私たちは「初めて会う人」と向き合ったとき、
その人のどこを見て、「この人は信用できる/できない」を判断しているのでしょうか?
その時、私たちが感じとっているのは、
その人の言葉ではなく、
その人の微妙な表情・しぐさ・声の調子・立ち居振る舞い・全身から発される雰囲気 といった、
「非言語的な情報」です。
そこにこそ、その人の本質が滲み出ているからです。
この記事では、心理学でいうの「自己一致」「人格(自我)の多数性」という概念をもとに、
なぜ、「雰囲気」が人の本性を反映するのか、
その根源にある心身一元論(=心と身体はひとつであるという考え)
について見ていきます。
◆心身一元論──人の本質は「話している状態」に現れる
人の本質を見るうえで重要なのは、その人の
「話している内容(コンテンツ)」ではなく、
「話している状態(プロセス)」 です。
・声の調子/トーン/音色
・見え隠れする微かな表情
・呼吸の浅さ/深さ
・体のこわばり/泰然さ
・その人の総体としての雰囲気
・その場の雰囲気との調和・不調和
こうした「状態そのもの」に、その人が意識していない内面や本質が透けて見えているのです。
そのため、私たちは過去の経験を通して、
その人を見た時、
「この人、何か違和感があるな」
「この人、何か落ち着かないな」
「何か信用できないな」
とか、逆に、
「自然で、安心する感じがする」
「良いヴァイブレーションを感じる」
といった感覚を、無意識に感じとっているのです。
◆自己一致と不一致──“自然な人”と“ぎこちない人”の違い
カール・ロジャーズが提唱した「自己一致 self-congruence」は、
意識している自分や自己概念と、無意識の感情(実際の経験)が、一致して調和している状態を指します。
▼自己一致している人
自己一致している人は、人に対して自然でゆったりとした印象を与えます。
どっしりとした安心感、自足した感覚、泰然とした雰囲気、心地よい調和の波動――。
そうした「存在の安定感」が相手に伝わるのです。
これは、
「自分という存在(Being)」に矛盾なく根ざしている状態
といえます。
▼自己不一致の人
私たちの多くは、大小の「ズレ」を抱えて生きていますが、
特に自己不一致が強い場合、その不調和ははっきりと外側に表れます。
・緊張した身体
・不自然な笑顔
・垣間見える微かな表情
・話す内容と声の調子の不一致
・どこかぎこちない雰囲気
そして、他者はその「波動の不調和」を敏感に感じとります。
私たちが「嘘をついている人」を見破れるのも、この不一致のせいです。
◆不一致はどこから来るのか──人格たち(自我状態)の葛藤
自己不一致の正体は、複数の人格(自我状態)の葛藤 にあります。
通常、私たちは、無自覚に「ある特定の人格(自我状態)」に同一化して生きています。
しかし、その裏側には、抑圧されたり排除されている、他の人格(自我状態)があり、それらは大人しく消えてくれるわけではないのです。
むしろ、抑圧された人格(自我状態)は、
身体(肉体)というチャンネル を通して外に現れます。
・表情の不調和
・からだのこわばり
・力み
・声の震え
他者は、こうした身体のサインから、その人の「本音」や「分裂」「ウソ」を感じとるのです。
まるで、自己不一致の「裂け目」から内面の問題が見え隠れするように、「何か」が視えるのです。
◆セッション(ワーク)ではどう扱うのか
ゲシュタルト療法のセッションでは、このように身体に現れてきたサインを、「心の重要な要素」「心への入り口」 として扱っていきます。
身体に表れる情報は、意識があまり気づけていない本音の部分です。
そのため、身体からアプローチすることで、
隠されたり、抑圧された人格(自我状態)に触れ、それらの葛藤をより的確に解消していく手がかりとなるからです。
◆おわりに──「雰囲気」はウソをつかない
私たちが人を判断するときに感じとっている「雰囲気」は、
その人の無意識や身体から発せられるリアルな情報です。
もしあなたが、
・理由はわからないけれど落ち着かない
・会うだけで安心感のある人がいる
・自分がなぜか緊張しやすい
と感じるなら、それは心身一体の自然な反応なのかもしれません。
心と身体は分離していません。
身体は、いつでもあなたの本音を語っているのです。
ぜひ、身体に気づきをめぐらせてみていただければと思います。
【ブックガイド】
変性意識状態(ASC)を含むより総合的な方法論については、拙著
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』
および、よりディープな
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。
ゲシュタルト療法については、基礎から実践までをまとめたこちら↓
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』