「先延ばしをする癖」は、多くの人が、悩みのタネとするものです。
しかし、この「先延ばしをする癖」は、実は、単なる癖ではありません。
その人の心理的傾向であり、心理構造に由来する、明確な理由があるのです。
そのため、小手先のテクニックや、表面的なやり方や手順で、これを本当に改善することはできません。
一見、ささやかな癖ですが、実は、根深い心理的要因を持っているものですので、放っておくと、私たちの人生に甚大な影響を与えてくるものでもあるのです。
しかし、その心理構造を変容させることができると、先延ばしにする癖は消滅します。
そして、色々な物事について、「行動へのハードル」がずっと下がり、生きやすさと軽やかさが生み出されてくることになるのです。
ところで、別の記事『「自信がない」と「能力」は関係ない』では、世間で一般に信じられていることと違って、「自信がない」という感情(欲求)と、「能力の有り無し」とは、直接、関係がないことを解説しました。
そのため、いくら能力を高めても、自信がない人は、一向に自信を持てないのです。
一方、能力がなくても、自信を持っている人は、いつも自信満々なのです。
「先延ばしをする癖」も、同じように、心理構造に由来しているものなので、その構造(原理)を理解することが必要なのです。
先延ばしをする癖は、心理構造的には、「葛藤」によって起こっています。
「葛藤」とは、2つの相反する感情(欲求)が衝突することによって起こる苦痛な心理状態です。
先延ばしは、あまり苦痛として体験することはないですが、心の深層次元では、苦しみや苦痛であるため、私たちは停滞してしまうのです。
このことを、心理的な構造モデルから少し見てみたいと思います。
この2つの相反する感情(欲求)は、私たちの誰もが持っているものです。
まず、私たちの中には、「やりたい/やりたくない」(快不快)という感情(欲求)があります。
これは、シンプルで、根本的な欲求(感情)です。
心理学的には、フロイトの精神分析でいう「エス es」です。
交流分析(TA)でいう、「チャイルド」です。
ゲシュタルト療法では、その或る要素を、アンダードッグ(負け犬)と呼びました。
私たちの中の「子ども」の感情(欲求)です。
次に、これに相反する感情(欲求)として、「やらなければいけない/やるべきだ」という感情(欲求)があります。
これは、フロイトの精神分析でいう「超自我 super ego」からくる感情(欲求)です。
「超自我 super ego」とは、私たちが育ってくるプロセスで、主に両親から、その感情(欲求)を「取り込む introject」ことで、内部に形成された「欲求(感情)/人格要素」です。
私たちの性格が、なぜ、親に似ているかというと、乳幼児の頃から、両親を理想化し、親の価値観、道徳感情、規範感情、羞恥心、罪悪感、自責感など、感情(欲求)にまつわる要素をそっくり取り込み、自分の人格の一部にするからです。
物心のつかない幼少期から、愛情と理想化をベースに、両親のすべての欲求(感情)を吸収し、同化し、完全コピーして、「自分のもの」とするからです。
交流分析(TA) は、「超自我」を「ペアレント/親」と呼びました。
ゲシュタルト療法では、その或る要素を、トップドッグ(ボス犬)と呼びます。
さて、この「超自我/ペアレント/トップドッグ(ボス犬)」の声は、私たちの中で、いつも「やらなければいけない/やるべきだ」という声を響かせます。
「早くやれ」と駆り立ててきたり、小うるさかったり、ガミガミ言ったり、囁き声だったり、タイプは色々です。
いずれにせよ、私たちの後ろから、外から、うるさく言ってくるように感じられます。
というのも、多くの場合、私たちの欲求(感情)は、「エス/チャイルド/アンダードッグ(負け犬)」に同一化しているからです。
そこに、「やらなければいけない/やるべきだ」という感情(欲求)が外からやってくると、私たちは、「やりたくない」という感情(欲求)になってしまうのです。
特に、性格構造として、この「超自我/ペアレント/トップドッグ(ボス犬)」の力が強い人というのは、いつも、なんか「やらされてる感」というものをうっすら感じています。
そして、いつも「いやいやながら」物事を行なっているのです。
主観的には、どちらかというと、「やりたいこと」ではなく、「やらなければいけないこと」ばかりを行なっている気がするのです。
この2つの欲求(感情)に、葛藤があるのです。
このような心理構造のうえに、「先延ばし」という行為も生まれてくるのです。
「早くやらないといけない」のはわかっているけど、なんとなく、「億劫だ」「気が乗らない」「気が重い」とかの気分が生まれてきて、なかなか着手できないのです。
これは、「エス/チャイルド/アンダードッグ(負け犬)」の感情(欲求)です。
その質感をよくよく味わってみると、「うっすらと鬱的な感じ」でもあるのです。
それは、上記のような、欲求(感情)の深い葛藤構造から生まれているものであるからなのです。
そのため、本来は、セラピー的なアプローチで、根治していくことが望ましいのです。
すると、さまざまな物事について、「行動へのハードル」が下がり、ぐっと生きやすくなるのです。
人生で今まで感じことのなかったような、軽やかさが生み出されてくることにもなるのです。
変性意識状態(ASC)を含む、「自己超越」のためのより総合的な方法論については、
拙著
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。
ゲシュタルト療法については基礎から実践までをまとめた解説、拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧ください。