アヤワスカ体験のトータリティ(超越的全体性)―至高の体験宇宙の原理/理由

◆はじめに(前提)

 アヤワスカについては、よく「深いトラウマが癒された」「根強い囚われから解放された」「人生の意味がわかった」「臨死体験をした」「過去生を体験した」等、さまざまな事柄が言われています。
 しかし、「なぜ、そのような事柄が起こるのか?」を説明したものは見たことがないと思います。
 以下では、それらの原理について、解説していきたいと思います。

 さて、別記事「アヤワスカ―煉獄と浄化のメディスン(薬草)」では、アヤワスカに関する全体的な事柄についてまとめてみました。
「アヤワスカ―煉獄と浄化のメディスン(薬草)」
 また、別の解説動画「精神探求としてのアヤワスカ―その体験宇宙と注意点」では、アヤワスカで体験される、さまざまな精神的宇宙の様相を解説してみました。
 この記事では、動画では細かく解説しきれなかったことを含めて、高度に精神的な事柄も含めて、色々と書いてみたいと思います。
 ただ、本題に入る前に、(動画でも解説しましたが)日本でのアヤワスカ理解は、浅すぎる部分が多いので、前提としての注意点をいくつか記しておきたいと思います。

サイケデリック体験/研究の経験値
 日本→一周もしていない
 海外→二周目、三周目
 サイケデリックス(LSD等の意識拡張剤)については、日本と海外では、認知や理解度がまったく違います。
 海外においては、1960年代にサイケデリック・ムーブメントが起こり、良くも悪くもさまざまな出来事があり、その最低限の経験値が前提となって、今もさまざまな研究が行なわれています。
 しかし、日本の場合は、そもそも、1960年代に海外であったようなバカ騒ぎも、知見の集積もなかったので、最低限の経験値さえ蓄積されていないというのが現状なのです。そのため、現在でも、精神性を欠落させた、凡庸で浅薄な知見が横行してしまっているという状況になってしまっているのです。

▼アヤワスカ飲料の成分
 「アヤワスカ」とは、飲み物なのですが、南米のシャーマニズムの中で伝統的に使われてきたもの(プラント・メディスン)です。
 飲料としての「アヤワスカ」は、二、三種類の植物の調合によって作られています。バニステリオプシス・カーピ(蔓植物アヤワスカ)と、別の植物チャクルナ、チャリポンガ等との調合です。チャクルナやチャリポンガなどの中には、幻覚効果を持つDMT(ジメチルトリプタミン)が含まれています。

 そのため、一言で「アヤワスカ」といっても、その成分や効き方に固体差が大きいということです。植物自体の成分含有量という問題もあるし、調合する人の好みや方向性もあるからです。
 そのため、「アヤワスカ」と名がつけばそれでいいというものでもないのです。
 もし、体験するのなら、「どのようなアヤワスカであるのか」、その性格をよく知っておく必要があるのです。

※注意事項「アヤワスカであれば、なんでもいいというわけではない」

▼マスタープラント(植物の師)
 また、アヤワスカ体験を本格的に深めたい場合は、ディエタという中長期の修行的な方法論(スタイル)があります。 現地のシャーマンが重んじているのは、主に、このディエタというスタイルです。
 ディエタでは、「マスタープラント」という特別な植物を摂ることを中心に、プロセスが運ばれていきます。
 「マスタープラント」は、数十種類ありますが、彼らには、それぞれ個々の能力があるとされています。
 そして、シャーマンは、ディエタの期間中、マスタープラントを摂りながら、間にアヤワスカ・セレモニーを体験していくのです。そのプロセスを通して、シャーマンは、そのマスタープラントとのコネクトを深め、彼らの能力を得ると言われているのです。
 そのため、アヤワスカ体験を深めたいという人は、このマスタープラントについても押さえておくことが重要になります。 

▼シャーマンの重要性(イカロ、マパチョ、ソプラ、チュパ)
 アヤワスカ・セレモニーは、シャーマンが中心になって執り行なわれます。
 しかし、シャーマンには、さまざまな個性や能力差があります。そのシャーマンが、どのような能力をもったシャーマンであるかということが、アヤワスカ効果の趨勢を左右します。
 そのため、シャーマンが、どのような個性や能力を持っているのかという点もよく理解しておかないといけないのです。シャーマンと名がつけば何でもいいというわけではないのです。現地に行けば、インチキなシャーマンなど、山ほどいるからです。 
※注意事項「シャーマンであれば、なんでもいいというわけではない」


◆東洋的な〈意識〉モデル

 さて、それでは、本題に入りたいと思います。
 アヤワスカで体験される強度な変性意識状態、深遠な宇宙には、さまざまな様相や構造があります。
 実は、この様相や構造は、アヤワスカで体験されるだけなく、他のサイケデリック体験や、またひろく神秘的体験全般においても、同様に体験される普遍的な様相(構造)となっているのです。
 動画では、そのことを、東洋/アジア世界に広く見られる「意識の多次元的な構造モデル」として解説しました。
 この図式は、トランスパーソナル心理学/インテグラル理論ケン・ウィルバーなども、自己の心理学(意識のスペクトル)に取り入れたことで有名になった3領域の図式です。
 また、サイケデリックス研究の初期に、ハーバード研究センターのティモシー・リアリーたちも、このことに気づきました。
 彼らは、サイケデリック体験の様相やプロセスが、仏教の経典である「チベットの死者の書」に似ていると気づいたのです。
 実は、「チベットの死者の書」で表現されている心(意識)の構造とは、東洋にある典型的な「意識(変性意識)の多次元的な構造モデル」なのです。
心理学的に見た「チベットの死者の書」―T・リアリ―の取り組み

 さて、その東洋のモデルにおいては、〈意識〉(変性意識)は、以下のような領域を持っていると考えられています。
 ①粗大領域 gross body

 ②微細領域 subtle body
 ③元因領域 causal body
 です。
  これらは、アヤワスカの体験においても、同様に現れてきます。
 まず、はじめに、これらの3領域の内容から見ていきましょう。
 下の図表とともに、ご覧ください。

①「粗大領域」―私たちが固着する理由、「合意的現実」「排他的同一化」

 「粗大領域」は、私たちのよく知っている、この物質的な世界です。
 近代の唯物論的な世界観でいえば、この「
宇宙のすべて」です。
 それが、粗大領域の世界です。
 現代社会(近代社会)は、基本的には(主流派は)、これらの物質的・科学的世界観によって成り立っています。
 そのため、日本で、学校教育で教えられる世界は、この粗大領域のものだけなのです。
 この粗大領域以外の世界の実在を、公言するのは、主流派の世界観から外れることになります。
 (そのため、アカデミズムの世界では、粗大領域以外のことが実在の世界として語られることがないのです
)

 では、なぜ、私たちは、この粗大領域だけを、「現実」だと信じ込んでいるのでしょうか?
 これは、いくつかの切り口で見ることができます。
 このような通俗的な「現実性」について、ユング心理学の流れをくむ「プロセスワーク」の創始者A・ミンデルは、「合意的現実 consensus reality」という名称を与えました。
 私たちの信じている「現実性(リアリティ)」とは、まわりの人々の合意の結果、「現実」だと信じられているに過ぎないということを指した言葉です。
 日本人などによくある「まわりの人間が信じているものを信じる」という自動性によって、「現実」と見なされている、限定的な現実性(リアリティ)のことです。
 そこには、「まわりの人間に迎合する/孤立しない/軋轢を起こさない」という深層動機以外のものはないともいえます。
 これは、心理学的に淵源を探せば、フロイトが「超自我」と呼んだような、生育歴の中で作られた「社会的自我」による感情です。
 →イヤな仮想隣人―ソーシャルメディアの侵入感
 →動画解説 パワハラで「病む人」「病まない人」の違い―その心理構造
  「まわりの人間に合わせろ!」という価値感情から、これらの「現実性(リアリティ)」は唯一のものとして、この社会で君臨しているのです。
 現代社会の主流派の「現実」観、「合意的現実 consensus reality」であるがゆえに、この粗大領域だけが「現実」と信じられているというわけです。

 また、インドの重要な思想家シュリ・オーロビンドは、私たちが、粗大領域しか認知できないのは、この領域に「排他的に同一化」しているからだと指摘します。
 これも、心の作用です。
 本来の〈意識/心〉は、広大なひろがりをもっているのに、鈍感な人間でも認知できる、この鈍重で物質的な粗大領域だけに固着し、それと完全に同一してしまっているので、それ以外の領域が認知できなくなってしまっているのだというのです。
 この固着の心理学的な仕組み(カラクリ)は、拙著『流れる虹のマインドフルネス』をご参照ください。
詳細紹介『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』

 ところで、アヤワスカ(サイケデリック)体験においては、この粗大領域を逸脱し、それを超える事柄がさまざまに体験されていきます。
 オーロビンドのいう「排他的同一化」が離脱され(脱同一化され)、〈意識〉の広大なひろがりがさまざまに体験されてくるのです。
 そのことが、サイケデリック体験の強い特徴と言えるのです。
 「自己実現」で有名な心理学者マズローととともに、トランスパーソナル心理学を発足させた精神科医のスタニスラフ・グロフ博士は、歴史的初期から、LSDを使ったサイケデリック・セラピーに関わっていました。
 そして、その膨大な臨床経験(研究)を蓄積していくのですが、その経緯を、次のように回想します。

「LSD研究のなかでわたしはとうの昔に、ただ単に現代科学の基本的諸仮定と相容れないという理由で、絶えまなく押し寄せる驚異的なデータ群に目をつぶりつづけることが不可能なことを思い知った。また、自分ではどんなに想像たくましくしても思い描けないが、きっと何か合理的な説明が成り立つはずだと独り合点することもやめなければならなかった。そうして今日の科学的世界観が、その多くの歴史的前例同様、皮相的で、不正確かつ不適当なものであるかもしれないという可能性を受け容れたのである。その時点でわたしは、不可解で議論の的となるようなあらゆる知見を、判断や説明をさしはさまず注意深く記録しはじめた。ひとたび旧来のモデルに対する依存心を捨て、ひたすらプロセスの参加者兼観察者に徹すると、古代あるいは東洋の諸哲学と現代の西洋科学双方のなかに、大きな可能性を秘めた新しいエキサイティングな概念的転換をもたらす重要なモデルがあることを少しずつ認識できるようになった」

グロフ『脳を超えて』吉福伸逸他訳(春秋社) ※太字強調引用者


 科学は、粗大領域のリアリティしか持っていないので、これを超える事象については、説明しようがないのです。
 また、ここで、グロフ博士も「古代あるいは東洋の諸哲学」と指摘しているようなものが、上に挙げたようなモデル、「意識の多次元的なモデル」なのです。
 グロフ博士は、そんなサイケデリック体験の特徴について、次のように語ります。これなども、通常の粗大領域の世界観からは説明つかない事柄と言えるでしょう。しかし、グロフ博士は、数々のサイケデリック体験の観察から、そのような〈意識〉(変性意識)の働きを観察しているのです。

「非日常意識状態についてふれておきたい最後の驚くべき特徴は、自我(エゴ)と外部の諸要素との差異、もしくはもっと一般的にいって、部分と全体との差異の超越である。LSDセッションにおいては、自己本来のアイデンティティを維持したまま、あるいはそれを喪失した状態で、自分をほかの人やほかのものとして経験することがありうる。自分を限りなく小さい独立した宇宙の一部分として経験することと、同時にその別の部分、もしくは存在全体になる経験とは相容れないものではないらしい。LSD被験者は同時にあるいは交互に、たくさんのちがったかたちのアイデンティティを経験することができる。その一方の極は、一つの物理的身体に住まう、分離し、限定され、疎外された生物に完全に同一化すること、つまりいまのこのからだをもつということだろう。こういうかたちでは、個人はほかのどんな人やものともちがうし、全体のなかの無限に小さな、究極的には無視してかまわない一部分にすぎない。もう一方の極は、〈宇宙心(ユニヴァーサル・マインド)〉ないし〈空無(ボイド)〉という未分化の意識、つまり全宇宙的ネットワークおよび存在の全体性との完全な経験的同一化である」

グロフ(同書)※太字強調引用者

 サイケデリックな変性意識状態においては、いかに〈意識〉自体の無限の本性が顕れてくるのかがわかると思います。
 その本性に従って、〈意識〉は、微細領域、元因領域の姿を顕してくるのです。

 また、「粗大領域」の物質領域での関係で付言しておくと、成分としてのサイケデリックス研究が、なぜ、「本質的なものではないのか」についても触れておきたいと思います。
 それは、サイケデリック体験の本質は、〈意識〉の様態についての議論だからです。
 しかし、大前提として、哲学者D・チャーマーズの有名な「〈意識〉のハード・プロブレム(難しい問題)」でも指摘されたように、〈意識consciousness〉自体は、科学では見つけることができないからです(かすりもしない/別物)。
 〈意識〉を物質的な作用に還元しようとする論のすべては、確認のとれない仮想の因果関係を捏造して、問題を、「イージー・プロブレム(易しい問題)」にすり替えているからにすぎないからです。
 「DMTは、神経伝達物質と化学構造が似ているので、〈意識〉に何らかの影響があるのだろう」
 成分について言えることは、これ以上でも以下でもないのです。


「元因領域」―目撃者 witness、〈宇宙心(ユニヴァーサル・マインド)〉

 さて、順番からいうと、「②微細領域」の説明の番になるのですが、説明のしやすさの関係から、さきに「③元因領域」の方を解説したいと思います。
 元因領域は、瞑想やヨガなどで語られる、「至高の、究極的な意識・精神」の領域です。
 宇宙的領域、神的領域ともいうべき領域です。
 グロフ博士の言葉で、「〈宇宙心(ユニヴァーサル・マインド)〉ないし〈空無(ボイド)〉」「全宇宙的ネットワークおよび存在の全体性との完全な経験的同一化」と呼ばれているような領域です。
 これらも、東洋の伝統的な世界観の中では、よく知られていたものでした。
 たとえば、インドでは、ヨガや瞑想の究極の境地を表現するのに、よく「梵我一如」と表現します。 
 「梵」とは、ブラフマン(宇宙そのもの/宇宙創造の神)のことであり、「我」とは、アートマン(私たちの「真の自己」)のことです。そして、それは、同一のものであるという思想です。
 アートマンとは、私たちの中にあって、「私」や自我ではない、宇宙的な目撃者 witnessであると言われます。
 アートマンは、私たちの本性ですが、「私」でも自我でもなく、それは、生まれることもなければ死ぬこともない、
そのものとしてのブラフマンであると言われているのです。
 1,000年以上の前の、インド最大の思想家の一人シャンカラは、次のように、アートマンについて、またアートマンとして、語ります。

「認識対象を捨て、つねにアートマンを〔あらゆる限定を〕離れた認識主体であると理解すべきである。「私」と呼ばれているものもまた、すでに捨てられた〔身体の〕部分と同じであると理解すべきである。

アートマンは変化することなく、不浄性もなく、物質的なものでもない。そしてすべての統覚機能の目撃者であるから、統覚機能の認識とは異なって、その認識は限定されたものではない。

私〔アートマン〕自身純粋精神を本性としている。おー意〔統覚機能〕よ。〔私と〕味などとの結合は、お前の混迷に由来するものである。それゆえに、お前の努力によるいかなる結果も、私には属さない。私は一切の特殊性を持たないからだ。

見〔=純粋精神〕を本性とし、虚空のようであり、つねに輝き、不生であり、唯一者であり、不滅であり、無垢であり、一切に遍満し、不二である最高者〔ブラフマン〕――それこそ私であり、つねに解脱している、オーム」

シャンカラ『ウパデーシャ・サーハスリ―』前田専学訳(岩波書店)
※太字強調引用者

 ここでは、私たちの〈意識〉の本性―それを彼はアートマンと呼ぶのですが―は、「私」や心、自我や物質ではなく、それらを超越したもの、宇宙的な目撃者 witnessであることが語られているのです。
 そして、それが、私たちの意識の「本質」であるというのが、インドに古来からある「梵我一如」の思想なのです。
 これら究極的なものが、元因領域の世界です。
 アヤワスカ体験(サイケデリック体験)においては、さきのグロフ博士も指摘するように、このような領域の体験も、実際に体験されてくるのです。
ブフォ・アルヴァリウス (5-MeO-DMT) ―「神」に戻った日/〈絶対〉への帰還

②「微細領域」―精妙なエネルギー領域、想像界/心象界 mundus imaginalis

 微細領域は、粗大領域のような物質的次元と、元因領域のような究極的次元との間の「中間的な世界」です。
 粗大領域の世界が、「心理的」だとすると、微細領域は、より複合的なひろがりをもった「魂的」な領域とも言えます。
 ここでは、肉体に閉じ込められていない「魂的」な意識のひろがりを体験することとなります。
 実際、この領域では、さまざまな驚異的な事柄が起こってきます。
 私たちに一番イメージつきやすいのは、「精妙な」エネルギーの領域です。
 それは、気功でいう〈気〉、ヨガでいう〈プラーナ〉などは、微細領域のエネルギーです。これらは、粗大領域のエネルギーではありません。
 アメリカの大学では、サイキック(超能力)の研究などを行なっている人々もいるので、これらエネルギーの科学的検出を試みる人はいましたが、〈気〉や〈プラーナ〉のエネルギーは見つかっていないのです。
 しかし、それらを「体感する」人々には感じとられるというのが、これらのエネルギーです。
 これらは、古今東西のさまざまな秘教の中で「精妙な」「霊妙な」とされていたエネルギーの領域なのです。
 これらが、微細領域にあるものとして、まずは、イメージしやすいものです。

 また、シャーマニズムの伝統における「異界/異世界」や「スピリットのいる領域」も微細領域の世界と言えるものです。
 また、そこは、植物たちの意識と遭遇する領域とも言えます。
 それらは、物理的にはつかまえられない世界だからです。
 それは、物理固形的なレベルでは存在していないが、「精妙な」エネルギー的、「魂的なもの」として、実在するものして語られている領域なのです。

 また、著名なイスラム学者アンリ・コルバンの提唱した「想像界/心象界 mundus imaginalis」なども、微細領域にあるものです。
 これは、コルバン自身が、 mundus imaginalis は、微細領域にあると言っているので、そのように定義できるものです。
 「想像界/心象界 mundus imaginalis 」とは、コルバンが、イスラム神秘主義の語る、ある実在空間を語る語彙の中に、西洋の言語にどうしても翻訳できない語彙(概念/存在)があることに気づき、造語するとともに提唱した「或る世界領域」のことです。
 そのイスラムの原語は、「想像」にまつわる語彙であり、それを通常の西洋の言語に翻訳すると、imaginaire/imaginary のように訳されることになると言います。
 しかし、コルバンに言わせると、imaginaire/imaginary は、西洋の世界観の中では、「想像上の、架空の、実在しないもの」という意味になってしまうと指摘します。
 しかし、イスラム神秘主義の語るその語彙が示す概念/存在は、「想像上のもの」であると同時に、「客観的に実在するもの(それ固有の構造をもった)」のようなのです。
 「想像上のもの」であると同時に、「客観的に実在する」という語彙は、西洋の語彙/概念にないため、imaginal という形容詞を作って、そのような新たな意味合いで使ったというのです。
 このイマジナル imaginal な世界という考え方は、西洋では、とても認知(人気)があり、他の人びとも使ったりします。
 たとえば、臨死体験研究の権威であるケネス・リング博士などは、「臨死体験は、このイマジナル imaginal な空間(想像界/心象界)で起こっている」とします。
 そして、臨死体験とは、現代版のシャーマニズム的な体験だとしているのです(体験構造がとても似ているのです)。

 また、ユングのいう「元型」なども、この微細領域にあるとすることもできます。
 そもそも、ユング自身が、この「元型」=祖型を、プラトンのいう「イデア」から思いついたフシもあります。
 粗大領域(DNA)の中に、それらがあるとすることもできますが、これらはそもそも見つからないものであると同時に、説得性に欠けるという点があります(そもそも、元型は、唯物論者には人気のない仮説です)。
 しかし、サイケデリック体験においては、むしろ、説得的な形で、この「元型的」なものが滾々と湧出してくるという事象があります。
 そのあり様は、根源的な形態として、粗大領域的というよりは、微細領域的な姿をしているのです。
 以上、微細領域のさまざまな姿を見てみましたが、「魂的」であるということが少しイメージできたかと思います。

 さて、以上、各領域について解説してみましたが、この3領域は、次のような「心の姿」にすると、少しイメージつきやすくなるかもしれません。
 ①粗大領域 …心理的世界
 ②微細領域  …魂的世界
 ③元因領域 …神的世界
 このような構造として、私たちが本来持っている「広大な意識構造」「意識のスペクトル」を見ていくことができるのです。
 そして、アヤワスカ体験の素晴らしいところは、この、私たちの心の全体である「心理的なもの、魂的なもの、神的なもの」をすべて体験できる可能性があるということなのです。
 ただ、当然それは、参加者本人に、どういう資質や準備、プロセスや「器」があるかによって変化するということです。

◆アヤワスカの作用と体験の様相

 上の図が、アヤワスカ体験によって、どのような事柄が起こってくるかを、各「領域」ごとに記したものです。
 同じアヤワスカを摂っても、人によって、どの側面が強く出るかは、その人の状態やプロセスに拠ります。
 アヤワスカを摂ると、アヤワスカは、私たちを「リンピア(浄化)」するために働いてくれます。
 「浄化」とは、エネルギーを通すために、汚れを落とすこと、詰まっているものを洗い流してくれることです。そのため、アヤワスカは、私たちの中の「一番詰まっているところ」に作用してくることになるのです。そこに、アヤワスカのエネルギーが集中されるのです。

 通常、多くの人は、3領域の中では、粗大領域の部分に大きな詰まりや汚れを持っています。私たちが固着し、一番こびりついてるのは、粗大領域にだからです。そのため、その領域にアヤワスカの作用がやってきます。
 まず、
「肉体」がその対象となります。肉体は、さまざまなものを溜め込んでいます。肉体面で、激しい嘔吐や下痢など、さまざまな症状が現れてきます。
 しかし、この嘔吐や下痢によって、私たちの蓄積していた汚れが排出され、エネルギーの通りが良くなるのです。
 
また、同様に、心理的でも、個人の無意識に抑圧されていたさまざまなトラウマや、見ないようにごまかしていたものたちが、魑魅魍魎のように終わりなく溢れ出してくることになるのです。
 しかし、そのことで、心理的には、大きな癒しと解放が達成されてくることにもなるのです。

 微細領域や元因領域の顕れ方は、個々人によって大きく違います。それが、必要な人々には、それらが驚異的な形で顕れてきます。
 「微細領域」の世界では、私たちは、さまざまな不可思議な異形のものたちに遭遇していきます。
 それらは、精霊的だったり、植物の意識のようだったり色々です。シャーマニズムでいう異界の存在たちに遭遇していくことになるのです。また、より根源的で、元型的な、神話的なものを感じさせるようなものたちに遭遇していくこともあります。そこでは、日常の時間を超えた、偉大さや深遠さを感じさせるさまざまな事柄に遭遇していくことになるのです。

 いずれにせよ、人生で過去に見たこともない、「想像を絶するもの」をさまざま視ていくことになるのです。
 また、臨死体験のような光景を見ていくこともあります。そこでは、生のさまざまなカラクリが視えてくる気がきます。その中で、自分の魂の来歴を感じることもあります。

 また、一種の「過去生なもの」を体験することもあります。当然、これらは立証できるものではありませんが、「或る知らない人」の人生を垣間見て、体験して、それが自分に大きな癒しや変容をもたらすようなことも起こってくるのです。 
 また、精妙なエネルギーを感じて、その不思議なエネルギーの感触に感電するように感じ入るということも起こってきます。

 「元因領域」においては、私たちは、通常の価値観を超えた、宇宙的な次元を感じていきます。
 それまでの人生を支配していた、さまざまな人間的な価値観、二元的な価値観が、その荘厳な根源性の中で消失していきます。
 それまでのこだわりや人間性から、離れていくことになるのです。
 宇宙的な空無や神秘、根源的な荘厳さの中に、私たちは「私ではないもの(目撃者 witness)」として在ることになるのです。
  

◆必要なこと―体験の「器」づくり

 さて、そのようにアヤワスカは、さまざまな領域で、私たちに働きかけてきます。
 その人のプロセスに合わせた形で、その必要な場所(箇所)に、アヤワスカは作用してきます。
 それも、日常的な次元を噴き飛ばすような、桁外れなエネルギーをもって、働きかけてきます。
 そのため、それらを体験する私たちは、その体験を受け止める「器」を持っていることが必要になります。
 適切な「器」を持っていればいるほど、私たちは、その深遠な体験の彼方に行くことができるからです。

 その「器」については、色々な側面がありますが、まずは「心身の流動性」をある程度は持っていることが必要と言えます。
 本当は、「心身の流動性」はあればあるほど良いのですが、訓練してない普通の人は、通常これらを持っていないので、「最低限」持っていればなんとかなる、とさせていただきます。
 一方、体験的心理療法などの訓練で感情を充分解放した経験があり、かなり心身の流動性が高い場合は、粗大領域を早々にクリアして、微細領域、元因領域の深遠な世界に、宇宙の彼方に、さまざまに遊ぶことができると言えます。
 また、「心理的抑圧」「心理的分裂」についても、「最低限」は緩めておくことが望ましいと言えます。
 そうでないと、つまり、分裂や抑圧が過度に強いと、自分の心理的な「シャドー(影)」に圧倒され(それが投影され)、アヤワスカ体験そのものが、「怖ろしいもの」になってしまうからです。
 ただでさえ、アヤワスカ体験は、日常にない異形のものの溢れる怖い面があるので、それが倍加されてしまうということです(バッド・トリップ等)。また、場合によっては、その後に、心理的不調をひき起こしてしまうケースもあるからです。
 また、リンピア(浄化)には、「凡庸な(凡俗の)人間中心主義」を浄化(洗い流す・リセット)する側面があります。そのため、自分の感情とよくつながれていない人は、「自明性の喪失」が起こり、一種「離人症的」な虚無(奈落)感覚を持つ場合もあります。
 そのため、そのような不安や心配がある人は、自分の心理的統合レベルをよく理解し、事前に体験的心理療法などで、自分の心の底に下降して、「ある程度は」感情解放や、感情の統合/つながり(コネクト)を進めておいた方が望ましいと言えます。
 そのため、そのような不安や心配がある人は、事前に体験的心理療法などで、自分の心の底に下降して、「ある程度は」感情解放を進めておいた方が望ましいと言えます。
 そうすると、その解放の続きを、アヤワスカが加速し、大きな癒しをもたらしてくれることにもなるからです。

 また、アヤワスカを体験した後にも、自分の心を深めていくことは重要になります。
 そのように、体験的心理療法などで、心を練り、統合していくことは、事後の「体験統合」に、とても助けになる働きとなります。
 そのように取り組むと、「アヤワスカ体験」が自分の中で練られ、定着し、アヤワスカが与えてくれた「超越的全体性(3領域)」が、より身体化していくことになるからです。貴重な体験や啓示を雲散霧消させないようにすることができるのです。

 さて、以上、「アヤワスカ体験のトータリティ(超越的全体性)」と題して、アヤワスカ体験のさまざまな様相について解説してみました。
 アヤワスカのパワフルで、啓示的な力が、少しだけでも感じていただけたのではないかと思います。
 そして、以上見たように、アヤワスカは、一時の流行や興味本位で、試してみるようなものではありません。
 しかし、アヤワスカは、これに真剣に取り組んでいくと、私たちに想像を絶する、驚異的で、深遠な宇宙を垣間見せてくれる、偉大なプラント・メディスンであるのです。
 そのため、人生の神秘を探求し、扉を開けるように、その謎を解明したいと望まれる人にとっては、アヤワスカは、奇蹟的なまばゆさで光明を与えてくれる、魔法の鍵であるのです。
 この日常の風景のすぐ向こうに、「現実」の真に驚異的な次元が、まざまざとひろがっている様を感じたいという方は、ぜひとも試してみていただければと思います。

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https://note.com/urbanshamanism

【関連】
アヤワスカ―煉獄と浄化のメディスン(薬草)
アヤワスカ体験と非二元性―その原理と二種類の変容

変性意識状態(ASC)を含む、「自己超越」のためのより総合的な方法論については、
拙著
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。
ゲシュタルト療法については基礎から実践までをまとめた解説、拙著
『ゲシュタルト療法 自由と創造のための変容技法』
をご覧ください。

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