スポーツ選手(アスリート)などが競技のプレーの中で、最高のパフォーマンスを行なっている時などにしばしば入る心理状態を、世間では「ゾーン ZONE 」と呼んだりします。今では、別にスポーツに限らず、物事に集中して取り組む事柄について、その状態が語られたりもします。おそらくテレビなどで取り上げられることによって、認知がひろまったのでしょう。
そこではしばしば、本人の入りこんでいる時間や空間が、通常のものとは違ったもの(歪んだ、拡大したもの)として描写されることもあります。しかし、このような事柄(一種の超越的状態)は、昔から少年漫画などでは劇的に描かれていたものであり、半分都市伝説的に語られるものでもありました。
たとえば、次の体験談は、登山中に滑落して、登山中に滑落して、もはや降りざるをえなくなった絶壁を降りていく中で、実際に体験された事例です。
その下降中に“何か”が起こったのだ。それからずっと、そう、今日に至るまで、そのとき一体何が起きたのか、僕は考え続けている。しかし、これほど不可解で強力なインパクトはそれまでになかったものだった。
気がつくと僕は普通では到底不可能なことを、いとも簡単にやりのけていた。ネバの絶望的に垂直な壁を降りながら、いくつもの、いや何十もの不可能事をやってのけていたのである。それもひどい怪我と、ショック状態の中での話だ。僕は恰もヒョウやヤギのように、非のうちどころない、しっかりとした足どりで下降(クライム・ダウン)していた。崩れかかった岩の急斜面に手足をかけると、その都度、岩が崩れ落ちるほどの場所だ。それはダンスだった。ワン・テンポ遅れると命取りになるダンス……花崗岩についた薄氷に指をかけて体を支える。氷は音をたてて砕けるが、そのときにはもう、僕の体は先に進んでいる、という具合だった。(中略)
次は垂直に切り立った岩壁だ。手足の手がかり(スタンス)となるところはどこにもなかった。高度差は四~五メートル。僕はけし粒ほどの花崗岩にしがみついて――ありえないことのようだが、僕は本当にそうしたのだ――下降し、氷の消えた岩棚(レッジ)に立った。これは戸棚に入って、散弾銃の弾丸を避けるようなものだ。重力に抗い、アクロバチックな動作を繰り返しながら下降したのだった。
(中略)僕は自分の限界を知っていた。この下降は、僕の技量的限界を遥かに上まわっていたのだ。心のある部分は恐怖と疲労に震え、助けを求めて叫んでいた。この荒涼とした岩場から、どこでもいいから他所へ連れて行ってくれと叫んでいたのだ。だが別の部分は反対に、自信に溢れ、気狂いじみた喜びに充たされて、動物的な生存のためのダンスを大いに楽しんでいたのである。(中略)
そのときの僕なら三〇歩離れたところから、松の葉で蚊の目を射抜くことさえ絶対できたはずであると、今も確信している。ロブ・シュルタイス『極限への旅』近藤純夫訳(日本教文社)
歴史的には、このような事例は、さまざまな人々に偶然的に体験され、注目されてはいました。
さて、そのように、これに類した心理(心身)状態は決してフィクションの中の絵空事というものではなく、現代では(現代心理学の世界では)、「フロー flow 」として知られる心理状態であるのです。シカゴ大学のチクセントミハイ教授が提唱して有名になった「高められた心理状態」のことです。
そこでは通常の日常意識が変化(変性)し、「あたかも時間が止まっているかのように」「ボールが止まっているかのように」物事が鮮明に見られるとも言われたりします。
このような状態は、昔から卓越したスポーツ選手(アスリート)や演奏家、芸術家によって、一部では知られていたものでした。
この状態も、広くは変性意識状態(ASC)の中に含まれると考えてよいものです。
そして、このような状態を、意図的に実現(再現)していくことで、私たちの人生はずっと能動的で積極的、創造的なものに変っていくことになるのです。そして、それは実際、可能なことなのです。
さて、私たちも、普段の生活の中で最高にノッていて、何か物事に集中・没頭している時に、しばしばこのような意識状態に入っていきます。チクセントミハイ教授は語ります。
「…これらの条件が存在する時、つまり目標が明確で、迅速なフィートバックがあり、そしてスキル〔技能〕とチャレンジ〔挑戦〕のバランスが取れたぎりぎりのところで活動している時、われわれの意識は変わり始める。そこでは、集中が焦点を結び、散漫さは消滅し、時の経過と自我の感覚を失う。その代わり、われわれは行動をコントロールできているという感覚を得、世界に全面的に一体化していると感じる。われわれは、この体験の特別な状態を『フロー』と呼ぶことにした」M.チクセントミハイ『フロー体験入門』大森弘監訳(世界思想社) ※太字強調引用者
そして、
「目標が明確で、フィートバックが適切で、チャレンジとスキルのバランスがとれている時、注意力は統制されていて、十分に使われている。心理的エネルギーに対する全体的な要求によって、フローにある人は完全に集中している。意識には、考えや不適切な感情をあちこちに散らす余裕はない。自意識は消失するが、いつもより自分が強くなったように感じる。時間の感覚はゆがみ、何時間もがたった一分に感じられる。人の全存在が肉体と精神のすべての機能に伸ばし広げられる。することはなんでも、それ自体のためにする価値があるようになる。生きていることはそれ自体を正当化するものになる。肉体的、心理的エネルギーの調和した集中の中で、人生はついに非の打ち所のないものになる。」(同書) ※太字強調引用者
と言います。
さて、この心理状態には、私たちが、充実拡張した生の感覚、充実拡張した瞬間、ひいては充実した大きな人生を生きるための実践的なヒントが含まれています。ここではそれらを少し見ていきたいと思います。
ところで、フロー状態についての知見(研究)が興味深いのは、この状態を散発的かつ偶然に生ずる僥倖としてではなく、諸条件によって意図的に創り出せるものとして研究がなされているということです。
これらの知見は、私たちが、実際に物事に取り組む際に、自分の最高の内的状態と最高のパフォーマンス(アウトプット)を生み出すのに、どのように要件をそろえればよいのか、意図をフォーカスすればよいのかについて、さまざまなことを教えてくれるのです。
チクセントミハイ教授は、これらの内的状態の属性を以下のような項目とした数え上げています。
(『フロー体験とグッドビジネス』大森弘監訳(世界思想社)より)
①目標が明確であること
この目標は、長期的な最終目標のことではありません。
今、目の前で直接かかわっているこの対象‐事態、この過程の中で何に達すべきか、何がベストなのか、その目標を知悉しているということです。この今やるべき短期的・瞬間的過程の目標です。そこにパーフェクトなコミットメントがあり、ブレが無いということです。
②迅速なフィートバック
これはこの瞬間の、自分の行為に対する(返る)直接的なフィートバックのことです。
この瞬間の一手が正鵠を得ているのか、そうでないのか、その瞬時の返答がこちらの感覚を、さらに鋭敏に目覚ましてくれるのです。そのような直接のフィードバックがあることで、私たちは瞬時に行為と戦術を修正します。そして、すぐに再アタックできます。この瞬時の繰り返しの中で、私たちの俊敏な感覚的スキルが高まっていくのです。自己と相手との間の、高速的な情報の振幅がポイントです。
③機会と能力のバランス
教授は指摘します。
「フローは、スキル〔技能〕がちょうど処理できる程度のチャレンジ〔挑戦〕を克服することに没頭している時に起こる傾向がある」「フローはチャレンジとスキルがともに高くて互いに釣り合っているときに起こる」「よいフロー活動とは、ある程度のレベルの複雑さにチャレンジしようとする活動である」(同書) ※太字強調引用者
自己の錬磨したスキルを前提に、それをさらにチャレンジ的に働かす時に、フロー状態は生じてくるわけです。チャレンジ的な物事を電光石火のように高速的に処理する中で、私たちは緩やかな登り坂を上がりつつ、飛躍的霊感に満たされるのです。
④集中の深化
フロー状態に入ると、集中は通常の意識状態より一次元深い状態となります。
これは、フロー状態の変性意識状態(ASC)的側面です。注意力は澄みきり、雑念は入り込む余地なく背景に消え去り、意識は眼前のその行為体験自体に深く透明に没入した状態となるのです。
⑤重要なのは現在
その中で、行為に関わるこの瞬間(過程、時間)のみに完全に没入していきます。
雑事に対して、「脇に立つ」「外に在る」(ex-state)という意味でのエクスタシィ状態に入るのです。過去も未来もなくなり、ただ、この「現在のみ」が在ることになります。
⑥コントロールには問題がない
そして、この心理状態の中で、自分がその状況を「完全にコントロールしている」という感覚を持ちます。
すみずみまでに、パーフェクトな統御感が現れてくるのです。
それは、通常の主体感覚よりも、少し拡張された感覚でもあります。
⑦時間感覚の変化
その中で、時間の推移感覚自体が変わっていきます。時間は、歪み、拡縮しています。知覚力と意識が澄みきり、何時間もが瞬く間に過ぎ去ったように感じられたり、ほんの一瞬間がスローモーションのようにゆっくりと動いて見えたり、止まって見えるように感じられます。純化された別種の時間を生きているように感じられるのです。
⑧自我の喪失
その体験の中では、私たちの(日常の)いつものちっぽけな自我は、背景に押しやられています。
体験の核にある不思議な〈存在〉感の圧倒的な現前が、その場のすべてを占めているように感じるのです。
自分ではないものとして、その体験を体験しているように感じるのです。
それは、ある種の自己超越的な体験とも言えるかもしれません。
さて以上が、フロー体験、フロー状態の属性のあらましですが、必ずしもこのすべての要件がそろわなくとも、私たちは生活の中で、このような充実した状態を偶然のようにしばしば体験しています。
そして、その充実した時間を思い返してみると、毎日の中でこのような意味深い体験の割合を、意図的に増すようにすれば、より深く創造的な人生が送れるだろうということは、容易に想像がつくと思われます。
意識拡張状態としての変性意識状態(ASC)というものを考えていくにも、とてもヒントになる部分が多いのです。
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ところで、実際的な見地から、しばしば指摘される事柄があります。
上で見たように、フロー状態を生み出すには、スキル〔技能〕とチャレンジ〔挑戦〕のバランスを調整することが重要といわれます。このことに、関係した視点です。
通常、私たちの日常生活は、多くの時間、絶好調という時は少なく、大体は「退屈(弛緩)しているか」または「ストレス(不安、圧迫)」を感じているかという状態です。
これは、フロー状態を見る観点からすると、取り組みの目標設定に問題があるのだということもいえます。
退屈(弛緩)している状態というのは、自分のスキルに対して、目標のチャレンジ度が低すぎる状態です。
一方、ストレス(不安、圧迫)を感じている時は、目標や理想、対象が自分のスキル〔技能〕に対して高すぎるといえます。だから、私たちの心は圧迫を感じるのです。
私たちが、ちょうどいい感じで充実して集中できるのは、フローの領域、つまり「スキル〔技能〕がちょうど処理できる程度のチャレンジ〔挑戦〕を克服することに没頭している時」(同書)です。
そのため、自分が退屈していたり、ストレスを感じている時は、自分の手前の目標を調整して、自分が良く(速やかに)機能する状態を、適度なチャレンジを、意図的に創り出し、設定していくことが必要なのです。
そのように、日々物事に、適度なチャレンジをもって取り組むことで、私たちの心は充実と適度な緊張を持つとともに、生きるスキル〔技能〕も確実に高まっていくのです。
そして、結果的には、さらにより「複雑で」「高度」な物事を処理できるようになり、最終的には、かなり満足度の高いフロー状態をも生み出しやすくなっていくのです。
◆フロー状態とゲシュタルト療法
ところでフロー状態を生み出すのに、一番「基礎的な条件」が何かといえば、実はそれは心理的なレベルで十分な心理的「統合」状態に達しているか否かという点です。
心理的なレベルで葛藤や分裂を抱えていれば、いくら上記のような条件を整えても、そもそも、充分に深いフロー状態に入っていくことには限界があるからです。
ドライブする欲求(感情)がノイズまじりだったり、バラバラだったりするからです。
フィジカル(肉体)面でとても優れた能力を持ったアスリートが、メンタル(心理)面での障害で、十分なパフォーマンスを発揮できない理由もここにあります。
逆の言い方をすると、なぜゲシュタルト療法などを深めていくと集中力が深まり、パフォーマンスが高くなるのかという理由もここから分かるのです。
ゲシュタルト療法などを通じて心と体が解放され、内部のノイズ(葛藤)がなくなり、癒されて(統合されて)くると、私たちの感情エネルギーが、混り気ないただひとつの欲求(目標)に集中しやすくなるからです。
それも、「高い目標設定」で、それが可能になるのです。
欲求(感情)に葛藤がなくなり、自分が集中したいものに容易に没頭できるようになるからです。
そして、その結果、このようなフロー体験をかなり意識的に、高頻度に生み出しやすくなってくるのです。
また、進化型のゲシュタルト療法が深められていった場合に習熟される変性意識状態(ASC)へ入るスキルも、決定的な要素となります。
変性意識状態(ASC)に入ることに習熟すると、意識の流動性・拡張性が高まり、フロー状態へのより深く的確に入ることができるようになるからです。
そのような意味においても、当スペースでは、このようなフロー状態とその体験を、人格的統合の達成度合いを見る重要な指標としても重視しているのです。
そして、当スペースの方法論を、フリー free でフロー flow なゲシュタルト的方法論としているわけなのです。
【ブックガイド】
フローに入りやすくなるための心の解放技法、ゲシュタルト療法については、基礎から実践までをまとめたこちら(内容紹介)↓
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
変性意識状態(ASC)やサイケデリック体験、意識変容や超越的全体性を含めた、より総合的な方法論については、拙著
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』をご覧下さい。
また、変性意識状態が導く広大な世界を知りたい方はより総合的な↓
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容(改訂版)』
をご覧下さい。
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note
https://note.com/freegestalt1/
youtubeチャンネル
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