夢見の創造技法 コルトレーンとヘンドリックス

まったく別のところで、似たようなエピソードに行き当たると、その背後にある普遍的な原理について、思いをめぐらすこととなります。

伝記的なドキュメンタリー映画を見ていて、直接的には関係のない2人に共通しているあるエピソードに気づいて、筆者は興味深く感じた記憶があります。

「彼が、会場に着く(いる)とすぐわかるんだ。音(演奏)が聞こえたからね」

と、友人たちが語るようなエピソードです。

その2人とは、ジミ・ヘンドリックスとジョン・コルトレーンです。

というのも、彼らは片時も、ライブ会場の控え室でも、演奏することをやめなかったからです。コルトレーンについては、ライブの前にすでにライブ1本分くらい吹いてしまうというエピソードも語られていました。

彼らはともに、同時代(60年代)を生きた、黒人であり、霊感に満ちた縦横無尽な即興演奏を旨とし、その卓越した創造力で、それぞれのジャンル(ロック、ジャズ)の変革者となった人物でした。

では、なぜ、彼らは片時も演奏することをやめなかったのか。

拙著『砂絵Ⅰ』の中では、「夢見の技法」と題して、私たちの人生と深層意識を貫き、こみ上げてくる特別な「夢の力」とその扱い方について取り上げました。私の誰もが、そのような「夢の力」を持っているのです。
拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

2人はなぜ、演奏をやめなかったのか。
筆者はそれを、演奏を通して(通り中で)、彼らを貫いていく電流のような「夢の力」や「変性意識状態(ASC)」があったからだとします。

演奏する中で現れてくる「夢の力」「変性意識状態(ASC)」が告げるメッセージや啓示、その〈何か〉をつかみ、具現化し、完了するためには、演奏(創造)するしかなかったのです。彼らが、ともに燃え尽きた者の印象を与えるのは、彼らを内側から焼いた高圧電流のような、強烈な夢の力(熱量)を私たちも感じとるからです。

芸術においても、心理面においても、霊感と呼ばれるような内的な意味の単位(ゲシュタルト)は、ある自律的な生命性をもって、出現し、意味を発露し、完了されていきます。即興演奏なりも、その即興音楽の自律的生命のこの十全な発露をもって、意味の達成として完了されていきます。

その内的なプロセスは、ホロトロピック・ブリージングの際に見た、「オルガスム曲線」と同様です。
ブリージング・セラピーその1

また、ゲシュタルト療法でいえば、現れてきた未完了な感情を、表現し、完了するプロセスと同様の事柄です。

コルトレーンや、ヘンドリックスは、普段から、そのようなたえず現れてくる強度の「夢の力」に貫かれていたのでしょう。そして、それを生き、完了させていくためには、演奏し、表現し、模索し、創造するしかなかったのでしょう。

アウトサイダー・アートについて触れたところではそれらが持つ、ある種、非人間的な無尽蔵の力について書きました。それは、容赦ない、根源的なエネルギーです。
アウトサイダー・アートと永遠なる回帰

コルトレーンや、ヘンドリックスは、おそらく、そのような、夢の根源的なエネルギーに、普通の人々より近くに生きていたのでしょう。また、ある意味、彼らのたえざる演奏・創造的践が、彼らをその夢の力の近くに生きることを、可能にしたともいえるのでしょう。そういう意味では、彼らの創造(演奏)技法は、夢見のための「シャーマン的技法」であるともいえるのです。

彼らのエピソードは、創造性と夢見の技法について考える際に、さまざまなヒントを与えてくれるものなのです。

 

【ブックガイド】
ゲシュタルト療法については基礎から実践までをまとめた解説、拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧ください。

気づきや変容、変性意識状態(ASC)を含むより総合的な方法論については、
拙著
『気づきと変性意識の技法:流れる虹のマインドフルネス』

および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

https://youtu.be/xPx-cL2t9TE
https://youtu.be/NWYWgda5f0I