聖なるパイプの喩え(メタファー) シャーマニズムの方法 エネルギーの流動と組織化

◆統御され、集中されたエネルギー

さて、ネイティブ・アメリカンのメディスン・マン(シャーマン)は、自分たちのことを、しばしばパイプに喩えます
自分たちは「通り道」であり、その中を通って、異界の精霊的な力(不思議な力・ヒーリング・パワー)に働いてもらうという意味合いからです。
彼らは、こちら側の世界と向こう側の世界とをつなぐパイプ(役)にしかすぎないというわけです。
そして、メディスン(不思議の力)とは、自分の力で操作的に何か行なう類いのものではなく、「聖なる未知の何ものか」によって自発的に働いもらう力であるとしているのです。
そして、 その力に働いてもらうためには、自己の心身が浄められ澄んでいて、鞘のように堅固な空洞、パイプのようでなければならないというわけなのです。
そのため、彼らは聖なるパイプを持ち歩き、修行鍛錬し、そのことに絶えず思いを巡らせているわけなのです。

ところで、このような知見や考え方は、変性意識状態(ASC)とそれに関係するエネルギーや精神集中を扱う際に大変参考となる考え方でもあるのです。
また私たちの心理的自由(統合)の必要性を考える際に、とても参考になる視点でもあるのです。

◆フォーカス(焦点化)/組織化/フロー体験と心理的統合

例えば、「聖霊に満たされたような」特異なハイ・パフォーマンス状態であるフロー体験においては、私たちはその行為を行ない統御しているのがあたかも自分ではない者のような不思議な感覚を持ちます。
正確にいうと、「すみずみまで統御できている感覚」と「それが自意識の働きによるものではない」という2つの感覚が同居している感じを持つのです。
フロー体験とは何か フロー状態  ゾーン ZONE とは何か

フロー体験においては、自分ではない、意識エネルギーの拡張された流動性と組織化の中に、行動が統御されているのです。
そして、そこにおいて普段では行なえないような高いレベルでの明晰なパフォーマンスが達成されてくるのです。
それは、ある意味では、私たちの内にある自我よりも「高い階層の」「高次の」「超越的な」システムが発動している結果だともいえるのです。
「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー ジョン・C・リリーの考察から

「自意識は消失するが、いつもより自分が強くなったように感じる。時間の感覚はゆがみ、何時間もがたった一分に感じられる。人の全存在が肉体と精神のすべての機能に伸ばし広げられる」M.チクセントミハイ『フロー体験入門大森弘監訳(世界思想社)

また、その瞬間においては、エネルギーのベクトルは、目標へのフォーカス(焦点化)によって集中(組織化)されているわけですが、その体験の内側において、意識は澄みきり、まるで拡張しているかのように行為の全存在に透過しているように感じられるのです。
まさに、目標(ターゲット)に向かう途上において、パイプのように澄みきった空間(空洞)があり、その堅固な通り道(空)の中を、天然の、自発的な、自律的なエネルギーの流れが貫いていくかのようです。

行為の主体者として重要なことは、自意識であれこれ操作しようとすることではなく、自らをパイプのような空洞にして(ある種の無心の中で)、天然エネルギーの自律的な流れが自由に流動できる「場」に自身がなること、場を貸し与えていくということだけなのです。

そして、その際には、「安定した堅固な空洞であること」が、何よりも必要なことでもあるのです。
「場の枠組み」がフラフラしていては、莫大かつ凄まじいエネルギーの奔流を速やかに流すことはできないからです。(エネルギーに耐えきれないことになります)
また、強いエネルギーを通すために堅固なベクトル的なパイプになり、無心のままに目的にフォーカス(焦点化)していることが必要なわけなのです。それが、シャーマンにおける「戦士的なあり様」のひとつの重要な側面であるのです。
フロー状態とシャーマン的姿勢の共通要素はこのようになっているのです。


そして、このようなパイプのような存在になるには、大前提として、自我(エゴ)の領域で充分な心理的統合ができていることが重要な要素ともなっているのです。自我(エゴ)の領域で、葛藤に満ちているならば、私たちは自分を無にして、自己をパイプのようにすることはできません。ノイズ(葛藤のモヤモヤ)が目詰まりを起こし、エネルギーをなめらかに通さないからです。澄んで純粋なエネルギーを通すだけの自己の空洞さを作りだすことができないからです。
シャーマン的な戦士が、自我を滅却した無我の人、自分の幼稚さ(エゴ)から行動しない人というイメージを持っているのは、このような実際的な点からなのです。
さまざまな秘教的アプローチの中で「浄化」が重視されているのも同様の理由からといえます。

また、逆の見方もできます。トランスパーソナル心理学のケン・ウィルバーは、ゲシュタルト療法などの心身一元論的な心理療法を進めて、心理的統合が充分に深まると、トランスパーソナル(超越的)な事象がごく自然に現れてくると指摘します。
このことは、自我(エゴ)の領域とトランスパーソナル領域とが、バランスして存在していることを示唆していると言えるでしょう。
科学者のジョン・C・リリーは、イスラム(スーフィー)的な秘教訓練の中で感じた、同様の「自我と本質」の関係モデルをその著書で解説しています。
「聖霊」の階層その2 本質(エッセンス)の含有量 ジョン・C・リリーの冒険から

私たちは、このように自らを堅固で空洞な「枠組み」に変えていくことで、フロー体験的な集中力やそれによる創造性豊かなアウトプットというものを、聖霊の息吹のように活かしていくことができるのです。

◆夢見の技法 芸術・形式・儀式/フォーカス/変性意識

さて、拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法』においては、「夢見の技法」と題して、フロー体験のような精神集中や、意識の均衡(バランス)状態をつくり出すことで、私たちの内側から豊かな創造性を引き出す技法についてさまざまに検討しました。
『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

そして、その際に、取り組みの中において、ある種の堅固な儀式的な構造が必要な意味合いを詳説しました。それはさきほどまで見てきたような「パイプ」的な意味合いから見て、そのようなことであるということなのです。
堅牢な儀式的な構造が、私たちを堅固なパイプにすることを支え(サポートし)、変性意識的なエネルギーや情報をより流れやすくさせるからなのです。

そして、それはまた芸術的な創造(創作)などに関係づけていえば、その「形式性」がその儀式的な役割やパイプ的な役割を果たしていくということでもあるのです。
例えば別に、ロートレアモン伯爵の創造過程について検討してみましたが、彼が並外れた形で潜在意識の遠い宇宙を探索できた理由も、作品形式(仮構・虚構形式)という堅固な儀式的な構造とそれに支えられた夢見の技法(変性意識状態)とがあったからなわけでした。
ロートレアモン伯爵と変性意識状態(ASC)

◆聖なるパイプの喩えとともに

さて以上、これまで見てきた「聖なるパイプ」の喩えとは、シャーマンだけの特殊な問題に限定されるものではなく、私たちの普段の創造的生活にとっても利用可能なスキル・方法論でもあるわけです。

日々、このような聖なるパイプの意味合いに思いをめぐらせ、堅牢な形式性や儀式的構造による体験の組織化を意識していくことで、私たちの内にある天然の創造的(精霊的)エネルギーの流れは、より的を得た流れと自由さでもって、生きていくことになるのです。

【ブックガイド】
シャーマニズムや、変性意識状態(ASC)やサイケデリック体験、意識変容や超越的全体性を含めた、より総合的な方法論については、拙著
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』

より詳しくは、
砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。