■ はじめに
ゲシュタルト療法のワークを深めていくと、私たちは、思いがけない「心の実相」に出会うことになります。
それは――
私たちの中には 「複数の人格(自我状態)」が存在している
という事実です。
精神分析なども、「心の局所モデル」を語っていますが、
それらを単なる比喩でも概念上のモデルでもなく、
実際に体験される、生々しい「生きた人格(感情・欲求・記憶の有機的複合体)」そのものとして
体験することとなるのです。
この記事では、ゲシュタルト療法の実践を通して見えてくる「自我状態の多数構造」と、その理解がもたらす変容の可能性についてお話しします。
■ エンプティ・チェアで起きること
ゲシュタルト療法には、有名な「エンプティ・チェア(空の椅子)」という技法があります。
ワーク(セッション)の中で、クライアントの中から顕著に湧き上がった感情(欲求)を取り出し、座布団などに置いていく外在化技法です。
そして、「その存在」自身になってみるということを行なったりします。
そんなとき、それが「適切なタイミング(ここが重要です)」で行なわれると…
その感情そのものに「なって」、感情が溢れ出し、話しはじめてしまうことが起こります。
まるで、憑依したようです。
私自身、初めて他人のワークを見たときは少し懐疑的でした。
「そこに座っただけで何かが起きるなんて…」と。
ところが、実際に体験してみると、
(腕があるファシリテーターだったので)
驚くこと、それぞれの椅子に座るたびに、まったく異なる「人格/自分」が現れるのでした。
それは単なる感情の断片ではなく、
生きた「人格/自我状態(ego states)」そのものだったのです。
そのような体験を数多く経験して理解したのは、
私たちの「自我」は単一の存在ではない
ということでした。
■ 私たちの中には「複数の自我状態」が棲んでいる
フロイトの精神分析やその後の対象関係論でも、また精神分析を敷衍したバーンの交流分析でも、心の局所論や内的対象(さまざまな自我)、自我状態(ego states)が語られています。
ゲシュタルト療法でも、重要なトップドッグ(ボス犬)とアンダードッグ(負け犬)という一組があります。
しかし、それらはしばしば「モデル」として扱われ、一般には比喩的に理解されてしまっています。
それは、「真の実感」がないから、「頭」で考えてしまっているのです。
ところが実際には――
自我状態は、私たちの「人格」そのものとしてリアルに生きられているものなのです。
その意味で、いわゆる「多重人格」も、単にその極端な形に過ぎません。
程度こそあれ、私たちは皆、軽度の「多重人格者」なのです。
しかもその数は、教科書的な三区分に収まるものではありません。
環境や経験、未分化の欲求など、無数の要因によって、数限りないキャラクターが内側に形成されているのです。
■ なぜ「決めたはずのこと」を実行できないのか
私たちは日常の中でも、そのような多数の人格(自我状態)の入れ替わりを体験しています。
・家族といるときの自分
・友人といるときの自分
・会社での自分
・恋人といるときの自分
・一人でいるときの自分
そのたびに「キャラ」が、微妙ですが自然と入れ替わっています。
さらに重要なのは、こんな現象です:
あれほど強く決意したのに、翌日になるとまったく実行(行動)できない
痛い目あって、「決してしない」と誓ったのに、しばらくすると、また繰り返している
しかし、これらは、「忘れた」わけではないのです。
意志が弱いわけでもないのです。
翌日には、決断したときとは、「別の自我状態」になっているからなのです。
昨日の自分の決断は、今日の自分にとって「自分のこと」ではないからです。
だから感情的な動機づけが生まれず、行動できないのです。
■ 大部分の「自分」は無意識に沈んでいる
フロイトは、自己の大半は無意識だと述べました。
これは深い次元をあつかうセラピーの現場にいると、より実感としてわかります。
私たちの自我状態の多くは、
濁った池に泳ぐ魚のように、潜在意識の中に沈んでいる。
「意識」が、その瞬間にどれか浮上してきた人格/自我状態に憑依(同一化)されることで、
私たちは「私」という一貫した人格を持っているかのように錯覚しているだけなのです。
■ ゲシュタルト療法が目指す「統合」
ゲシュタルト療法では、無意識に沈んださまざまな自我状態をワークで取り出し、
葛藤している自我同士を融合し、統合していきます。
このプロセスで、思考や知的な事柄は、なんの役にも立ちません(むしろ妨害になります)。
感情(欲求)の連続性として、それらが体験された時、「統合」が起こるのです。
・表現されなかった感情
・生きられなかった想い
・衝突している欲求
・分裂している役割
・置き去りになっている記憶
これらを明るみに出し、解放し、融合させることで、バラバラだった心の断片が統合されていきます。
その結果、私たちはより大きな「自己の全体性」に近づいていくのです。
■ 東洋思想やグルジェフが語った「複数の私」
このテーマは、実は近代心理学よりはるか以前から、東洋思想が深く洞察してきました。
仏教の多様な自我観などもそうです。
また、G.I.グルジェフも「複数の私(I’s)」として、まさに近い現象を指摘しました。
彼の「覚醒」に関する理解は、この分裂性の洞察と分かちがたく結びついています。
現代心理学ではまだ十分に解釈できていないテーマですが、実践的な自己理解には不可欠な視点なのです。
■ まとめ
私たちの心には「複数の人格/自我状態」が実在している
それらは単なる比喩ではなく、「生きた人格」として独立的に体験される
行動できない原因の多くは「自我状態」の入れ替わりや葛藤。
大部分の自我状態は、昏い無意識のうちに沈んでいる
ゲシュタルト療法は、それらを統合し「自己の全体性」を取り戻す方法論なのです。
そして、心とは、単一のものではなく、
「グループ活動をしている存在」なのです。
この前提を理解することが、深い変容への第一歩になります。
【ブックガイド】
変性意識状態(ASC)を含むより総合的な方法論については、拙著
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』
および、よりディープな
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。
ゲシュタルト療法については、基礎から実践までをまとめたこちら↓
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』







