さて、世界では、ごく普通の、スタンダードな(むしろ古風な)方法論なのに、セラピーの超後進国の日本ではマイナーなゲシュタルト療法を、私自身がどのように発見し、なぜ主な方法論にしているのか(他のさまざまな方法論も習得し使っているのに関わらず)と、クライアントの方に聞かれることがあります。
筆者自身がさまざまな方法論を習得した上で、数ある方法論の中から、なぜゲシュタルト療法を表向きの「看板」に選んでいるかについての理由です。
そもそも、私が、ゲシュタルト療法をはじめた四半世紀前は、日本では今よりもさらにマイナーなセラピーでした(日本ゲシュタルト療法学会ができたのは、筆者がゲシュタルト療法をはじめて十年経ってからのことでした)。
実際のところ、当スペースでご提供しているものは、巷のテンプレ型のゲシュタルト療法レベルのものではなく、より超越的で、より自己変容的なセラピー、トランスパーソナル心理学やシャーマニズムに近い側面が多くあるのも関わらず、「ゲシュタルト療法にしているのか」という点です。そのような質問を、クライアントの方に受けることがあります。
そのような時、さまざまな体験的心理療法各派の特徴や実情(裏話)、筆者がそこに至った経緯をいろいろとお話をするのですが、その話が、「ゲシュタルト療法の特徴」をクライアントの方に理解いただく参考になるということがわかってきました。
そのため、ここでは、私自身が「どのようにゲシュタルト療法を発見したのか」「どこにメリットを感じたのか」また「自分の変容を起こすことになったのか」「なんでおすすめできるのか」ということを、少し書いてみたいと思います。
ただ、最初にお断りしておくと、下記で記すような、私が出会ったような四半世紀前の「ゲシュタルト療法」は、現代日本では、すでに絶滅して存在していません。下記のゲシュタルト療法は、今現在、日本に流布しているような、カウンセリング的、コーチング的な浅いゲシュタルト療法ではありません。それらより、初期のゲシュタルト療法に近く、より創造的、解放的、遊戯的なものであり、「一、二次元深い」変容効果を出すゲシュタルト療法であったのです。そのため、今の巷のゲシュタルト療法は、下記で記しているようなゲシュタルト療法ではないのです。
これは、「流派」的な問題とも言えます。ゲシュタルト療法の中にも、色々な「流派」や「流れ」があるので、よくよくご注意いただければと思います(※注)。同じ「ゲシュタルト療法」という名称を使っていても内容は全然違うものが多くありますので。なので、以下のような、深い次元での変容を生むゲシュタルト療法を体験したいという方は、ぜひ、当スペースにお越しいただければと思います。
(※注)ちなみに、ゲシュタルト療法は、創始者パールズが生きていた時代が、ファシリテーターによって、多様なスタイルを持っていた方法論です。そのため、「標準的なゲシュタルト療法」「普通のゲシュタルト療法」というものはありません。ファシリテーターによって、ゲシュタルト療法の性格や効果もみな違うのです。
【内容の目次】
- 人生の変化/変容(突破口)を求めて
- 心理学・心理療法に関して
- 体験的心理療法―その周辺の探索とマップ(地図)
- 人生の基盤を拡張する方法論としてのゲシュタルト療法
- 「実際的・実効的」な方法論としてのゲシュタルト療法
(1)変容作用(強弱・深浅)のバランスのよさ
(2)変化の進捗をコントロールできる
(3)決めつけの解釈がない。自分で「体験の意味」を決められる
(4)心身一元論的セラピーとしてのバランスのよさ
(5)日常生活や仕事に、直接的に役立つ
(6)知覚や意識のわかりやすい変容体験
筆者とゲシュタルト療法との出会いは、その昔、自分の能力や創造力に「障壁」を感じて、それらを「突破する」効果的な方法論がないかと、体験的心理療法の周辺を色々と探している最中に起こりました。今では、すっかり無くなってしまいましたが、当時はまだ、多少、まともな人文書なども読まれていましたし、初期のトランスパーソナル心理学周辺の興味深い情報にも、いくらが出会うことができたのです。
さて、その当時、仕事面においても、ライフワーク面(創造的・精神的探求)においても、自分の能力・創造力に大きな行き詰まりを感じて、突破口を模索している最中でした。会社の仕事内容なども不如意で、日々時間を浪費していると感じていたのです。このまま同じことを繰り返していても人生に変化がない、突破口がないと感じていたのでした。グルジェフのいう通り「もし、君たちが、明日を違ったものにしたければ、まず今日を違ったものにしなければならない。もし、今日が単に昨日の結果であるなら、明日もまったく同様に、今日の結果となるだろう」と焦燥感をもっていたのでした。
ただ、まわりの環境や状況を当てにしていても、現状を打破できないことはわかっていました。そのためには、自分の能力や創造力自体を、深い基盤レベルから、ブレイクスルー(突破/飛躍)する必要を感じていたのでした。
また、当時は、時代の変化の時期、インターネットが急速にひろまっていく黎明期でもありました。社会インフラとしてのネット普及が起こり、人々のコミュニケーションの形態が変わりはじめてもいました。
そんな中で、それまで従事していた既存の社会的スキルが、みな急速に陳腐化し、無価値になることが予測できました。自分が苦労して得たスキルでさえ、未来の世の中では役に立たなくなることが予想されたのでした。それは、現代のAI(人工知能)の登場にまつわる論議、人々のスキルの陳腐化・不要説、職種の消滅説と似ているかもしれません。
そのような閉塞感を見通した中で、このさきも恒久的にやってくるテクノロジーの進化や社会環境の変化に左右されずに、人間に普遍的な価値を持つ、根源的なスキル・能力・創造性とは何だろうか? そういうものを得られないかと考えたのでした。先の見えない行き詰った状況の中で、強い焦燥感に駆られていたのでした。
また一方、体験的心理療法の経験や、深い変性意識状態(ASC)の体験も、すでにあったので、頭で考えるだけの方法論(知識学習、資格取得など)では、本当に、人生(存在の基盤)を変える方法論にはならないということもわかっていました。それらは能力や創造力を根本的なレベルで変容させるものではないので、本質的な飛躍にならないこともわかっていました。これは、いまだに人類の多くに理解されていない点ですが、存在そのものの変容がすべての基盤であるからです。また、実際的な知識学習や資格取得は、優先順位の後にくると考えられたのでした。何よりもさきに行なわなければならないのは、本質的な能力・創造力を進化させるための「自己変容」「存在変容」をすることだったのです。そのための方法論として、体験的心理療法を探求していたのでした。そして、一部、変容体験や解放を得ていたのでした、
そのため、考えたのは、能力や創造力を生み出す基盤である自分の心(感情や感覚、意識や性格)に直接的に作用し、その構造やプログラムを変える方法論でした。そのような「体験的心理療法」の方法こそが、自分に抜本的な変化を起こし、現状を打破できるものだろうと考えたのでした。(さきにも触れたように、当時は今よりも、初期の重要なトランスパーソナル心理学などに関する書物も多く、ヒントも多かったのでした)
つまりは、自分の内的で、全面的な変容、能力の覚醒こそが優先されたのでした。
それを一秒でも早く、(年齢が少しでも若く)心身の可塑性の高いうちに手に入れて、存在の基盤づくりにしたいと考えたわけでした。
振り返って考えてみても、これは、正しい直観でした。人は、歳をとると、自分の身になじんだ「自我=仮面」から逃れにくくなります。自分の身になじんだ「自我=仮面」に反することをするのが億劫になってしまうのです。それというのも、精神分析のフロイトが指摘したように、そもそも「エゴ」とは防衛機能として生まれたものであるからです。自分に反するものを、受け入れないことで、「エゴ」は成り立っているからです。しかし、真の自己変容は、エゴを消滅させていくことで、獲得できるのですが、ほとんどの人はそれができないのです。多くの人は、「防衛」することで、人生を送ってきたからです。そのため、多くの人は、自分を変えることはできず、自分の敷いたレールの上を、惰性で一生送ることになるのです。
ところで、後にゲシュタルト療法を発見するわけですが、そもそも心理学自体には十代の頃から関心があり、フロイトらの精神分析や精神医学の書物などは早くから読み漁っていました。文学や思想と関連が深かったからです。また、自分の心を探索するヒントがあったからでしょう。大学の学部選択としても一時考えたこともありました。実際、後の大学の講義などでは、精神分析の対象関係論やメラニー・クラインについて、(哲学や仏教とともに)非常に深いレベルで語れる教授もいて、そこではさまざまな恩恵を得ることにもなりました。
(筆者のゲシュタルトが、他と較べて深い領域をあつかえる理由はここにも由来します。日本の巷のゲシュタルト療法は、クライン以降の深い精神分析を全然理解できていないので、クライアントの中の本当に深い葛藤状態をほどくことができないのです)。
しかし、その当時にも、すでに感じとっていたのは、「解釈」を主とする心理学というものは、心の実体に影響を与えられないということでした。解釈的な言語は(なるほど何かをわかったつもりにはなりますが、その実)、心の実体に対して解離した言葉(抽象)をつむぐだけであり、解離(分裂)を深めこそすれ、心に直接触れたり、心自体を変えることには役に立たないということでした。理論のお話は、実体(実在)ではなく、あくまで代替物(抽象)でしかなかったのでした。心を変えるには、もっと手づかみするように直接的に心に作用するような実践的(介入的・実在的)な方法論が必要だと思われたのでした。ゲシュタルト療法でいう、「about-ism(について主義)」と「is-ism(である主義)」の違いをすでに実感していたのでした。
そのような経緯もあり、より実効的な心理学としてさまざまな体験的心理療法の周辺を探索することになったのでした。そして、実際の体験を通じて、その方法論の世界(諸流派)の実態が、マップ(地図)のようにわかってくることになったのでした。
ところで、体験的心理療法の中には、ブリージング(呼吸)・セラピー(ホロトロピック・ブレスワーク)のように非常に強力に心身に作用し、強度な変性意識状態(ASC)をつくり出すことで、人間の深層プログラミングを書き換えてしまうものがあります。たしかにその体験は、私の人生を一変させることになりました。
→拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』参照
しかし、その変容効果を、普段の仕事(日常生活)や対人関係での能力として、実際的にどう活用するかというと、それは日常的な「自我の領域」と随分と距離があるものでした。
つまり、変容効果の働く領域が深層的すぎる・遠すぎるため、日常的な自我の領域で、すぐに実用的な積極的な能動性や集中力、想像力(イマジネーション)や創造力に結びつくというたぐいのものではなかったのです(当然、心理的な癒しや弛緩の深さ、解放感は大きいものだったのですが)。
また、コーチングやNLP(神経言語プログラミング)などは、体験的心理療法と比較すると、心のプログラミング変更を起こす力は、まったく持っていません。その場ではなんとなくその気にはなるのですが、心のプログラミングを書き換えるような深さ(仕組み・原理)や、変容の力は持ってないのでした。
当時の私が欲していたのは、自己の限界を打破し、能力を拡張するために心理構造を、根源的に書き換える変容の方法論だったのです。
つまり、どのような方法論も、私が当時狙っていたように心の限界を掘り起こし、変容させ、能力・創造力を解放するための方法論としては不十分だったのでした。
もっと適切なバランスと効果をもった方法論が求められたのでした。
そのような暗中模索・試行錯誤の中で、「ゲシュタルト療法」に出会ったのでした。
ゲシュタルト療法は、日本ではマイナーですが、体験的心理療法の世界では有名な(古典的な)ものなので、名前や外観のイメージだけなら非常に早い時期から知っていました。しかし、何を行なうかはそれとなくわかっていても、いまひとつ「効果のイメージ」がつかなかったため後回しにしていたのでした。そんなロープレめいたことをやってもあまり効果がないんじゃないのか?という印象をもっていたのでした。
しかし、機会があってそれを体験していった時に、予想したものとは大きく違って、これこそが自分が探していた方法論に最も近いのではないかと感じられたのでした。その外観からは、まったく想像のつかないものでした。ここに、人生を変える鍵があるのではないかと直観したのでした。
また、ここには、セラピストとの出会いの僥倖もありました。
ゲシュタルト療法はやる人の個性や力量によって明確に深さの差が出るものです。創始者パールズの生きていた時代から、ファシリテーターによって、さまざまなゲシュタルト療法がありました。誰のゲシュタルト療法でもいいというわけでもないのです。
その時に出会ったゲシュタルト療法は、現在ではもう既に失われてしまって日本にない、深いハードなタイプのゲシュタルト療法だったのです。遊戯的で、創造的な、飛躍を起こすゲシュタルト療法だったのです。
「人生を変える鍵」と感じるくらい、その当時のゲシュタルト療法は深く、その場で分かる速効的な効果があったのでした。自分のプログラムが刻々と書き換わってく変化をその場で意識的に実感できたのでした。
また、古典的なゲシュタルト療法の理論の中では、その状態を説明する概念や理論がないので、理解できない人間が多いのですが、その軽微な「変性意識状態(ASC)」に入る性質にも強い感銘を受けたのでした。
その変性意識のせいで、普段は気づけないような深いことに気づけたり、普段は決して(恥ずかしくて)表現できないような新しい表現を開発することもできたのでした。
その魔法のような意識拡張にインパクトを受けたのでした。
そして、それまでの、他の体験的心理療法での経験や、変性意識体験を統合していくヒントを予感したのでした。
そして、それは実際、結果的に、当時私が感じていた人生の諸々の「障壁」―能力や創造力、意識や感情、心の限界―に対する〈突破口〉となっていったのでした。
いざ集中して取り組んでみると、それはまるで「奇蹟のような」効果を発揮し、自己の能力を根本的なレベルで解放する方法論だとわかりました。また、期せずして出てきた心の深い部分の悩みやトラウマ、幼少の頃から人生自体に感じていた苦痛(生きづらさ/違和感)を癒すことにもなったのでした。
最初の一年の取り組みが終わった時、自分で振り返って「能力前年比300%」と評価し、ノートに記しました。
そのくらいに爆発的な変化があったわけなのでした。また、前段で書いた、社会の環境変化に左右されずに価値を持つ普遍的なスキル・能力という側面についても、ゲシュタルト療法はそのような人間の基盤的な能力・創造性を、深く覚醒させ、利用可能なものにする方法論であることが確認されたのでした。
(変性意識状態を経由して)心の深い底から潜在能力を引き出す技法やセッションを具体的に持っていたからでした。そして、その結果として、自分の思考力、想像力、感情の自由、統合力、集中力、心身エネルギーのすべてが解放され、バージョンアップしたことがわかったのでした。目覚ましい「自己刷新」が起こったのでした。
結局、最初にゲシュタルト療法を学んだ団体(旧東京ゲシュタルト研究所)では、週1回行なう継続クラスに4年間通い(4年間毎週!)、それとは別に月2日のトレーニング・コースは2年間履修することになりました(それにはさらに別の単発のワークショップを200時間受ける等々の条件もありました)。それ以外にも自分たちで自主練などを行なったりと、それくらい熱中して入れ込んだわけです。
その後も別団体でトレーニング・コースをさらに2年間履修したり、さまざまな団体や来日講師のワークショップに随時参加することを繰り返し、探求をつづけたのでした。それは、前述のように、ゲシュタルト療法は、セラピストの個性によってまったくスタイルやアプローチが違うので、その普遍的な原理を抽出したり、自分のスタイルを見出すのに時間がかかったということもありました。
後年わかったことは、ゲシュタルト関係者の中でも、私のように集中的で膨大な時間をゲシュタルト療法その他に投入する人もほとんどいなく、その点が、私のゲシュタルト体験や理解を特別なものにしているという点でした。また、複数の団体、多数のファシリテーターから学んだ結果、多様多彩なゲシュタルト療法のタイプを経験できたことも幸いしました。その中で、ゲシュタルト療法の限界もよく理解できて、その欠点を克服した(また可能性を押し広げた)「深化/進化型のゲシュタルト療法」を組み立てることができたからでした。
その点が、複数のゲシュタルト療法(ファシリテーター)を経験しているクライアントの方々に、私のゲシュタルト療法が「深い」とか「変容を起こす」といわれる理由にもなっているのです。ですので、ぜひ、実際に体験してみて、多くファシリテーターの方のセッションと、当スペースのセッションの違いを実感してみていただければと思います。また、そもそも、純粋に「ゲシュタルト療法が知りたい」という場合も、なるべく(海外の人々を含め)数多くのファシリテーターを実際に体験してみることをお勧めします。創始者の存命時からそうでしたが、ゲシュタルト療法は、そのファシリテーターの個性によってアプローチ方法がまったく違うものになるからです。「普通のゲシュタルト療法」というものは存在しないからです。
そしてさらに、そんな取り組みを通して(まったく予想外のことでしたが)、変性意識状態(ASC)の作用で、さまざまな超越的な体験領域、トランスパーソナル(超個的)な体験領域が開くこともわかったのでした。
これは、古典的・教科書的なゲシュタルト療法にはない事態でしたが、ともに学ぶ仲間や先輩たちの身の上に、多く生じていたことでした。また、その後も、多くそのような事柄を目撃していくことになったのでした。実際、自身もゲシュタルト療法を研鑽していた、トランスパーソナル心理学のケン・ウィルバーなども、このことに気づき、初期から語っていたことでもありました。つまり、ゲシュタルト療法の心身一元論的な統合を深めていく姿勢は、最終的に、心身一元論的な状態をさらに超える超越的な領域(トランスパーソナルな本質)につながる要素を持っていたのでした。
このことは、これ以前に体験していた体験的心理療法での深い変容体験や、変性意識での超越的体験を統合することにもなりました。さまざまな体験が、散発的な、それぞれ興味深い超越的体験ではあったのですが、それが、(自分で構築していった)ゲシュタルト療法の実践的手法によって、統合されていったのです。
そのため、このゲシュタルト療法の習熟を意図的に深めることは、心の不屈の基盤づくりに役立ち、さらに自分の地力としての才能や創造力を高める能力開発としてとても役立ったのでした。そして、さらには、トランスパーソナル(超個的)な意識、超越的な意識を得るための変容の方法論にもなったのでした。
ところで、筆者自身は、ゲシュタルト療法以外にもさまざまな体験的心理療法、プロセスワーク(プロセス指向心理学)、NLP(神経言語プログラミング)、コーチング、シャーマニズム、野生の気づきの技法(訓練)、各種の瞑想技法など多岐に渡る方法論を数多く学びました。
それに加えて、他にも多様で深遠な変性意識状態(ASC)を数多く実体験し、遍歴してきました
→拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法』
→拙著『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』
しかし、人々に(他人に)、実効性の高い変容の方法論としてお勧めする技法としては「(深化/進化型の)ゲシュタルト療法」を選んだのでした。
それは何故かというと、端的に「一番効く(効果的)」「変容効果がある技法」だったからでした。
普通の日常生活の問題にフォーカスし、そこで創造的な成果(アウトプット)を出していくという現実的な効果の観点(操作性)から始まり、深い変容レベルまで導ける方法論として、それは最適の方法論だと考えられたからでした。
実際にクライアントの方に変容を体験してもらい、役に立つ技術として習得(獲得)してもらう価値のある方法論としては、深化/進化型のゲシュタルト療法は、総合的なレベルで、最強(最適)の方法論だと考えられたからでした。
ゲシュタルト療法は、(クライアントの方のニーズに合わせて)対応できる自由度がきわめて広く、かつ深いものであったのでした。心の解放(流動性)と変容(統合)を進めるシンプルな原理(プロセス指向)や、意識拡張(変性意識)の方法論として、万能キーのように使えるモノだったのです。
また、実践面での自由度も非常に高く、古典的・教科書なゲシュタルト療法理論を離れて、進化した他流派の理論にそって実践セッションを行なうこともできるのでした(たとえばプロセスワーク風に)。そのため、すでに他流派で学習を深めた人にとっても、矛盾なく学んでいただけるものとなっていたのでした。
さて、そのような紆余曲折を経て、最終的に「人生のマスター・キー」としてのゲシュタルト療法(ゲシュタルト的アプローチ)を「フリーゲシュタルト」として自分の方法論としてご提供することにいたったのでした。
さて、では、深化/進化型のゲシュタルト療法(ゲシュタルト的アプローチ)は、世の中の他の方法論と較べて、どのような点で、自由で効果的であるのかをいくつか挙げてみたいと思います。
(1)変容作用(強弱・深浅)のバランスのよさ
深化/進化型のゲシュタルト療法は、通常のセラピーやカウンセリングと較べると、「格段に深く」心理的変容を起こせる方法論です。それは、「感情(欲求)」そのものをきちんとあつかう方法論だからです。大部分の方法論は、ここにごまかしがあります(ゲシュタルト療法の中でもごまかしている人が多くいます)。
しかし、同時にその変容の度合いを、クライアントの方がセッションの中でご自分で調節できるのです。
「やりたいことだけをやる」「選んでやる」ことで、変容の強弱を調節していけるのです。無理のない安全な範囲で確実にすばやく変容をつくり出すことができる方法論となっているのです。
(2)変容の進捗をコントロールできる
また、そのように個々の変容の量を調節できるため、長い期間に渡って取り組む場合でも、自分が変容していく量を自分でコントロールできるのです。あまり急がずに(また逆に、急いで)、できる範囲内で着実に変容を定着させながら、プロセスを進めていけるのです。その継続的な変容の推移を管理していけるのです。変容の航海をコントロールしていけるのです。
(3)決めつけの解釈がない。自分で「体験の意味」を決められる
多くの心理療法は、セッションで、クライアントの方が体験した内容を教科書に合わせて、解釈することととなります。「このことにはこういう意味がある」「あなたは○○である」等々です。これがしばしば、抑圧的なものになり、統合や変容を阻害することになりがちです。
また、ファシリテーター自身が、中途半端な変容しかしていないと、それが、クライアントの方に「抑圧的」に働きます。
しかし、本当のゲシュタルト療法は、そのような一義的な解釈の有効性を信じません。クライアントの方自身が、ご自分で自己の体験の意味を見出し、決めていくことに意味(効果)があると考えているからです。そのことで、ご自分の進化の里程標をご自身で感じとり、統合を進めることができるのです。
(4)心身一元論的セラピーとしてのバランスのよさ
ゲシュタルト療法は、バランスのとれた数少ない心身一元論的なセラピーなので、心とからだを総合的にあつかっていくことができます。
多くのセラピーは、身体のなかに、さまざまな感情(欲求)がどのように潜んでいるかについて無知です。
一方、ボティワーク系のセラピーは、身体のなかに、深い人格やドリーミングの次元があることについて無知です(ゲシュタルト療法家の中でも分かっていない人は多いですが)。
その点、ゲシュタルト療法は、バランスのとれたアプローチで、エネルギーに溢れた統合状態をつくり出すことができるのです。肉体が実際にエネルギーを高めていくことも、効果をわかりやすく楽しく実感できるポイントになっています。
また、その中から、さまざまな人格を発見することができ、統合することができるのです。
(5)日常生活や仕事に、直接的に役立つ
ゲシュタルト療法は、効果が心身一元論的で直接的なため、人間の積極性、能動性、自信、知覚力、集中力、想像力、思考力、心身の感度、他者とのコミュニケーション能力など、人間のもつ基盤的な能力をダイレクトに高める効果があります。そのため、日々の実際的な仕事を行なう上での基礎力全般(パフォーマンス)を高めることになるのです。さまざまな生活上の課題に対しても、的確にテーマを絞ってそこに解決をもたらす能力(問題解決力)が高まるのです。その意味で、生きる上でのとても実利的な効力を持っているといえるのです。
(6)知覚や意識のわかりやすい変容体験
フリッツ・パールズがすでに「小さなサトリ(悟り)」のような用語でも表現していたように、ゲシュタルト療法のセッションでは「鮮明な知覚拡大の体験」やアーハ体験があります。
そして「風景の見え方が一変した」「物の色彩や輪郭がチカチカと鮮やかに見える」「意識が拡大した」「セッション中に不思議な映像が見える」「身体感覚が変わった」等々、数え上げられないくらい多様な感覚変容の体験があります。これは、普通の人生(日常生活)では決して体験しないものであり、セッションでのわかりやすい効果となっています。なぜ「このような現象が起こるのか」と知覚変容の原理を理解することで、自分の心理的統合や創造的なアウトプット方法に対してもわかりやすく理解が進むこととなっているのです。つまりは、感覚変容を応用利用できることとなっているのです。
また、これは古典的・教科書的なゲシュタルト療法にはないことですが、深化/進化型のゲシュタルト療法では、セッション(ワーク)に習熟するに従い、変性意識状態(ASC)にコンタクトできるスキルも上がっていきます。これは、人間の意識を拡大し、創造力を開発するのに決定的に役立つ要素となるのです。潜在能力を自在に引き出すコツがつかめてくるからです。そして、これは結果的に、実践レベルで、ゲシュタルト療法という限定を超えて、トランスパーソナル心理学の領域につながっていく側面となっているのです。トランスパーソナル心理学(インテグラル心理学)のケン・ウィルバーは、ゲシュタルト療法や禅を深めた人ですが、このことに早く(1970年代)から気づいていました。「統合」が進むと、人は本質的にトランスパーソナル(超個的/超越的)になってしまうということです。 むしろ、トランスパーソナル(超個的/超越的)の方が、自然(デフォルト)であり、抑圧と分裂の結果、この私たちの自我状態になってしまっているという洞察です。そして、それはまったく正しい見解なのです。だから、「統合すると、超越してしまう」のです。
→変性意識状態(ASC)とは何か advanced 編「統合すれば超越する」
当スペースが〈流れる虹のマインドフルネス〉として、この部分(統合と超越/変性意識と創造性)を強調しているのはそのためでもあるのです。
以上のような特性を持っているがゆえに、ゲシュタルト療法は、変容の方法論としては、最適なものとなっているわけなのです。
特に現代社会のように、技術的・経済的・メディア的に環境変化や変動が多い時代に(それらはみな薄っぺらで中身のないものですが)、自分の中から、普遍的で根源的な能力や創造力を引き出す明確なスキルを持っていることは、生きる上でとても快適なことと思われるのです。
実際のところ、現代では多くの人が、次々現れてくる、表層的な、技術的進歩や機器、メディアに右往左往して、終始周りに流されているような状況です。しかし、そのようなことでは、自分の中から真の創造力を引き出すことなどできないのです。そのようなうわべの環境変化の中でブレない「自分の中心」や「自分の場所」を持っていることは、とても重要のことと思われるのです。
実際、私がゲシュタルト療法で出会う時期を、前段で「インターネットが急速にひろまっていく時期」としましたが、その時すでに私は「この先のネット社会では、人間が身体や実存から解離したより空虚な存在になるだろう」ということを直観していました。そのこともゲシュタルト療法の有効性を感じさせ、選択させる要因でもあったのです。
そして、あれから四半世紀が経って、現状を見てみると、予想以上に人間は劣化した頽落した存在になってしまったわけです。
かつてフリッツ・パールズは、「私の仕事は、紙でできた人間を血の通った人間にすることだ」と言いましたが、同様に私も、「スマホとネットでできた人びとを血肉(心身、存在感)を持った人びとにすることである」と言わなければならない状況になってしまったわけです。しかし、深化/進化型のゲシュタルト療法には、その力があることも事実なのです。
ところで、このようなゲシュタルト療法の在り方を、私はよく登山のベースキャンプに喩えています。ベースキャンプは、日常的な生活の場よりも高い場所にあり、同時にいつでも山頂を狙える場所にあります。ゲシュタルト療法のスキルを身につけることは、自分の存在の中にこのようなベースキャンプをつくることにもなります。
人生の中でそのようなベースキャンプ(基地)を持っておくことは、人生に新たな中心(センター)の感覚をもたらします。日々の生活でいつも創造性の高いアヴェレージ(平均点)を保っていられるのです。日常的な雑事を離れて、自分の中心(センター)や「至高点」(ブルトン)にいつでも触れられる居場所が確保できるからです。そして、その気になった際は、いつでも冒険的なピーク(山頂/志向点)に行くことで、自分の限界を超え、新たな成長を獲得することができるからです。
さて以上が、私自身が、ゲシュタルト療法(ゲシュタルト的アプローチ)をどのように発見し、その効果の特性を見出し、「フリーゲシュタルト」として現在の主たる方法論にすえたのかの理由となります。
ぜひ、ゲシュタルト療法や変性意識状態(ASC)を利用して、ご自身の大きな変容と進化を体験していただければと思います。
【ブックガイド】
ゲシュタルト療法については基礎から実践までをまとめた拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧下さい。
変性意識状態(ASC)のより総合的な方法論は、拙著↓
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』
および、よりディープな、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。
↓動画「ゲシュタルト療法と生きる力の増大」
↓動画解説『ゲシュタルト療法ガイドブック:自由と創造のための変容技法』
↓動画解説「流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス」
→『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』