別の記事「備忘録(2)―さまざまなライブ~天上の美と地獄の美~Primal Scream、My Bloody Valentine、The Jesus Lizard」では、元ストーン・ローゼズのマニ Maniの訃報に導かれて、思い出した事柄について色々と書いて見ました。
→備忘録(2)―さまざまなライブ~天上の美と地獄の美~Primal Scream、My Bloody Valentine、The Jesus Lizard~
今回も、その関連で少し書いてみたいと思います。
前回の記事を書いているうちに、忘れていた昔のことを色々と思い出してきたのです。
特に、ライブハウス事情のことです。
というのも、昔は、今ほど適切なライブハウスが方々になかったため、川崎にあったクラブチッタ CLUB CITTAに行くことが多かったのです。
川崎は、都心からも遠いし、ついでに寄る施設もないので、正直、行くのが面倒臭い場所でした。2daysなど見る場合、二日連続で川崎に通っている時などは、何とも釈然としない気持ちになったのです。
しかし、そんな通いで、ダイナソーjr. Dinosaur Jr.も、マイ・ブラディ・ヴァレンタイン My Bloody Valentineも、ジーザス&メリーチェイン The Jesus and Mary Chainも、プライマル・スクリーム Primal Screamも見たのでした。
そして、渋谷にON AIRができるまでは、よく川崎まで行っていたのです。ニルヴァーナ Nirvanaも、イギー・ポップ Iggy Popも、ラモーンズ Ramonesも、ソニック・ユース Sonic Youthも、フィッシュボーン Fishboneも、ブラー Blurも、キンクス The Kinksやその他も、川崎で見たのです。
ただ、昔は、もっと悲惨なことに、椅子付の会場というのもあり、他にない場合は、そこで見るしかなかったのです。ルーリード Lou Reedも、セックス・ピストルズ Sex Pistolsも、テレヴィジョン Televisionも、ソニック・ユースやプライマルでさえ、そんな会場で見た覚えがあります。
ところで、当時、(人に付き合うのではなく)自分でライブを見に行く場合、次のような条件で、見るアーティストを選んでいました。
①会場が小さいこと(スタンディング)。
②ライブが面白そうなアーティストであること。
①は、大きなホールなど、遠くにアーティストがいると、かえってフラストレーションが溜まるからです。間近で、そこにいる感じで見られないなら、かえって、ライブなど見ない方がマシと考えていたのです。
②は、音楽が良くても、パフォーマンスが面白そうじゃないアーティストもいるので、ライブとして楽しめるか否かということも基準にしていました。そのため、ジョン・スペンサー・エクスプロージョン The Jon Spencer Blues Explosion や、プライマルを数多く見ることになったのです。彼らは、ライブが楽しかったのです。
ジョンスぺも、最初に来日した時はクアトロで、ただ演奏するだけという、そっけないものでしたが、じきに、あの煽り倒すスタイルを身につけ、お気に入りのテルミンとともに、客の心をわしづかみにし、熱狂させるステージを展開するようになったのです。
あの頃のジョンスぺのライブは、ライブ・パフォーマンスというものの至高の形態(奇蹟的な形態)として、今も自分の中に残っています。
そのため、当時、かつてジョンスぺを一緒に見た人を、ジョンスぺのライブに誘った時に「あのライブはキツすぎる」と断られた時には驚いたものです。「今のジョンスぺこそ見ないとダメだろ。旬は短いのだから」と思ったのです。しかし、世の中には、決定的な「その時」を取り逃がす人というのも、また非常に多いのです。
そして、上記①②のような条件を満たすアーティストというと、多くが、まだバカ売れはしていないけど、「上り坂」にあるアーティストの初来日ということになったのです。
そのため、思い返すと、結果として、渋谷のCLUB QUATTROで見たアーティストが一番多かったのです。
より大きいキャパだと、渋谷ON AIR(イースト)、新宿にあった頃のLIQUIDROOM、赤坂BLITZ、小さいキャパになると、ON AIR(ウェスト)、恵比寿GUILTY、下北沢SHELTER、新宿LOFT、新宿ピットインなどが思い出されます。
また、色々と風変わりなものや前衛的なものも好きだったので、小さなスペースや奇妙な会場にも方々足を延ばしました。
思い出すのは、「横浜STスポット」という小さなスペースで行なわれた、フリー系のソプラノ・サックス奏者スティーブ・レイシー Steve Lacyのソロ・ライブです。彼のソロとは、サックス一本だけで、延々と即興演奏するというスタイルのものです。小さなシーンとしたスペースに、ソプラノの、探求的な高い生音が響いていました。ライブの後には、レイシーから、レコードにサインをもらいました。しっかりした書体の小さな文字のサインです。他にサインをもらったことがあるのは、『黒い時計の旅Tours of the Black Clock』の作家スティーブ・エリクソン Steve Ericksonだけです。
ジョン・ゾーン John Zornの「コブラ COBRA」という企画を、法政大学で見たのも記憶に残っています。
ここの学生会館は、昔から前衛的なものをよくやっていて、これ以前にも、灰野敬二の「不失者」を見たことがありました。彼も昔から何度も方々で見ていました。後になって、ソニック・ユースのサーストン・ムーア Thurston Mooreが、「フェイバリットなギタリストは、日本のハイノだ」と言い出した時は、不思議な気分になったものです。
「コブラ」とは、ウィキペディアによれば、
グループ分けされた演奏者がプロンプターと呼ばれる指揮者の指示によって即興演奏を行う。サバイバルゲームの要素が大きく取り入れられているのが特徴である。約10名のプレイヤーがプロンプターを中心に半円形に並び、プロンプターの指示する19枚のカードとそれに対応したサインによって音楽が作られていく。楽器の構成はその時に応じてまちまちであり、1人で複数個の楽器を持つことも珍しくない。また、楽器を持たない「声」だけのプレイヤーも存在する。
そして、この時のメンバーが豪華だったのです。
記録では、「出演:ジョン・ゾーン、モリ・イクエ、秋田昌美、大友良英、デビット・ワトソン、今堀恒雄、細井尚澄、久保キリコ、広瀬淳二、菊池成孔、藤枝守、巻上公一、横田ヨシミ、山塚アイ、マイク・パットン」となっています。
マイク・パットン Mike Pattonとは、フェイス・ノー・モア Faith No More、ミスター・バングル Mr. Bungleのマイクです。ちょうど、フェイス・ノー・モアが来日していたタイミングだったので、遊びに来たのでしょう。ライブが終わった後に、照明が落ちた瞬間、客席に乱入してきて、ケモノのように客席を走り回った後、私のちょうど前の席の、若い女性の膝の上に座ってしまって、女性が「キャー」と叫ぶ、そんなお遊びめいた場面はありましたが、彼は特にコブラでのパフォーマンスはしなかったと思います(たしか)。
本編のライブ自体は、とても楽しいものでした。また、ジョン・ゾーンの日本語がとても流暢なのにも驚いたのでした。
大きい会場のもので思い出すのは、ローリング・ストーンズ The Rolling Stonesです。
ライブ自体は標準的なものだったのですが、ライブが終わって、武道館からの帰り道、ふと見ると、すぐ前を、山川健一氏が女性たちと歩いていたのです。
それこそ中学生の時、ストーンズを聴きながら、ストーンズ・マニアの彼の本を読んでいたので、この「人生の伏線回収」に、不思議な感慨を覚えたのでした。
久しぶりに、彼が、ブライアン・ジョーンズを主人公として書いた短編のことを思い出したのです。







