。
 「自我状態B」の方の欲求(感情)エネルギーが充分放出しきってないのに(葛藤が充分に減っていないのに/ほどけていないのに)、クライアントの方に椅子を移ってもらうということをしてしまうのです。
 そうすると、クライアントの方は、別の椅子に、元の自我状態Bとの強い葛藤状態をもったまま移ることになるので、各椅子に各自我状態を鮮明に分けるという、この技法の肝心の仕掛け(ギミック)が成立しないことになるのです。
 クライアントの方も、椅子を移った後も、相手方の気持ち=自我状態Aに、充分に混じりけなくコンタクト(接触)/同一化することができずに、モヤモヤした気持ちになるという事態になってしまうのです。
 なので、ワーク中は、クライアントの方が、片方の自我状態の感情(欲求)を十分に吐き出しているかを、刻々見届けていないといけないのです。
 前にもふれたようにも、大概のクライアントの方は、「感情を出し切る」という人生経験をしたことがないので、中途半端な表現が終わっている場合が多いのです。

③役割交替(ロール・スイッチ)

 さて、本人役の言いたいこと、伝えたいことを充分に表現しきったと確認が取れたら、次に、クライアントの方に、本人役の椅子(B)から、Aさんの椅子(位置)に移動してもらいます。

 すると、さきまでに、自我状態B/感情(欲求)Bが充分に表出されて、葛藤エネルギーが抜けている場合は、クライアントの意識 consciousnessは、すぐに、相手方(逆側)に投影していた「自我状態A/感情(欲求)A」を感じ出します(同一化します)。そのものになります。
 ただ、通常、初心者は、投影していた自我状態A/感情(欲求)Aは、普段抑圧し、禁忌していた感情(欲求)/シャドーなため、その感情(欲求)をきちんと感じるまで、少し時間が必要な場合が多いです。
 不慣れということが第一ですが、抵抗や、頭で無理やり考え出そうとする人もあるからです。
 まずは、丁寧にじっくり時間をかけて、その場にとどまり、その状態の奥から何がやってくるかを感じとってもらいます。
 この際、重要なのは「頭で考えない」ことです。
 「すぐに言葉にしない」ことも重要です。
 言語化は、表層的な次元なので、あまり、クライアントの方が急ぐと、微細な感情(欲求)が見失われてしまう危険もあります。
 ワークでは、感情(欲求)を感じることが核心的なことなので、表層的な思考で辻褄の合った答えを出さないようにすることが大切です。
 頭で考えると辻島が合ってない、非合理的な感情(欲求)でもよいので、その自我状態の底から湧いている感情(欲求)をキャッチすることです。
 パールズのいう「思考を離れ、感覚になれ」です。

 また、さきまでに、自我状態B/感情(欲求)Bが充分に表現されきれず、中途半端な状態で椅子を移った場合は、Bの要素を、Aの椅子(位置)に持ち込んでしまうため、自我状態A/感情(欲求)Aを充分に感じられない、充分同一化できないということになります。ノイジーな「自我状態A(-B)」の状態です。
 それが強い場合は、無理せずに、もう一度、自我状態Bに戻ってもらい、その感情(欲求)を表現してもらいます。

 ところで、葛藤している自我状態は、双子のような存在で、数学の等式のように、左辺と右辺とは、同じように状態が変化するという法則があります。
 つまり、クライアントが、自我状態B/感情(欲求)Bになって、それを表現していたその裏側で、実は、自我状態A/感情(欲求)Aの方も、自我状態Bから解放されていくという事態が起こっていたのでした。
 そのため、椅子を移った時(ロール・スイッチした時)、すぐに、純度の高い自我状態A/感情(欲求)Aに同一化することが可能になったのです。
 そして、このような、普段抑圧し、他人に投影していた自我状態A/感情(欲求)への同一化と解放を通して、クライアントは、影(シャドー)側の深い欲求(感情)を体験し、統合に進むことができるのです。
 実際に、純度の高い影(シャドー)、自我状態A/感情(欲求)Aに同一化できると、クライアントの方は、「解放されたスッキリした気分」「晴れ晴れとした気分」「弛緩した感覚」をどこか身体的に感じます。
 それが、表向きの感情(欲求)が「悲しみ」「怒り」「嬉しさ」とさまざまなタイプだとしても、その本質(底)には、今まで抑えられていたものの「解放された気分」があるのです。
 なぜなら、それらの自我状態A/感情(欲求)A、「影(シャドー)」は、長く抑えつけられ、切り離され、クライアントの意識が体験できなかった感情(欲求)だからです。それがまざまざと体験され、感じられているために、クライアントは、どこか深いところで(身体で)、「解放された気分」「弛緩した感覚」「ホッとした感覚」「安堵感」を持つのです。そして、「悲しみ」「怒り」「嬉しさ」等を解き放っていくのです。

 このようなことは、普段の人生では、決して起こらない事柄です。
 なぜなら、「影(シャドー)」は、嫌な、嫌悪や怖れであるから、私たちの自我は、つねに抑圧しているからです。
 しかしながら、実際に、「影(シャドー)」そのものになってみて、それを充分に感じ、体験し、表現していくと、解放感と喜びが生まれ、「影(シャドー)」が全然、嫌なものでも恐ろしいものでもないことに、人は気づいていくのです。
 むしろ、その自我状態の、智慧や力、アドバイスやサポートをもって、自分に教えてくれ、介入し、守ってくれていた存在であったと気づくことになるのです。
 恐ろしい姿は、普段の自分の側(仮面)から見た、幻だったと気づくのです。
 「影(シャドー)」は、心の大切な一部、仲間、自分自身だとわかるのです。
 ワークの実際テクニックとしては、「影(シャドー)」側の自我状態/感情(欲求)に同一化して、感じとっていくことに、時間を多くかけることが必要です。意識的に、時間的な配分(比率)を多くするということです。
 「影(シャドー)」側の自我状態は、人生でずっと抑圧され、切り離されていたものなので、クライアントの方が、生きられてこなかった人格(自我状態)だからです。縮こまって、その生命を開花させていないからです。感覚に馴染んで、慣れていくためにも、時間が必要なのです。
 この「影(シャドー)」側の人格(自我状態)を充分に深く味わえる時間をとってあげることが、技法的には重要なポイントとなります。
 この重要性がわからないファシリテーターは、ここでも浅いアプローチで終わってしまいます。
 そうなると、クライアントの方が、せっかく、普段の人生で目にしない「影(シャドー)」を体験しているのに、充分に解放・定着しないまま通り過ぎてしまうということになってしまうのです。

 さて、以上のように、各自我状態がきちんと切り分けられて、それぞれが純度高く体験されると、クライアントの方が苦しんでいた葛藤状態がほどけていくという事態が進展してくるのです。
 そのため、ファシリテーターは、各ステップの中で、クライアントの方がそれぞれの役(自我状態)の時に、充分に(混じり気なく)、その自我状態/感情(欲求)に深く同一化できているか、表現し尽くせているかを、きちんと確認していかなければならないのです。
 その際、身体的な弛緩(反応)のシグナルなどを見逃さないようにしないといけないのです。

 また、もし、そのように進展しない場合は、まったく別の要素の心的内容(自我状態)が、そこに混ざり込んでいる可能性もあるので、場合により、「別のアプローチ(そのⅡ) 葛藤解決」を導入しないといけないのです。
 そして、実際のセッションでは、そういう場合の方が多いのです。
 私たちの心というものは、深く複雑に絡まり、こんがらがっているものだからです。
 一部のセラピーに見られるような、簡易な出来合いのフォーマットを使って、なんとかできるような、単純なものではないのです。

④役割交替の繰り返し―各自我の変容―統合

 さて、以上のように、相手方の椅子を移るということを何度も繰り返していきます。
 この役割交替を、何度か繰り返します。自分になったり相手になったり、自分になったり相手になったりを、何度も繰り返すのです。

 そうすると、片方ずつ欲求(感情)エネルギーを抜いていく要領で、ワークは進み、だんだんと相互できつく相手を抑圧していた両方の自我状態が弛んできます。葛藤が弛んで、なくなっていきます。
 葛藤が弛まると、私たちはさらに、より純度高くその個々の自我状態に同一化できるようになるので、その自我状態単体でのその内奥の欲求(感情)エネルギーが解放されていくことになります。
 相乗効果的に、葛藤は弛み、消滅していくこととなるのです。

 また、ここで、注目しておくと良いのは、「意識 consciousness」の性質についてです。
 椅子を代わるたびに、各自我状態AやBに同一化する「意識 consciousness」とは、何なのかということです。
 各自我状態にそれぞれ同一化している時、私たちが体験している「自意識」とは「一人称の〈私〉」です。
 これは、私たちが普通に持っている、「通俗的な意識」のイメージです。
 しかし、ワークのなかでの、各自我状態とは、別の存在です。
 つまり、別の中身(自我/人格)を体験しつつ、「一人称の〈私〉」の主観を同じように感じているということです。
 これは、どういうことでしょうか?
 つまり、「意識 consciousness」それ自体は、「非人称の存在」なのだということなのです。
 西洋の哲学で、「意識 consciousness」の本質を追求した現象学 Phänomenologieは、この点に少し気づいていました。
 そして、「超越論的」「超越的」「非措定的意識」というような言葉で、その一側面を記述したのでした(フッサール、サルトル)。その事態にかすったのでした。
 しかし、彼らは、その要素を副次的なものあまり重視しなかったため、その点が焦点化されることはありませんでした(また、感覚的に、その重要性がよくわからなかったからでしょう)。

 ところが、インドの瞑想哲学では、まさに、その次元の「意識 consciousness」が問題となり、重視されているのです。
 インドの瞑想でいうサマーディー(三昧)では、「意識 consciousness」の諸次元は、実在の諸次元だからです。
 前に、シュリ・オーロビンドの「排他的同一化」という言葉を前に引きましたが、ワークにおいても、日常生活においても、各自我状態にそれぞれ同一化している状態は、「排他的同一化」している状態です。
 しかし、何にも同一化しておらず、「非人称」状態の「意識 consciousness」が現れている時、それが、インドの宗教哲学の中で言われる「目撃者 witness」と呼ばれる状態なのです。
 「〈私〉ではなく、〈誰でもない存在〉として視ている」ということが起こっているのです。
 ワークの中でも、各自我状態と、それらがときどきに同一化している「意識 consciousness」とは、どのような仕組みになっているかについて、一旦、そのようにイメージしておくと良いのです。
 (※ちなみに、この点は、西洋的には感覚的にも理解が難しい点で、東洋人である私たちが、シャーマニズム的感覚とともに、オリジナルの彼らより、深く超越的なワークができる点でもあるのです)

 さて、そのようなメタ的な「意識 consciousness」が、各自我状態を交互に横断的に体験するため、両方の自我状態A・Bの間に、意図(情報)の流通/融合がつくりだされることになるのです。
 相手の自我状態に対して、感情(欲求)的融合が生まれ出すのです。
 意図(情報)と感情(欲求)エネルギーが交流しはじめ、水平的で、対称性が生まれだすことになるのです。
 この場合、知的な整合性は、不要です。たとえ、対話がなされていても、本質的なものではありません。
 非対称性とは交換不可能性、「私は私。あなたはあなた」の分裂状態です。
 対称性とは交換可能性、「私はあなた。あなたは私」の統合状態です。
 ワークの中では、「さっき向こうの役 roleで感じたことを、こっちでも、別の形で感じている」という主観的印象を持つのです。

 ところで、役割交替を、何回も繰り返す必要性があるのは、硬化した相互抑圧をほどく/溶かすには、丁寧に片方ずつ、少しずつ筋肉を弛め、エネルギーを流すしかないからです。
 それは、「2箇所で固く留められているネジ」を弛めるのと同じ要領です。片方を少し弛めるともう片方が弛めやすくなります。その片方を弛めると元の片方がさらに弛めやすくなります。この交互の繰り返し(行ったり来たり
)で相互抑圧がほどけていくのです。
 その葛藤状態の中に封じ込められている感情・欲求・認知・信念の「もつれた塊」は、生涯に渡って固形化されてきたので、それをほどく/溶かすには、少しずつ動かし、揺さぶるようにエネルギー(感情)を流し、体験する必要があるからです。
各自我状態の相互抑圧は、揺り動かすような動きを与えないと、深い部分のエネルギーが自由に流れ出さないからです。
 流動化させないと、各自我状態の深いところに存在している、真のメッセージ(欲求/感情)を聴きとることができないからです。
 役割交替を繰り返すことで、クライアントの方も、揺るんだ各自我状態にも慣れてきて、各自我それ自身(単体)の内実に、より深い気づきをもって同一化をすることができるようになるのです。
そして、その自我状態の感情(欲求)を表現し、解放できるようになるのです。

 さて、そして、ワークを進めていき、たとえば「自我状態B」が充分に体験され尽くしていくと、「自我状態B」は、だんだんと「自我状態B´(ビー・ダッシュ)」や「自我状態Y」へと姿(状態)を変えていくことになります。Aの方も同様です。
 自我状態が変容をはじめるのです。
 なぜなら、「自我状態B」という状態自体が、相互抑圧(反発と葛藤)によって生み出されていた「制限された仮の姿」「部分的自我状態」だっただからです。
 十全な体験と表現ができて、抑圧がほどけることで、その「自我状態」は、より本来の姿(状態)へと戻っていくことになるのです。変容していくことになるのです。
 「自我状態X,Y」とは、そのような意味で「本来の自我状態」ということなのです。
 そして、これが、前に、「影(シャドー)」は、それ自体で体験されると、恐ろしいものではなくて、素敵な仲間だと感じられると書いた意味なのです。

 さて、そのようにプロセスを進んで、変容した「自我状態X」「自我状態Y」として交互に交流を深めていくと、これら自我状態を、自分の中の「特異な役割」(部分)でしかなかったことに気づける「より大きな気づきの広がった解放状態/空間」に、クライアントの方は移行していくことになるのです。
 そして、「自我状態X」「自我状態Y」が溶け合い、変容し、融合したような、そしてさらにそれを超えた、フラットで充実した広がり(空間)を、自分自身の中に見出していくこととなるのです。
 これが「統合」状態ということになります。

 ちなみに、この最後の状態を、ゲシュタルト療法(パールズ/フリードレンダー)の用語で「創造的中立性(創造的無心) creative indifference 」と呼ぶこともできます。
 「両極性・対極性(の葛藤)」が均衡・中和・消滅した中空状態/感覚です。
 「両極性・対極性」にとらわれることのない自由な無の空間、ゼロ・ポイント、空性です。
 セッションの中でも、ここで人はしばしば、澄み切った静かさのスペース(空間)のひろがりを経験したりもします。
 ある種の意識拡張的な体験といえるものです。
 そして、この「創造的中立性」状態と、次世代のトランスパーソナル心理学が「トランスパーソナル(超個/超人格)」的と呼ぶ意識状態が、地続きでつながっていることは、その手の世界に詳しい人は、連想的に類推できるかと思います。
 排他的に同一化された部分的な自我状態から、「意識 consciousness」が脱同一化されたために、「目撃者 witness」の世界が現れてきているのです。
 このような視点が、ケン・ウィルバーが、1970年代から指摘する、ケンタウロスの領域(ゲシュタルト療法/心身一元論的心理療法)とトランスパーソナル的な領域が、地続きで連続的に存在していることへの「実践的/実在的な根拠」でもあるのです。ケン・ウィルバーは、その『意識のスペクトル』の中で、或るゲシュタルト療法のワークの風景を引用しているわけなのです。

 そして、そのような拡張した統合状態の中で、クライアントの方は、より大きくなった「自分のひろがり」を感じつつ、小さくなった(変容した)自我状態XとYを眺めつつも、自分が相手に投影してたり、自分だと思い込んでいた苦痛(自我状態ABの葛藤)が、自分の思い込みで大したものではなかったことにまざまざと気づくことになるのです。
 当然、ワークの最初に感じていた(投影していた)Aさんへの感情(苦痛)は、消滅しています。
 そして、実在するAさんに投影していた感情(欲求)、「影(シャドー)」
を、「Aさんだと思っていたのは、自分のXだったのだ」と得心することになるのです。
 そして、「影(シャドー)」の中にこそ、力と叡智(魔法)があると言われることの意味を理解するのです。
 その神話的な意味合いを深く感じたりするのです。
英雄の旅 (ヒーローズ・ジャーニー) とは何か
 スッキリと幻想やモヤが晴れた解放感と、充実した統合的なエネルギーを感じるようになるのです。
 五感が冴えわたり、あたりの風景や物の彩りが鮮やかに、鮮明に見えます。

 クライアントの方は、今まで分裂して生きられてなかった別の自分自身(自我状態)と統合されることで、ひとまわり大きくなった自分、パワフルで力に満ちている自分を、強烈に体感している状態で、このワークは終わります。 

◆深化が進んだケース

 また、次のケースは、エンプティ・チェアの技法(セッション)を数多く繰り返し、「玉ねぎの皮むき」が進み、人格変容が進んできた場合に起こってくるようなケースです。
 上のように、自我状態が変容していくプロセスが進んでいくと、そのうち、部分的に、「混乱したり」「プロセスを見失ったり」「わからなくなったり」「真っ白になったり」「行き詰まり」を感じたりする場合も出てきます。
 そもそも、「自我状態A/感情(欲求)A」と葛藤している「自我状態B/感情(欲求)B」を自分だと思っていたのに、それが消滅してしまったからです。
 自我状態にとっては、アイデンティティの混乱です。
 この混乱と惑乱、「行き詰まり」の場面を、ゲシュタルト療法では、「行き詰まり impasse の層」と呼んでいます。
 実は、この場面は、ワークの一番重要なキモの場面ともいえるものです。
 上に長々と書いたさまざまな自我状態の葛藤を弛めるプロセスは、実は、この場面/状態に突入するための、下ごしらえともいえるものなのです。
 ただ、これは、これだけで長大な解説を要する核心的なテーマですので、ぜひ、別セクションの解説をご覧いただければと思います。
5層1核 感情表現(表出)の階層性

 

よくある失敗(間違い)について

 よく、エンプティ・チェアの技法について、「なかなか終わらない」「終わらせ方が分からない」「腑に落ちない(気持ち悪い、モヤモヤした)終わり方になる」「頭で考えただけの結果になる」というような話を聞きます。
 これは、エンプティ・チェアの技法とは、「言いたいことを表現する」「対話を通して統合する」というような見識でしか、エンプティ・チェアの技法を理解していないことによります。
 しかし、そもそも、教科書的なゲシュタルト療法が、その程度の教え方しかしなていないものがほとんどなので、仕方のない面もあります。
 ただ、そのようなエンプティ・チェアの技法では、はじめの頃は「解放された!」と感じる面もあるのですが(時に感情的なカタルシスは少し生ずるので)、途中から、ゲシュタルト療法を長くやっているわりに、「同じことを繰り返している」「本当には統合されていない」という、世間によく見られる、残念な状態になってしまうのです。

 上記のような場合は、本当の意味での、各「自我(欲求)状態の変容」の解放や、葛藤がほどけていないことが一番の問題といえます。
 それは、ワークの中で、クライアントが、それぞれの各自我状態/感情(欲求)に深く同一化することや、感じきること、表出ができていないことが大きな原因なのです。
 それは、主に、「感情(欲求)的な要素」についてです。

 もつれた葛藤状態の「自我(欲求)A+B」のままで、椅子をアッチコッチ移っていても、それは元々の葛藤状態を場所を変え再演しているだけです。葛藤の解消を起こすことにはつながりません(。
 視点の転換、いわゆる「俯瞰して見る」程度のことが起こるだけです。
 それは、既存の自我状態(役割)で、既存の(葛藤範囲内の)感情表現をしているだけだからです。
 エンプティ・チェアの技法とは、各場所(役)に、葛藤分裂している自我状態を分けていくことで、効果の出るものなのです。
 それには、クライアントの葛藤のもつれがどんな構造を持っているかを見抜き、適切に介入していくことがポイントとなるのです。
 このあたりの介入は、心理構造の理解と微細精妙な技法、自己の変容体験とさまざまな事柄がリンクしてきますので、この技法をより深めたい方は、ぜひ当スペースに訪れてみていただければと思います。
 ところで、セッションにおいては、ファシリテーター自身の持っている変容体験が、ファシリテーターが提供できる変容レベルとなります。ファシリテーター自身の経験していない変容を、クライアントの方に提供することはできないからです。クライアントの方に、真の変容を提供するためにも、まず自分自身が、十分に変容の旅を経ていないといけないのです。

◆最後に

 さて、以上が、エンプティ・チェア(空の椅子)の技法のあらましとなります。
 この技法は、さまざまな活用場面を持っており、また、その効果も多様なものです。
 そのため、ゲシュタルト療法を超えて、色々な心理療法の流派でも、採用されることになったのです。

 しかし、この技法のもつ潜在力は、それだけに終わるものではないのです。
 プロセスワークの創始者ミンデルは、指摘します。

 現代のゲシュタルト療法の創始者であるフリッツ・パールズは、先住文化のシャーマンがいれば間違いなく仲間として歓迎されたであろう。パールズは、自己への気づきを促すために、夢人物(ドリーム・フィギュア)や身体経験との同一化ならびに脱同一化法を用いた。そして、モレノの「サイコドラマ」から、夢見手が自分や他者を登場人物にすることによって夢の内容を実演化する方法を借用している。

アーノルド・ミンデル 藤見幸雄監訳
『ドリームボディ』(誠信書房)

 シャーマニズムの実践においてと同様に、私たちは、たとえば、「意識 consciousness 」が、部分的な自我状態/感情(欲求)をさまざまに移動していくこのプロセスの中で、各自我状態から離脱し、意識 consciousnessそのものが持っている非人称の不思議なひろがりを体験することにもなったりするのでます。
 それが、インド哲学で古来から言われる「目撃者 witness 」の世界であることは少し触れました。
 それは、トランスパーソナル(超個的/超人格的)といわれる状態の秘密(原理)を解き明かす重要なヒントでもあるのです。

 そして、このことが体験的に理解できると、トランスパーソナル心理学/インテグラル理論の思想家ケン・ウィルバーが、「ゲシュタルト療法的な心身一元論的統合(ケンタウロスのセラピー)は、ごく自然にトランスパーソナル的体験に移行する」と指摘していることの深い(重要な)意味を理解できるようにもなってくるのです。
 当スペースが「統合すれば、超越(超脱)する」というのは、そのような意味からなのです。

 そして、一番重要な点は、それを単なる理論だけではなく、実際の体験としても得られることができるということなのです。
 これが、当スペースでは、なぜ、トランスパーソナル的な体験が得られやすいのかということの原理的な説明にもなっているのです。
 「不思議な空間(スペース)に入り込みました」とは、しばしば、クライアントの方が漏らす言葉です。

 同様に、私たち人類が、何万年にも渡って実践してきたシャーマニズム的伝統の秘密も、実は、この技法や、それが生み出す変性意識状態(ASC)との関係に含まれていることがわかってくるようにもなるのです。
 このようなさまざまな点からも、この技法を深いレベルで身につけていくことは、人生を根本的に変える(超える)決定的な技法を手に入れていくことにもなるのです。


【学習コース】
下記をご覧ください。
「エンプティ・チェアの技法」学習コース(10回)
【本質的な変容をもたらす】ゲシュタルト療法ファシリテーター養成コースのご案内


【関連】

「トップドッグ(ボス犬)とアンダードッグ(負け犬)―「自信がない」と「能力」は関係ない」
「ジャッジしない」とは何か 防衛機制―変容のないワークとワークが行き詰まる点


※実際のセッション(ワーク)は↓をご参考ください
セッション(ワーク)の実際
セッションで得られる効果
※関連記事
エンプティ・チェアの技法Ⅱ 自我状態を取り出す
葛藤解決の方法(ポイント)Ⅰ
葛藤解決の方法(ポイント)Ⅱ ネガティブな感情の扱い方

※エンプティ・チェアの技法は、下記の事柄に強い効果や変容を人に起こします。
変性意識状態(ASC)とは何か はじめに」
変性意識状態(ASC)とは何か advanced 編「統合すれば超越する」
【図解】心の構造モデルと心理変容のポイント―意識進化の見取り図


【ブックガイド】
ゲシュタルト療法については、基礎から実践までをまとめた拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧下さい。
変性意識状態(ASC)やサイケデリック体験、意識の超越的変容を含めた、より総合的な方法論については、拙著
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』
および、よりディープな、

『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

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↓動画解説 エンプティ・チェアの技法

↓動画エンプティ・チェア(空の椅子)の技法Ⅱ 葛藤解決」

※エンプティ・チェアの技法を効果的に使うと↓
動画「ゲシュタルト療法と、生きる力の増大」

↓動画解説「ゲシュタルト療法 セッションの効果 意欲と創造力の増大 変性意識」

↓動画解説「得られる効果と成果「心理療法と能力開発」 ゲシュタルト療法 変性意識」

↓エンプティ・チェアの技法やゲシュタルト療法の詳細については、拙著『ゲシュタルト療法ガイドブック:自由と創造のための変容技法』をご覧ください。

→拙著『ゲシュタルト療法ガイドブック:自由と創造のための変容技法』

動画解説『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』 変性意識 サイケデリック トランスパーソナル心理学 チベットの死者の書 アヤワスカ

→拙著『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』

↓多様な変性意識状態と変容プロセスについて。動画解説『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容(改訂版)』 変性意識 シャーマニズム 野生のアウェアネス 

→拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容(改訂版)』


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