The Doors と Psychedelic Being―意識拡張の受肉と共振

 別の記事、「映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) パワハラの由来 「投影」としての世界」では、私たちの普段見ている世界が、「自分の心理的構造」を投影した世界であることを解説しました。
 私たちは、そこにある「リアルな世界」を見ているわけではないのです。

 ところで、このように心が投影される対象とは、事例のような人物ばかりとは限りません。
 私たちの潜在意識(無意識)が、投影されやすいテーマのものは、観念であれ、事物であれ、みな投影の対象となるのです。

 特に、「芸術/アート」というものは、この投影の力を利用したものです。
 私たちが、その作品に感動を覚えるのは、それがどんな種類のものであれ、何かしら自分の感情(欲求)をそれらに投影し、自分自身の体験であるかのように、それらに没入し、追体験するからです。
 そのため、その作品を見る者、聴く者、触れる者の投影的体験を、いかに拡張したり、変容させたり、深めたりするかが、作品の質の良し悪しを決めていくことになるのです。
 作者も、それを工夫するわけです。
 
 その中でも、特に、「音楽」というものは、表面的な構成素材が抽象的である分、その体験の内実は、私たちの深い潜在意識、生理的感覚、感情的な資質の投影に拠ってくるものです。
 たしかに、音楽的イディオム(和音、音階、リズム等)が、規定する要素も色々とありますが、しかし、煎じ詰めれば、人は、自分の好きなようにその作品を聴き、勝手に意味を見出し、楽しんでいるのです。
 そこには、かなりの自由度があるのです。そのため、他の芸術よりも、音楽は、「直接性」ということにおいて、生々しいコンタクト(接触)感があるのです。

音楽の力によって激情そのものは自らを享楽する。

ニーチェ『善悪の彼岸』木場深定訳(岩波書店)

というわけです。

 そのため、自分の好んでいる音楽に対して、自分が「何を投影して」感動していたり、刺激や感銘を受けているかを考察していくことは、とても意義深いものなのです。

 さて、また、別の記事「マイルス・デイヴィスと存在力/共振力の浸透」では、私たちの人生の中にある、存在力/共振力の興味深い事例について見てみました。
 他人の存在力が、息吹きのように創造力を加速させるケースです。

 今回は、それらに関連する興味深い事例として、アメリカ西海岸のロック・バンド、ドアーズ The Doors を取り上げたいと思います。 
 ドアーズは、1960年代後半のカウンターカルチャー、ヒッピーカルチャーの騒乱期、激動期を駆け抜けた象徴的なバンドであり、サイケデリックな音楽性をもったバンドでした。
 バンドの名前自体が、オルダス・ハクスリーの有名なメスカリン体験記『知覚の扉 The Doors of Perception 』からとられているように、精神的な姿勢においても、そのようなサイケデリック(意識拡張的)な傾向を持ったバンドでした。
 ジム・モリソンには、まだ音楽をはじめる前、LSDをやっていた時に、「大聴衆の前で歌っている自分のヴィジョンを見た」というエピソードがあります。
サイケデリック psychedelic (意識拡張)体験とは何か 知覚の扉の彼方

 さて、そんなドアーズですが、当時の革命的な世相を反映して、ステージ上で服を脱いだり、性器を露出したなどで、裁判沙汰になったり、ライブ中に、警官たちに取り押さえられるなど、騒動の絶えないバンドでした。
 そして、ジム・モリソンの早すぎる死によって、その活動を終えたのでした。

 彼らのコンサートが、いつも不穏な空気に包まれたのは、ジム・モリソンが、ステージで「決められた楽曲をただ披露する」という「表現形態」にウンザリしはじめたからでした。
 当時の前衛的な芸術思想―つまり、芸術が単なる見世物ではなく、表現者と観客との境界を打ち破り、両者が、より存在論的なレベルで、未知の交流・交感することを渇望したように―、ジム・モリソンも、そのような「何か」を、苛立ちとともに求め出したからでした。
 観客を挑発し、煽ったからでした。
 「君たちは、そこで何やってるんだ?」
 「音楽を聴きに来た?」
 「本当はそんなことを望んでるんじゃないだろう?」

 ジム・モリソンが、その公演を見て、大きな影響を受けた、前衛劇団リヴィング・シアターの『パラダイス・ナウ』、劇団のリーダーであるジュリアン・ベックは語ります。

《パリでは、われわれは余りに審美的評価を下される。われわれは一つの流派としてとり扱われ、前衛、ブレヒト劇、グロトフスキの名がたえずひき合いに出される、われわれはいつも同じような質問を受ける。
『ハプニングをどう思うか?』『即興演技について?』もちろんこれらは重要なことだ。だがわれわれの職業にとってもっと重要なこと、それはわれわれの宇宙を創り出す作業であり、毎日の訓練なのだ。
レッテルを張ること、定義を示すことはやさしいが、本質的なことではない。それは結果にすぎない。われわれは叫びをあげ、そして行動するのである》 ジュリアン・ベック/リヴィング・シアター

利光哲夫『『反=演劇の回路』(勁草書房)

 

この劇は《多数》から《ひとり》への、《ひとり》から《多数》への航路である。精神的航路であり、政治的航路でもある。また、内面の航路であり、外面の航路でもある。俳優のための、観衆のための航路である。海図は図解によって示される。この航路、すなわち上演、を準備するために、俳優は無政府主義者の思想やさまざまの精神的形而上的教義を学ばなければならない。

リヴィング・シアター『パラダイス・ナウ』訳(白水社)

 さて、そんなドアーズですが、音楽的には、大ざっばに「サイケデリック・ロック」に分類されるものです。
 ところで、音楽的に、サイケデリックな音楽は、当時も今も沢山あります。
 しかし、ドアーズの魅力は、まったく独特のものと言えるのです。

 いわゆる「音楽的なイディオム」「楽曲のつくり」から見たら、ドアーズよりも優れた「サイケデリックな音楽」は、世に沢山あります。
 「サイケデリックな音楽」という点でも、同時代のビートルズやジミ・ヘンドリックスなどの方が、よっぽど高度なサイケ音楽的達成をしていると言えます。
 彼らと較べたら、その点では、ドアーズはかなり素朴なレベルとも言えます。

 しかし、ドアーズには、他のバンドにない、透視的な、本当のサイケデリック(意識拡張的)な感覚があるのです。
 それが、どこからやってくるのかと考えてみると、それは、ジム・モリソンの「声」「歌」からやってきているのです。
 ジム・モリソンの肉体を音響装置として、意識拡張の感覚が、同調的・共振的に、作品に浸透しているのです。
 ジム・モリソンの精神的な旅が、透過しているのです。
 彼の、野生的で、シャーマニックな、意識拡張の感覚がそこにあるのです。
 「音楽的」には、それほどサイケデリックではないのに、Beingのレベルで、とても、サイケデリック(意識拡張的)なのです。 
 実際のサイケデリックな体験を経験した者においては、そこに、音楽的なイディオムに還元できない、野生的で、シャーマニックな、毛羽立つような意識拡張の息吹を味わえるのです。
 そのような存在のけはいが、時代を超えて、ドアーズを、今も、特別なサイケデリック・バンドにしているのです。

【ブックガイド】
変性意識状態(ASC)を含む、「自己超越」のためのより総合的な方法論については、
拙著
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。
ゲシュタルト療法については基礎から実践までをまとめた解説、拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧ください。

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