「世界と時代の片隅で…画家「石垣栄蔵」のこと」を書いた後、似たような出来事を思い出したので、少し書いてみたいと思います。
昔、勤め人をしていた頃、飯田橋に社屋のある企業に通っていたのですが、厚生年金病院(現東京新宿メディカルセンター)の裏の方を通って、会社に行っていたのです。
通勤路というものは、とても退屈なもので、毎日毎日、同じ変わりばえのしない景色の中を行くものです。
毎朝すれ違う、知らない人たちの顔も覚えてしまうので、いつもの場所で、その人とすれ違わないと、「遅刻か?」と一瞬考えてしまうほどになるのです。
そんなこともあり、帰り道については、たまに変化を持たせたくなるときもあるのです。
ある日、厚生年金病院の裏を通って帰る時、ふと、病院の脇の道を抜けて、大通りの方に行ってみようと思ったのです。
というのも、遠くから見て、その細い道の一部に、花が咲いているのが見えたからです。
飯田橋の駅の近くに、それも大きな通りの近くの道に、花が咲いているというのも奇妙な感じがしたのです。
近づいてみると、そこには、古い昭和風の木造建築の一軒家がポツンあり、玄関先に、あじさいの花が咲いていたのです。
家屋も趣きある品のある感じで、掃除もいきとどき、そこの空間だけ、時代が昭和の雰囲気のままだったのです。
そして、その道の対面の方を見ると、そこにも不思議な空間がありました。
塀に囲まれた敷地になっているのですが、土の地面であり、木々が鬱蒼としていて、そこだけとても薄暗い、陰気な雰囲気をたたえているのです。
そして、その奥の方に、かなり古い木造アパートがあるのでした。
まったく人気がなく、とても人が住んでいるようには見えないものです。
敷地に入って、覗いてみたくもありましたが、とてもプライベートなけはいがあり、入っていくことがはばかられたのでした。
そして、その後も、あじさいの花が咲いている季節は、たまにその道を通って帰ったりもしていたのです。
後年、西村賢太の『苦役列車』を読んでいたとき、彼が描いている厚生年金病院裏の風呂なしアパートというのが、あの木造アパートだとわかったのでした。
私があのアパートを見ていた頃に、彼はあのアパートに住んでいたのです。
その後、都市開発があり、今ではそのあたりは跡形もなくなり、大きな道路になってしまっています。
しかし、時代から隔絶したような、あの薄暗い不思議な空間の雰囲気を、今でも鮮明に思い出すことができるのです。
変性意識状態(ASC)や意識変容、超越的全体性を含めた、より総合的な方法論については、拙著
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。
ゲシュタルト療法については基礎から実践までをまとめた拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧ください。