創造と夢見の秘法 ―NLP(神経言語プログラミング)・ゲシュタルト療法・夢見のシャーマニズム その2

 別のセクションでは、「NLP(神経言語プログラミング)・ゲシュタルト療法・夢見のシャーマニズム」と題して、これらの各技法が扱う、心の領域が、表層から深層へと地続きを成している様子を見ました。
 今回、このセクションでは広く、人生で結果(アウトカム、アウトプット)を生み出す創造と具現化の秘法について考えてみたいと思います。

◆創造プロセス、対象、身体感覚

 さて、拙著『砂絵Ⅰ』の章、「夢見の技法」の中では、私たちを貫く創造的な潜在能力(夢見の力)をどうやって引き出せばよいのかについて、さまざまに見てみました。
拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

 そして、その際に、フランスの哲学者メルロ=ポンティの言葉、いわゆる、彼の身体論についての考察を参考にしました。わかりにくい表現ですが、彼は、次のように比喩的に語るわけです。

「画家は、その身体を世界に貸すことによって、世界を絵に変える」
「私の身体は(中略)、自分のまわりに物を集めるのだが、それらの物はいわば身体そのものの付属品か延長であって、その肉のうちに象嵌され、言葉の全き意味での身体の一部をなしている。したがって、世界は、ほかならぬ身体という生地で仕立てられていることになるのだ」
「私が見ている画像が〈どこに〉あるかをいうのは、確かに骨が折れる。私は画像を、物を見るようなふうには見ていない(中略)、私の眼なざしは存在(Etre)の輪光のなかをさまようように画像のなかをさまよい、私は絵を見るというよりはむしろ、絵に従って、絵とともに見ているからである」
「世界は、もはや画家の前に表象されてあるのではない。言わば〈見えるもの〉が焦点を得、自己に到来することによって、むしろ画家の方が物のあいだから生まれてくるのだ。そして最後に、画像が経験的事物のなかの何ものかにかかわるとすれば、それは画像そのものがまず「自己形象化的」(autofiguratif)だからにほかならない。画像は「何ものの光景でもない」ことによってのみ、つまり、いかにして物が物となり、世界が世界となるかを示すため〈「物の皮」を引き裂く〉ことによってのみ、或る物の光景なのである」

メルロ=ポンティ『眼と精神』木田元他訳(みすず書房)※太字強調引用者

という言葉を引いて、私たちが、心身を世界に投影して、物事を、(M.ポランニー的にいう)「暗黙知的」に把握していく事態について見てみました(ポランニーは、このようなメルロ=ポンティの考察も参考にして、彼の理論を形作っていったわけです)。
 そして、『砂絵Ⅰ』では、外部の創作対象(作品)と、投影した身体感覚が、内的につながっていく感じ(通路)を通して、強い夢見の力(=無意識の欲求、創造性)の力を、潜在意識から引き出していくことについて見ていきました。
 そして、その夢見の奔流を組織化して、強度なアウトプット(作品)として、外在化・現実化していく方法について見てみました

 さて、ところで、このような潜在意識の夢見の力を利用し、活かしていく方法論というものは、人生上の願望(目的)を達成する中においても、決定的な重要な事柄でもあるのです。
 人生の中で、私たちが、本当に熱中し、動機づけられるものとは、夢見の欲求(感情)でしかないからです。そこに、気づきを持てると、現実の行動もずっと変わってくることになるのです。
 というのも、私たちを、真に駆り立てる力(誘引/渇望)とは、自分にもよくわからない無意識(潜在意識/魂)に存在している夢見の力だからです。そこにこそ、どこまでもやり切れる無尽蔵のエネルギーが埋蔵されているからです。
 そこに不一致があると、「やる気が出ない」「無気力である」というような気分表現になってくるのです。

 そのため、この人生で具現化/実現したい目的(目標)を持っていて、それを「達成したい」と思っている場合は、「私は本当に、底の底で、それに惹きつけられいるのか?(非合理的に幻惑されているのか?)」「(通俗的な価値観から)無理やりそう思っているだけではないのか?」と、自分の内側に照らして、よく感じていくことが必要なのです
 「夢見の技法」として
その目的(目標)の姿(像、フィギュア)を、身体の奥でよくよく感じてみてその姿(像、フィギュア)と、自分の奥底の感情(欲求)との間に、強い磁力的な誘引作用(惹き合う力/強い魅惑や幻想)が存在しているか、夢の力が流れているかを確認していくことが必要なのです。

 その目的(目標)の姿と、夢見の感覚とが、強烈に惹きあうようなエネルギーをはっきりと感じとれるのであれば、それは「方向性として」間違っていないということになります。
 もし、どこか「魅惑」や「エネルギーの流れ」に、違和感やノイズを感じるのであれば、その目的(目標)にどこか嘘やおかしなところがあるということなのです。その場合は、自分の夢見の力を再探索して、目的(目標)を再設定しないといけないのです。


◆「夢見の力」と「心身投影」の存在論

 さて、私たちが何かを表現したり創作していくに際して、鍵となるのは私たちの意識や思考ではなく、その背後で私たちを惹きつけている(幻惑している)、夢見(潜在意識)のプロセスとなります。俗にいう「霊感(インスピレーション)」もそこに含まれる事象です。「(何かが)降りてくる」と言う際の「降りてくるもの」です。

 そのため、この作業においては、夢見の力(潜在意識)と関わる感覚とりわけ重要となるのです。
 そして、その際に、がとても大切な要素になるのが、「身体感覚(身体性/心身感覚)」なのです。
 
自分の「身体感覚」の投影を、サーチライト/レーザー光線のように使って、投影先の対象(作品、目的)とつながることで、私たちは内奥の動機づけや創造力(霊感)を、「降ろすように」、夢見のように、惹き出すことができるのです。

 ところで、別のところで、NLPを有効に活かすための「現場の生きた空間」について触れました。NLPは、この感覚が欠落しているから、効果が出ないということです。頭や思考で、生きた生命の世界から乖離してしまっているからです。
 そのため、夢見のように、降ろす際においても必要なのは、生きた感覚空間に「身体的」に同調しつつ、在る Beingということなのです。そして、ここにおいても、メルロ=ポンティが言うように、私たちの身体感覚が、素地(前提、器官)として在る Beingということが重要となってくるのです。
 さて、そのように、私たちは、自分の「身体感覚」を在る Beingとして生きることで、さらに、夢見の力を導き、降ろし、組織化し、高電圧化したアウトプット(作品)を創り出していくことができるのです。そのことを通して、無理なく、全身全霊の存在として、本当に欲しいアウトカム(結果)を手に入れることができるのです。
 これは、現実を生きる上で、深い次元でのセルフ・プロデュース、私たちの「魂のプロセス管理」となっていくことなのです。

【ブックガイド】

変性意識状態(ASC)や変容プロセスを含むより総合的な方法論については、拙著
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』

『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容(改訂版)』
をご覧下さい。
ゲシュタルト療法については基礎から実践までをまとめた解説、拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧ください。