別に、ゲシュタルト療法における「欲求(感情)とつながるための言葉遣い」への注目や、その言い換え方法について解説しました。
→欲求(感情)とつながる言葉の使い方Ⅰ
今回もその続きとして、私たちが日常何気なく使っている言葉遣いについて、ゲシュタルト療法的視点での言い換えやその意味を解説してみたいと思います。
①「できない」から「しない」へ
私たちは通常、さまざまな事柄に対して「私は○○ができない」と表現します。
何か思いつくものを声に出して言ってみてください。例はなんでもいいです。一見、自分と関係ないことの中にも、この原理は活きているからです。
「私は、ダイエットができない」
「私は、英語がしゃべれない」
「私は、ピアノが弾けない」
などです。
さて、このような言い方は私たちを無力化します。
自分を無能力に感じさせます。
しかし、このこと(事態)は本当でしょうか?
この「できない」を「しない」へと言い換えてみてくたさい。
「私は、ダイエットをしない」
「私は、英語をしゃべらない」
「私は、ピアノを弾かない」
言ってみて、からだの中でこの感情の響きをよく味わってみてください。
先の言い方との違いが、感じられたでしょうか?
「しない」は主体的な欲求行動です。
私たちの主体性とその選択力を取り戻します。
実は、私たちは「しない」という行動を選択しているのです。
多くの事柄に対して、私たちは「できない」のでなく、その欲求行動を選択していないだけなのです。
限られた人生の時間の中で、すべての行動を選択することは無理だからです。
本当は「できない」のではなく、選択して「していない」だけなのです。
選択して集中して行なえば、それなりにできるのです。
「しない」は、この主体性と選択のパワーを取り戻します。無駄な無力感を取り除く、欲求(感情)につながる表現です。この「しない」ことの選択に気づきが持てれば、逆に、私たちは「する」こともよりできるようになっていくのです。
②「すべきだ」から「したい」「してほしい」へ
私たちは誰かに何かを要求する時に、しばしば「普通、人は(世間では)○○するものだ」「人(あなた)は○○すべきだ」という言い方で、相手に欲求(感情)を伝えようとします。
これはよく「一般化」として知られるものです。
「私」や「あなた」という主体を「世間一般」という抽象的な権威に変えて、相手に何かを要求しようとする(偽装された)やり方です。
この表現の正体は、他者(や自分)の中にある権威的自我(精神分析の超自我、ゲシュタルト療法のトップドッグ(ボス犬)に訴えかけて、その人の行動を操ろうとする「操作的な」言い方といえます。
このような言い方や他者操作は、私たち自身の主体を超自我にスライドし、私たち自身の欲求の中心を空洞化し、無力化してしまうものです。自己責任の反対です。
また言われた相手も、見えない権威(超自我)に訴える操作性や作為をメッセージに感じて、圧迫や反発心が出てきます。相手のアンダードッグ(負け犬)が強くムクムクと起き上がってきて、素直に受け入れたくなくなります。
逆に、
「あなたは、○○すべきだ」
ではなく、むしろ、
「私は、あなたに○○して欲しい」「して欲しいと思っています」
とストレートに自分の欲求(感情)として相手に伝えることは、私たち話者に厚みある主体性の感覚を与えます。
また、言われた相手も、あなたという個人の願望なので、(言われた通りにするかどうかは別にして)それ自身として肉厚なもの(他者の主体)として受け止めます。
それは、欲求(感情)のやり取りとして、ストレートで密度の濃いものになります。ずっと「生きたもの」になります。
それは私たち人間同士の関係性を、生きた濃密なものに変えていくのです。
さて今回も、言い換えの技法について例を挙げてみてみました。②のものなどは、ワーク(セッション)の中でも、他者や義務への従属というパターンでしばしば現れてくる言い方であり、クライアントの方に言い換えを体感してもらい気づきを深めてもらいます。
いずれにせよ、これらの言い換えは、私たちが自分の欲求(感情)とつながり、主体とてより生き生きと感じられるようにするためのひとつの方法となるものなのです。
【ブックガイド】
※ゲシュタルト療法については、基礎から実践までをまとめた拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧下さい。
※気づきや統合、変性意識状態(ASC)へのより総合的な方法論は拙著↓
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』
および、
『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。