◆自然と私たち
さて、ゲシュタルト療法などの心身一元論的な心理療法を長年つづけていくと、私たちの心身は、だんだんとしなやかな感度を増し、知覚力が、流動化したような状態に開かれてきます。
拡大された意識状態である変性意識状態(ASC)が得られやすくなり、意識の可動域が拡大していくこととなります。そして、個人に限定されないようなさまざまな領域にまで、自己の範囲が広がっていくかのような状態になってくるのです。
(トランスパーソナル〔超個的〕心理学が語っているのは、大枠ではそのような事柄です)
そのことはやがて、「自然界」というものに対する、私たちの関係を変えていくことにもなるのです。このことは、人間関係(関係性)だけを突き詰めていくことによって、しばしば行き詰ってしまう、従来的な心理療法に対する、別種の観点やアプローチとしても、意味を持ってくるものでもあります。
かつて、精神科医の加藤清は語っていました。
「もしクライエントとセラピストとの関係、人間の関係だけであれば、場の基底がもうひとつ弱い。そこに、ディープ・エコロジカルな基盤があってこそ、出会いが成立する。人間と人間との出会いは同時に、自然とクライエントとセラピストの出会いでもある。魂の出会いといってもいい」(加藤清、上野圭一『この世とあの世の風通し』春秋社)
ところで、心身一元論的なゲシュタルト療法やボディワーク・セラピー、ブリージング・セラピーなどの体験的心理療法においては、肉体という生理的領域への感度を高めていくため、私たちが、生物として本来持っている、知覚的能力に関してもさまざまな覚醒が起こってくるのです。
◆人間という種を超えて
例えば、グループワークを主体とする体験的心理療法(エンカウンター・グルーブなど)では、仲間と協働してセッションを進めるため、私たち自身の「群れ」としての側面について、さまざまな気づきの洞察が深まっていきます。
実際のところ、グループ・セラピーの現場では、しばしばありえないような形で、人々の心の共振・共鳴が生じます。それは、物理的な共振・共鳴とまったく似たような形なのです。そこにおいて、私たちは意識や感情エネルギーの生物的なあり様(システム)について、それまでにない感覚的な理解を得ていくことになります。
そして、このような「つながり」の感覚は、その感受性を延長していくと、人間共同体(家族、仲間、社会)を超えて、大自然、つまり大地、動植物、鉱物にまでおよんでいくことが直観されるのです。
大自然に対して、心や知覚力が拡張し、身体として浸透していくかのようです。これらが、知的なものとしてではなく、直接の感覚的な理解として得られていくことになるのです。
◆シャーマニズム的な姿勢
ところで、変性意識状態(ASC)に技術をもち、大自然とじかに交わり、大地との交感を深めていく方法論といえば、伝統的には、それはシャーマニズム文化の領域と重なっていくことともなります。
そのため、当スペースでは、心理療法のアプローチに基盤を置きつつも、より大きな観点から、変性意識状態と大自然を視野に入れる取り組み全般を、シャーマニズム的な姿勢であると見なして方法論に組み込んでいるのです。また、拙著『砂絵Ⅰ』では、この方法論を深く掘り下げているのです。
→拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
→野生の気づきとは
→伝統的なシャーマニズムについて
→発声とエネルギーの通り道
→登山と瞑想
関連記事
→諸星大二郎の『生物都市』と鉱物的な変性意識状態(ASC)
→フロー体験について
→アウトプットの必要と創造性 サバイバル的な限界の超出
【ブックガイド】
ゲシュタルト療法については基礎から実践までをまとめた解説、拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧ください。
野生の気づき、自然、変性意識状態(ASC)についてのより総合的な方法論は拙著拙著
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』
特に、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
の第五部(野生と自然)をご覧下さい。