セラピーとは、邪魔をしないこと―演奏とセラピーの共通点(極意)

 その人の言葉を思い出したのは、とある情報からでした。
 それは、反田恭平氏の著書の中に、次のような記述があることを知ったからです。

 作曲家がどういう思いで譜面を書いたのか。その譜面を読むピアニストが、何を思って邪心なく素直に表現すればいいのか。片山先生がこうおっしゃったことがある。
「ありのままに弾いてごらん」
 この言葉は僕の心に強烈に刺さった。そのときの僕は肩肘が張っていて、ありのままにピアノを弾けていなかったのだ。
「自分はどういう演奏がしたいのか。一度冷静になって、胸に手を置いて考えてごらんなさい。一音目が鳴り始めたら、そのまま時の流れのように淀みなく弾く。一度音楽が始まったら、音楽が終わるまで、まるで呼吸するかのように演奏してみなさい」
 それまで一分の邪心もなく、ただ無心にピアノを弾いたことなんて一度もなかった。だからアドバイスを受けてハッとした。

反田恭平『終止符のない人生』(幻冬舎)

  
 この片山先生とは、ピアニストの片山敬子さんのことです。

 片山さんとは、私も以前、セラピーや精神的な事柄を学ぶ中で、何年かの間に何度もご一緒させていただく機会がありました。
 そして、私も、彼女のそんな名言を、まじかで聞いたことが、何度かありました。
 そんな言葉の中でも、私の好きなものひとつに、次のようなものがあります。

 「音楽は、はじめからそこにあるんです。演奏とは、邪魔をしないことなんです」

 その言葉を聞いた時、その逆説的で、禅的な表現に、深く感じいったものでした。
 自発的 spontaneous なもの、自然(フュシス)の発出や生成に関する本質が、そこにあったからです。
 これは、セラピーなどにおいても、また他の物事でも、まったく同様のことだと感じられたからです。

 セラピーにおいても、実際には、クライアントの方に対して、さまざまな介入を行なっていくものです。
 しかし、その核心は、「邪魔をしない」ということなのです。
 セラピーにおける真の関わりは、「すること」と「しないこと」のあわいにあり、そのあわい(真空)の中で、「はじめからある」クライアントの方の魂の響き(音楽)が鳴りわたることになるからです。
 「セラピーとは、全力をもって何もしないことだ」と、かつて、河合隼雄は言いましたが、そんな事柄に通ずるものを感じたのでした。

 また、ネイティブ・アメリカンの或る民話が思い出されたのでした。
 その民話では、森の暗闇の中で大きくなっていく、魔物の吠える声(言葉)があったのです。

 「お前は、誰だ?」
 「お前は、誰だ?」
 「自分の歌を歌え」

 他にも、彼女からは名言をいくつも聞いていますが、もうひとつ、私の好きな言葉を最後にご紹介しましょう。
 これは、上のような至純なものとは違い、もっと実際的で、実践的なスキルに関するものです。

「悪銭身につかずとはいうものの、芸は盗んだものしか身につかないんです」


※変性意識状態(ASC)やサイケデリック体験、意識変容や超越的全体性を含めた、より総合的な方法論については、拙著
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
および、
『ゲシュタルト療法ガイドブック 自由と創造のための変容技法』
をご覧下さい。