別の記事、「映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) パワハラの由来 「投影」としての世界」では、私たちの普段見ている世界が、「自分の心理的構造」を投影した世界であることを解説しました。
私たちは、そこにある「リアルな世界」を見ているわけではないのです。
ところで、このように心が投影される対象とは、事例のような人物ばかりとは限りません。
私たちの潜在意識(無意識)が、投影されやすいテーマのものは、観念であれ、事物であれ、みな投影の対象となるのです。
特に、「芸術/アート」というものは、この投影の力を利用したものです。
私たちが、その作品に感動を覚えるのは、それがどんな種類のものであれ、何かしら自分の感情(欲求)をそれらに投影し、自分自身の体験であるかのように、それらに没入し、追体験するからです。
そのため、その作品を見る者、聴く者、触れる者の投影的体験を、いかに拡張したり、変容させたり、深めたりするかが、作品の質の良し悪しを決めていくことになるのです。
作者も、それを工夫するわけです。
その中でも、特に、「音楽」というものは、表面的な構成素材が抽象的である分、その体験の内実は、私たちの深い潜在意識、生理的感覚、感情的な資質の投影に拠ってくるものです。
たしかに、音楽的イディオム(和音、音階、リズム等)が、規定する要素も色々とありますが、しかし、煎じ詰めれば、人は、自分の好きなようにその作品を聴き、勝手に意味を見出し、楽しんでいるのです。
そこには、かなりの自由度があるのです。そのため、他の芸術よりも、音楽は、「直接性」ということにおいて、生々しいコンタクト(接触)感があるのです。
というわけです。
そのため、自分の好んでいる音楽に対して、自分が「何を投影して」感動していたり、刺激や感銘を受けているかを考察していくことは、とても意義深いものなのです。
さて、また、別の記事「マイルス・デイヴィスと存在力/共振力の浸透」では、私たちの人生の中にある、存在力/共振力の興味深い事例について見てみました。
他人の存在力が、息吹きのように創造力を加速させるケースです。
今回は、それらに関連する興味深い事例として、アメリカ西海岸のロック・バンド、ドアーズ The Doors を取り上げたいと思います。
ドアーズは、1960年代後半のカウンターカルチャー、ヒッピーカルチャーの騒乱期、激動期を駆け抜けた象徴的なバンドであり、サイケデリックな音楽性をもったバンドでした。
バンドの名前自体が、オルダス・ハクスリーの有名なメスカリン体験記『知覚の扉 The Doors of Perception 』からとられているように、精神的な姿勢においても、そのようなサイケデリック(意識拡張的)な傾向を持ったバンドでした。
ジム・モリソンには、まだ音楽をはじめる前、LSDをやっていた時に、「大聴衆の前で歌っている自分のヴィジョンを見た」というエピソードがあります。
→サイケデリック psychedelic (意識拡張)体験とは何か 知覚の扉の彼方
さて、そんなドアーズですが、当時の革命的な世相を反映して、ステージ上で服を脱いだり、性器を露出したなどで、裁判沙汰になったり、ライブ中に、警官たちに取り押さえられるなど、騒動の絶えないバンドでした。
そして、ジム・モリソンの早すぎる死によって、その活動を終えたのでした。
彼らのコンサートが、いつも不穏な空気に包まれたのは、ジム・モリソンが、ステージで「決められた楽曲をただ披露する」という「表現形態」にウンザリしはじめたからでした。
当時の前衛的な芸術思想―つまり、芸術が単なる見世物ではなく、表現者と観客との境界を打ち破り、両者が、より存在論的なレベルで、未知の交流・交感することを渇望したように―、ジム・モリソンも、そのような「何か」を、苛立ちとともに求め出したからでした。
観客を挑発し、煽ったからでした。
「君たちは、そこで何やってるんだ?」
「音楽を聴きに来た?」
「本当はそんなことを望んでるんじゃないだろう?」
ジム・モリソンが、その公演を見て、大きな影響を受けた、前衛劇団リヴィング・シアターの『パラダイス・ナウ』、劇団のリーダーであるジュリアン・ベックは語ります。
さて、そんなドアーズですが、音楽的には、大ざっばに「サイケデリック・ロック」に分類されるものです。
ところで、音楽的に、サイケデリックな音楽は、当時も今も沢山あります。
しかし、ドアーズの魅力は、まったく独特のものと言えるのです。
いわゆる「音楽的なイディオム」「楽曲のつくり」から見たら、ドアーズよりも優れた「サイケデリックな音楽」は、世に沢山あります。
「サイケデリックな音楽」という点でも、同時代のビートルズやジミ・ヘンドリックスなどの方が、よっぽど高度なサイケ音楽的達成をしていると言えます。
彼らと較べたら、その点では、ドアーズはかなり素朴なレベルとも言えます。
しかし、ドアーズには、他のバンドにない、透視的な、本当のサイケデリック(意識拡張的)な感覚があるのです。
それが、どこからやってくるのかと考えてみると、それは、ジム・モリソンの「声」「歌」からやってきているのです。
ジム・モリソンの肉体を音響装置として、意識拡張の感覚が、同調的・共振的に、作品に浸透しているのです。
ジム・モリソンの精神的な旅が、透過しているのです。
彼の、野生的で、シャーマニックな、意識拡張の感覚がそこにあるのです。
「音楽的」には、それほどサイケデリックではないのに、Beingのレベルで、とても、サイケデリック(意識拡張的)なのです。
実際のサイケデリックな体験を経験した者においては、そこに、音楽的なイディオムに還元できない、野生的で、シャーマニックな、毛羽立つような意識拡張の息吹を味わえるのです。
そのような存在のけはいが、時代を超えて、ドアーズを、今も、特別なサイケデリック・バンドにしているのです。
【ブックガイド】
変性意識状態(ASC)を含む、「自己超越」のためのより総合的な方法論については、
拙著
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。
ゲシュタルト療法については基礎から実践までをまとめた解説、拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧ください。