セラピーのセッションを行なっていると、クライアントの方から、しばしば、ソーシャルメディアにおける「イヤな人」「気に障る人」に関する話題が出てきます。
ある知り合いの人を、ソーシャルで見かけるだけで、もの凄く「イヤな気持ちになる」「不快になる」「憂鬱になる」などと、現象としてはさまざまです。しかし、なんかイヤな感じが、後に残ってしまうというような事柄です。
では、なぜ、このようなことが起こるのでしょうか?
それは、そのイヤな人の姿と響き合って、私たちの心の内側で、「内なる他者/イヤな奴(攻撃者)」が反応して、私たちをチクチクと刺してくるからです。
その人に心理的に投影されている「内なる他者/イヤな奴(攻撃者)」が活発に動き出し、私たちを苦しめてくるからです。
別の記事「『自信がない』と『能力』は関係ない」や「先延ばしの構造/原理」では、そのような「内なるイヤな奴/攻撃者」が、子どもの頃に心の中で育って、今も私たちの中で生きている、或る人格要素であることを解説しました。
また、別の記事「映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) パワハラの由来その1 『投影』としての世界」や「他責思考の正体―抑圧とそのシャドー(影)」では、パワハラで病んでしまう心性や、パワハラ的な他責思考が、どこからやって来るのかについて解説しました。
これらは皆、心理学(精神分析)でいうところの「超自我」や、ゲシュタルト療法でいう「トップドッグ(ボス犬)」のような、私たちを苦しめてくる「内なる他者/イヤな奴(攻撃的な存在)」からやって来るのです。
これらは、私たちが育ってくる過程で、両親や社会のメッセージから「取り込まれた introject」人格要素/声です。
特に、日本人の人格構造の中では、このような「超自我」や「トップドッグ(ボス犬)」のような「内なる他者/イヤな奴(攻撃的な存在)の占める比重が大きくなっています。
それは、日本社会特有の「社会/他者の占める比重が過度に重い」ということに由来しています。
「みんなはこうしてるぞ!」「みんなに合わせろ!」「みんな我慢してるんだから、お前も我慢しろ!」「お前だけ好きなことするな!」「みんなが楽しんでいることをお前も楽しめ!」「みんながやっていることをやれ!」のように、同調圧力や横並び指向として、それらの人格は、私たちの中で幅をきかせているのです。
そのため、そのような心理的属性/人格要素(トップドッグ(ボス犬))も大きくなっているのです。
そして、その他の欲求(感情)をさまざまに規制し、抑圧してくるのです。
また、そのような人格要素は、ことあるたびに、「お前はできていない」「お前はダメだ」とダメ出しをしてくるのです。
さて、ところで、人は、心理的健康のためには、自己と他者の間に「境界」をつくり、過度な影響を防ぎ、健全な自己を自律的に運用することが必要となります。
そのため、人は、対人関係においても、適度な距離感や、自他の区分を明確に持つことが必要となるのです。
そのような距離感があると、刺激が少ないので、上記のような「内なる他者(攻撃者)」がたとえ内部に存在していても、強い反応が出ることは少ないからです。
しかし、ソーシャルメディアにおいては、「他者との距離感」が、過度に近距離的であるという特性があります。
満員電車で、しょうがなく、人と近くにいないといけないように、過度に近距離でいるのです。
しかし、満員電車の場合は、まわりは赤の他人で、互いの「関係性」がないので、まだ気楽なものとなります。
しかし、ソーシャルメディアでは、「ある種の関係性」(磁力)が生じてしまうため、必要な距離感が保てないような感覚になるのです。
過度に近距離で、窮屈な感じがするのです。
そのような場合に、私たちの中にある、「内なる他者/イヤな奴(攻撃者)」が敏感に反応しやすくなるのです。
そして、そのようなとき、人は、他者から「入りこまれるような」侵入感を持ったりもします。
他者に「内側に」踏み込まれるような感じを持ったりもするのです。
そのため、状況によっては、冒頭に書いたような、強烈にイヤな感じが反応で出てくることも生じてくるのです。
ある人をソーシャルでチラっと見かけるだけで、「イヤな気持ちになる」「不快になる」「憂鬱になる」などということも起きてしまうのです。
そのため、ソーシャルメディアに、ストレスや不快感を感じるという人は、まずは、それらと距離を置くことが望ましいことになります。
しかし、「イヤな人」に反応する不快や苦痛を、根本的に取り去るためには、心の中のある、「内なる他者/イヤな奴(攻撃者)」を取り去らないといけないのです。
実際、それらは取り去ることができます。
それがなくなると、他者に反応する要素も、私たちの中から消滅することとなるのです。
ずっと気楽になり、他人に侵入されたり、影響されたりしない感じを、自分の中に持つことができるのです。
泰然とした気持ちで、人生を生きていくことができるようになるのです。
変性意識状態(ASC)を含む、「自己超越」のためのより総合的な方法論については、
拙著
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。
ゲシュタルト療法については基礎から実践までをまとめた解説、拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧ください。