不思議ないきさつで、或る人物の生涯に想いをはせることがあります。
その「不思議な家屋」の存在が気になったのは、おそらく小学生の頃、それも低学年の頃と思われます。
大都心のど真ん中、それでいて静かなところで育ったのですが、駅に隣接した、線路沿いのその家屋を見て、子どもながらに、とても不思議な印象を覚えたのでした。
人が住むところには思えなかったからです。
こんなに線路に近くあっては、電車の音もうるさいだろうし、また、どこか変形したような、間取りのまったく想像できない家の形状からして、とても不可解で、不思議な印象を持ったのでした。
人のけはいをまったく感じさせない家で、灯りもついている様子はないのですが、暗い窓ごしに何か物が置いてあって、まったく物置というわけでもなさそうだし…と、その家は、子ども心に、とても謎めいて見えたのでした。
ところが、少し大きくなった時分に、何かのタイミングで、その家の横を通り過ぎた時、何か物を叩くような作業音が、その家の中から聞こえてきたのです。
「作業場なんだ…」
昼間だけそこに来て、何か作業をしているのだろう、そう解釈すると得心がいって、自分の中で、謎に折り合いがついたのでした。
そして、はるか後年、その町から引っ越して、数十年経ったある日に、偶然、また、その家の前を通りかかる機会があったのです。
すると、玄関の所に、「石垣栄蔵ギャラリー」という札がかけられていたのです。
興味をもって調べてみると、色々なことがわかってきました。
→S.D.G.と、それにまつわる人々(8) 最初の「わかった!」
昔の、創元推理文庫の『吸血鬼ドラキュラ』の表紙を描かれた人の住まいだとわかったのです。
ギャラリーというからには、彼が描いた作品が、今もそこにあるのでしょう。
そして、弟さんの書いた文章「画家石垣栄蔵のこと」なども取り寄せて、読んでみると、とても感慨深いものがあったのです。
日本の或る時代と、自分の人生との、不思議な交錯に、想いをはせることになったのです。
【関連】
『吸血鬼ドラキュラ』を訳した平井呈一が後見人をつとめた出版社「牧神社」については、別に少しまとめています。
→備忘録(その1)―幻視の鉱脈、召命 callng、実践的方法論、牧神社他
変性意識状態(ASC)や意識変容、超越的全体性を含めた、より総合的な方法論については、拙著
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。
ゲシュタルト療法については基礎から実践までをまとめた拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧ください。