さて、別に、映画『攻殻機動隊』を素材に、「ゴーストの変性意識状態(ASC)」と題して、私たちの心の持つ階層構造やその可能性について考えてみました。この階層の意味は、近代心理学が考えるようなものではなく、宗教的な伝統などが考える「高次の意識階層」というようなものです。
→映画『攻殻機動隊』ゴースト Ghostの変性意識
また、そのような心の階層構造の可能性についても、別に特異な科学者のジョン・C・リリー博士の事例などとともに考えてみました。
→「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー ジョン・C・リリーの冒険から
また、他には、NLPのニューロ・ロジカル・レベル(神経論理レベル)などを素材に、私たちの持つ「信念体系(ビリーフ・システム)」の影響範囲について考えてみました。
→NLPニューロ・ロジカル・レベル(神経論理レベル)の効果的な利用法
さて、ここでは、そのような事柄と関連して、『攻殻機動隊』の続編、映画『イノセンス』を素材に、心や変性意識状態(ASC)が持つさまざまな可能性や能力について考えてみたいと思います。
さて、映画のストーリーは、前作の後日談となっています。
人形使いのゴースト Ghost と融合して、「上部構造にシフト」してしまった草薙素子(少佐)は失踪あつかいとなっています。前作で一番身近にいて、素子の最後の義体まで用意した相棒のバトーが、今作では主人公となっています。
そのバトーが、ネットに遍在するかのような、(元)少佐のゴーストと交流する姿を描くのが本作のテーマとなっています。
ところで、本作ですが、事故や殺人事件を起こすガイノイド(人形)の謎を、捜査で追っていくのがメインのストーリーとなっています。
さて、そのような捜査の中で、バトーや相棒のトグサは、ガイノイド製造元のロクス・ソルス社より、(雇われた傭兵のキムより)ゴーストハックによる捜査妨害を受けます。
つまり、心 Ghostを、ハッキングされ(侵入、乗っ取られ)、疑似体験を注入(無理やり)させられてしまうのです。
そのせいにより、バトーは、コンビニで銃を乱射したり、ドグサは、(フィリップ・K・ディックの小説のような)現実だか幻覚だか分からないような世界に、テープ・ループのような反復体験に巻き込まれていくことになるのです。
映画の中で、バトーは、トグサに、その体験を説明するために「疑似体験の迷路」という言葉を使いました。
◆疑似体験の迷路
さて、ところで、映画の中では、キムのゴーストハックによる疑似体験の注入であったため、それが「疑似」体験であるといえるわけですが、では、この私たちの「現実体験」とは、どのようになっているのでしょうか?
映画の中では、疑似体験と対比的に、物理現実という言葉が使われています。物理現実であれば、疑似体験ではないということです。
ところで、以前、映画『マトリックス』を素材に考えてみたところで、私たちの、この日常的現実がマトリックスの作り出す幻想世界と、さほど違っているわけではないことについて記しました。
→映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) 残像としての世界
私たちは、成育過程の中で得たさまざまな信念体系や知覚的拘束の中で、この世界を見ている(見させられている)というわけです。
そのように考えると、私たちが「物理的現実」と呼び、唯一の実在性を信じている(信じたい)知覚世界も、必ずしも疑似体験ではないと言い切れるわけではないというわけなのです。
というよりも、この日常的現実も、その構成成分の多くが疑似体験であると考えた方が良いのです。
◆信念体系と疑似体験の迷路
さて、NLPのニューロロジカルレベル(神経論理レベル)について見たところで、その信念体系(ビリーフ・システム)が、非常に高い階層に属しており、私たちの現実を創り出す大きな要因となっている仮説を見ました。
→NLPニューロ・ロジカル・レベル(神経論理レベル)の効果的な利用法
このモデルの妥当性は保留したとしても、信念体系(ビリーフ・システム)が、私たちの日常意識や日常的現実を生み出す、決定的な要因であることは間違いないことです。
そのような信念体系のフレームの中で、私たちは、自己創出的(オートポイエーシス的)に、日常的現実を、意識の内に、自己産出し続けているのです。
場合によって、人は、一生を、疑似体験の迷路の中で過ごすと言ってもいいのです。
そして、この疑似体験に気づくためには、システム的に、この疑似体験自体を相対化する要素(能力)が必要となって来るわけなのです。
◆守護天使(聖霊)の階層
さて、映画の中では、バトーが、ゴーストハック攻撃を受けている時に、(元)少佐草薙素子がさまざまな合図を送ってくれます。
今体験している体験が、疑似体験の罠であることを知らせてくれるのです。
コンビニにおけるシーンでは、バトーは、スルーしてしまったわけですが、「キルゾーンに踏み込んでるわよ」と、はっきりとメッセージをくれています。
つまり、下位の日常意識よりも、高い階層にいる少佐は、疑似体験に占拠されている日常意識を、見抜き、透視することができるわけなのです。
のちに、バトーは、ハッカーのキムとの会話の中で「俺には、守護天使がついている」と発言しています。
キムは、自分が組み上げた防壁の中に、何者かが書き込みを入れているのを見て驚くわけです。彼の考えでは、そんな芸当ができる人間など想像できないわけです。
また、ロクス・ソルス社艦内の戦闘シーンで、人形ガイノイドにロード(装填)して、バトーの救援に現れた少佐に対して、バトーは「聖霊は現れ給えり」と新約聖書的に表現したわけです。
比喩としても、バトーやキムよりも、高い階層にいる(元)少佐の在り様が、聖霊のようであると暗示されているわけです。
しかしながら、このような上部階層の心(意識)は、必ずしも守護天使や聖霊でなくとも、「素子のように」私たちの心のシステム自体として存在していると考えてもよいのです。
本サイトや、拙著でもさまざまに記していますが、世界中の変性意識状態(ASC)の体験事例や報告は、そのような可能性を示唆してもいるのです。
→拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
それは、何らかのきっかけをもって作動し、私たちを疑似体験の迷路の外に、連れ出してくれるものなのです。その風景を、見せてくれるものなのです。そして、私たちが、現代社会の閉塞したキルゾーンの中にいることを、教えてくれるのです。
私たちは、変性意識状態(ASC)への旅や、その世界との往還を数多く繰り返し、学習していくことで、そのような意識の帯域(往還コース)を拡張していくことができるのです。
そして、これはまた、多くのシャーマニズムの伝統が行なって来たことでもあるのです。
※変性意識状態(ASC)やサイケデリック体験、意識変容や超越的全体性を含めた、より総合的な方法論については、拙著
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容(改訂版)』
をご覧下さい。