さて、当サイトでは、人間の〈意識 consciousness〉について、さまざまな特殊な能力/潜在能力を取り扱っています。私たちの意識には、一般にはよく知られていない広大な潜在能力があるという事柄です。
→【図解】心の構造モデルと変容のポイント 見取り図
その中では、たとえば、マインドフルネス的な気づきと、秘教的思想家グルジェフの自己想起 self-remembering について比較検討を行なったりしています。
→気づき awarenessと自己想起 self-remembering
→グルジェフの自己想起 self-remembering の効能
また、「自己実現」で有名な心理学者A.マズローが、晩年考察した「至高体験 peak-experience」や自己超越の考え方についてもさまざまに見てみました。
→マズロー「至高体験 peak-experience 」の効能と自己実現
→A.マズロー アイデンティティの極致としての至高体験
→「完全なる体験」の因子とA,マズロー
関連する領域としては、登山における山頂(登頂)体験について、卓越した登山家ラインホルト・メスナーの洞察を参考にしてみました。
→登山の至高体験 その意識拡張と変容 メスナーの言葉から
これらが示す数々の高度な体験領域/意識領域は、私たちの生命(存在) Being のより拡張された次元を垣間見せてくれる貴重なものといえます。
私たちの生には、現代社会が通常了解している以上のさまざまな潜在能力があり、創造性や意識拡張の領域においても、大きなひろがりの可能性を持っているからです。その一端は拙著の中でも多くの考察をめぐらせました。
→『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』
『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容(改訂版)』
ところで一方、それほど「大きなゴール」を達成を持たなくとも、日々私たちは生活をしつつ、さまざまに刺激的で深い体験を得ながら、日々を成長、生成 Becoming しつづけているといえます。
そのような「大きな最終目標と日々のプロセス」との関係を、どうとらえるべきかについて、今回は少し考えてみたいと思います。
そこでは「自己実現」で有名な心理学者A.マズローの言葉がヒントとなります。
マズローは「自己実現」や「欲求の五段階仮説」の理論で有名ですが、「自己実現」というと、ピラミッド型の「欲求の五段階」つまり「生理的欲求」「安全欲求」「所属欲求(社会的欲求)」「自己評価欲求(承認欲求)」をひとつずつ積み上げていった後に、はじめて「自己実現」がやって来るイメージを持ってしまいます。
マズロー自身は、その間違ったイメージを要所要所で話しています。
次に語っているのも、そのような内容です。
ピラミッド図式で、「自己実現」の下位におかれる「生理的欲求」「安全欲求」「所属欲求」などの「基本的欲求(基本的価値)」の達成が、必ずしも途中経過としての低い価値しか持たないというわけではないことを、「至高体験 peak-experience 」との関係で指摘しています。
基本的欲求(基本的価値)も、それ喫緊のものとしてが取り組まれている中では、終局的な価値として体験され、「至高体験 peak-experience 」を生み出すものなのだというのです。
目標とプロセスとの生命 Being と生成 Becoming とのその多様な姿を語っています。
「かれに関するかぎり、特定の期間中、階層のうちのどのような欲求に支配されていようとも、生命 life そのものと同じ意味の絶対的、究極的な価値なのである。だからして、これらの基本的欲求あるいは基本的価値というものは、目標としても、また単独の終局目標に達する階梯としても、とり扱われるのである。」
「なるほど単一の究極的価値あるいは人生目標といったもののあることはたしかであるが、われわれは複雑に連関しあった価値の階層的、発達的体系をもつこともまた、たしかに正しいのである。」
「これはまた、生命 Being と生成 Becoming との間の明らかに対照的な逆説を解くのに役立つ。なるほど、人間は絶えず究極に向かって精進しており、それはいずれにしても別種の生成であり、成長であるといえる。まるで、われわれはつねに到達できない状況に達しようと努めなければならない宿命にあるかのようである。だが、幸い、こんにちではこれが正しくないこと、あるいは少なくとも唯一の真理でないことを、知っている。」
「それを統一する別の真理があるのである。われわれは一時的な絶対的生命によって、つまり、至高経験 peak-experience によって、よい生成が再三、再四報いられるのである。基本的欲求の満足が達せられることが、われわれに多くの至高経験を与えてくれる。しかもその一つ一つが無限の喜びであり、それ自体完全なものであり、みずから生き甲斐を感ずる以外なにも求めようとしない。」
「これは天上がどこか生涯のはるか彼岸にあるとの考え方を否定しているようなものである。いわば天上は生涯にわたりわれわれを待っていて、一時的にいつでも入りこみ、われわれが日常の努力の生活に帰るまで楽しもうと身構えているようである。そしてひとたびわれわれがそれにひたると、絶えず思いを新たにし、この記憶を大切にして、逆境の際には心の支えともなるのである。」
「そればかりでない。刻一刻の成長の過程が、それ自体完全な意味において、本質的に報いられる喜ばしいものである。それらは山頂の至高体験でなくとも、少なくとも山麓の経験であり、まったくの自己正当性をもつ喜びの曙光であり、生命の一瞬である。生命 Being と生成 Becoming とは矛盾するものでも、たがいに排反するものでもない。接近と到達とはともにそれ自体報酬なのである」(『完全なる人間』上田吉一訳、誠信書房) ※太字強調引用者
「基本的欲求あるいは基本的価値というものは、目標としても、また単独の終局目標に達する階梯としても、とり扱われるのである」「基本的欲求の満足が達せられることが、われわれに多くの至高経験を与えてくれる。しかもその一つ一つが無限の喜びであり、それ自体完全なものであり、みずから生き甲斐を感ずる以外なにも求めようとしない」(同書)というわけなのです。
日々のしがない賃労働は、たしかにいっけん華々しい「自己実現」のイメージとはかけ離れたものです。しかし、そんな労働でさえ、深い集中的なコミットメントで、深い「至高体験」的なものに接近することもあるのです。
そして、日々の探求のプロセス自体の中に、達成の至福の因子がすでにいくらかは含まれているというわけなのです。
そうではないと、たしかに人は、人生の日々の価値を下げてしまいますし、「動機」を失いがちになってしまうともいえます。また、逆にいうと、このプロセスへの価値観をもてると、私たちの「動機」は高められるのです。
しかし、多くの事例や体験からも、実際のところは、日々の生活の中に、プロセスの進捗自体の中に、「至高体験 peak-experience 」を含有するさまざまな体験(意識拡大体験、変性意識状態)は現れているものなのです。
それとはわかりにくい身近な姿で、「至高体験 peak-experience 」は、私たちの生のうちに含まれているものなのです。
「山頂」でハなくとも、それと同列な「山麓の経験」として、私たちはそれらを体験することができるのです。
フロー体験(ZONE)なども、そのようなものと考えていくことができるのです。
→フロー体験とは何か フロー状態 ゾーン ZONE とは
そして、そのような姿勢や心身技法を高めていくことが、それらの変性意識(至高体験)をより的確に創り出していくことになるのです。
また、私たちの日々の刻々の人生を、ゴール達成だけではなく、プロセスの豊かさの顕れとして経験させてくれることにもなるのです。
※変性意識状態(ASC)のより総合的な方法論は拙著↓
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』
および、よりディープな
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。