ゲシュタルト療法からトランスパーソナル心理学へ

 トランスパーソナル心理学の理論家、K・ウィルバーは、ゲシュタルト療法を「ケンタウロス領域の心理療法」と位置づけました。
 実際、ゲシュタルト療法が充分に深められ、心身が十全に統合されてくると、K.ウィルバーなどが指摘するように、次の進んだ心身状態(超意識状態)が現れてくることもあるのです。
 ただ、「分に深められ、心身が十全に統合されてくる」ということであり、中途半端な取り組みをいくらしていても、そのような局面は、現れてはきません。
 ウィルバーは、指摘します。

「…しかし、自我的、文化的な図式化の被覆を取り除かれた感覚意識そのものが、覚醒時の領域に衝撃的ともいうべき鮮明さと豊かさを持ち込んでくる。

さらにここまでくると、感覚意識はもはやただの“植物的”ないし“動物的”なものでも、単に“有機的”なものでもなく、より高次の微細(サトル)エネルギーや超個的な諸エネルギーの流入した一種の超感覚的意識になってくる。

オーロビンドはいう。『内なる諸感覚を利用して―つまり、感覚力そのものの純粋で…微妙な活動…を用いて―われわれは感覚経験を認識し、周囲の物質的環境の組成に属さない事物の姿やイメージを認識することができる』。

この“超感覚的”意識は、多くのケンタウロス・セラピストによって報告されており(ロジャーズ、パールズほか)、ダイクマンによって論ぜられ、神秘的洞察の初期段階の一つとしても知られているものである(人がケンタウロスのレベルに上昇し、さらにそれを超越するにつれて現れる)」

ウィルバー『アートマン・プロジェクト』吉福伸逸他訳(春秋社)

ウィルバーはつづけます。

「思うに、実存主義の人々さえ、ときとしてさまざまな“超個的”リアリティ―彼ら自身の言葉である―を直観しはじめることがあるのはこの理由によるものだろう。

フッサールもハイデッガーもそろって、しだいに超越的哲学への傾きを強めていった(マルセル、ヤスパース、ティリッヒなどの有神論的実存主義者たちはいうまでもない)。

メイ博士自身、『非個的なところから個的なものをへて、超個的な意識次元へ向かう』運動について語っている。

そして、ゲシュタルト・セラピーにおけるフリッツ・パールズの偉大な後継者の一人ジョージ・ブラウンは―なお、パールズ自身、ゲシュタルト・セラピーは純粋な実存主義のセラピーであると認めている―〈今ここ〉への集中というケンタウロス的変換を与えられた個人が、やがて一つの袋小路に突きあたるさまを次のように描写している。

袋小路はさまざまに言い表すことができる。そこには超個的な諸エネルギーがかかわっており、人々は浮遊感、静けさ、平和といったものを口にする。

しかし、われわれはそこで無理強いはしない。『けっこうです。つづけて、自分に何が起こっているか報告してください』と答える。

そしてときには、そこに何か触れることのできるものがあるかどうかと尋ねる。もしできなければそれでいい。それができた場合、よくある例として何か光が見えはじめる〔真の微細領域〕。これは、超個的段階への動きと考えよいだろう。

光が見えると、人々はしばしばそれに向かっていく。すると、戸外に出て、太陽が輝き、緑なす樹々や青い空、白い雲といった美しいものがある。それから、その体験が完了して目を開くと、色彩は前よりも鮮明になり、ものがずっとはっきり見え、知覚力が高まっている〔超感覚的ケンタウロスの意識〕。

その時点で、彼らはもろもろの幻想や病理によってかぶせられていたフィルター〔自我的・メンバーシップ的フィルター〕を切り払ったのだ。

こうして見ると、実存的ケンタウロスは単に自我、身体、ペルソナ、影(シャドウ)のより高次の統合であるばかりでなく、同時に、さらに上位にある微細(サトル)および超個的諸領域への主要な転換点でもある(スタニスラフ・グロフの研究は、これを強力に裏づけるものであることに注意)。

このことは、ケンタウロスの“超感覚的”モードについても、直観、志向性、ヴィジョン・イメージといったその認識プロセスについてもいえることである。それらはすべて、超越と統合を実現したより上位の領域の前ぶれにほかならない」(同書)

 さて、少しわかりづらい表現ではありますが、実存的な地点を充分に深めていくと、それが、トランスパーソナル(超個的)なものへ開かれていく様子が描かれています。

 このような事態を、筆者自身も数多く目撃してきました。
 ゲシュタルト療法がこなれて、心身エネルギーが流動化していくと、既存の心身感覚が脱落・拡大していき、このような意識拡張的な事態もごく自然に現れてくるのです。
 当スペースのセッションにおいても、数多くみられている現象ですので、決して絵空事ではないということなのです。
 ゲシュタルト療法からトランスパーソナル心理学への流れは、地続きのものとして存在しているのです。
 要は、いかに既存の自我領域を超えて、そのさきの体験へ存在を開いていけるかということなのです。


【ブックガイド】

ゲシュタルト療法については基礎から実践までをまとめた拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧ください。

変性意識状態(ASC)を含むより総合的な方法論については、拙著
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』

および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。