『チベットの死者の書』という有名な書物があります。
チベット仏教のカギュ派の経典、埋蔵教(テルマ)として知られる経典(書物)ですが、この本は変性意識状態(ASC)をはじめ、体験的心理療法、トランスパーソナル心理学のことを考える上でとても参考となる本です。
元来の経典を、エヴァンス・ヴェンツが、チベット人僧侶とともに英訳したことで、世界中に知られることとなりました。
西洋にない、深遠な心の世界観を表した本書を、心理学者カール・ユングは、座右の書としていたと語っています。筆者も、自身で体験した各種の強度の変性意識状態(ASC)との関係で、本書で示されているものに、さまざまなヒントを得てきました。
ここでは、その「チベットの死者の書」を、ハーバード大学にいたティモシー・リアリー博士らが、心理学的にリライトした『サイケデリック体験 The Psychedelic Experience 』(邦訳『チベットの死者の書 サイケデリック・バージョン』菅靖彦訳 八幡書店)をもとに、その内容を色々と見ていきたいと思います。
◆バルドゥ(中有)と心の深層構造
まず、そもそもの「死者の書」が何について書かれた経典(本)であるかというと、それは「人が死んでから、転生する(生まれ変わる)までの、49日間(仏教でいうバルドゥ/中有)のことが書かれている経典である」ということです。
人間が生まれ変わることが、前提となっているというわけです。ただし、この前提は、この経典(本)を読むにあたってあまり気にしなくとも(信じなくとも)よい前提です。
というのも、語られている内容は、(確かに死に際して)心の底から溢れてくる体験(現象)ということになっていますが、それは、人間の心の深層構造に由来する普遍的な現象(体験)であると考えることができるからです。
これは、ユングの理解でもありました。
また、必ずしも臨死的な状況ではなくとも、心の深層領域が発現している姿と解釈することができるのです。
「チベットの死者の書」に描かれている世界は、生きている私たちにも同様に存在している深層心理の世界だといえるからです。
だからこそ、この「死者の書」は、心の深遠な領域を探求する多くの人々を魅了し、広くよく読まれていたというわけなのです。
ところで、心理学者のティモシー・リアリー博士らが、この経典(本)をリライトした理由があります。
当時は、意識拡張剤(幻覚剤)による「サイケデリック体験」の研究がはじまったばかりの時代でした。「サイケデリック(意識拡大)体験」においては、私たちの非常に深層のところにある生物的・心理的・超越的な次元の事柄が、意識の表層に溢れ出てきます。
しかし、実のところ、その体験で「何が起こっているのか」ということは、よくわからないことでもありました。
そのような状況下において、「チベットの死者の書」の内容が、驚異的なサイケデリック体験(の内容)に対して、一定の理解と指針を与えてくれるということがあったのでした。
リアリー博士らの西洋心理学の視点からすると、サイケデリック体験で起こる心的現象を充分な形で説明できなかったのですが、「チベットの死者の書」はその現象に対して、指針となる世界観を与えてくれる面があったのです。
リアリー博士らは、サイケデリック体験の内容と「死者の書」で描かれている体験とは、「同じ深層心理」の現れと理解したのでした。
また、それは、実際のサイケデリック・セッションの場面において、「役立つ」という実践的な面があったのでした。
そのような理由からも、この「チベットの死者の書」は、特異な臨死体験現象や宗教的な信念を語っている経典というだけのものではなく、私たちの「深層心理の世界」を理解するのにも、参考になるテキストとしても読むことができるということなのです。
ところで、この経典がどのような「形式」をとって書かれているかというと、たった今死んだ死者に向かって「語りかける言葉(声かけ)の形式」となっています。
その死者が、見ているだろうものを告げ、描写し、アドバイスを与えるという形式になっているのです。
「聞くがよい、○○よ。今、お前は、○○を見ているであろう」という感じです。
ところで、「死者の書」では、死んだ魂(死者)は、死んだ後に3つのバルドゥ(中有)を体験し、生まれ変わるとされています。
しかし、経典(本)の中心のメッセージは、
「さまざまな無数の心惹く像(くすんだ像)が現れてくるが、それらにとらわれることなく、怖ろしく眩い光明を、自己の心の本性と知り、それと同一化せよ」
というものです。
そうすれば、解脱が達成されて、生まれ変わり(輪廻)から離脱できるであろうというのです。
というのも、前者は、慣れ親しんだ自我への執着によるものであり、後者は、自己の本性である〈空性〉につながるものだからです。
そして、前者に惹かれていくと、次のバルドゥに進み、終いには、転生してしまうというわけなのです。
そのため、死者が移行する3つのバルドゥ(中有)について、刻々と諸々の事柄が語られますが、それは、解脱できなかった者たちに対して、このバルドゥで、自己の(心の)本性をとらえて解脱せよという意味合いの語りかけなのです。
◆3つのバルドゥ(中有)
さて、死者は、死後に、以下の3つのバルドゥを順々に体験していくとされています。
①チカエ・バルドゥ
→超越的な空の世界
→法身 (空性)
②チョエニ・バルドゥ
→集合的無意識的な、元型的な世界
→報身 (如来)
③シパ・バルドゥ
→自我のゲーム
→応身 (釈迦)
さて、この3つのバルドゥは、心理学的には、心の深層から心の表層までの3つの階層(宇宙)を表したものと見ることができます。死後の時間的遷移を「逆に」見ていくと、この構造はわかりやすくなります。
③シパ・バルドゥ
→自我のゲーム
→応身
の世界は、再生(非解脱)に近い、最後のバルドゥの段階です。
その世界は、もっとも身近な私たちの自我の世界です。フロイト的な個人的無意識の世界です。通常の心理学があつかっているのもこの世界です。リアリーらの死者の書では、囚われた自我のゲームを反復してしまう世界として描かれています。サイケデリックな体験の中でも、低空飛行している段階で、日常の自我のゲームが再演されている状態です。
②チョエニ・バルドゥ
→集合的無意識的な、元型的な世界
→報身
この世界は、心の深層の世界、私たちの知らない深層世界がダイナミックに滾々と湧いてくる世界です。「死者の書」では、膨大な数の仏(如来)たちが現れてきます。濃密な密教的な世界です。心の先験的とも、古生代ともいうべき、ユング心理学でいう「集合的無意識的な、元型的な世界」です。系統樹をさかのぼるような世界かもしれません。サイケデリック体験などでは、系統樹をさかのぼり、自分が動物や爬虫類などに戻る体験を持つ人も多くいます。
①チカエ・バルドゥ
→超越的な空の世界
→法身 (空性)
この世界は、根源的な、超越的な世界、内容のない〈空性〉の世界です。
既存の心理学の範疇には入らない部分といえます。ただ、そのような世界(状態)を想定することはできます。
リアリーらはこの状態を、ゲームの囚われから解放された、自由の、自然の、自発性の、創造の沸騰する世界と見ます。
そして、バルドゥ(中有)の現れ方の順番でいうと、死後に一番最初に出会うのが、この「根源の光明(クリアーライト)」の世界なのです。
ところで、「死者の書」の中では、それぞれのバルドゥでは、仏(如来)=「光明」が2つずつ現れてくるとされています。
恐れを抱かせるような眩い光明の如来と、より親しみを感じさせるくすんだ光明の神々の2つのパターンです。
そして、経典は告げます。
恐れを抱かせるようなより眩い光明が、根源の光明であり、それを自己の(心の)本性と見なせと。根源の光明に共振し、同調し、同化せよ、と。そうすれば、解脱できるであろうと。
そして、親しみ深い、よりくすんだ方の光明に惹かれるであろうが、そちらには向かうなと告げます。執着に陥り、解脱できないからだと。
ただ、多くの人は、この後者の光明に向かってしまうようです。
そのため、解脱できずに、次のバルドゥに進んでしまうのです。
◆経過
さて、死者は、このような3つのバルドゥを経過していくのですが、ティモシー・リアリーらは、サイケデリック体験における、この3つの世界の推移の仕方について、(原典訳者由来の)おもしろい喩えを使っています。
サイケデリック薬物の効き方であると同時に、心の構造について示唆の多いことです。それは、各体験領域の強さ(強度)の推移変化は、高いところから地面にボールを落とした時の「ボールの弾む高さ」(の推移変化)に似ているということです。
通常、落ちてきたボールは、最初のバウンドで高く弾み上がります。2度目のバウンドではそれより少ししか弾みません。3度目のバウンドではさらに少ししか弾みません。
つまり、サイケデリック・トリップの初発の段階が、重力(自我)から解放されて、一番遠くのチカエ・バルドゥまで行けて、次にチョエニ・バルドゥまで、次に、シパ・バルドゥまでと、段々と日常的な心理的に次元に落ちてきてしまうという喩えです。
この喩えは、私たちの心の構造や、心の習慣、可能性を考えるのにも、大変示唆の多いものです。
2つの光明の喩えといい、私たちの中には、大いなる自由に比して、慣習と怠惰に惹かれていくというおそらく何かがあるのでしょう。
◆変性意識(ASC)の諸次元として
さて、「チベット死者の書」の世界を、心の諸次元の構造として見てきましたが、この世界は、死の体験や薬物的なサイケデリック体験を経由しなくとも、色々な変性意識状態の中で、さまざまにあいまみえる世界です。このモデルをひとつ押さえておくことで、心理学的な見方のさまざまなヒントになっていくと思われるのです。
※関連
→サイケデリック・シャーマニズムとメディスン(薬草)―概論
→アヤワスカ―煉獄と浄化のメディスン(薬草)
→さまざまなメディスン(薬草)の効果―マジック・マッシュルーム、ブフォ・アルヴァリウス(5-MeO-DMT)
→「サイケデリック体験とチベットの死者の書」
この二種類の如来についての仮説は、
→「リルケの怖るべき天使と如来の光明 〈美〉と変性意識状態」
→映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) 残像としての世界
※変性意識状態(ASC)やサイケデリック体験、意識変容や超越的全体性を含めた、より総合的な方法論については、拙著
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。
※ジョン・レノン(ビートルズ)が、LSD体験や、この本にインスパイアされて、Tomorrow Never Knowsという曲を創ったのは有名なエピソードです。